2-6. 突き通す嘘
「いやあすまんすまん、猫は苦手での……」
ハクビは笑みを繕い肩をすくめる。邪魔は入ったが話は終わり、そう言いたげだ。
だからヤマも覚悟を決める。性懲りも無くまた騙されないために。信じてくれたヒルダのために、だ。
「ヤマ……?」
じっと見つめられてたじろぐヒルダの、その白い手をヤマがはっしと掴む。冷えた指先、やわらかな手のひら。それを優しく机上にエスコートして、口を開く。
「店主さん」
「なんじゃ? お土産でも買っていくかぇ?」
ごくりと飲み下した息が腹の底へ落ちていく。握りしめたヒルダの手を、自らの手をヤマはずいっと差し出し、最後にチラリとヒルダを見た。
(大丈夫かな……)
迷いがあったわけじゃない。ただ仲間に背中を押してもらいたかった。だから、
(出たとこ勝負、でしょ?)
とでも言うようにヒルダが肯いてくれたのが、ヤマには本当にありがたかった。
(ああクソ、そうだよ、騙されてやるかよ! もう俺一人の問題じゃねえんだ!)
そして、ヤマはまた口を開く。
「店主さん……俺たち、」
「ふむ?」
「俺たち、結婚するんだ!」
重ねたヒルダの手が露骨に強張る。だが今更出した矛はしまえない。むしろその手をさらにずいと前に出す。
「そ、それはめでたいのぅ」
「めでたくねえ!」
今度こそヒルダの表情が凍りつく。(違う! そういう意味じゃないんだ!)と心の中で土下座しつつ、ヤマはなおも啖呵を切った。
「これこれ婚約者の前でなにを……」
「そうじゃないんだ店主さん! 働けども働けども王宮の重税で全部持ってかれちまうんだよ! 俺は愛した女のためにデカい式一つ挙げてやれられねえ! それが悔しくてっ……!」
ドンっと大袈裟な音を立てて机に突っ伏す。もちろん嘘だ。何もかも嘘。
ヒルダはどんな顔をしてるだろう?
余計な考えをヤマは振り払って消す。今はそんなこと気にしている場合じゃない。
「ま、確かにまた税は重くなったのぅ」
「そうなんだよ、もう俺みたいな貧乏亭主が稼ごうと思ったら一発逆転しかねえ! なあ知ってるんだろ、その方法! 俺どうしても儲けたいんだよ!」
重要なのは愚か者を演じることだ。ヒルダのレッスンを思い出す。詐欺師はいつでも嘘をつくわけじゃない。欲に塗れ、嘘を見抜く目が閉ざされた相手を狙い撃つ。
さらにヒルダもこれに追随した。
「そうなんですよ! この人ってばちっとも稼ぎが無くて……この間も仕事に使うからって私の宝飾品を売らされたんですよ」
……一部事実を含みながら。ぐさりと言葉の矢が突き刺さる。
「あーあ、ダサい結婚式じゃ友達にバカにされちゃうわ。みんな良家のお嬢様ばっかりなんですよ。私だけ落ちこぼれちゃって」
それもまた事実。文脈と表現によっては嘘無くして他人を騙せるのだとヤマは学んだ。
(ヒルダが本気になったら俺はマジに騙されるな……)
それは王女として身につけるしかなかったスキルなのか、あるいは女性とはそういうものなのか? 少なくとも彼女には下手に逆らってはいけない。ヤマは深く心に刻み込む。
が、問題は店主ハクビの受け止め方である。
彼女の白けた気配が少し後退していた。代わりにまた値踏みするように瞳を細めている。
(ああ、いいぞ。そうだ、これでいい! もっと値踏みしろ! もっと迷え!)
それでもまだハクビは僅かに迷っているようだった。
(くそっあともう一歩、あともう一押しなのに! 悪党は勘が鋭いのかよ!)
……なら何か無いのか? 一歩を埋められる何かが! ヤマは自分の記憶を遡る。
どうしたらいい? どんな手がある? この詐欺師の欲望を加速させる方法!
(あああっ駄目だっ思いつかねえ! つうか俺、この人のこと何も知らねえし!)
知っているのは老夫婦を狙った詐欺師だということ、この骨董屋を営んでいることくらいのもの。それ以外には……。
(そういやさっき物騒な奴とえらい揉めてたな?)
この店に入る前の記憶がふと蘇る。我関せずと思ってからすっかり忘れていた記憶だ。
(あれって借金取りだよな……てっきり詐欺師なんて皆儲けてるのかと思ってたが、こいつも金に困ってるのか? いや考えてみりゃ自分の店があるんだ、金に困ってなきゃ詐欺に手なんか出さねえよな……)
点と点が頭の中で繋がっていく。もう答えが目の前にある気がした。ヤマはそれをつかもうと手をのばす。たとえその手がこの店主を突き落としたとしても……。
(ああ、うん。これならいける。猫にまたたび泣く子に羊羹、借金持ちには……って、はあ。嫌なやつだな、俺)
だが、戦いとは相手の嫌がることを全力でしたものが勝利するものだ。
ヤマはもう覚悟は決めている。懐に手を伸ばし、"それ"を無造作に机上に置いた。
「こやっ……!?」
麻袋からじゃらじゃらと零れ落ちる、金貨。その鈍い輝きにハクビの細い瞳がまんまるに見開かれ、ヒルダも息を呑む。
その驚きも当然だ。これはヤマたちの最後の軍資金。だが出し惜しみしてどうなるものでもない。ヤマはぎゅっとヒルダの手を握った。少しでも安心して欲しかったが、伝わったかどうか……。
「店主さん! 俺らが今日までにかき集めた金だ! 頼む、こいつを元手にドカンと稼がせてくれよ!」
「そ、そーはいってものぉー……いやぁこゃーんなものだされても儂は困るんじゃが……こやっこやぁ……こんなもの受け取れんぞぇ……!」
ハクビは何とか自制しているようだった。が、目はずっと金貨から逸らせていない。
――勝った。
ヤマは確信する。ハクビは金を見た。借金で首が回らない彼女にとっては文字通り命よりも惜しいものだ。それを見たらもう止まらない。
彼女の震える手が、行きつ戻りつ……握った。麻袋をぎゅっと確かに。
ヤマには彼女の心の声が聞こえるようだった。
(こやつらが何ぞ企んでるのは確かじゃが……どうせ落ちてる金じゃ! 自分から騙されたがる連中を騙して何ぞ悪いことがある? とにかく救われたのぅ! これで!)
じっとりと汗ばんだハクビの顔がにやり、笑みを浮かべる。
「ま、無いではないがの……うまい話も……!」
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