第2話 婚約者の振るまいとは

 ヘレンの生まれたルクオール王国は純度の高い魔石が発掘されることで有名だ。


 国土のほとんどは山岳地帯でおもな産業は魔石とその加工品、それに伴う魔法技術の研究、特許で成り立っていた。

 そのため国は優秀な魔法使いを育成するために学校を設立して、世界中から学生を募集している。


 伯爵家令嬢で十五のヘレンと目の前の青年は魔法学校の同級生。

 彼はヘレンより二年年上だが、入学時年齢は十五~十七才まで認められているからこれくらいの差は珍しいことではない。


 名前はデリック・ラス。


 長い前髪のせいで他人と目を見て話すことはなく、服装や外見にこだわりもなく、食生活も適当、生活力皆無。

 自分のことを話さないので、ヘレンは名前と年齢、彼が他国の人間だということ以外知らない。


 そんな相手と何故婚約したのか。

 それは学校を中退して親のいいつけで結婚させられるはずだったヘレンに、デリックが提案したからだった。


 このまま学校で勉強を続ける代わりに、婚約者としての振るまいをして欲しい、と。


 だからこれは恋とか愛とかではなく契約だ。

 二年後、魔法学校を卒業するヘレンが一人で生きていくための、期限つきの。


 息を吐いたヘレンは先ほどデリックが落とした本やレポートに手をかざした。指にはめている指輪に魔力をこめる。すぐに床にあるそれらがふわりと浮いて、ヘレンの手に収まった。


「――……え、で、でも、なんで俺の部屋に……?」


 動揺しているデリックの声に顔を上げた。持っていた本や書類を机に置いて、ヘレンはぎゅっと胸元のローブを握った。

 さすがにいざとなると恥ずかしいが、ここまでくればあとは度胸だけだ。バッと着ているローブを脱いだ。


「婚約者としての振るまいをしてほしいっていうからに決まってるでしょ……!」


 もう一度言うが着ているのは頼りない薄い布地だ。突き刺さるデリックの視線がいたたまれない。


 しかも返事はなく、無言の時間が気まずい。


 ここまで覚悟を決めて来たのに何も言わないとはどういうことだろう。真っ赤になった頬を膨らませつつ上を見ると、目を見開いたままデリックが固まっていた。

 そのままものすごいスピードで近づいてきて、ヘレンのローブをかけなおす。


「あ、危な、……っ心臓が止まるところだった……!」


 青ざめてたデリックがガタガタと震え出した。その長い前髪の隙間からうかがうように、彼の紫色の瞳がヘレンを見た。


(あ、あれ)

 その途端に妙に胸がドキドキした。


 いつも前髪で隠れて見えなかったけれど、改めて目の前にするとデリックの瞳はどきっとしてしまうほど綺麗だ。

 自分の不意の感情がわからずにうろたえるヘレンに、デリックは真剣な顔でもう一枚服を着せた。


「婚約者の振るまいで……ど、どうしてこんなことに……?」


 ここに至っても意志疎通がはかれていない。さらに一枚、デリックの服を着せられてヘレンはバツが悪くてそっと視線をあさってに向けた。


「……有識者に聞いたら、これが一番喜ぶって言っていたから」


 伯爵令嬢として、貴族社会ではこの振るまいが間違っているのはわかっている。


 けれど世間一般の『婚約者』が何をするのか、ヘレンには知識がない。

 悩んだ結果、教えを請うた寮の同室の子の名前を出さずにそう言うと、デリックが長くて深い息を吐いた。


「あー、そういう気遣いは、いいから」

「でも……私、あなたに返せるものが何もないから」


 視線を下げる。


 頬に指が触れた。壊れものを扱うような動作で、デリックの手がそっと産毛を撫でる。誘われるように顔を上げると、デリックが言った。


「気にしないで。ヘレンは、ヘレンのままでいいんだ」

「……」


 前髪越しに目が合って、デリックは、はぁ、と熱い息を吐いた。

 口の端が持ち上がり、彼の目元が緩むのがわかった。


「俺だけのヘレン」


 聞こえたのは甘い言葉。けれど同時になぜかぞくりと背中が泡立った。

 そこでデリックはヘレンから手を離した。


「あ、でもできれば他の男子生徒とはしゃべらないで、授業は俺の隣で。あと……」


 思ったより要望が多い。いつもよりも饒舌に言葉を発するデリックに、さきほどの緊張感はなんだったのだろうと、ヘレンは寒気のする腕を擦った。

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