3-6. 嘘じゃない
戻ってきたハクビの店は荒れたままだったが、店主は気にするでもなく自分の椅子を引き起こすと、そこにふんぞり返って断言した。
「ま、勝てんじゃろうな」
甘い香りのするケーキを遠慮もなく口に放り込み、渋い香りのする茶をすする。
おおかたサロンからくすねてきたものだろう。詐欺師と言うよりもはや盗人だった。
「そんなに強いのか、デルフィニスってのは」
「お姫様からなんも聞いとらんのか?」
「ヒルダは休ませてる。少し疲れたみたいだから」
「のんきなもんじゃのぅ」
「あのなぁ、元はと言えばおまえを助けてやるために……」
「べつに儂は助けてくれなんぞ頼んでおらんが?」
嘆息。ヒルダと同じ調子で会話していたら精神が持たないと、ヤマもいい加減察する。
「ナオ、おいで」
だから、子猫を自分の膝元に招き入れた。凍りつくハクビを尻目に子猫はひょいと飛び上がると、膝元にすぽりとおさまった。
「ねっ猫はよせと言うたろうが!」
「大丈夫だよ、頭のいいやつだから善人には何もしないさ」
「なーお」
「……ふんっ。じゃが儂を脅したとて現実は変わらぬ。デルフィニスはカードじゃ負け無しなんじゃ」
「カードねえ」
小猫のひんやりとした肉球をもみもみしながらぼやくヤマ。ナオは気持ちよさそうにあくびをしている。
「俺はカードなんかババ抜きしかできねえけど」
「デルフィニスが得意としとるのはポーカーじゃが」
「21になるように揃えるんだろ」
「そりゃブラック・ジャックじゃろ! ぜんっぜん駄目じゃなお主!」
「お人好しで通ってきた俺だぜ。カードなんかやっても毟られるだけだからな」
「はあ……そんなんじゃデルフィニス相手じゃなくても勝てなそうじゃな」
「ルールはこれから覚えるさ」
「そんな付け焼き刃で勝てる相手じゃないと言うておろうが」
「ヒルダにゃ何か考えがあるんだろう。何の勝算もなく馬鹿な真似はしない」
それでも予想はつく。カードの勝負なら当然、ブラフが物を言う。ようするに嘘のつきあいだ。
確かに腕前ではヤマたちは圧倒的に不利。だがブラフを筒抜けにできるなら勝機もあるだろう。
が、そんなことを知る由もないハクビは嘲笑して肩をすくめる。
「はん! どうだかのぅ。お主すっかりあのお姫様を信頼してるようじゃが、存外腹の底はわからんもんじゃよ」
「……どういう意味だ?」
「あのお姫様はデルフィニスと旧知の仲なんじゃろ。庶民暮らしが嫌になって城に出戻りたくなったのかもしれんよ」
「そんなことありえねえよ」
「なぜ? なぜそう言い切れる! 人の心は移ろいゆくものぞ。儂はようよう見てきたわ。あの王女様が裏切る可能性もゼロでは無い、そうじゃろ?」
「おまえ何が言いたいんだ? 俺たちが負けたらおまえだって困るんだろ!」
「いやぁべつに? ただ根っから嫌いなんじゃよ、信じるとか愛するとかそーいう言葉がのぅ。ひねっくれくれのハクビちゃんじゃからのぅ」
「……ナオ」
主人に呼ばれ、ナオがテーブルに飛び乗る。
「こゃっ!? よっよるでない! それ以上近づくなぁ! 話せばわかる! 話せば!」
「なーお」
「こゃあああああああっ……」
青ざめるハクビを残し、ヤマは立ち上がって外の空気を吸いに出た。
雨が降っていた。薄暗い路地に人通りは皆無だ。
静けさの中、雨音だけが響いている。
(ヒルダが裏切る? ありえないよな、そんなこと)
問いかけても答えをくれる者はいない。
ハクビはナオと戯れているし、ヒルダはよく眠っている。
「ありえない……よな……?」
「どうだろうね? ありえるんじゃない?」
ギョッとして振り返ったヤマは、あの忘れがたいニヤケ顔と目があった。
デルフィニスのニヤケ顔が。
「やあ」
「てめっ……なんだってここに!」
「そりゃあほら……敵情偵察? 別に勝負前に会いに行っちゃいけないなんて取り決めはないよね?」
確かにそんな取り決めは無い。ヤマは口をつぐむことしかできない。
だが、次の一言にはさすがに黙っていることはできなかった。
「でもさぁ、あんまり王女のことを疑わないであげて欲しいなぁ~。ハクビちゃんの言葉なんか聞く意味ないって! ほら、僕と姫様って一応は昔馴染だし、心が痛むんだよね……」
隠す気もない嘘。こんなところでスキルをバラしても仕方ないので指摘はしない。
ヤマは聞き流すことにした。少なくとも最初は。が、あることに気がついて、青ざめて問い返す。
「……なんで俺がハクビから言われたこと、おまえが知ってんだ?」
「ん~?」
デルフィニスのニヤケ顔がさらに歪に、底意地悪くゆがんでいく。
「嫌だなぁ、君ならわかってくれると思ったけど。僕らって似た者同士じゃないか!」
「どこがだよ!?」
「だってさー、お互い騎士のなり損ない同士じゃないか。僕は君を知ってるんだぜ、落ちこぼれ騎士のヤマ君」
その言葉に、嘘は無かった。
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