2-5. 嘘をつく自分
「お客さんかぇ? 見苦しいところを見せたの。ささ、入ってくりゃれ……」
店主――名をハクビというらしい――の媚びるような声音に従い、ヤマとヒルダが店内へと踏み入れる。
荒れた空間、所狭しと並ぶ奇妙な壺や仮面、魔術道具――。
どことなくあの価値燃やしの店と似ている。上辺だけは。向こうの店は未知と幻惑がひしめいていた。だが今のヤマが感じるのは取り繕った成金趣味とハッタリだけだ。
「ささ、こちらへこちらへ……」
軽く腰掛けただけで軋む椅子。ヒルダが(大丈夫なのこの店?)と目配せするが、ヤマだって知るわけなかった。少なくともこの一週間探してきたのは「大丈夫じゃない店」だ。(出たとこ勝負しかねえ)とヤマが見返すと、ヒルダも不承不承頷いた。もとより彼女も事情はわかっていただろうが……。
「して、いったい何をお求めかの? 西の国の魔導具、東の国の骨董品、なんでも取り揃えておるぞえ」
「あ、ああ。実はその……今日はそういうんじゃないんだ。実は俺たち金に困ってるんだけど……」
「金に?」
店主ハクビの長い耳がピクリと反応する。(いきなりぶっこみすぎでしょ!?)というヒルダの表情。
「悪いが安物は取り扱わん主義でのぅ。表通りの安売り店をたずねたほうが良いのではないか?」
「ちっ違うんです、人づてで紹介されまして! 金に困ってると相談したら、その、どういうわけかおたくのお店に相談してみろと……あはは、困っちゃいますよねこんないきなり」
ヒルダのフォロー。ヤマはおとなしく口をつぐむ。
(考えてみりゃ今、詐欺師に詐欺してもらおうと嘘ついてるわけだよな? なんだよこの面倒な状況……!)
使ったことのない脳みそが稼働しているのがヤマにはわかった。知恵熱が出そうな気分だった。
「ふむ、人づてで……そりゃどんな相手かえ?」
「えっと、懇意にしてもらってる老夫婦の方なんですけど……お名前は出せませんが、その、このお店に相談したら凄い儲かったって! ね、ねえ、そうよねヤマ?」
「あえ!? あ、ああ! そうなんすよ! なんだか娘さんの結婚資金まで工面できたって!」
ほとんどヤケクソだった。嘘を「つかせる」のがこんなに難しいなんてヤマは想像だにしなかった。
ハクビは穏やかな微笑みを浮かべながらも、何か考え込むようにじっと口をつぐんでいる。紅で鮮やかに縁取られた目元が細まり、値踏みするようにヤマとヒルダを交互に眺めた。
「ま、お客様の顔は漏らさず覚えておるが……老夫婦の……ふむ」
またしてもだった。ヤマの能力が見抜けるのは嘘だけだ。ハクビはまだ嘘をついていない。嘘をついていない以上、彼女の心の真意を読み取ることもできない。
あの店主はきっとこの怪しげな客たちを疑っているだろう。それくらいはヤマにもわかる。
問題はそれがどっちに振れるかだ。これは心理戦なのだ。
(相手に嘘をつかせるゲームってわけか……)
ヤマはようやくそれを理解する。ただ嘘付きを捕まえれば良いという話ではないのだ。
疑いは持ちつつもハクビが欲にくらみ、隠し持っていた詐欺師の顔を現せば二人の勝ち。
しかしハクビが疑いをあくまで取り下げず、ただの骨董品店主として振る舞えばヤマたちは敗北。これまでに費やしてきた時間と金も露と消える。
そしてマズイことには、ハクビの心は疑いに振れつつあるようだった。
「うーむ、やはり勘違いではないか? 儂は見ての通りしがない骨董品屋じゃ。ま、品揃えには自信があるぞぇ。うちで仕入れた品をどこぞの見る目のない連中に売りつければ、小金くらいは作れるかもしれんのぅ! そうなれば儂は商売あがったりじゃな! くくくははっ!」
じっとりと嫌な汗が背をつたう感覚。ヤマは机の下で拳を握りしめ、歯噛みした。
(ダメだ、このままじゃまた騙されちまう……嘘を突き通されちまう……!)
ハクビの詐欺師としての顔を暴けず、無害な骨董品店主という肩書に騙されてしまう。正体を掴んでいるにも関わらず騙される。これほど愚かしいこともない。
思い返せばヤマはいつもそうだった。騙すより騙される方がいい。そう思ってずっとバカばかり見てきた。
――ヤマはお人好しだなあ。
騙されて、酷い目に会ったヤマに投げかけられる笑い声。嘲笑。そしていつしかヤマ自らも笑うようになっていた。
――いやあ俺ってお人好しだからさ。
本当はいつも気がついていた。何度も騙されてきたヤマのことだ。相手が嘘をついている時、不思議とそれがわかるようになっていた。わかっていながら気が付かないふりをしてきた。
だって、騙すより騙される方が気持ちがいいから。
本当に? 騙されて騙されて、騙されて騙されて騙されて騙されて全てを失って、本当にそれで清々しく笑えたのか?
「やっと気づいた? ほんとにお人好しだなあ、ヤマって」
それは少女とも少年ともつかない不思議な声だった。ヒルダでもない、もちろんハクビでもない。しかし明らかにヤマへと語りかける、誰かの声。
「だからさ、もう好きなようにやっちゃえよ。自分に嘘をつくのが一番カッコ悪いぜ」
ハッとして顔を上げたヤマを子猫の金の瞳がじっと見つめていた。その口元が笑っているかのようにふにゃふにゃ歪む。
「い、今のナオ、おまえか!?」
「なーお」
いつものように気の抜けて鳴く子猫を、しかし問い詰めることはできなかった。
机上の闖入者にハクビが飛び退き、声を荒らげたからだ。
「こやぁあああああ!? 猫はダメじゃぁあ! だ、誰ぞ追い払ってくれ! 猫は嫌なんじゃ! 猫はぁあああ!」
ぶんぶんと短い両腕を振り回され、鬱陶しそうにナオが身を翻す。文字通り「あっ」と言う暇もなかった。子猫の長い尾っぽが店の外へしゅるりと滑り、幻のように消えてしまった。
「はぁ、はぁ……いつのまに入り込んだのじゃあの害獣め! 我ら白狐族の宿敵! にくにくしきケダモノめ!」
肩で息をするハクビがぶつくさ言いながら席に戻る。
しかし何もかもが消えたわけじゃない。残ったものもあった。
例えば、ヤマの心で静かに揺れる覚悟の炎――。
「ヒルダ、今から俺が何を言っても合わせてくれないか」
そっと耳打ちされ、ヒルダが反射的に首肯く。それで十分だった。
すぅ、とヤマが息を吸い込んだ。
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