第三話 腹ペコ魔女

「口に入れただけでふわぁって溶けちゃうんだろうなぁ……」


 その言葉を聞いた瞬間、私の口の中にはもうしっとりしたスフレが一切れ入っている。


 じゅわっとした食感。甘酸っぱいチーズクリームの風味が香る。


 スフレは舌の奥に滑り込んでゆき、思わずごくんと喉を鳴らしてしまう。

 おいしかった、と感想が出かけてようやく我に返った私の視界には青空と、おまけ程度の小さな雲が見えている。

 いつの間にか空を見上げていたみたい。


 慌てて周囲を見渡し、誰も見ていないことを確認する。

 ほっと安心した私は貝が閉じるみたいに肩をすくめ、またつま先を視界に納めた。

 それにしても、まだ口の中にスフレの食感が残っている気がする。

 よだれなんか出ていないよね? とハンカチを取り出して念の為口を拭いた。

 あ、ちょっと危なかったかも。


「それにしても、さっきのは……、何?」


 ヒトデの女の子がつぶやいただけ。

 なのにそれだけでおやつを一回食べた気分になってしまった。

 女の子は今もガラスにへばりついている。よく見るとガラス窓の向こうで店員のお兄さんがちょっと困り顔をしていた。


 ん? こんな小さい子がお腹を空かせて一人きり?

 だぶだぶの服を着て?


 えっ?


「ね、ねえ!」


 怖い考えが湧き出し、私は思わずその子に声をかけていた。


「え?」

「あ、あの! あなたのお母さんはどこ? 迷子だったりしてない?」

「あたしにご用……え? お母さん? 迷子? どこ?」


 女の子が大きな目を更にまんまるにして周囲を見る。


「いやあなただから。あのね、お腹すいてない? 痛いところとか……」

「お腹? お腹は……空いてはいる、かな? ん? んんん?」


 ふと女の子が目を細めた。そしてぱっと輝くように目を開く。


「あー……」


 女の子はなるほど、と困ったような笑顔を浮かべる。

 その顔つきはさっきまでの幼いぼんやり顔とはガラッと変わり、すっきりした顔立ち。

 その顔を見て、私はどうもやらかしたらしい、と気づきはじめた。


「そっかぁ。あはは、あなたいい子だねぇ。……よいしょっと」


 さっきまでとは別人のような落ち着いた声で女の子がにょきっと伸び、私は「あ」と声を漏らす。

 そう、女の子はしゃがんでいただけだった。

 ぶかぶかのローブのせいでそれが分からなかったんだ。

 ただ、立ち上がっても私と背は変わらな……いや、それでも私の方が少し大きかったけど。


「あなたおっきいねぇ。あ、こんなナリだけど、子供じゃないよ」


 大きなタレ目とちょっと大きな口。顔のパーツは子供っぽい。

 だけど顔立ちと仕草を見て気づいた。


 この人、オトナだ!


「ご、ごめんなさい! 大人の人に向かって子供あつかいして!」

「別にいーよ。こんな見た目だしね」


 そう言って女の子、じゃなくてお姉さんは被っていたフードをおろす。

 ゆるいウェーブのロングヘアがさらっと風に流れた。背の高さはともかく確かにオトナだ、と納得した。


「で、でも……」

「見ず知らずの子に声をかけてあげるなんて勇気あるね」

「そんな事ないです。普通です」

「いやぁ、出来ないよぉ。うん。自分が迷子扱いされるのは想定外だったけど」

「すいません……」

「あはは、いいよぉ。実際あたしちっちゃいしね」


 そして突然ぐぅ、と変な音がした。

 お姉さんの顔を見るとさっきとは別の困り顔で頬を赤くしている。

 ああ、実際お腹は空いているんだ。


「ちょ、ちょっとまっててください!」


 私は返事も聞かずにコンビニに駆け込み、十二秒で戻ってくる。


「これどうぞ! お詫びです! ラストでした!」

「えっ?」


 スフレを差し出すと、お姉さんは宝物でも見ているみたいに手を震わせて目を輝かせた。


「おおお……。こ、これはまさしく『ちょっとリッチなふわとろマスカルポーネスフレ』だぁ」


 その声は感動で震えていた。

 ついでにお姉さんの声を聞くだけでまた口の中にスフレが放り込まれたみたいになる。


「いいの? いいんだよね? た、食べちゃうよ? お腹に入れちゃったら返せないよ? いや、返せるけど見た目が……」

「やめてください。いりません。とにかくどうぞ!」


 変な子、なんて思ったお詫びの意味もあるし、これだけ喜んでくれれば税込み321円なんて安く……はないけど良しとしよう。

うん。


「ありがとぉ……」


 本気の涙を浮かべたお姉さんは袋をばりっと破り、スフレを大きな口でぱくりといく……かと思ったらゆっくりと静かに袋を開き、顔を出した甘い色のスフレを指で小さくつまむ。

 そしてひと欠片を口に運んでのんびりもぐもぐと噛みしめた。

 意外と言ったら失礼だけど落ち着いていて上品で、それでいて見ているだけで口の中が甘くなる、幸せそうな食べ方だった。


「お、おいしいですか?」

「わぁあ……、美味しいよぉ。ああ、四百年生きててよかったぁ」


 訂正。

 変な子じゃなくて変な大人だった。


「あの、それじゃ私はこれで……」

「まぁお待ちよ、はい」


 そう言ってお姉さんはスフレを割って半分差し出す。


「一緒に食べよ。美味しいものはみんなで食べるともっと美味しいんだよ」

「それはそうかもですけけど……」


 正直食べたい。


 だけど今あげたものを即いただくのはどうなの? と悩んでいると、お姉さんは私の手にスフレを載せてしまった。


 うっ。柔らかくていい匂いがする。


「アプリちゃーん」


 ふと、遠くから声が聞こえてきた。

 振り向けば私より年下の、今度こそ低学年の女の子二人が駆けてきてお姉さんに抱きつく。

 子供に合わせてしゃがんだお姉さんはやっぱり同い年に見えた。



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