3-5. 嘘をつく執事(4)


「ヒルダ……おまえ、王位になんか興味ないんじゃなかったのか? 王女には向いてないって……」


 ヤマの疑問は当然ものだった。ヒルダもそれを理解して、うなずく。しかしその眼差しはかたい。

 そういう強い眼差しをする少女だった。ヒルダは。ヤマもそういうことは気が付きつつあった。が、深く意識したことはなかった。

 王族から離れ、騎士の家から離れ、それらとはまったく関係のないところで、これまでのうだつの上がらない人生から少しは喜びを取り戻すのだと。ヤマはそうぼんやり考えていたのだが。


「私もそう思ってた……ううん、今でもそう思ってる。私は王女には向いてないし、王位も王家も二度と関わりなんて持ちたくないっ!」


 嘘のない言葉。例え能力がなかったとて、ヤマにはそうとわかっただろう。


「でも、じゃあ……なんでだよ?」


「……情けないから」


「王家が?」


「ちがう、私が! この一週間、夢に願った普通の生活を得た! 誰にもみはられずに出歩いて、私を王女と知らない沢山の人と話した! みんな優しかったし……貧しかった。一欠片しかないパンを分けてくれた子供もいた」


「けどそりゃ……ヒルダのせいじゃないだろ」


 彼女は伏し目がちに、首をふる。


「今、国の実権はディジーが握ってる」


「妹のディジー王女……?」


「そう。昔はあんな子じゃなかった。あの頃の私たちは本当に仲が良くっていつも一緒に……ううん、そんなのはどうだっていいの。問題は、あいつが実権を握ってからこの国はおかしくなってるってこと」


 そう言われてみると、ヤマにも思い当たるところはあった。

 ここ一年の間、王国は急速に軍備を拡張しつつある。町には武器をいっぱいに詰め込んだ馬車が連日走り回るようになった。

 デルフィニスのようなならず者も以前はもっと少なかったはずだ。王国の治安を守る騎士隊がいつも目を光らせていたから。

 少なくともヤマがいた頃の騎士隊は、まだ秩序と正義を重んじる偉大な組織だったはずだが……。


「ヤマ、わかるでしょ。私には責任があるの。だって王女ヒルダと王女ディジーは血を分けた姉妹で……私は、たった二人だけの王位継承者、その片割れなのよ。私はあいつを止める義務がある」


「……難しく考えすぎだろ。せっかく自由になれたんだ。自分の人生を生きたらいいじゃないか! そのために俺たちは賭けに出て、それに勝ったんだからさ」


「でも、自分に嘘はつけない」


「そりゃ――」


 そんなことは一時の気の迷いだ。熱病のようなものだと、ヤマはヒルダに理解してもらいたかった。

 重い責任が苦しくて逃げてきたのに、なんだってそこに戻る必要があるんだ? と。

 しかしそんな言葉は意味もないと、ヤマにはわかっていた。そんなものはおためごかし、ようするに嘘っぱちだ。本心を言うべきだとわかっていた。

 だから、そうした。


「ヒルダ」


「ん……」


「俺はおまえに……その、危険な目にはあってほしくないんだ。俺が酷い目に合うのは、いい。でもヒルダがそうなるのは嫌なんだ。なんでかはわからないけど……」


「ありがとう、やっっぱりヤマは優しい……だから、やっぱりあなたに王になって欲しい」


「そういやそんな話だったな!? もしかして危険なのは俺か!?」


「大丈夫、ふたりとも危ないわ!」


「何も大丈夫じゃないから! ニ倍駄目だろそれ!」


「でもね、考えてもみて。あなたは嘘が見抜けて、万が一相手が嘘をついてもそれを覆せる。あなたなら変えられる。あなたなら――ううん、私たちならきっと変えられる!」


 ヒルダは真剣だった。ヤマにはその裏側を想像することはできない。

 ずっと王女として、それも日陰の王女として生きてきて……ようやく手に入れた自由。だというのにそれをまた失ってまで、王位に戻ろうとする。

 王女としての責任。それは当事者以外には想像するべくもない。

 それよりも一つ、ヤマにはどうしても気にかかることがあった。


「ところでさ、仮にだぜ、仮に俺が王になったとして……ヒルダはどうするんだ? さっき私たちなら、って言ってたけど……」


「まあ、私は王女に戻るしかないでしょうね。嫌だけど。あ、王妃になるのかな?」


「……だよな。それってさ、俺とおまえが結婚するってことか?」


「そりゃそうよ。ヤマは王位継承者じゃないんだから」


 沈黙が室内に流れる。ヒルダが小首をかしげた。


「嫌なの?」


「いやそういう問題じゃないだろ!?」


「じゃあ嫌じゃないのね!」


「そうだけども! ああ~なんか釈然としねえ!」


 頭を抱えるヤマの手を、ヒルダが取る。

 その瞳はもう真剣なものに戻っていた。強い決意がそこに揺らめいていた。

 ほんの数日前、ヒルダを落ちぶれさせないためにヤマが抱いた決意――それと同じ色だった。


「デルフィニスの傍若無人を見て、心が決まったの。あんな奴らがこの先ずっと、ディジーを放置すればずっと増えて言って、まあハクビちゃんは半分自業自得だけど……もっと罪のない人たちが苦しめられる。それを理解したままのうのうと生きていくなんて、私、そんなの耐えられない」


「……それは同感だ」


「デルフィニスはディジーの忠犬よ。あいつに勝てばその先の道も拓ける」


「そっか。じゃ、負けないようにしないとな」


 ヤマは苦笑する……が、ヒルダはむしろ表情を暗くした。

 その頭が深々と下げられ、真剣な声音がヤマの胸をうつ。


「本当はちゃんと相談すべきだった! ごめんなさい! 私あなたの優しさにつ、つけこんで、酷いことして! わ、私のこと見限ってもいい! ヤマにはなんの責任も義理もないんだもの!」


 その言葉は事実だ。確かにヒルダは少し……先行しすぎたのかもしれない。

 だがそれは、ヒルダからの信頼の証でもある。少なくともヤマはそう信じることにした。


「負けることなんか気にするなよ。出たとこ勝負、だろ」


「……うん!」


 正直言ってヤマは王位に興味はない。

 ただヒルダの信頼に応えたいと、そう思っただけだ。それこそが責任なのだと、ふとヤマは思った。

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