3-9. 嘘という行為

 勝負の舞台であるカジノ施設のバルコニーに出ると、冷たい雨が降っていた。

 ヤマはギャンブルなど生まれてこの方したことがなかった。今、その恐ろしさを痛烈に感じている。


(俺の手はフルハウス……普通に考えればまず負けはない)


 フルハウスより強い役は、同じカード4枚のフォーカード、連続した数字かつ同じ絵柄のストレートフラッシュしかない。

 対してデルフィニスが晒した手札3枚は全てキングだった。これで残りの2枚がバラバラなら、それでいい。

 ヤマのフルハウスは、デルフィニスのスリーカードを打ち破れる。


(しかしもしあいつも同じフルハウスだったら……)


 当然、その可能性はありうる。フルハウス同士の戦いになればクイーンのフルハウスでは太刀打ちできない。ヤマの負けだ。

 もちろん、そう思わせるためにあえてあの3枚を表にした……そう考えることもできる。幻影のフルハウス。変則的なブラフだ。


(ブラフ戦になれば俺有利……って、そのはずだったのにな……)


 デルフィニスがブラフを打ってるのはまず間違いない。が、彼は嘘をついてるわけでもない。

 巧妙に情報を隠しているだけにすぎない。

 明確な虚言の言葉でなければヤマの能力では見破れない。


(俺のスキルを知っていてわざとか? それとも単に実力差なのか……?)


 そのどちらだったとしても、もう状況はのっぴきならない一歩手前だ。

 決断しなくてはならない。デルフィニスのレイズを受けるのか? それとも場代だけを支払い、次戦に持ち越すか?


(くそっ! せっかくのフルハウスなのに何なんだよ! またかよ!)


 また、と。歯噛みするヤマはこれまでの勝負を思い出す。

 デルフィニスは確かに負け無しと言われるだけあって、恐ろしい勘と勝負強さの持ち主だった。

 あの薄ら笑み男は常に勝てる勝負にしか乗ってこない。問題は、勝てると見切る能力が抜群に高いことだ。


(そうだ……考えてもみりゃ、あいつが強気に出るのは決まって勝てる手の時だ。あの3枚見せだってそう。俺がそろそろ警戒し始めたものだから、あの偽装スリーカードを餌に勝負させようって魂胆か……)


 そうであればフルハウスも絵に描いた餅。

 勝負に出てもみすみす乏しい命を削られるだけだ。


(もうあと数ゲームしか場代が出せない……その間になんとか突破口を開く。なんとかしねえと……!)


 絶望的な気分でバルコニーを後にする。会場まで続く廊下の赤い絨毯が、大理石の壁面がぐにゃぐにゃと歪んで見えた。

 いっそ逃げ出してしまえば楽になる。そんな考えさえ頭によぎる。


(だが俺が逃げたらヒルダは……)


 逃げ出せば、ヒルダは孤立無援。しかしヤマをこの状況に引っ張り込んだのは彼女だ。

 ぐるぐると回る視界、ぐるぐると巡る思考……


「ヤマ?」


 ふと顔をあげると、彼女がいた。


「ヒルダ? 一人にしてくれって言ったじゃないか」


「でも……ねえ、大丈夫なの?」


 握られた手がしっとりと汗ばんでいる。サロンのマダムたちからカンパされたドレスの布地の、その真っ赤さが目を引いた。


「あ、ああ。大丈夫だ。これから巻き返す」


「そうじゃなくて!」


「え?」


 きょとんとして訊き返すヤマに、ため息がかえる。

 それからしばらく無言だったが、ヒルダはうつむいて、ぽつりとこぼした。


「ごめんなさい」


「な、なにがだよ」


「私、甘えてた……あなたに甘えすぎてた。ヤマが一緒に戦ってくれれば、ヤマが王になってくれればって……私、こんなに人に頼るような人間じゃなかったのに」


「な、なんだよいきなり。訳わかんねえって!」


「私あなたを苦しめてる!」


 王女はよろよろと後ずさり、伏し目がちにヤマを見上げる。

 ヤマは訳がわからないながらも、彼女が取り乱し、酷く自分を責め立ててることはわかった。

 さっきまでこの状況の責任を彼女に見ていたものだが、今はとにかく落ち着かせないと――と、胸の鼓動が早くなった。


「な、なあ、今はそういう事は考えない方がいいよ。とにかく重要なのはあの野郎に勝つことだ、集中しないと。そうだろ?」


「そうだけど……そうじゃないよ……ねえお願い、嫌になったらそう言って。デルフィニスと勝負するって私がいい出した時から、ヤマ、ずっと私に呆れてる。違う?」


「な……なわけないだろ! 素寒貧の俺に道を示してくれたのは、ヒルダなんだから。呆れたりするかっての! な!」


 努めて明るい声で、ヤマは答えた。だがヒルダは首を横に振る。


「嘘だよ」


「嘘……」


「私はヤマみたいに嘘を見抜けないし、それを本当の気持ちにしてあげることもできない。でも、私にだってそれくらいの嘘は見抜けるよ」


「な、なんでだよ。なんでそう思うんだ」


「だってヤマ、ずっと私と目を合わせてくれないじゃない……」


 そう言われて初めて、ヤマはヒルダを見つめることを恐れていたのだと気がついた。

 そしてまた、人は言葉によってのみ嘘をつくわけではないことも。

 嘘とは、騙すという行為は、人間の立居振舞すべてを介して為されるものだ。

 嘘を見抜けるヤマだからこそ、そんな当たり前のことを忘れていた。

 頭の中で、何かがかちりと噛み合う音がした。


「ねえヤマ、だから本当の気持ちを――」


 ふと、ヤマの目にはヒルダがやわからな輝きを放っているように見えた。

 

「ヒルダ」


 突然に手を握られて彼女は「ひゃいっ」と情けない声を上げる。

 今はもうヤマの視線は彼女から逸らされることもなかった。


「ヤ、ヤマ……? 大丈夫?」


「ああ、勝負に戻ろう。奴さんをあんまり待たせちゃ悪いしな」

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