第十三話 待ち合わせ


「ホントだった」


 夜。

 お風呂に入る前にふとアプリさんの言葉を思い出した私はスマホでまぶたをアップで撮って驚く。


 アイラインにおまじないの文字を書いた。


 それくらい気持ちを込めたっていう程度の意味だと思っていた。

 だけどアイラインには本当に細かい文字がみっちり書かれ、それが遠目で見ると淡いグラデーションに見えていた。


「一つ一つの文字に意味が込められた文字かぁ」


 スマホのカメラじゃルーン文字はぼんやりとしか映らなくて、一文字一文字はよく分からないあ。

 お父さんのカメラなら映るかもと思ったけど自分の顔を写してなんて言いたくないから諦める。

 そして、お化粧したまま寝る訳にはいかない。

 すごくもったいない気がしたのと、落としたらまた気分が下がっちゃうんじゃないかという怖い気持ちがあってなかなか顔を洗えず、鏡とにらめっこしていたらお母さんにさっさと入れと言われ、渋々洗顔剤でお化粧を落とした。

 だけどさいわい自分の気持ちに変化は感じなくて、それが嬉しかった。嬉しかったけど、なんとなく顔がいつも通りの冴えない地味顔に戻った気がしてそれは嫌だった。

 心が変わっても、やっぱり自分の顔は好きじゃないなぁ。

 お風呂上がり、私はアプリさんにもらったペンシルをつついていた。


「ねぇ、あなた動ける?」


 動いていたでしょ? 使い魔でしょ? と話しかけたり転がしたりするけど鉛筆が喋るわけもなく、私は首を傾げた。

 そして。


「実はメイクの才能があるとか……」


 アプリさんが弟子と言ってくれたのだから、少なくともそういうことじゃないの? と私はペンシルを握る。


 メイクを洗い落とす前の私に自分でなれたら……。


 おもちゃみたいなコスメボックスの鏡を覗きながらペンシルをまぶたにあてる。

 アプリさんの手付きを必死に思い出しながら。

 だけど、出来上がったのは変なエジプト人。

 私は顔を洗い、鏡の中の自分を見つめながら溜息を零した。


「悪い子だよね、私。アプリさんの弟子になる資格なんて……」


 スマホを取り出し、少し震える手で茉莉に電話する。


『かなえ、どしたの?』


「あのね、明日の待ち合わせなんだけど……」


 ──美菜、ごめん。


 その夜、心臓のドキドキがなかなか止まらず、しばらく眠れなかった。




 翌朝。


「美菜、怒るだろうなぁ」


 月曜日が怖い。

 茉莉とこれから遊ぶのは楽しみなのに、心はずぅんと重かった。


 今日の待ち合わせ場所、普段なら一番大きい児童公園の定番待ち合わせスポットの噴水前でいつも会っている。

 学校のみんなが公園といえばまずそこと言うくらいの公園。

 だけど今日茉莉と待ち合わせに指定したのは、街はずれの高台にある千鳥神社の境内。普段人気のない広場の池の前が待ち合わせ場所。

 一応遊具もあるし池も花壇もあるから公園と言えば公園だ。

 私達の間では公園って呼んでいる。

 だから嘘はついてない。

 それで押し通そう。

 どうせ美菜との弟子争奪戦自体からは逃げられはしないだろう。

 ならせめて今週末だけは心ゆくまで自由に遊びたい。これくらいの我は通していいよね。私悪くない、と自分に言い聞かせる。

 ああ、それでも私、今日は約束をわざと破るっていう、人生で一番大きい嘘をついてしまうんだ。

 美菜の事だから今頃噴水前でもう待っているかもしれないのに。

 申し訳無さ九十九パーセント。だけど心の片隅でほんの一パーセントだけ、そんなワルい自分にドキドキしていたりもした。


 神社へ続く石段は二百十八段。

 裏に車用の道もあるけど、陸上をしていた時にトレーニングコースに入れていた癖でつい石段を登ってしまう。


「ソノキスタンプかぁ……」


 昨日のことがまるでずっと昔のことにも、ついさっきあったことのようにも思えてしまう。


「でも私、アプリさんの弟子に絶対なりたいわけじゃないのに……。まぁ、ちょっと心配だから見守りたいっていう気はす」

「おはよう、かなえ」


「……おはよう、美菜」


 ギギギ、と音がしそうなくらいゆっくりと首を上に向けると、石段の上に美菜が立っていた。

 なぜだろう。私はあんまりびっくりしなかった。

 鳥居の下に立っている美菜が、そこにいるのが当たり前のようだったからだろうか。

 なんていうかすごいドヤ顔で、古い鳥居の朱色と青い上着の対比がとても鮮やか。それにずいぶんおめかししてる。ちょっとだけお化粧も。

 アプリさんじゃなくて自分でやったのは分かるけど、それでも化粧が似合っているのが羨ましい。昨夜の自分を思い出してこんにゃろうって感じだ。


「いい天気ね。さ、どうする?」

「あの、いや、ええと、そうじゃなくて、今日は茉莉と……」

「能登さんと一緒でも勝負はできるでしょう。週明けからは劇の練習が始まるし、今日と明日が勝負ね」

「明日も?! あ、でも美菜は『使い魔』持って……」

「もらった」

「えっ?」


 美菜はポシェットからアイライナーペンシルを取り出し、くるりと指先で回す。私のペンシルよりも新しいっぽい。


「な、なんで?」

「あの後、もう一度アプリさんに会ってお願いしたの。使い魔が無いとそもそも勝負にならないって。ソノキスタンプの施し方はかなえも教わったんでしょ?」

「……まぁ、うん」


 言われれば確かに不公平と言われれば不公平なんだけど、アプリさんさぁ。


「で、その時に聞いたの」

「何を?」

「かなえは明日どこに居ますかって」


 うっ。


 冷や汗が流れるってこんな気持だろうか。私の浅はかなたくらみなんて全部見透かされていたみたいだ。


「で、でも、明日のことなんて、そんな事分かるの? 占いの範疇超えてない?」

「アプリさんを舐めないでよね。まぁ、プライベートだからって迷ってたから、奮発してコンビニじゃないプリン渡したら気合い入れて占ってくれた」


 アプリさんさぁ!


 ああ、こういう状況を進退窮まるって言うんだ。この前辞書で見た。


「あの、それについてはその」

「誤解しないで。かなえに怒ってはいないから」

「……なんで?」

「私ね、かなえのお陰で気づいたの」


 美菜は真っすぐで、そして澄んだ眼で私を見つめた。

 顔が整っていると素面でいるだけで絵になるんだなぁ。

 私はほとんど現実逃避同然に美菜を見つめ返す。

 境内から風が吹き下ろし、美菜の髪がさらりと揺れた。



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