3-2. 嘘をつく執事(1)


 頭を下げていたハクビは、さすがに目ざとくヤマたちに気がついた。

 その勢いたるや、二人が逃げ出す暇も無かったほどだ。


「お主たちは先日の! な、なあ、どうじゃ!? もっと買わぬか!? 壺! ! だから買ってくれ! 壺!」


 その一言を引き出すための昨日の苦労はいったい何だったのか?

 がっくりとした気分を味わいながら、ヤマは呆れ顔で返す。


「嘘をつくな」


「んなっ……う、嘘じゃないわい! 確かに儲かるんじゃぁ!」


 まったくそこには詐欺師としての狡猾さも、商人としての最低限の矜持も、何もかもが失われていた。

 泣き叫ぶ子供のような駄々。ヤマだって出来ることなら関わりたくなかったが、サロンのマダムたちの「知り合いでしょ? どうにかしてよ」という圧力に屈する。


「な、なあ、どうしたんだよいったい? 店はどうしたんだ?」


「そ、それは――」


 ハクビが口ごもった、それとほぼ同時のこと。サロンの扉が勢いよく開かれた。

 ドカドカとなだれ込んできた黒ずくめの男たちに、マダムたちが一斉に悲鳴をあげる。

 ヤマは咄嗟にヒルダを庇うように前に出た。王女の所在がバレたのかと思ったから――だが、男たちの狙いはヒルダではなかった。


「こゃあああ! ゆっ許してくれぇ! 金はきっと作るから! だから――」


「何が"きっと作る"だぁ!?」


 そう叫んだ顔に、ヤマたちは見覚えがある。

 昨日ハクビの店で怒鳴り散らし、苛立ちながら出てきた借金取りの男だ。


「昨日もそう行ってたじゃねえか! なのにびた一文払えねえたぁどういうことだよこのアマ! 俺たちヒナギク協会のこと舐めてんのかぁ!?」


 とても"ヒナギク"なんて可愛らしい集団には見えなかった。トリカブト暴力組とかそんなところだろ、とヤマは内心突っ込む。

 そのヒナギク協会の下っ端がハクビの髪を無理矢理ひっつかみ、床の上に引き倒す。

 「ごゃっ」と悲鳴が上がるが、マダムたちは我関せずだし、彼らが嘘をついていない以上ヤマに出来ることもない。


(あのハクビだって他人を騙すような奴だし、自業自得ではあるんだが……)


 それでも釈然としない気持ちはある。確かに借金を返さないのは問題だが、ああも公然と痛めつけられる程の罪なのだろうか?

 加えて一つ、ヤマの心に引っかかる疑問。


(そもそも俺たちが支払った金はどうしたんだよ、あいつ……?)


「ちっ、約束通りあの店は協会が押収するぜ。文句ねぇよな?」


「それだけはっ! それだけは勘弁してくれんか! あ、あれはな、あれは儂の一族が受け継いできた大切な――」


「知らねえよ潰したのは自分だろうが! お、おい! 離せってめえ!」


 すがりつくハクビを、黒ずくめの男たちが寄ってたかって引き剥がそうとする。

 しかし火事場の馬鹿力、というやつなのか、驚異的な執念でハクビもまた離れない。

 おまけに上流階級も混じった衆人環視の中だ。男たちもさすがに暴力にまでは訴えられなかった。


「離せクソアマ!」


「離さぬっ! せめて一週間! 一週間待ってくれんか!」


「昨日は一日だったのになんで延びてんだよ図々しいな!? 離せ!」


「離さぬっ!」


「離せこのっ!」


「死んでも離さぬぅううっ!」


 その不毛な問答は永久に続きそうな勢いがあった。

 しかし――突如として黒服たちが手を離す。支えを失ったハクビがぶっ飛び、ぶつかった豪奢なテーブルから響く鈍い音。


「いきなり離すなこのたわけ!」


 逆恨みめいた叫びに、あれほど色めきだっていた男たちは何も返さない。

 初期配置されたチェスの駒のように整列し、ぴしりと背を伸ばして口元を結んでいる。

 細い目をぱちくりとさせるハクビにかかる、若い男の甘ったるい声。


「いやぁごめんごめん! 大丈夫? 怪我はない? ハクビちゃんの見てくれだけは綺麗な顔に傷がつかなかった!?」


「こゃっ……」


 サロンに現れた男は、やはり黒服を着崩しているが、明らかに他の連中よりも細身で歳も若い。

 それでも、その場にいる誰もが理解できた。この若者が男たちのリーダーであることを。

 ハクビは縮こまり、座り込んだまま若者を見上げていた。


「で、デルフィニス……なぜお主が……」


 白い耳をへたらせたハクビの問いに、デルフィニスと呼ばれた男が楽しそうに答える。


「いやだなぁわかってるくせに。不良債権の回収だよ。昔のよしみでいっぱい貸してあげたけど、ハクビちゃん、返さないんだもん」


「か、返すつもりはあった! 品が売れたからまとまった金を用意できたのじゃ! そ、それなのに消えてしまった! 金庫から綺麗さっぱり……」


「それが言い訳?」


「言い訳ではなく事実で――」


 室内に響く再びの鈍い音。

 今度は机にぶつかった音ではない。デルフィニスの革靴がハクビを蹴り飛ばした音だ。


「あっははは! やっぱ獣人ってバカなんだなぁ! 本物の人間なら子供でももっとマシな嘘をつくよね? 獣人は大人しく奴隷やっときゃいいのに、背伸びして店なんて持つからさぁ……」


 倒れ伏すハクビの頭を、デルフィニスが躊躇なく踏みつけにする。


「ま、顔だけは綺麗なんだからさ……うちに来て奴隷やってよ。もちろん夜伽のオプション付きで♪ それで借金チャラにしてあげる」


 ハクビはピクリとも動かない。気絶したのか、あまりの恥辱に声も出せないでいるのか。


(どっちにしろ我慢できねえ! 何なんだよあいつは!?)


 確かにハクビは悪人かもしれない。だが人として見過ごせないラインというものがある。

 ヤマは居ても立っても居られず飛び出した。飛び出そうとした。

 だが、その眼前を一足早く横切る影。


(え!? ヒルダ……!?)


 飛び出したのは間違いなく、ヒルダだった。ヤマが慌てて止める間もない。

 突然の闖入者にデルフィニスが顔を上げる。あくまでニヤけたその表情が、ヒルダのエメラルド色の瞳をみとめて残忍に歪んだ。


「そこまでよ、デルフィニス。あんた堕ちるとこまで堕ちたのね」


 毅然とした元・王女のよく通る美声が、沈黙のサロン内に確かに響いた。

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