6. 嘘をつく姫君(3)
「それなら……君が俺を助けてくれたのか?」
ヤマの声が闇の中で静かに響いた。
(ああもう! 蝋燭一本でもありゃいいのに!)
もどかしさがヤマを歯噛みさせる。昼間、ヤマを助けてくれたあの少女。そのエメラルドの瞳が脳裏から離れない。
だがこの暗闇では、瞳の色などわかりっこなかった。
ナオの夜目には見えているのかもしれないが、ヤマには少女らしい輪郭を見るので精一杯だ。
「助けた? 私が?」
「そうだよ昼間に! カラスに襲われてた俺を助けてくれた!」
「カラスに……いいえ、知らない。私、見ず知らずの人を助けるほどお人好しじゃないから」
キッパリと言い放たれた嘘。それでヤマは(やっぱりこの子だ。俺を助けてくれた人は)と確信する。
「あなかたのことなんか知らない! 変な言いがかりつけないで! ていうかさっさとここから出ていってよ! 私は一人になりたいの! 誰の助けも借りたくないの!」
だから、ヤマには見えている。ヤマにはわかってしまうのだ。
目の前の少女が、 確かに自分を助けてくれたことも。その人が、こっちまで泣きたくなるほどの孤独と恐怖に震えていることも。
今日ほどヤマは、自分の能力が恨めしいと思ったことはなかった。
「……わかったら、さっさと消えて。二度と私に関わらないで。私に関わると碌なことがないわ。きっとあなたまで殺されてしまう……」
その沈黙の重さといえば、闇が全ての物音を飲み込んだかのようだった。
輝くものはただ、ナオの二つの瞳だけ。
「なーお」
と猫がしめやかに鳴く。
ヤマは口を開いた。
「嫌だ」
「……え?」
「嫌だ。俺はここを出ていかないし、君を一人にする気もない」
「なんで! あなた死にたいの!? 見たでしょ!? たくさんの兵士が私を捕らようとうろついてるのを!」
「それでも嫌だ! 俺とナオは君に命を救われた。なら、合計二回分は返す義理があるだろ」
「……信じられないお人好しね。呆れてものも言えない」
「うるせえな! お人好しって言うな! それ一番気にして——」
ふわり。花の香りと頼りない体温がヤマを包み込んだ。
それでふとヤマは思い出す。
(ああ、そういやカラスに助けられた時もこの香りがした。すっかり忘れてたな)
人肌の温もりがギュッとヤマを抱きしめる。
「ありがとう……」
か細い震える声だった。その言葉が嘘でないというその事実がヤマを救い、一方で苦悩させた。
(こんな女の子を寄ってたかって追い回すなんて……あの連中マジで何のつもりだよ!)
とにかくヤマは心を決めた。何としてでもこの子を助けると。助けられた恩を返すのだと。
だが、それを阻んだのはほかならぬ彼女だった。
「でも私は誰も巻き込みたくないの。私のために誰か一人でも傷ついて欲しくない。だから、ごめん」
「お、おい、なんか手首に違和感あんだけど何かした……? なんか縛られてる気がするんですけど!?」
「誰かに優しくしてもらったの、いつ以来かしら。本当に嬉しかった。ありがとう」
暗闇が覆い隠していたが、少女の涙声がヤマにも聞こえた。
儚げなシルエットが廃墟の出口に向かっていく。
「おい待てよ! 外は兵士がうろついてんだぞ、わかってるだろ!?」
「……最後まで心配してくれるのね。ほんと、今日び珍しいお人好し。あーあ、もっと早く会いに来てくれたらよかったのになぁ」
ヤマはロープを外そうと必死にもがくが、硬い結び目がビクともしない。
と、長いヒゲがヤマの指先に触れる。おそらくナオがその爪で助けてくれているのだ。
それでもタッチの差で間に合いそうになかった。
少女が廃墟のドアを押し開き、篝火が漏れ差し込む。
やはりそこにはエメラルド色の瞳が潤んでいた。胸の苦しくなるような笑みが、告げた。
「あはは、そんな顔しないで。大丈夫よ。朝になったら戻ってくるから。ね?」
それは優しい嘘だった。ヤマを悲しませまいとする最期の嘘。
そして起死回生の嘘だった。
少女の瞳がきょとんと丸くなる。無理もなかった。なにせ、さっきまで泣き出しそうだった青年の顔が、急に勝ち誇った笑みを浮かべ始めあのだから。
「嘘をつくな……と言ってはおくけど、今回ばかりはありがとう、マジで」
「な、なによ! 最期くらいカッコつけたかっただけじゃない! 悪い!?」
「いや、最高の嘘だった。本当に、掛け値なしでそう思う」
「はあ……? あなた頭おかしくなっちゃったの?」
「いいや俺は正気だぜ。でもちょっと疲れたな……ふわぁ……俺もう寝るから、朝また帰ってきたら起こしてくれ」
そのまま本当に横になるヤマ。少女が地団駄をふむ。
「……ふん! なによなによなんなのよ!? さっきはあんなに優しくしてくれたのに! もう知らない! 絞首刑台から文句言ってやるから!」
蹴り飛ばすように扉を開けた、彼女の瞳がまた丸くなる。
耳鳴りのするほどの静寂。夜の腕に抱かれた城下町は、人も、草木も、完全に眠りの中だった。
もちろん出歩くものなど誰もいない。剣や槍を握りしめ、血眼になった兵士たち? 彼らは影も形もなくなっていた。
動くものといえば、少し先の教会で呆然と腰を抜かした神父が一人いたくらいのものだ。
「ね、ねえ……まさかこれ、あなたがやったの?」
しかし答えはなかった。マヤは、いつのまにか自由になった両手に子猫を抱いて、すっかり夢の中にいた。
「なーお」
迷惑そうなナオの声が、これが夢ではないことを示していた。
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