第7話 六章

「とにかく、ここは安全だから大丈夫だよ」


 いや、悲観的に考えれば最も危険ともいえるかもしれない。だけれども、時間を稼ぐことはできたはずだ。あそこまで派手にやりあったのなら、きっと向こうは集合する。


「どういうこと?」


 大淵さんは、怯えながら問いかける。普段とのギャップがすごくて、どう対応していいのかもわからない。相変わらず、パンツは見えたままだ。


「作戦の第一段階は、上手くいった」


 亜蓮が作戦会議の日に出した指示は多くない。そのうちの一つが、戦闘で特に爆発音があがった場所へは近づかないことだった。

 その理由は、大きく二つ。一つ目の理由は、足利さんは並大抵の相手では落とせない。


 彼女が見せたとっさの行動。あれを瞬時に判断できる人間がどれだけいるだろうか。少なくとも亜蓮にはできない。単純な戦闘なら敵わない。

 もう一つは、相手に話し合う時間を取らせること。向こうのリーダー格である鶴岡君も足利さんの強さは知っている。ならば、彼女の周りに人を集めたがるだろうから爆発音がすれば集合というような指示を出しているんじゃないだろうか。少なくとも、単独では有効な攻撃手段を持たない鶴岡君だけは合流を目指すはずだ。なら、鶴岡君と足利さんで話し合いがもたれるはずだ。二人とも賢い。それを信用して彼らの考えることを想像する。


「おそらく、向こうはこっちの能力が【コピー】とかだと思っているはずだから」


 念のために先生に確認しておいた。似たような能力ならともかく、見分けがつかない能力が存在することはないと。なら、向こうは自然に【コピー】を考慮に入れる。


 すると、向こうの選択は二つだ。


 強い能力を持っていながら、亜蓮に対して勝ち切れるカードを切るか。


 弱い能力だが、身体能力や頭脳において亜蓮に対して勝ち切れるカードを切るか。


 少なくとも無視は出来なくなる。そもそも、能力をいまだに覚醒させていない亜蓮に対して思考を割かせるだけでも十分だ。


「だから、もしも誰かが自信満々に襲い掛かってくればその時は終わりだけど。それと、僕がこの近くにいることはわかっているから、戦わないにしてもその動向を探るために人を寄こしてくると思う。ここにとどまっているのは危険だ」


 そして、ここで大淵さんに会えたところまで幸運だった。しかし、肝心の彼女が役に立たない。まさか、ここまでは想定できなかった。

 彼女ならば爆弾に対して距離を保ちながらも近接攻撃をかけることができる。能力の相性で比べれば有利だ。だからこそ、大淵さんには能力を敵チームにわざと知られるようにしてほしいと頼んでおいた。


 元より、先生との戦闘に参加していた人数はこちらの方が多い。そのせいで、能力はかなり知られている。なら、本当に秘匿したい切り札となる能力以外は適度に公開してそちらに対して警戒を向けさせた方がいい。

 そして、ここで待っていたところで意味がない。せっかくの強カードだ、牽制にでも戦闘にでも使えるし、なによりも朝霧さんと大淵さんがいれば、わざわざ亜蓮が戦う必要はない。


 もしも襲い掛かられても、【コピー】を持たないことがばれないうちに逃げ出せるかも。亜蓮は、ゆっくりと立ち上がるとそのまま外へと出て行った。


「どこに行くの?」


「とりあえず、二人で行動しよう。それなら、とりあえずは相手のことを騙せる。大淵さんも俺も、十分に強い能力だから一人で攻撃を仕掛けてくることは無いはずだ」


 とりあえず優位をとるために、亜蓮はボールと朝霧さんを探すことにした。


「そんな先に行かないでよ。あたしがいないとやられちゃうでしょ」


 亜蓮が歩幅を大きくすると、すぐに後ろから大淵さんから声がかかる。大淵さんは、能力を最大限に活用して背後の監視をしていた。背中にリュックみたいに背負った人形は、普段とその姿に違いはない。だが、しっかりとその目は動いて監視の目を光らせている。

 幸いなことに、どうやら周りには敵チームはいないらしい。


「とにかく、玲奈と合流したいんだけど」


 少し歩くと、川に出た。もう、高度はかなり下がってほとんど平地だ。白い綺麗な石でできた岸と、天然で綺麗な水。目を凝らすと、小さな魚が泳いでいるのがわかる。


「呼びましたか?」


 その声が、後方の茂みから聞こえた。亜蓮と大淵さんはあわてて振り返ると、冷たい表情をした朝霧さんが立っていた。顔色は優れない。どうやら、すぐにでも治療が必要に見える。


「ちょっと玲奈。どうしたの、その傷!」


 慌てて駆け寄った大淵さんの体にすべてを預けるように、朝霧さんは倒れこんだ。

 彼女の白い足は、失われていた。もしかして、ずっと片足で木を頼りに歩いていたのか。

 その証拠として、彼女の手にも無数の傷があった。


「ちょうどこちらから見てまっすぐ東の方向から来ているときに、相手チームの世良さんという方に遭遇しました。彼女の能力はわかりませんでしたが、おそらく身体能力を強化する能力。それも、藤川さんとは異なるタイプです。そして、私は彼女のスピードについていけるわけもなくただただ、思う存分にやられました」


「身体能力の強化ということは、藤川と同じか」


 藤川は、身体能力を一定期間の間だけ五倍にする。クールタイムを挟む必要があるが、この視界の狭い裏山の近接戦闘ではかなりの戦力だ。亜蓮もできる限りははやく藤川と合流したいと思って歩き回っていた。

まさか、敵チームにもそれがいるとは。


「でも、どうして相手は倒さなかったの? それとも、能力で痛み止めをかけたおかげ?」


「いや、それは違うな」


 大淵さんは朝霧さんを心配そうに抱えるが、朝霧さんが立っているのが精いっぱいなところを見ると、残っている足もおそらく何本か骨が折れている状態だろう。彼女の能力で痛み止めくらいは生成できるのを知ってだろうかわからないが、相手は明確に痛めつけることのみを狙ってきた。


「おそらく、相手はその世良さんで全員の動きを奪っていく計算だろう」


 作戦としては単純だ。

 例えば、今のように両チームが同数の場合は、相手の数を減らすか相手の能力が強いものを倒すかが有効打になる。ただ、相手の能力が果たしてどんなものかはお互いに把握していない。なら、単純な頭数を減らすことが展開を有利に動かすことができる。


 ただ、このドッジボールには残機というシステムがある。

 そして、ここで最も大きなポイントがやられた人員は、自らのチームのベースポイントでゲームを再開するという事。つまり、同時に二人以上の人間にボールを当てて倒してしまうと、確かに数字上では有利がとれる。だが、相手チームの人員をどんどん集めてしまうことに他ならない。


 このゲーム、いかに相手を集めないかが重要だ。

 それをわかっている相手は、こちらの動きを止めてから、自らの考える順番にこちらを制圧していくつもりだ。亜蓮たちは、先ほどからむやみやたらにずっと動き続けている。


 果たしてそれが正しいことなのか、向こうはもうすでにある程度の人数で固まって意思疎通ができているはずだ。そして、亜蓮はそのことに気づいていながらメンバーには隠していた。恐怖を取り除くのが一つと、相手を素直にまとめるためだ。


「いや、それは無いはずです」


 亜蓮がそんなことを考えているのを察したのか、朝霧さんは否定した。


「私が見る限り、世良さんは私の姿を見つけた瞬間にとびかかってきました。あれは、密な連携をとれている場合には起こらない現象です」


「どういうこと?」


 大淵さんは、朝霧さんの言う事がわからないらしい。

 まあ、これだけで断定するのは危険だけれども朝霧さんがそんな口調にしたのはおそらくわざと。このまま何もわからずにゲームを進めるよりも、少しでも確率が高いものを確定事項として動かすしかない。思ったよりも、相手の動きがシンプルだ。


「きっと、世良さんの先制攻撃は決まっていたことです。いや、他にも攻撃に優れた

能力を持つメンバーはみんな先制攻撃でボールなど関係なく相手を無力化することを義務付けられているはず。どうしますか?」


「決まってる。こちらもそう仮定すれば、やれることは一つだ」


 もしも、相手が戦闘に特化した能力のメンバーに先制攻撃をかけてくるのなら、それは裏を返せばこちらに向かって攻撃を仕掛けてこないメンバーは少なくとも攻撃に向いた能力を持っていない場合だ。


 なら、その人間を無視して行動できる。わざわざ攻撃をかけるまでもない。


「こちらは、頭数を減らすのではなくて、あくまで飛車角を狙うしかないな」


 こちらへ攻撃をかけてくるメンバーを、何人かで固まって落とすしかない。それには、もっと多くのメンバーが必要だった。


 いまだに能力の判明しない亜蓮と、人形を操る大淵さん。もうほとんど体が動かない朝霧さんでは、相手が自信をもってかけてくる攻撃を躱してカウンターを決めることは難しい。 

 できるなら藤川、それ以外でもいいからとにかく戦闘向きの人材が欲しい。


「なら、汐里が最も優秀な能力者じゃない」


 汐里と言われて、すぐに顔を思い出すことはできない。大淵さんはすでに、元気を幾分かは取り戻している。ぼろぼろの状態でも、彼女がいることは心強いのだろう。 

 彼女に背負われていた人形が、朝霧さんを抱きかかえている。


 亜蓮は、女の子の名前と顔を一致させることは苦手だ。


「あれ、汐里のことを覚えてないの。今の状況におあつらえ向きの能力よ。彼女の能力名は、【反射(タイプB)】よ。」


 確かに、ここまでおあつらえ向きという言葉が似合う状況もないだろう。しかも、使いどころが難しい。藤川よりも防御に特化しており、相手チームはこの能力を把握していないのがきつい。能力を秘匿するように言ったのは亜蓮だが、カウンターを前提とした能力なんて日常生活でばらすのは無理がある。


 だからこそ、亜蓮の中で能力の切り札にしていない。できれば、この戦闘でも使わずに別の場面で使いたいとすら思えるほどの能力。彼には、できるだけ能力を使わずに隠れていてほしいとお願いしてある。


「これはひどい。ご苦労様」


 ちょうど氏家を連れて下山したところで、鶴岡に出くわした。香澄はなんだか、彼が苦手だ。まじめな委員長。うん、やっぱり得意とまでは言えない。だけど、チーム全体で彼の指示を中心に動くことを決めたから、話さないわけにはいかない。


「山下を取り逃したよ。それと、氏家さんは預かっておいてくれ」


 背中に隠れた氏家さんを、まるで猫をつまむように引っ張り出す。彼女も、【バリア】持ちの彼と一緒にいた方が安全だし、心強いだろう。別に守ってやらないわけではないけれど、香澄にも限界がある。

 鶴岡は、山下という単語に少し動揺した。やはり、敵の指揮官は意識してしまうものだろうか。指揮官としての優秀さならば山下の方が明らかに上なのがそうさせるのか。


「そうか。君は引き続き、敵の頭数を減らすことを優先してくれ。向こうのボールの位置はわからないから、警戒は怠らずに」


「わかった。それじゃあ」


 香澄が鶴岡に背を向けて歩き出そうとした時だった。マップで見れば、うちのチームが復活する場所は背後。鶴岡はその能力を生かして、復活したとたんに狩られることを防ぐために守りに徹する。


 しかし、香澄の服。その端っこを小さな手が掴んだ。


「私、頑張るから。連れて行ってくれない?」


 その声の主は、氏家だった。しかし、香澄の中ではどうしてという感情の方が大きい。自分の安全を確保するためにも、これからフィールド中を動き回って戦いに身を投じる人間の後ろよりも、鶴岡の後ろは安全だし楽だろう。何も責任を負わずにただただ騎士の後ろで怯えていればいいのだ。

 しかし、彼女の目にはしっかりと覚悟の炎が宿っていた。やっぱり、理解できない。


 さて、探されているとはつゆ知らず。

 柳生汐里は、崖の下にある洞窟に隠れていた。ちょうど、崖の上、汐里から見れば頭上では戦いの音がしている。聞こえてくる声でそれが誰と誰によるものなのかを聞き分けることはできない。ただ、怯えることしかできなかった。


 汐里は、怖がりだ。

 顔つきが、目が切れ長で鋭く、顎もシャープ、そのせいでクールな印象を持たれてしまうけれども、そんなことはない。それこそ、流行りのスイーツやインターネットで人気の風景なんかも大好きだ、なのに、どうしても怖い印象を持たれて、それを自分も勝手に意識してそんな風にふるまう。必要もないのに、与えられた役を演じている。


 ただ、中学まではそれで十分だった。勉強も運動も平均よりは大きく上回ってできたし、それがより一層クールな汐里という虚像を構築するのに拍車をかけていた。

だが、こんな場所では違う。


 こんな、人が相手を傷つけるために戦うこんな場所で自分らしさなんて求められるわけがない。ただ、自分の本能に従って隠れるのみだ。せめて、誰かが隣にいてくれればと思うけど、それを探しにいくような勇気はないし、この場所はきっと見つからないだろう。

 そう思いながら、震えている。


「朝霧ちゃんがいてくれたらなあ」


 同じ部屋の朝霧玲奈。まさに、その人は汐里の理想だった。同じ部屋の大淵さんの使用人らしいけど、その言葉が良く似合う。あまり表情にでないということが、それだけ自分を持っていて動揺しない強さに、そして余裕を感じて憧れていた。

だけど、今は彼女がいない。だからこそ、余計に強く思うのだ。


 あの子がいれば、きっとこの状況でもなんとかしてくれると信じられる。

 しかし、きっと彼女はここには来ない。汐里を探す時間があれば、彼女は大淵さんを探すはずだ。汐里の能力【反射】は、まさに自分らしさだった。


 人から受ける外見だけの評価を、そのまま無理やり自分に投影して反射する。

 なのに、今はそれができないでいる。今の自分に求められているのは、ボールを探してチームに貢献することだ。なのに、そのために足が動かない。

 もう、各地で爆発音が響いている。

 フィールドはまさに戦場と化していた。そろそろ、大淵さんと朝霧さんは合流できただろうか。複数人で行動することはそれだけ発見されるリスクが伴う。どれほど時間がたったのかと確認はしていないけれど、おそらくあの二人ならば余裕で戦いを楽しむくらいはできるだろう。


 だから、まだ時間があるはずだ。

 ここで、待とう。大丈夫、きっと助けが来る。

 そう自分に言い聞かせるようにして、耳をふさぎ、目を閉じた。


「いないわねえ」


 大淵さんは、ずんずんと歩いていく。もうすっかり、いつも通りだ。

その後ろを、亜蓮と人形が朝霧さんを支えながら歩いていた。同い年の女子に自然と密着されているので緊張しているが、朝霧さんはそんなことを微塵も思ってもいないだろう。表情に変化は見られない。


 それにしても、本当に強い、この子は。足を片方失いながら、それでも歩き続けて弱音の一つも漏らさない。これだけの怪我を負っているのに。

 体力だけじゃなくて精神力も相当なものだ。


「大声で呼んでもいいけど、たぶん相当近い場所にいないと聞こえないだろうなあ」


 近くでは、爆発音が響いている。

 相手チームはおそらく、こちらに連携を取らせないために足利さんが積極的に爆発を起こしている。


「でも、汐里が近くにいるような気はするのよね。あの子なら、なんだかんだいってチームのために的確な行動をしてそうだし」


 確かに、柳生さんの印象は淡々とクールに仕事をこなすタイプ。それこそ、朝霧さんに似ているところがあると亜蓮は思う。もちろん、話したこともまともにないので完全に顔だけの印象なのだが。

 だからこそ、その印象に全幅の信頼を置くわけじゃない。どこかに隠れている可能性はある。ここで選択肢を狭める理由がないので、一部分に時間をかけて捜索する。


「何の音?」


 その時だった。大きな爆発音と共に、地面が大きく揺れる。



「たぶん、近くで戦闘がおこった。大淵さん、すぐに人形を向かわせてくれ!」


 亜蓮はすぐに指示を出す。敵チームも味方チームもわからないけれども、人形ならばそこまで被害は出ない。やっぱり、指示を出すには幾分か気楽だ。この人形が最も優れている部分は、人形が感じたことがそのまま大淵さんにも伝わることだ。

 

「見つけた!」


 隠れていた汐里が外の様子を窺おうと、少し洞窟から顔を出した。その瞬間だった。

 最悪だった。ちょうど崖の下で草木が生えていない更地。そこにいたのは、敵チームの世良さんだった。能力が何かはわからないけど、自信がみなぎっている。

世良さんはこちらと目があうと同時に、大声をあげて、その勢いのままに飛んできた。


「ひいっ!」


 汐里はあわてて、体を逸らす。そのまま、世良さんは汐里がいた場所に激突した。砕けた石が空中にはじける。


「どうやら、戦闘系の能力じゃなさそうだね」


 その石よりも早く、跳躍した位置に戻った世良さんは、汐里に戦意が無いことを見抜くやゆっくりと余裕を持ちながら話し始めた。


 彼女が余裕を持っているのは、能力の差。

 詳しい力はわからないけれど、あんな早い移動をされてはどうしようもない。汐里にできることと言えば、おとなしく捕まるだけだ。汐里は観念して、立ち上がる。そして、両手を上げて降伏の意志を示した。


 世良さんはそれを見て、満足げにしている。その時だった。彼女の背後にある茂みに、大淵さんが現れたのだ。


「んっ!」


「ん?」


 汐里は、慌てて声を出しそうになった口元を抑えた。おそらく、大淵さんたちは不意打ちを狙っているはずだ。下手に声を出してしまうとそれが露見して失敗する可能性もある。能力には詳しくないけれども、大淵さんの能力は、人形を操る。確かに、彼女の持っている人形ならば世良さんを相手にできるだろうか。不意打ちでやっとな気がする。


 だけど、私はそれに期待することにした。

 きっと、大淵さんならなんとかしてくれる。そんな気がする。

 彼女はなんだかすごかった。うまく言語化できないけれども、なんだかオーラがあるのだ。 もちろん、彼女の凄さは使用人である朝霧さんの支えがあってのことではあるのだが、大淵さん自身も彼女に使用人がいることを納得させることができる力がある。


 自分の中でも、上手く整理できていない。

 きっと、彼女が両親から受け継いだものの一つなんだろう。

 大淵の名前は伊達じゃない。汐里は、彼女のことを信じていた。


 そして、それは正解だったようだ。

 大淵さんはゆっくりとこちらに向かって距離を詰めて来る。その顔に怯えはなかった。さっき、世良さんが汐里に襲い掛かっているのを見ていたはず。彼女の持つスピードは、十分に脅威だ。少なくとも、汐里なら尻尾を撒いて逃げ出すだろう。なのに、彼女はこちらへと迷いなく進んでくる。


 彼女が汐里を助けようとしているのか、それとも世良さんをここで倒しておこうという考えなのかは知らない。ただ、それはどうでもいい。この状況が終わるのならどうでもよかった。

 そして、大淵さんがちょうど汐里に向き合う世良さんの背後に入って見えなくなった。よし、完璧に背後を取った。


「いけ!」


 そう言って、大淵さんは思い切り手に持ったぬいぐるみを投げつけて来る。いつも、大淵さんの隣で眠っているぬいぐるみだ。そして、そのぬいぐるみは途中で姿形を変える。その体はぐんぐんと大きくなり、爪は鋭く切れてゆく。

 目に光が宿ったと同時に、ぬいぐるみ口から咆哮が漏れた。そのまま、ぬいぐるみは爪を世良さんの背中に向かって突き出す。


 チェックメイトだった、はずだった。


「目線でばればれだよ」


 世良さんは新体操のようにくるりと背中から空中で回転する。身体能力が向上しているのもあるだろうけど、そもそも頭を下にぐるりと回すということができること自体が、運動が得意な人間にしかできないと思う。

 しかし、ちょうど目の前にいた世良さんが、彼女に向かっていた攻撃を避けたということは、そのまま汐里へと向かってくる。


「危ない!」


 大淵さんの声が聞こえた。汐里はそれと同時に、能力を起動する。ほとんど無意識だったせいで、その感覚はない。汐里の能力は攻撃を反射させること。これに関して、同部屋の三人から攻撃を受けてそれを跳ね返す実験はしていた。


 それで、詳しく分かったのは跳ね返す方向だ。

 能力の詳細としては、まず攻撃を跳ね返した場合の威力は等倍。まあ、これは予想できた。ランクが上がった時には威力を増幅させて反射させることができる。

 だが、それは重要ではない。そもそも、相手がこちらに対して明確に殺意をもって攻撃してきた場合には等倍の威力で十分に相手の動きを止めるくらいはできる。

 もちろん、汐里は相手を殺すとかそんなことはできない。そもそも、血を見ることがきついし、攻撃をするのも嫌いだ。

 だから、汐里は反射という自ら行動を起こして相手に対して攻撃する必要のない能力を与えられたのだろうとも思う。


 なら、最も重要なのはなにか。狙いだ。正確に言えば、どのように攻撃が反射されるのか。それも、ある意味は予想通りだった。

 攻撃は、例えばビームならばわかりやすいが、光が鏡に反射するように角度によって方向が変わる。

 【反射】に向かってまっすぐ攻撃をかければ、そのまま攻撃が返ってくる。汐里に向かって斜め上から攻撃すれば、その角度のままに下方向へと反射される。なら、どうするのが正解だろうか。

 それを考えるよりも先に、体は動いていた。汐里の体は恐怖で、足がすくんで立っていられない。そのまま、体が傾いたまま直線でぬいぐるみが攻撃を仕掛けて来る。


「ひいっ!」


 こちらへと向かってきた爪が、はじかれてそのまま角度が上がっていく。

 直線で入ってきた光は、斜めに向いた鏡にぶつかるとそのまま直線で上に向く。汐里の体は倒れこむように避けながら反射状態でぬいぐるみにぶつかる。当然、ぬいぐるみの攻撃は反射された。ぬいぐるみの攻撃はそのまま、まるで爪に磁石が埋め込まれて、もう一つの極が上空にあるような勢いで飛んでいった。


 そして、最高にして最悪の結末をもたらす。

「がはっ」


 そのまま、飛び上がっていた世良さんの、腹部を貫いた。その口から吹き出た血が汐里に降りかかってきたが反射する。その血は、ぽたぽたと地面に落ちていった。


「きゃぁぁあぁぁ」


 そこで、汐里は気を失ってしまった。


「あらら、仕方ないけども。気絶しちゃったね」


 さて、世良さんを再起不能にしたのは作戦として大成功だ。あまりにも戦果が大きい。これで、余裕が多少は生まれた。

 けれども、代わりに柳生さんが気絶してしまった。彼女をこんなところに置いていくわけにもいかないが、既にかなり大けがを負った朝霧さんを連れている身で、柳生さんまで抱える余裕はない。


「先生に電話で確認してみるよ」


 そう言って亜蓮が電話を手に取る。


「もしもし、すいませんが質問です」


『なんだ』


「もしもボールを当てられた場合は、どのような状態でリスポーンしますか」


『難しい質問で、しかも抽象的だ。答えは自分で確かめてみればいいさ』


「ボールがありません」


『探さずに人に尋ねるのは良くない癖だ。だが、ヒントはやろう。黒い岩』


「わかりましたありがとうございます」


 亜蓮はすぐさま電話を切った。もう、答えはわかった。無駄に洒落ているヒントは、先生の抵抗だろうか。彼女はわがままだけれども、戦局を自らの手で狂わせることはひどく嫌っている節がある。だからこそ、亜蓮の張り詰めた糸に従って行動するしかない。それが不満なのだ。どうやら、少し嫌われてしまっただろうか。


「黒い岩の近くにあるってことね。すぐに探すしかないわ」


 大淵さんがそう言って、血まみれの人形を動かす。彼女が人形に抱いている感情がよくわからない。普通は、人形が血まみれになれば悲しいんじゃないだろうか。彼女の持つ人形は、とてもよく汚れている。それが、愛されてきた証拠のはずなのに、彼女はまるで人形をあくまで人形として扱っている。友達でも、恋人でもなく人形として。

 まあ、彼女が人形に対してどんな感情を持っているかを考えるのは後回しだ。眠る前に思い出せば、布団の中で目を閉じて考えるくらいの優先順位である。


 それより、ヒントだ。いじわるなヒントではあるけれども、嘘は言っていないのがやっぱり先生らしい。嘘をつくことは美学に、かといって簡単にボールの場所を教えるのも美学に反するのだ。やっぱり、彼女は頭が良い。


「ここでの黒い岩は、人名だ。黒岩涙香。明治時代の小説家で翻訳家」


「でも、それがどういう意味を持つの?」


 まずそもそも、黒岩涙香なんて知らない人の方が多い。いったい、東京のど真ん中で街頭アンケートを取って知っている人がいつ見つかるんだろうか。きっと、一日やそこらでは見つからないだろう。亜蓮が彼の著書を読んでいたことは幸いだった。


「彼の有名な作品としては、『レ・ミゼラブル』を翻訳した『あゝ無情』と『モンテクリスト伯』を翻訳した『巌窟王』がある。これが答えだ」


 巌窟王。話のあらすじとしては、彼が地下牢に閉じ込められることから始まる。

 つまり、この裏山には地下空間が存在するのだ。


「まさか。ここから下に繋がってるなんて」


 ちょうど、地下への階段。そこに立っていたのは足利・氏家ペアだった。偶然、氏家さんが入り口を発見したのだ。入口は小さくて、なんとか通ることができる程度のものだったけれども、いったん抜けてしまえば中は広い。


「ここでなら、近接戦闘型の【ギフト】なら十分に戦えるわね。それにしても、不気味」


 地下は暗いけれども、感覚で空間を把握する。様々な方向から音がするのは、きっと地下空間が様々な場所に繋がっているのだろう。これをうまく使えば、相手を出し抜けるだろうけども、もしもここで敵に遭遇したらやっかいだ。


「もしもここで相手に出くわしても、私は能力が使えないからすぐに逃げな」


 地下空間で爆発系の能力は、相性が最悪だ。仮に敵を倒せたとしても、生き埋めになってしまえば意味がない。それに、手元にはボールがある。


「もしかしたら、普通のドッジボールになるかもしれないけどね」


 ここで慣れない能力を使いこなして攻撃できる人間がどれだけいるか。想像できたのは、世良さんと藤川君。あの二人はとても能力がシンプルだ。だからこそ、使いやすさがある。まだ全員が能力の扱いに慣れていない中で、それは大きなアドバンテージだろう。【爆発】の能力が嫌なわけじゃないけど、不満がないわけではない。


「誰かいるの?」


 ちょうど会話が途切れたところで、奥の方から声が聞こえた。女性の声だ。

 その声には聞き覚えがあった。同室の、銀木ありさだった。


「あ、香澄ちゃんに氏家さんも。それより、見て。ボールがあったの」


 そう言って彼女が見せてきたのは、確かにボールだった。しかし、おかしい。香澄の持っているボール。そして、学校で利用されているボールとはブランドが違う。いや、それだけならボールのブランドを間違えていたというのが通るけど、先生が無意味にそんなことをするとは思えない。


 香澄、ありさの二人が揃ってボールを獲得した。しかし、一つは嘘かもしれない。

 山下ならば、別のブランドでもボールを余計に用意して持ち込むことは想像できた。



「仕方ない。ここに隠れていてもらうか」


 亜蓮は先ほど柳生さんが隠れていた場所に、再び柳生さんを戻した。ここで、亜蓮はこの勝負で大きなポイントになる部分に対して考えを巡らせる必要が生まれた。それは、死兵の切り捨てをどのタイミングで行うかだ。


 ルールでは、ボールに当てられたプレイヤーはボールが地面に着くか、敵チームの手に渡らない限りはセーフ。その場合、ボールを投げた相手が味方チームではどうかという事は明言されてない。


 普通の王様ドッジならば味方チームの投げたボールにぶつかることは、特に意味をなさない。だが、これは普通ではない。そもそも、この広大なフィールドでボールが初期段階でも、3つしか用意されていないのは不自然だ。しかも、これまでそれなりにゲーム開始から時間が経過したにも関わらず、誰かがボールに当たったというアナウンスは流れていない。

 元々、流れない設定になっているのか、それともまだボールを用いた戦闘が開始されていないのか。


 あるいは……誰かが意図的に情報を操作しているか。これも、あり得そうな話だ。

 誰がどこで戦い残機がどれほど残っているのかを知ることができれば、それだけで戦況は大きく変わる。しかし、とりあえずそのことは考えないでいよう。意地の悪い先生の事だ。流れない設定になっている、もしくは残機を全て失った段階でようやくアナウンスがあるのかもしれない。そして、残機が3個というのにも意味があると思った。


 これは、どれだけ現時点での動けないメンバーを減らすかだ。しかし、それには残機を失うというリスクをともなう。これは、実際の戦争と同じだ。

 戦争で良い指揮官は、上手く味方を殺す。一つの命が散る時に、どれだけ輝かせるか。どれだけこちらに利益をもたらすのか、どれだけ相手に損害を与えるか。この場合では、それこそ動けないメンバーを盾に使うのもいいし、かかしとして動けないことを偽って人員と見せかけてもいい。ならば、現状は柳生さんをここに残して三人で行動する場合の朝霧さんはどう動かすか。


「私は、君の指示に従う」


 朝霧さんを健康体の数として敵方に認識させるのは不可能だ。足が片方ない人間を無事だと思わないだろう。だけど、凍結された戦力としては十分に脅威である。

 先生との戦いぶりを見た人からすれば、十分に警戒対象であるはずだ。


 初期段階でメンバーはそれぞれ二十人。それに残機が三個ずつ。六十の命をどう使う。もちろん、その命に優劣があるのも考慮しなければいけない。

 亜蓮の中で守るべきは、切り札役と敵チームの鶴岡。この二人がゲーム終了時点でフィールド内に存在していることは、最低条件だと言える。切り札役にはひたすらに隠れることに徹しているように言ってあるし、【バリア】能力持ちが簡単に倒されるとも思わない。


 しかし、その亜蓮の計算はすでに崩れ去っていた。

 ゲーム開始からおよそ三十分と八分後。このゲームで初めての退場者が生まれた。

 アナウンスは無かった。

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