第5話 マドンナ宅、訪問す


 落ち着かない。

 素数を数えてもまったく落ち着かない。


 俺は今、生まれて初めて女性の家に上がっている。

 綺麗に片付いた1LDKの部屋。

 しかも会社のマドンナ、超美女、山下楓乃さんのご自宅である。


 うおぉぉなんか呼吸する度めっちゃ甘い匂いするよぉぉ

 理性を保つの大変だよぉぉぉぉ


「これ、どうぞ」

「あぁお構いなく……ってビール!?」


 緊張からカチコチ(他意はなし)で待機していた俺の目の前、リビングテーブルに置かれたのはどこからどう見てもあの銀色のヤツ!

 山下さん、飲む気なのか!?


「ツマミ、昨日の残り物しかないですけど、いいですか?」

「あ、え、はい」

「もしかしてのどごしよりもコク強めの方が良かったですか?」

「あ、いえ銘柄に不満があるとかではなく」

「じゃあ飲みましょ。あんなに怖い思いしたの、全部京田さんのせいなんですから。付き合ってもらいますよ」


 ちょっと怒ってる雰囲気の山下さんは、ぷりぷり言いながら手際よくテーブルに料理を並べていく。品目は、たたきキュウリと野菜の煮物、あと乾き物が少々。なにこれもうチョイスがおっさん的に最高なんだけど。


 並べ終えると山下さんは、勢いよくプルタブを開けた。

 ぷしゅっと、良い音がする。


「ほら、京田さんも早く」

「あ、はい」


 うながされるがまま、俺も自分の缶を開けた。


「「かんぱーい」」


 こつん、と缶と缶をぶつける。

 と。


「んぐっ、んぐっ、んっ……」

「…………」


 すげー勢いで飲んでる。

 というかなんか喉の動きとか、ちょっとエロいんですけど。


 俺、理性をどこまで保てるか試されるの?

 これなんて拷問?


「ぷは……あー、おいし」

「はは、本当美味そうに飲みますねぇ……」

「当たり前です。シラフのまま、どんだけ別所部長のハラスメントに耐えたと思ってるんですか?」

「す、すいません……」


 ずい、と顔を寄せて遠回しに俺への文句を言ってくる山下さん。

 ジャケットを脱いだブラウスの隙間から、チラリと立派なOPA(おぱ)が見え隠れしている。


 OPAとか言うとなんかビジネス用語みたいで仕事思い出しちゃうね!

 これで気が紛れそうって紛れるわけないよね!


 何言ってるんだ俺は。


「まぁ、来てくれて、助けてくれたから、いいですけど……」


 そう言い、どこか照れくさそうにボブヘアーの毛先をいじる山下さん。

 今度は豪快にではなく、ちびり、と少量だけ飲んだ。


「で、本題なんですけど」

「あ、はい」

「副業、やってるんですよね?」

「……はい」

「それじゃあ――」


 ドラゴンを狩る現場を見られてしまったのだ。もう言い逃れはできなかった。

 あぁ、会社のルールも守れない男だって、罵詈雑言を浴びせられるのかもしれない。


 まぁそれはそれで新しい世界の扉が開くかもしれないけど……

 とか考えていたんだけど。


「――私と、運命共同体になりませんか?」


 下を向き、罵られる準備をしていた俺に浴びせられたのは、そんな予想外の言葉だった。


「う、運命共同体……とは?」


 まさかこれって……プロポーズ?

 苦楽を共にする、夫婦になろうってことじゃ……?


「実は私も、副業で動画配信やってるんです。今どき、会社の収入だけじゃ不安ですから。顔映さないで料理動画とか出してるんですけど、あんまり伸びなくて……これはもう流行りのダンジョン配信するしかないかもって思ってた矢先、京田さんがあんなに強いんだって知って、私もう嬉しくて!!」


 どこか興奮した様子でまくし立てる山下さん。酒が入っているからか、頬が少し上気していて、やはりそこはかとなくエロい。


 じゃなくて。


 変な期待した自分が恥ずかしい!

 これ、ただ『副業でコラボしませんか?』ってことじゃん!


 ……というか。


「いやいや、俺配信とかやってませんし! そもそもそんな強くないし……俺と組んだって、伸びないと思いますよ」


 今どきの言い方をするなら、バズるってやつか。

 そう、俺みたいな冴えない男と組んだところで、動画がバズるわけがない。

 むしろ山下さんの魅力全開でやった方が、間違いなくファンがつくと思う。


 と、思って言ったんだけれど。


「全っ然、わかってない!」

「はおっ?!」


 山下さんは突如椅子から腰を上げ、俺の顔を両手で挟み込んだ。

 口がすぼまって、上手くしゃべれない。


「ちゃんと自分の魅力、能力を正しく認識して発信しないと! 謙遜ばっかりしてたら、埋もれちゃうんですからね!?」

「は、はひ」

「別所部長がしつこいとき、いっつも京田さんが仕事わかんないフリして助けてくれてたの、私わかってるんですからっ! そういうの気づかないほど、馬鹿な女じゃないんですからっ!!」


 叱咤激励するかのように、山下さんは俺の両頬をぺちっと可愛く叩くと、自分の席に戻ってぐびっと一気にビールを干した。


「やるんですか? やらないんですか? 京田さんが一緒にやってくれないなら、私、もうダンジョン怖くて潜れないっ、ダンジョンビジネスになんて関われないっ、別所の相手もやってらんないっ、Dイノ辞めますっ!」


 駄々っ子みたいに口を尖らせて、言いたい放題まくしたてる山下さん。

 もう別所部長は呼び捨てだもんな。まぁ仕方ないよね。


 それにしても、だ。


 山下さんは令和の社会を生きる者として、色々と考えて日々を過ごしているのだとよくわかる。俺なんて三十路みそじを前にして、ようやく将来のことなどを考えはじめたところだというのに。


 本当、立派だ。(ちょっと酒癖は悪そうだけど)


 というか、女性にここまで言わせておいて、男の俺が引くわけにもいかない。

 俺自身、もっと副業で稼ぎたい気持ちはあるし、会社に依存しない生き方を手に入れたいと考えてもいた。


 この話はもしかしたら俺にとって、願ってもないことなのかもしれなかった。


「……わ、わかりました。不束者ふつつかものですけど、よ、よろしくお願いしますっ」


 俺は言いながら、目の前の山下さんに頭を下げた。


「あはは、やった、嬉しい~! ありがとうございますっ!」


 言葉を受け取った山下さんは、立ち上がって上機嫌に小躍りをはじめた。

 そしてまた冷蔵庫から銀色のヤツを何本か取り出し、テーブルに置く。さらにどこかからウイスキーの瓶と焼酎、ワインまで持ち出してきた。


「今夜は祝杯ですっ、じゃんじゃん飲みましょ!」

「は、はは……」

「んぐ、んぐ……ぷっはぁ!」


 二本目のビールを一瞬で空にし、気持ち良さそうに息を吐く山下さん。

 しかし本当、美味そうに飲むなぁ。


「京田さん、忘れないでくださいよ? 私と京田さんは会社に黙って副業するんですから、共犯関係になる、運命共同体なんです! 病めるときも健やかなるときも、お互いを支えて守り合っていかなきゃですよ!!」


 顔を赤くして、熱っぽく語る山下さん。

 要するに『副業のビジネスパートナーとして支え合っていきましょう』ということだ。

 わざとらしい言い方に、いちいち勘違いをしないようにしなくては。


「…………っ」


 俺はビールを一口飲んでから、テーブルに置かれた多種多様な酒と、へべれけになりつつある山下さんを交互に見回す。

 そして、彼女への見解を、若干、改めた。


 この人、絶対酒乱だっ!!


「ふふふふ、これはもう私たち、夫婦みたいなもんですねっ」


 あぁ、だけど。

 ……この人懐っこい笑顔は反則なんだよなぁ。


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