3-10. 目線(1)

「待たせたな、再開しよう」


 テーブルについたヤマに、デルフィニスはわずかだが眉根を寄せた。


「逃げ場はなかったでしょ?」


「二人で逃げられるなら、そうしても良かったけどな」


「……? まあ、どうでもいいよ。さっさとカードを開けてくれないかな。こっちは待ちくたびれたよ」


「おいおい勝手に話を進めるな! 誰が勝負するって言ったんだ」


 バニーガールのディーラーから受け取った手札を、ヤマは裏側で場に戻す。

 フォールド。チップ200枚の勝負は受けない……ヤマの下した決断はそれだった。

 デルフィニスは珍しく湿気た顔でカードを戻す。ディーラーは手早くそれを破棄し、もう正体は誰にもわからなくなった。

 結局あれはただのスリーカードだったのか?


(なわけねえよな)


 確かにデルフィニスは嘘は言っていない。その“言っていない”ということにヤマは囚われすぎていた。肝心の戦う相手を見ていなかった。

 思えばデルフィニスという男は極端に慎重なきらいがある。わざわざ勝負前に現れて心理戦をかけるほど、盤石な勝負を企図している。


(そんな奴が考えもなくスリーカード晒して、ああもリラックスしてるか?)


 いや、ありえない。それがヤマの出した本当の結論。あの男は十中八九じぶんの勝ちを確信している。

 それこそがデルフィニスの嘘。言葉にされないブラフ。薄ら笑いの後ろに澱んだ瘴気が充満しているのが、ヤマには見えた。

 それは能力の新たな発芽か、あるいは人間に元から備わった嘘を見抜く力なのか。


「ネクストゲーム」


 ディーラーが宣言してカードを配る。場代はチップ90枚。先のフォールド分と合わせてヤマの手持ちはさらに減った。


「……どうしたんだい? さっさとカードを取れよ」


 配られたカードを前にして、ヤマはまだ微動だにもしていない。指先を組み、じっとカードの裏柄を凝視している。


「ヤマ? 大丈夫? まだ調子悪いの?」


「姫様、どうも騎士殿は勝負を諦めたのではないですかね?」


「デルフィニスっ!」


「あっはは、こわいこわい……」


 二人の罵り合いにも関せず、ヤマはカードを見つめる。そうすれば裏が透けて見えるとでも言うように。

 もちろんヤマにそんな力はない。だが、デルフィニスはどうか?


(たぶん奴は俺のカードを知ってる)


 先のあの自信、そうでなくては説明がつかなかった。薄々そうではないかと感じていたが、先ほどのデルフィニスの発言で確信に変わった。「さっさとカードを開けてくれないか」と。


(スリーカード晒しといて、ふつうあんなこと言うか? ポーカーは、いつも役が出来るとは限らない。キングのスリーカードなら大抵は勝てる手だ。さっさと降りてくれよ、ならわかるが……)


 その微妙な言葉選びの違いは、紛れもなく、デルフィニスがヤマの手札を知っているから出たものだ。ヤマがフルハウスという強い手役を持ってると知っていて、勝負を促したに違いない。


(問題はどうやって俺の手を知ってるか、なんだよな……)


 動かないヤマに、ディーラーのバニーが不審げな目を向ける。


「どうぞカードをご確認ください。でないとチェンジもできませんわ」


「あ、ああ……そうだな……」


 だがカードを手に取るわけにはいかない。少なくとも伏せられたままなら、デルフィニスだってその内容はわからないはずだ。


(そうか、この手なら……)


 デルフィニスといがみあうヒルダに、ヤマが声をかける。


「なあヒルダ、ちょっと頼めるか?」


「私? もちろん何でも任せて! それでえっと、何すればいいの?」


「俺はカードを見ずに裏のままチェンジしようと思う。そのチェンジするカードをヒルダに選んで欲しいんだ」


 予想外の「頼み」にヒルダが固まる。だがヤマは本気だ。


「まともにやり合ったらデルフィニスには勝てない。だから運を天に任せてみようと思う。これなら五分五分だろ」


 真剣な声音と、それを嘲る横からの笑い声。


「あっははは! 哀れな姫様だなぁ! 頼みの綱の騎士殿はついに勝負を諦めたようですね! まったくお笑いだ! カードも見ずに勝負なんて!」


 腹を抱えて笑うデルフィニスでなくとも、ヤマの行動は明らかに異常だった。ヒルダも快諾はしない。それでも、彼女もまた真剣な眼差しでヤマを見返した。


「ヤマ、本当に勝負を諦めたの……?」


「俺は本気だ。信じてくれ」


「……当たり前でしょ。でも何でカードを選ぶのが私なの?」


「ヒルダと会ってから俺の運は良くなった。だから、ヒルダに頼みたいんだ」


「……な、なによそれ?  でもわかった。きっといい手を引き込んで見せるわ」


 ヒルダは初め裏向きのカードを凝視していたが、ややあって、無造作に取り去った4枚を選び出した。

 それを手渡されたバニーは不審げな顔は維持しつつも、無言のまま渡されたカードを取り換える。

 その間、もう飽きたのかデルフィニスも白け顔でチェンジを済ました。


「……ちぇ。君らさ、自分の立場分かってんの? それでいくら賭けるんだよ? その運否天賦の手札に」


「賭けるのはさっき勝ったそっちからだ」


 ヤマが鋭く告げると、デルフィニスは少しばかり逡巡してからチップを差し出した。


「50枚」


「ずいぶん少ないんだな、俺の手を運否天賦だって言ったくせに」


「ふん、ばかばかしい。君には……ガッカリだよ。紳士の勝負ってのがわかってないね」


 その悪態に、ヤマは無表情な一瞥で返す。が、内心ではガッツポーズものだった。

 何気ないやりとりだが、今のデルフィニスの態度は大きな意味を持つ。

 もしあの男が裏になったカードまで見通せるなら、ヤマの今回の仕掛け、間違いなく勝負をしかけてくるはず。

 あるいはヤマの手が偶然にも揃っているのを看破し、すっぱりと降りていただろう。


(あいつ、読み切れてねえ)


 それにそもそも、ヤマのチップは風前の灯。本来ならデルフィニスは強気強気でもいいくらいの状況。

 あの薄ら笑みに潜む慎重さ、それは裏を返せば、勝利の確信無しには動けない臆病さでもある。

 もっともそんなことすらヤマには今まで気が付けていなかったのだが。


(まんまと言葉に踊らされてたってわけかよ……情けねえな、俺!)


 だがここからは違う。ヤマは真の意味で初めて戦いのテーブルについたのだ。

 それに、裏のカードまで見通されないなら、まだ手はある。むしろここからが、この目隠し戦法の本番だ。

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