第十六話 思いを込めて


 土曜日だけどグランドを使っている運動部はそれなりにいて、陸上部も普通に活動していた。

 伊勢くんが私のことを先生に言うと即OK。

 今は部外者なんだけどなぁ。


「かなえぇ! フォーム見てくれぇっ!」


 伊勢くんがストップウオッチも使っていないのにあきらかに記録級と分かる速さで疾走している。声がドップラー効果していた。


「なるほど……。これで大会で記録が残せないのかぁ。やっぱフォームより何より、精神的な問題だなぁ」


 もったいない、と今もわんこみたいに走っている伊勢くんを見ながら何度目かのため息がこぼれた。


「あー! 安芸さんじゃん! 何? 復帰?」


 ふと、知っている子が話しかけてきた。日焼けした顔が一年前の私と重なり、一瞬筋肉が運動部の空気を感じて緊張した。


「違うの。ええと、アレの手伝いというかケアと言うか、ぶっちゃけ躾……?」

「ああ、アレね。大変じゃん」


 照れ隠しのつもりが通じてしまう。

 伊勢くん、本気で頑張ろう。やっぱりこのままじゃダメだ。


 さて、見て分かったのだけど、伊勢くんは言われたことを忘れてるわけじゃない。ただ、走り出すと頭に血が昇って何も考えられなくなるんだ。聞き返してみたら、やることはちゃんと答えられたんだから。


「つまり、あの暴風じみたテンションをコントロール出来れば、その気にさせれば……。ソノキ……」


 ──やってみるか。


 私はペンシルを取り出し、デッサンを取るような仕草で伊勢くんに向かってペンシルを立てた。さてどうしよう。まさか伊勢くんをメイクするわけにはいかない。想像したくない。


「ええと、こういう場合は……」


 ソノキスタンプはスタンプと言うだけあって、何かにおまじないを書いてそれを媒体として持ってもらうやり方もあるそうだ。


「つまりお守りみたいなこともオーケーと」


 私は伊勢くんに自主練してと言い残し校外に出た。商店街でアクセ売り場を見て、シンプルなミサンガを買う。まずはお試し。

 学校に戻り、静かな場所で私は呼吸を整える。


 アプリさんから習った文字の意味、書き方を頭の中で反芻し、ペンシルを構えた。

 ルーン文字は千八百年以上は前に生み出されたゲルマン文字。二十五の文字には一文字ずつに解釈によって色々な考え方のできる複雑な意味が込められている。相手にこうあって欲しいという願い。それを類似する文字に込めるのがソノキスタンプの基本。


 この前、アプリさんが私に書いたのは『スリサズ』。門という意味のルーン。門を開き、閉じこもっている自分を表に連れ出したい。そんな願いを込めて書いてくれた。だからあの時私は前を向き、言えなかったことを言うことが出来たんだ。

 すごく細かくたくさん描いたけど、実はそれはたった一文字だった。一文字だけ? と思ったけど一つの文字だからこそ願いが強く反映されるらしい。願いを込めるのは大変で、疲れるしお腹が減ると言っていた。


「今の伊勢くんに必要なのは……『アルジズ』!」


 文字の意味は保護。

 彼の感情の激しさを諌めることで成長を促す願いを込めよう。必要なときに実力を出せるように、私の願いを込めて。

 ミサンガの柄がないところにペンシルでアルジズを書く。小さく小さく、できるだけたくさん、模様のように。私の思いを込めて。


「小さいほど……効果は強くなる……」


 文字は小さいほど力が凝縮されるらしくて、アプリさんはその気になれば猫のひげにだって文字を書けると言っていた。


「それは無理でも、ミサンガの太さくらいなら……」


 ペンシルの先をうっかり折らないように慎重にカッターナイフで整えて尖らせ、できるだけ小さく文字を書いた。

 意識を集中するとミサンガの繊維が太くて隙間だらけだと気づき、ひどく書きにくいと思った。繊維が太いと思ったのなんて初めてだ。

 最初のたった一文字を書くのに一分かかり、芯を離した時初めて息苦しいと感じた。息をしていなかったことに気づいて慌てて呼吸する。案外息止めても平気なんだ、と変なことに感心してしまう。


「アルジズ……意味、間違ってないよね」


 頭の中で意味を反芻する。文字の形、意味は自分自身で覚えてなければいけない。検索はと言ったら、検索しなきゃ分からないものは知っていると言わないとアプリさんは言った。文字の意味、込める願いを頭の中で組み上げられなければ、いくら丁寧に書いてもただの記号だそうだ。


「あークソ! 伸びねぇ!」


 グランドに戻ると伊勢くんがじたんだを踏んでいた。本当にやってる子は初めて見る。


「かなえ、助けてくれ! ペース分かんねぇ! 走り出したらもう分かんねぇ!」

「伊勢くん、ちょっと『おまじない』しようか」

「おまじないぃ? いや、いくらなんでもよぉ……」


 あからさまに嫌な顔をするけど、ここは言うことを聞いてもらう。


「でもね、プロのアスリートも自分にスイッチを入れるためにこういう事する人いるんだよ。プロだって……いや、プロだからこそ験を担ぐの」


 プロと聞いて伊勢くんが目の色を変える。


「何でだと思う? プロなのに」

「プロなのに……ええ? 何でだよ。プロって自分のメンタルとかちゃんと出来るヤツだろ?」


 あ、意外に分かってる。


「そう、プロってそうだよね。でもね、本番で最大の本気を出せる。自分の肉体と精神は目一杯整えたって、自信を持って言える。だからこそ後は神頼みなの」

「自分の力を引き出しきったからこそ……」


 伊勢くんがはっと息を呑む。


「伊勢くんにはそうなって欲しい」

「あ、ああ。いや、なるさ! ならなきゃ!」

「だから、まず形から入ろう。プロのマネ、大事だよ」

「……分かった。アクセサリーなんて小っ恥ずかしい気もするけど、かなえが言うなら従う!」

「ん。じゃあ左腕を出して」

「おう! 両腕両足でもいいぞ!」

「真面目に」

「お、おう」


 私の静かな声に伊勢くんの声のトーンが落ちた。


「さて、君は……」


 アプリさんのマネをして、なんとなくいつもより声を少し低めにして、ゆっくりと話してみる。

 私のおまじないを、込めた意味を聞いてほしいから。心に刻んでほしいから。


「やるべきことはちゃんと覚えている。理解もしている。ただ、がむしゃらになりすぎて、考えることをやめちゃうだけ」


 君の心が落ち着きますように、と願いを込めながら、ミサンガを手首に結ぶ。

 伊勢くんはなんとか黙って私の言うことに耳を傾けてくれている。寝ている時以外は動いているような彼にしては頑張っている。


「……これで良し。伊勢くん、走っていて頭の中が真っ白になりそうになったらこれを見て。君はきっと冷静になれる」

「あ、ああ。分かった! かなえが言うなら出来るはずだ! やってみるぜ!」


 伊勢くんは両腕を振り回し、ヒーローみたいにポーズをつけ、トラックに駆けていった。

 なんか逆に興奮してない?

 不安を拭えぬまま私はストップウォッチを持ち、校門の外まで駆けていきそうな勢いの伊勢くんを見送った。


 おまじない、効いているかなぁ?



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