第8話 婚約から数日後 

 ヘレンとデリックの婚約の話は瞬く間に学校中に広がった。


 天才だが変人のデリックと、優等生のヘレンはどちらも生徒に知られていて、なぜこの二人が? という話題で騒然となった。


 そして。




「ヘレン。デリック・ラスと婚約なんてやめて俺と付き合ってくれ!」


 その日の授業終わりのこと。

 寮に帰るところで呼び止められたヘレンは、三年の先輩に廊下で告白されていた。

 無理です、と言いかけたところで先輩に手を握られて顔が近づく。


「あんなやつ君には似合わない。是非、僕とプロムを一緒に……」


 そこで間に大きな影が入った。見ると割り込んだのはデリックだ。彼は無言で三年生を睨んだ。


 いつも猫背気味で目立たないように端にいるが、こうして並ぶとデリックの背は結構高い。しかも重い魔導書をいつも持ち歩いているせいか意外と厚みもあった。


「俺の、婚約者に、なにか」


 今にも飛びかからんばかりの殺気を放ちつつ唸った。


「い、いや、別に……失敬!」


 先輩が慌てて去って行く。

 その姿が廊下の向こうに消えるまで警戒の目を向けていたデリックが、ヘレンを見た。じとりとした目に射貫かれて思わず視線を逸らす。


「ちゃんと、断って」

「もちろん断るつもりだったわ」


 婚約してから数日が経っていた。

 話さない期間があったことなどなかったように、こうして会話しているのを不思議に思う。


 デリックが息を吐いて頭を掻く。その手には、明るい青色の魔石の指輪がつけられている。

 魔法の指輪は、杖のように魔力を使うときに補助をするものだ。

 加工が上手なこの国特有の文化で、学校では入学時に全員に配られていた。

 はまっている魔石は自分で決めたものだが、使っているうちに持ち主の癖にそまる。


 交換は、学校内では恋人のあかしだった。

 ヘレンの中指にも、黒い魔石のごつい指輪がはめられている。


 ちなみにデザインも変えられるが、交換した男モノだとわかりやすいようデリックが変更を拒否した。中心にある真っ黒な魔石は、底が知れない目の前の人物をよく象徴している。


(デリックとこんなことになるなんて、新入生歓迎パーティーの日の自分が知ったらびっくりするだろうなぁ)


 しみじみ思っていると、どこから見ていたのかアンリエッタが手に白い袋を持って近づいてきた。


「まぁ仕方ないわよ。今まで告白全部断ってたヘレンが婚約だもん。デリック相手なら、頭はともかく他の要素で自分もいけると思うんでしょ」

「……うぅ」


 指摘にデリックが胸を押さえた。


「しかもプロムの季節だし!」


 そう。そろそろ三年生の卒業が近づいていた。


 この時期の一大イベントといえば、式の後に大広間で行われるプロムだ。


 男子は好きな女子にエスコートを申し込み――もちろん逆の場合もあるが――舞踏会のように皆で一晩踊り明かすのである。


「ヘレンも使ってみる? これ上手にステップできる靴。これは飲んだらお肌ツルツルになる薬で……」


 持っている袋からいろんな魔法道具を出す親友に、ヘレンはにっこり笑った。


「一応確認しておくけど、校内は商売禁止よ」

「ふふ、大丈夫。商店うちのサンプル配ってるだけだから。でもどうも新製品に反応が鈍いのよねー……」


 袋の中を覗いてため息をついたアンリエッタは、ふと、デリックを見た。


「デリック、モニターやってよ」

「……」

 無言で首を振る彼の肩に、アンリエッタは腕を回した。


「まぁ聞きなさい。そんな風に野暮ったいから自分のほうがいけると思われるの。これ使って、私がヘレンに相応しい男にしてあげる」

「私は気にしないけど」

「さ、決まり。マーク商店の名にかけて華麗に変身させてあげるわ!


 アンリエッタがデリックの胸ぐらを掴んで、有無を言わさず引きずっていく。


「い、いや、俺は別に……ヘレン、……っ」


 売られていく仔牛のような声と、伸ばされた手にさすがにかわいそうになる。


「やめてあげてよ。嫌がってるじゃない」


 助け舟を出すと、アンリエッタはぴたりと動きを止めた。胸ぐらを掴んだまま、彼女がぐずる男に顔を近づける。


「――じゃあ、ヘレンがプロムであんた以外の誰かと踊っても良いの!?」

「よ……くない、です!」

「なら言うこと聞きなさい、返事は⁉︎」

「はい!」

「あの……」

「ヘレンは黙ってて! さ、行くわよ」

「う、ぅ」


 廊下を小さくなっていく二人をその場で見送る。


「私、プロムの実行委員だから踊る暇ないんだけど……」


 このまま見なかったことにして寮に帰ろうか少し迷う。

 それでも結局、二人の後を追った。

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