第10話 申し出

「そう。それで当日の楽隊だけど……」


 吹き抜けの建物の上階で、プロムの実行委員で当日の打ち合わせをしていると、きゃーっと大きな悲鳴が聞こえてきた。

 何事かと数人が階下を見下ろす。


「はいはい押さないで、順番順番」


 黄色い悲鳴に混じってアンリエッタの声が聞こえてくる。

 ヘレンも三階の手すりから下を見ると、見慣れた男子が女子生徒に囲まれていた。


「この公式教えてくれない?」

「魔術方程式の考察について……」

「ちょっと時間ありません!?  お茶でも!」

「あ、あああ、あの」


 一方のデリックは人波にもまれて、今にも窒息しそうな青い顔をしている。


「はいはい、勉強を教わる場合は一時間千ベイカーで〜す。必ずマーク商会を通してくださーい」

「い、いや、俺は……」


 アンリエッタが叫ぶ言葉にデリックが必死に首を振る。

 ヘレンは皆にことわって、急いで螺旋階段をおりた。


「デリック!」

「ヘレン」


 デリックがほっとした顔で名前を呼ぶ。その様子を見て、彼を取り囲んでいた生徒達が一斉にヘレンを振り返った。

 思わずその場でたたらを踏んだ。


「なぁに!? 婚約者だからって独り占めする気!?」

「あ、いえ」

「いいじゃない少し借りるくらい!」

「そ、それに口を出すつもりは……」


 逆に詰め寄られてへっぴり腰になる。

 そう。仮初の婚約なのだから、別にデリックがモテようが困ろうがヘレンには問題ないはず。

 思わず駆け寄ってしまったが……自分はなにがしたかったのだろう。


 だが、人垣から抜けてきたデリックがヘレンの隣に立ったところで、ようやく覚悟を決めた。


「……プロムの準備を手伝ってくれるのよね、ありがとう!」


 彼の背中をぐいぐい螺旋階段の方に向かって押す。

 アンリエッタの手入れによるものか、今日のデリックは髪をワックスで整えて、服もきちんと洗濯したものを着ていた。


「みんな待ってるから、早く」


 その間にも殺気が背中に突き刺さって痛い。

(い、イケメンって、こんなに注目されるものなのね)


 階段をのぼりながらこそりとささやいた。

「上に着いたら、こっそり抜け出してね。アンリエッタには、みんなにお金を返すように言っておくから」

「手伝う」

「ん?」

「プロムの準備、手伝うよ」


 思わぬ言葉に目をぱちくりした。

 ヘレンが知る限り、デリックがこういう学校行事に参加したのは歓迎パーティーだけだ。ましてや、コミュニケーションが必要な、雑多な準備が向いているとは思えない。


 だがプロムは当日楽しみたい生徒が多いため、準備係は毎年人手不足だった。

 デリックが手伝いとして入れば楽になる。もちろん、他の委員にも了承を得る必要があるけど。


 頭の中で計算するヘレンに、振り向いたデリックが身を屈めてささやいた。


「俺はヘレンの婚約者だから」


 デリックが嬉しそうに目を細めた。


 今までは前髪が邪魔で口元しか見えなかった表情。普段はどこか上の空のことが多いが、端正な顔がほころぶとぐっと親しみやすくなる。そして破壊力もばつぐんだ。

 思わず、ヘレンが背中から手を離すくらい。


「……そんな簡単に笑っちゃ駄目よ。もっと囲まれちゃうから」

「ヘレンの前以外では、笑わないよ」

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