3-8. 手強い奴

 波間に浮かんだ半屍人のようだった。

 机の上に配られたカードたち。身なりの良いボーイやバニーガールが香りのいい飲み物をはこんでくる。

 ステージの上で華々しい演奏を続けるバンド隊の音楽も、今は頭に入らない。


 それよりもヤマは必死で手元のカードを見ようとする。定まらない焦点。

 眼の前に座ったデルフィニスが薄く笑う。張り付いたような上辺だけの表情。


「どうしたんだい、ヤマ。君の番だよ」


「あ、ああ……」


 震える声を押し殺し、チップを前に出す。

 そのチップ一枚一枚が命なのだ。金貨千枚分のチップはもう半分が失われ、見上げるような山だったのが今はなだらかな丘のよう。

 このうち半分と少しはヤマとヒルダがハクビの壺から得た金だ。もう半分は……。


「チェンジするのかな? しないのかな?」


 ルールは単純な絵合わせポーカー。5枚のカードが配られ、一度だけチェンジできる。

 チェンジ後はお互いにカードを見せあい、より強い役ができた方の勝ち。


「……2枚チェンジしてくれ」


 カードを裏側で差し出すと、ディーラー役のバニーガールがそれを取り去り、新たに二枚のカードを配った。

 ヤマが手を伸ばそうとする。その刹那、デルフィニスが口を開く。


「2枚チェンジしたね。2枚……1枚でも3枚でもなく2枚」


「当たり前だろ、何が言いたいんだ!」


「そうカリカリしないでよ。これは重要な問題なんだ」


 ヤマは押し黙る。返事をしてやる必要はない。

 はやく配られたカードを表にしたかったが、デルフィニスに見つめられていると射すくめられように動けない。

 それを良いことに、すっかり身なりを整えたこの青年は御高説を続ける。


「でも今は2枚チェンジだった。それはなぜか……ワンペアと強いカードの種、例えばエースやキングを残したか……あるいはフラッシュやストレートを狙っているのかな?」


「どうでもよかろう! さっさとせい!」


「そう言うなよハクビちゃん。心理戦もゲームのうちなのさ」


 ヤマの後ろからハクビがぶーたれてもデルフィニスは応えない。

 言葉を発するのはもうずっとこの二人だけになっていた。


 ……ほんの1時間か少し前までは、そうでもなかった。

 ゲームが始まった当初、ヒルダはリーダーシップを取るようにヤマを熱心に励ましていた。


「大丈夫! 次こそいい手が来るわ! あいつだけいい手が来続けるなんてありえないんだから!」


 が、その勢いもチップの山が目減りしていくにつれ無くなり、今はもう一言も発さない。


――甘すぎた。


 たかがカードゲームと、ヤマはそう考えていた。

 ブラフを見抜ければ勝てるというヒルダの作戦は、既に脆くも崩れ去っていた。

 現に、勝てていないのだから。


「……もうカードをめくっていいか」


「待て、待ってってば! 僕にはわかるよヤマ、君の手はスリーカードだろ!」


 無論答える必要などない。しかしお構いなしにデルフィニスは続ける。どころか、無造作に自分の手を開いた。5枚のうち3枚までを。

 集まったギャラリーたちがどよめく。表になった3枚のカードは全てキング。エース3枚を除けば最強のスリーカードだ。


「見ての通り僕もさ。真っ向勝負ってわけだね。君が真のエースなら僕の負けだ」


 ヤマは手に残った3枚に目を落とす。そこにエースは無く、クイーンが3枚。キングのスリーカードには勝てない。

 しかしデルフィニスにチェンジは残っていない。であれば、あの新しい2枚次第ではまだ勝ちの目はある。

 なんらかのペアを引き込んでのフルハウスか、もう一枚のクイーンを引き入れてのフォーカード。

 意を決してヤマは新札をめくる。腹の底を握りしめられたかのような感覚。ジャックのペア。フルハウスだ。


「良い札が来たかい?」


「さあな……」


「じゃあレイズの時間だ」


 ポーカーゲームにはチップを賭けるタイミングが複数ある。実際はルールの取り決め次第だが、今回は次のとおりだ。


参加ベット:チップ10枚。今回は場代としてゲーム開始時に支払う。ワンゲームごとに上昇する(現在は80枚)。

上乗せレイズ:カードチェンジ後、賭け金を10枚単位で上乗せできる。

●コール:相手の上乗せレイズを了承し、同額を賭けて勝負する。

●フォールド:相手の上乗せレイズを受けず、それまで賭けたチップを支払う。

●オール・イン:残り全てのチップを賭ける。レイズ額に満たなくても勝負可能。


 参加者はヤマとデルフィニスの二人だけなので、カードチェンジ後は交互にレイズの権利を行使していく。

 どちらかがレイズせずコールが入ればカードをオープンし、勝者が賭け金を総取りする。


「レイズ、200枚」


 デルフィニスはチップの束を前に出す。再びギャラリーのどよめき。

 ヤマたちの残額と異なり、彼の後ろに積み上がったチップは見上げるほどだ。200枚程度、まだまだ痛くも痒くもないだろう。

 しかしヤマは苦しい。

 残りチップは500枚を割っている。もし負ければ、次からは場代だけでも精一杯だ。

 それでも手はフルハウス。ここ一番の勝負手。


「……少し考える時間をくれないか」


「どうぞどうぞ。ちなみにトイレに窓は無いから逃げられないよ♪」


「そんなことするかよ!」


「そりゃあ信頼してるよ、王女様のお友達だもんね。でも人間って汚いから、万が一ってこともあるよね?」


「もう勝手に言ってろ……」


 何もかも悪い夢のようだった。

 カードをディーラに預け、ふらふらと席を立つ。


「ヤマ! わ、わたし……」


「ヒルダ」


 追いすがろうとするヒルダを押し止める。

 デルフィニスは盗聴スキルを持っている。作戦会議は筒抜けだ――と言うことすらできない。

 ヒルダを疑っているわけじゃない……まさか! しかしこの惨状は、あのニヤけづらの青年と勝ち目のない戦いをしているのは、やはり彼女のせいなのか?

 もし負けて、借金が残ってもヒルダは王族だ。

 しかしヤマを受け入れてくれる場所はもう無い。その時はどうすれば?


「少し一人で考えたいんだ。すぐ戻るよ……」


 そう言うだけで精一杯だった。

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