嘘をつかせる

2-1. 嘘をつく商人(1)

 ヤマが戸を押し開くと、扉に吊るされた白っぽい何かがカランカランと音をたてる。思わず身構えたのはヒルダで、彼女は物音だけでなく、棚や壁、天井などあちこちに飾られた見慣れない品々――魔法陣の刻まれた針のない羅針盤、虹色に輝く亀の甲羅、七本足の鳥が浮かぶ液体の入った容器――等にすっかり顔を青くして、ヤマの袖にしがみついている。


「ヤマ、あんまり離れないでよね……」


「大丈夫だって。取って食われたりしないよ」


「ほんとに離れないでよ……」


 店内は狭く、薄暗い。これでは来店者が来てもわからないんじゃないか? とヤマはぼんやり思う。しかしそれは杞憂に終わった。店の奥、黒炭のようなテーブルと赤黒いカーテンに仕切られた空間の向こうで、誰かがおもむろに頭をもたげるのがわかった。


「いらっしゃい……」


 その声は酒焼けのようにしわがれていて、だというのに不思議と店の中によく通った。ヒルダに背を押されるようにして、ヤマはおっかなびっくり店の中を進んでいく。途中、床の上に寝そべった蛙の人形が「ゲコ」と鳴き声を上げ、ヒルダの肩がびくりと跳ねた。ヤマは笑わなかったが、店の奥からはくぐもった笑い声が響いた。


「……価値を売りたいんだが、ここであってるよな? どんな価値でも燃やせるって聞いたんだが」


 言いながらヤマは、自分がいつでも後ろに退けるよう身構えていることに気づく。なるべく深くため息を吐き出す。視線は赤黒いカーテンの切れ目、ガラス玉のような二つの瞳から逸らさずにおいた。その瞳のそば、目尻に刻まれた深いシワ。しゃがれ声がまた響く。


「ああそうさ。アタシはどんなものでも金に変えられるよ。例え生まれたての赤子でもね……今すぐに金が入用なのかい?」


「その情報は取引に必要なのか?」


「いやぁ、無駄話は老人の趣味ってもンさ……それで? どんな価値を燃やせば良いのかい?」


 ヤマの目配せにヒルダがうなずく。彼女はおずおずと進み出ると、その白く細い指に嵌められた指輪を外してテーブルに置いた。派手ではないが、精巧な細工が全体に彫り込まれている。ほぅ、と店主の吐き出した息がテーブル上の埃を払った。


「これで全部かい?」


 質問には答えず、ヒルダはさらに首飾りを差し出した。その首飾りに刻まれた花の紋章が何を意味するのか、子供だって知っている。もしも通りに一歩出れば、家々が掲げるルドベキア王国旗にそれと同じ紋章が翻るのが目につくだろう。さらにヒルダは同じ紋章の入った腕輪や髪留めまで差し出した。ヤマはもう、押し殺した声をかけずにはいられなかった。


「ヒルダ、いいのかそんな……なにも全部じゃなくたって……」


「もう私には必要ないものだから。それより重要なのは当座の軍資金だって、さっき二人でそう決めたでしょ?」


「そりゃそうだけど……身一つで逃げる時まで持ってきたものだろ、思い出の品とかなんじゃ――」


「ヤマ。もう私たちは運命共同体なのよ。あなたはそのスキルで未来を切り拓く。じゃあ私は? ただそこにおぶさってなんていられないわ。私も使えるものは全部使う。そうでなくちゃ釣り合いが取れない」


 揺るぎない瞳の輝きにヤマはもう何も言えなかった。二人の相談が終わるのを見計らったように、老店主がまたあのしゃがれ声を吐き出した。


「……これで全部かい?」


「ええ。それで全部。どれくらいの価値になるかしら」


「さてね。いざ燃やしてみなけりゃなんともわからんね……構わないかい?」


 その確認を堺にして沈黙が降り立った。ヤマはもどかしい気持ちでヒルダを見つめる。彼女の髪の毛一本一本までもがピンと張り詰めているみたいだった。エメラルドの瞳は相変わらず揺るぎない。だが長いまつげをそなえた瞼が何度も緑の輝きを覆い隠した。何かが溢れだすのを堪えるように、彼女の口元は固く固く結ばれていた。


 やっぱり止めるべきなのか? ヤマの内心がざわつく。今やヒルダが王女だったことを示すものは、けして拭い去ることのできない高貴さと誇りに満ちた気配だけになってしまった。それからふと、自分がかつて騎士の子息だったことを示すものも今やどれ程残っているだろうか、とヤマは虚しく思った。


「……構わないわ」


 ずいぶんと待たされたことに嫌味の一つ言わず、店主は満足げにうなずいてヒルダの価値――指輪や首飾りたちを手に取った。それを見つめるヒルダの瞳は、なんだか大切なおもちゃを取り上げられた子供のようにヤマには思えた。一方で、どこか清々した雰囲気も感じられた。


 事実、ヒルダの言葉に嘘一つないことをヤマは知っている。


「さて――」


 もごもごと呪文のような言葉――ヤマからすると意味があるのかさえ不明な――が老店主の口元から躍り出る。それを合図に、店内がぼうっと明るくなった。いつの間にか店主の手の中に生じていた、揺らめく炎が当たりを照らしているのだ。そしてその炎を放っているのはヒルダの差し出した価値たちだった。


「あ……」


 炎はじっと眺める暇もなく消え去り、もう指輪も首飾りもどこにもなかった。代わりにじゃらじゃらと騒々しい音を立てて溢れ出し、零れ落ちる、薄汚れた無数の金貨。店主の手のひらが銀行の金庫につながってしまったかと思うほど、どこからともなく山のような金貨が湧いてきたのだ。


「ああ、悪くない価値だね……」


 満足げに頷く店主に、ヤマは思わず尋ねる。


「この金貨、いったいどこから来たんだ? 指輪や首飾りを溶かして固めたわけじゃないよな? 燃やすものさえあれば、まるで無限に金を生み出せるみたいだな」


「……アタシらは無から何かを生み出してるわけじゃないンだよ。ただ使われなくなった、見捨てられた金を呼び出してるのさ。例えば箪笥の隙間に入り込んだ金、死体とともに埋められた金、水底に沈んじまった金なんかをさ。価値を燃やすのはその触媒さね。尊き価値ほどより多くの死に金に命を吹き込めるンだよ……」


「……ふうん。わかるようなわからんような話だな」


「上手い話はないってことさ。またいつでもおいで。歓迎するよ」


 きっちり手数料分の金貨を取り去られた上で、ヤマたちはずっしりと重い金貨袋を渡される。


 あまりまた来たくもないがな、と思いながら店を出たヤマを、雲ひとつ無い青空が出迎えた。その青空を掴もうとするかのようにヒルダが思い切り伸びをする。


「うーんっさっぱりしたぁ! 王女様の持ち物はぜーんぶお金にかえちゃった! これで名実ともに私はただのヒルダってわけ! 軍資金もたっぷりできたわね!」


「……本当に良かったのか? "価値燃やし"に燃やされたものはもう二度と戻ってこないんだぜ。そりゃあ目の前で金に変えてくれるのはありがたいけどさ……結局どんな仕組みかわからなかったな。俺と同じ非戦闘用のスキルなんだろうか」


「さあね。でもしかたないじゃない。普通の質屋は足がつくわ。あの首飾りは母さんの――先代女王の形見だから。王女ヒルダが生きているって漏らされたら、どんなにお金があっても意味ないでしょ?」


「そりゃそうだけど――って形見だったのか!? そんなもの――」


「だから気にしないでってば! 私から言い出したんだし。ほら、お財布がこんなに重いわ! 新しいお財布を十個も新調しても間に合わないかも」


「ああ、昨日まで昼飯の心配もしてたのが嘘みたいだな」


「そうよ! 腹が空いてはなんとかって言うでしょ? それにここからはヤマがスキルで頑張る番なんだし」


「そ、そういやそうだったな」

 

 こほんとヤマが咳払いをする。人から頼られるのは慣れていなかった。


「ご、ごめんね!? プレッシャーかけちゃった!? そういうわけじゃないの!」


「いやプレッシャーっていうかさ、俺たちの作戦が……嘘付きを探してそいつの嘘を逆手に取る、ってやつ。本当にそんな、世の中に嘘付きばかりいるのかな?」


「……残念だけどいっぱいいるわ」


 示し合わせたように二人はそろってため息をつく。


「いやわかっちゃいるんだ。信じたくないだけで……よし、くよくよするんなよ俺! なんとしてもヒルダを後悔させないようにしないとだろ!」


「だから気にしなくていいのに! はぁ、あなたってホントお人好し。でもそれが良いところなのかもね?」


「……な、なんと言われてもその呼び方は嫌いだからな!お人好しって呼ぶな!」


 答える代わり、ヒルダがにこりと微笑んだ。






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