4. 嘘をつく姫君(1)

「腹減った……」


 肉串屋台の店主が引きずられていったあと、ヤマとマオは屋台を必死になって探したが、口に入れられそうなものは何一つ無かった。


「なーお……」


 ナオも耳と尻尾をぺしょりと垂らし、いよいよ元気がなかった。


「あんなことしても腹は膨れねえし……金貨は獲られたまんまだし……俺って不幸だな……」


「なーお……」


「ナオ、もし俺が死んだら俺の肉を食って生きろよ……猫のお前に言っても無駄だと思うけどさ……」


「なーお……」


「その代わりお前が先に死んだら俺がちゃんと食ってやるからな……」


「なーお!?」


 とぼとぼと歩く二人に、元気の良い、ヤマの聞き覚えのある声がかかった。


「ちょっとあんたら! やったねえ!」


 それは最初にヤマに話しかけてくれた「おばちゃん」店主だった。


 しかし、バシバシとヤマの背中を叩くその顔は、先程とは別人のように機嫌が良い。


 同じおばちゃんでも10年は若返ったみたいだった。それでもおばちゃんなのだが。


「あ、ども。って俺なんかしたっけ?」


「したわよ! あの強欲店主を追い出してくれたじゃないの!」


「いやあれは……ちょっとやりすぎたかなと……」


「いいのよいいの! あいつがずっとあそこに居たら、この通りで昔から店をやってたあたしらみーんな飢え死にだったわよ! みんなを代表してお礼を言わせて! ありがとうね!」


 ヤマの両手は握りしめるおばちゃんの握力は、まさに万力のようだった。それだけ感謝しているということだろう。ヤマはそう納得することにした。


「それにしてもあんた、いったいどうやったのさ? あいつの商品を消しちまったの、あんたなんだろ?」


 突然の図星にヤマがぎくりとする。逃げ出そうにも握られた手が離せない。


「んーなんつーか、あれは俺のスキルで……」


「スキル? スキルって、騎士様たちが持ってるあの炎を飛ばしたり、雷を鳴らしたりするあれかい? でもあれは騎士階級じゃないと身に着けられないんだろ? あれ? てことはあんたまさか――」


「いやいやいやいや俺が騎士なわけないだろ!? 騎士だったらこんなボロ布着てねえし、だいたい三日も飯食わないとかありえないだろ!」


「……ま、それもそうだわね」


 ほっと胸を撫で下ろすヤマ。ようやくおばちゃんの握手万力から解放される。


 顔をあげると、おばちゃんの皺の入った口元が朗らかな感謝の笑みを浮かべていた。


「でも私にはわかるよ。きっと不思議な方法で、あんたがあの業突く張りを懲らしめてくれたってね。ほら、これ持っておいき! 少ないけどお礼だよ!」


 手渡されたのは麻袋詰のライ麦パンだった。ヤマが歓声をあげて飛び上がる。


「こ、こんなにもらっていいのか!? 少しずつ食えば一週間……いや一ヶ月は食っていけるじゃねえか!? ありがとうおばちゃん! 俺明日も生きていけるよ!」


「うーん、やっぱり騎士様には見えないねぇ。ああそれと、猫ちゃんにはこれね」


「なーお!」


 ナオは手渡された干し肉を器用に口で奪い取る。しゅたりと着地し、何食わぬ顔でもぐもぐしはじめた。


「ありがとな、おばちゃん! もう変なやつに騙されんなよ!」


「なーお」


 手を振るおばちゃんと、顔をのぞかせた他の店の店主たちに見送られながら、ヤマとナオは屋台通りを後にする。


 空はもう夕暮れだった。一人と一匹の長い影。


 ヤマは適当に人気のない高台を探して腰を落ち着ける。夕暮れに染まる町並みがよく見えた。


 その街並みの半分は既に影に染まっている。一足早く夜が訪れたようだ。影を投げかけているのは、優麗に聳えるルドベキア王国の王城だ。


 もっとも優麗なのは外側だけで、双子王女の王位継承権問題で内部はすっかりガタガタだ。この国の人間なら、そんなことは子供であっても知っている。


「さ、食べようぜ……ってもう食ってるし。猫に待てを期待するのは無駄か」


「なーお」


 ヤマの腹は、もはや空腹を通り越して痛いくらいだった。ライ麦のパンを取り出して勢いよくかじりつく。


「かてえ! でもうめえ! 生きてるって最高だなぁナオ!」


「なーお」


 夢中になってパンをむさぼるヤマ。その頭にはもはや、一ヶ月にわけてゆっくり食べるという考えは吹き飛んでいた。


 そして気がつけば麻袋の中身の半分が消え失せた頃、ふとヤマは、眼下の街並みが騒がしくなったのに気が付いた。


 もう日はほとんど沈んでいて、家々には明かりが明かり初めている。しかし迷路のような街路に沿って動く光は、明らかに家の明かりではない。


「なんだ? 泥棒でも出たのか?」


 動く光は、よく見ると徐々にある一点に集まりつつあった。ヤマは目を細め、暗闇に慣れてきた目でその先を見つめる。


 「あっ」と声がでた。教会前の大きな篝火に照らされて、翻った白いローブがちらりと見えた。


 その瞬間ヤマの脳裏に蘇った、鮮やかなエメラルド色の瞳。その輝きをヤマは覚えている。


「あの子だ! 俺を助けてくれた!」


 カラスに襲われていた(ナオを助けた)ヤマを助けた、あの白いローブの少女である。


 動く光は、徐々にあの少女を追い詰めているらしかった。


(いや待て、白いローブを着た奴なんていくらでもいるだろ? 黒い服を着た奴と同じくらいにはいるはずだ。あの子だってなぜわかる?)


 それでもヤマの足はひとりでに動き出していた。ナオも素早い動きで続く。


「おいナオ、お前はついて来なくていいんだぜ。この先は危険だ、そんな気がする。だからおまえは逃げろ」


「なーお」


「って、猫のお前に言っても無駄か……はぐれないように着いてこいよ!」


「なーお!」


 走りながらヤマは、一瞬見えた白いローブがあの少女でなければいいのにと願った。


 ただのつまらない盗人が衛兵に追われているだけであってくれ、と。


 一方でその逆の気持ちもあった。もしあの子だったら助けてもらった礼を返せるのに、と。

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