第5話 四章

 授業が終わって、各々が自分のタイミングで教室へ戻る時だった。ちょうど、休憩時間だったこともあって他のクラスに在籍している生徒もいてスムーズには進めない。それでも、亜蓮は一人の少女に用事があった。

 長く綺麗に手入れをされた黒髪が、肩にかかって更に背中へと垂れる。まるで芸術作品のように美しい歩き姿。まさに、歩く姿は百合の花だ。

 

 その彼女の黒髪に触れるのはなんだか惜しくて、亜蓮は少しの合間を人差し指でトントンと叩いた。


「ありがとう、さっきは助けてくれて」


 亜蓮は授業が終わった後に、さっき助けてもらった女子に声をかけた。そう、足利さんと共に先生に立ち向かってくれた彼女だ。


「え? ああ、気にしないで」


 彼女は振り返って、こちらを一通り確認すると、誰かわかったようだ。彼女は冷たい目と冷たい声で話す。どうやら、かなり大人しい女子であるようだ。

 しかし、それだけでは気が済まない。亜蓮には、既に次の計算が始まっていた。


 彼女と仲良くなっておきたい。

 もちろん、それは友達としてもだけど、戦力としても。


「良ければ、ジュースくらいは奢らせてくれないか?」


 亜蓮はそう言って、携帯電話を取り出す。ジュースを買うには、自動販売機の下にあるタッチパネルにかざすと携帯電話で会計できる。これも、学園の技術力によるものだ。


 しかし、彼女は困ったような顔をしている。どうやら、亜蓮がいわゆるナンパ的な意思をもっているかと思われているのだろうか。確かに、藤川たちはどうせこんな光景を見れば冷やかすだけだから、置いてきたがそれがより真剣な感じに見えるのかもしれない。


「あれ、玲奈。何をしてるの?」


 そんな風に困っていると、亜蓮の背後から声が聞こえた。

 その声は明るく、ころころとしている。


「君は?」


「それはこっちの台詞よ」


 どうやらその女の子は、亜蓮のことを訝しむような目で見ている。亜蓮は、その女子に見覚えがあった。とても派手な子なので、かなり印象に残っている。その印象は、あまりよくない。なぜなら、彼女はおしゃれだからだ。そのせいか気が強く見える。亜蓮には苦手なタイプだった。その圧に、気おされている。


「いや、俺はさっき助けてもらったお礼にジュースでもご馳走しようかなと思って。君は?」


 その返事に対して、お洒落な彼女は玲奈と呼ばれた彼女に言葉を返した。


「ジュースねえ。ま、もらっておけばいいんじゃない」


 続けて、こちらにも向き直る。まさに、自由人だ。


「思い出したわ。さっき、指示役をやっていた男子よね。私は大淵鈴蘭。こっちは朝霧玲奈。玲奈が好きなのはオレンジジュースで、私はサイダーね」


 別にこの娘に奢るわけではないのだが、こう言われれば買わざるを得ない。どうせ、百円の出費だ。結局、亜蓮は自分の分にするコーラも買って二人のもとへ向かった。


「二人は、知り合いなの?」


 亜蓮はジュースを手渡しながら、二人に聞いた。まだ、入寮してわずかな期間だが彼女たちはお互いの好きな飲み物がわかるらしい。別に昨日会ったばかりの相手でも知っていておかしくないような情報ではあるけれども、彼女の言い方はかなり親しく聞こえた。少なくとも、亜蓮ならば自己紹介で一度聞いたくらいの情報ならば本人の顔をうかがいながら答えるだろう。


「そうよ。私と玲奈は幼馴染よ」


「私は、使用人です」


 その言葉の持つ温度感が違う。あったか~いとつめた~いくらいに。


「使用人?」


 聞きなれない言葉に、亜蓮は復唱して聞き直す。使用人とは、メイドみたいなものだろうか。仮にメイドと言われても、イメージが素直にできない。


「そうよ。うちはかなりのお金持ちだからね。大淵グループって聞いたことは?」


 亜蓮は自分の記憶をさぐる。記憶力はいい方だ。トランプゲームの中でも、神経衰弱ならばつむぎに対して通算で勝ち越している。

すると、その端に大淵グループという文字があった。それを慌てて引き上げる。


「あるかな。具体的に何をしている会社かグループかは知らないけども」


 まあ、普段からお世話になっているような業種でもない限りはそんなものだろう。彼女もどうやらそのことは理解しているらしい。


「ま、そんなもんよね。簡潔にまとめると私は社長令嬢でこの子は使用人。でも、私はそんな風には思っていない。あくまで、すごいのはパパだしね。別に私も自慢する気はないからこの話は終わりにしましょ。で、あなたは玲奈のどこに惚れたの?」


 その直球で間違っている質問に、亜蓮は苦笑する。玲奈と呼ばれる少女は、表情を変えることはしない。


「は? 何がおかしいのよ。男性が女子に何かをごちそうするなんて、たいていの場合は下心があるはずよ。少なくとも、私の周りはそうだった」


 あながち間違ってはいないと思うけど、さすがにお礼という意味もある。

 そもそも、使用人とかそういう世界の人々がただの缶ジュースで気を惹かれるとは思えなかった。まあ、ドラマでしか見たことのない世界のことなんてわからない。そういう世界の人はこういう小さなジュースくらいの優しさに惚れるというような話を聞いたこともあるけれども、そもそもただ救ってもらったくらいで恋におちるようなやわい男じゃない。


「いや、本当に感謝の気持ちだよ。結果的には自分を助けることにつながるとは思うけれども、あの時に君がいなければ僕が先生に数分早くやられていたことは確かだ」


 もしもその数分がなければ、おそらくは勝てなかっただろう。

 あの時点では、先生に勝つ方法が思いつかなかった。


「ま、いいわ。ご馳走様。それに、玲奈は別に何かをしてもらってお礼なんてもとめていないわよ。この子は生まれてからずっとこういう風に育ってきているんだから」


「それはどういうこと?」


「うちと玲奈の家はずっと付き合いがあるのよ。それも、主人と使用人みたいな。でも、私は玲奈のことを友達だと思っているからそんなにたいそうなお願いはしていないけどね。だから、あの家は好きだけどパパやママが玲奈の両親に対して顎でつかうようなことを言うのはあまり好きじゃかった。だから、あんな景色を見てもけっこう、学校生活は楽しみよ。それこそ、教室は大騒ぎになっていたけど」


 当たり前だ。

 急に担任の教師が豹変して襲い掛かってきた。そこで命を落としたはずの生徒もホログラムの世界から出れば、平然としている。もはや、何が起こっているのかを理解できる人のほうが少ないだろう。


 だから、彼女のその姿勢はたとえ虚勢であったとしても心強かった。こういう所作が、社長令嬢だということを暗に伝えてくる。威風堂々としているというか。


「なるほど、それはすごくいい関係だね」


 亜蓮はここまでの会話から、玲奈さんはあくまで大淵さんの使用人であることを貫くつもりだという事が分かった。常に彼女を尊重し、三歩ほど後ろから支えているようだ。

 つまり、大淵さんを味方につけることが、朝霧さんを味方につけることにつながる。


 ここまで、彼女を戦力として欲するのは理由があった。

 彼女の戦いは、どこまでも美しかったのだ。

 先生に戦いを挑んだのは、他に足利さんと藤川。その二人と決定的に違う点は彼女に怯えの感情が存在しなかったことだ。いや、心のどこかにあったのかもしれない。けれども、彼女はそれを無視して、常に最善手をなる攻撃を放ち続けていた。だからこそ、先生も朝霧さんを落とすことができず、亜蓮に思考する時間を与えた。

 ここまで、理想的なソルジャーは亜蓮の出会った人の中で存在しない。


 きっと、現時点でクラスのジョーカーになれるのは、指揮を執った亜蓮でも、真っ先に危険へと足を踏み入れた藤川でも、とどめを刺した足利さんでも無くて、彼女だ。


「とりあえず、連絡先を教えてもらえると。これからも、お世話になるかもしれないし」


「なによ。やっぱり下心じゃない」


 確かに、その文句は強引だった。それだけ、亜蓮が彼女を欲しがった証明にもなるが。


「わかりました」


 二人と連絡先を交換し終えたその時、チャイムが鳴った。二人はすでに飲み終えていたジュースのペットボトルの缶を近く慌てて戻らなければ。亜蓮はあわてて立ち上がり、飲みかけのコーラを手に教室へ戻る。できるだけ揺らさないように気をつけていたが、教室に到着するころにはシュワシュワと音を立てて泡がペットボトルの中でうごめいていた。


 そう言って彼女は背の後ろで組んだ手からひらひらと右手だけを振る。

亜蓮は何もいわずに、席へと戻った。ひどく、あざとい。



「しかし、あんなことが起こるなんてな」


「そんなにのんきに言っている場合かよ」


 亜蓮は授業が終わってから部屋に戻って、四人で話していた。

 藤川は比較的、のんきに構えているがそれとは対照的に赤城が慌てている。青山はひたすら冷静をよそおうとしているが、顔色が優れていない。

 まあ、無理もないだろう。


 人の鮮血が飛び散って、頭がごろごろと転がる景色を見たのだ。亜蓮は自分を含めて、誰も嘔吐しなかったことが驚きだった。それほどに恐怖が勝ったのだろうか。


「まあまあ。落ち着けって、無事に全員でもどってこられたからいいじゃないか。ほら、食べようぜ」


 夕食は肉うどんと焼き鮭だった。和風な味わいが、疲れにしみこんで溶かしていくようだ。


「いや、美味しいけども。それでもあんまり味がしねえよ」


 赤城はもう泣きそうだ。そう言えば、スプラッタが苦手とは言っていたっけ。まあ、スプラッタ映画なんて生易しいものではなかったけど。

 亜蓮は、必死に彼をなだめる方法を考えた。亜蓮自身はもう諦めと言うか、どうしようもないことだとわかっているからこそ受け入れることができている。

もしもこの学園から逃げ出してもいいと言われようと、亜蓮にその選択肢はなかった。なぜなら、亜蓮は人探しに来ているのだから。


 だからこそ、冷静に状況を把握して考えることができた。

 そして、脳は一つのアイデアをはじき出す。


「そうだ、これを食べ終わったら裏山に能力を訓練しにいかないか?」


 赤城はなんでもいいから、安心できる材料を欲している。

 

「なるほどなあ、確かに能力が何かを知って入れば戦いも楽だし、安心もできる。それを訓練すれば赤城だって安心できるだろう」


 青山が切り株に座る亜蓮の隣でそう言った。ちょうど目の前では藤川と赤城が能力を使う練習をしている。


「藤川はなんの能力だっけ」


「俺は身体能力が五倍になる能力だ。まあ、体はめちゃくちゃ軽いな」


 そう言ってぴょんぴょんと跳ね回る。

 きっと、彼からすれば月面にいるような感覚なのだろう。六分の一しかない重力に縛られた宇宙飛行士よりもよっぽど軽快に見えたが、それは彼の笑顔や態度がそう見せているだけだ。身体能力が五倍になるというのは、どんな感覚だろう。ひどく、全能感がありそうだ。


「でも、俺の能力がでないぞ?」


 一方、赤城は能力を発動させることに苦労している。そもそも、この中で能力を発生させることができたのは藤川と青山だけだ。

 赤城も、それに亜蓮もまだ自分に与えられたギフトが何かを知らないでいる。きっと、その能力自体に発動条件があるはずなのだがそれすらもわからない。もしかすると、次の戦闘訓練を二人はギフトを知らないままに迎える可能性すらも存在していた。今日はなんとかなったけれども、先生が手加減をしていた可能性もある。


 最悪のケースは、団体戦では無い場合だ。そうすれば、二人には武器がない。


「さて、どうするかな」


 とりあえず、武器になりそうなものは注文しておいた。一昨日のうちにログインしておいた通販サイト。そこにはなぜか、国内ならば当たり前のように使用の禁止されている武器がずらりと並んでいる。アサルトライフル、日本刀、グレネードランチャーなどなど。


「まあ、手榴弾が使えそうだよな」


 きっと、亜蓮がいきなりアサルトライフルなんて握ったところで動かない的に当てることすら難しいだろう。そもそも、銃の反動なんて受けたくない。かといって、日本刀を振り回して戦う自身も無い。なら、手榴弾が適当だと思った。

 そもそも、亜蓮は前線に出て戦いたくはない。その理由にはもちろん恐怖もあるけれどもそれよりも今日の事で亜蓮はクラス内ではそれなりに優秀な指揮官という印象を与えることができた。今日の恐怖を犠牲に、明日の安全を手に入れたようなものだ。


 だからこそ、自身の能力ができれば藤川のようにまっとうな強さじゃない。搦手の様に使える能力であればいいとは思っている。


「まあ、お前の指示は的確だったよ。今度は、俺もしっかり戦う」


 赤城の声には、目には確かな覚悟がにじんでいた。亜蓮は、もちろん彼のぶんも考えて手榴弾を多めに注文している。能力としては、野球部だった彼が投げた方が命中率は高いだろうし、常に最悪の場合まで考慮するのが亜蓮の良い癖で、悪い癖だ。


「よし、少し休憩をしよう。ほら、飲み物」


 亜蓮は、青山のスポーツバッグに入れてきたスポーツドリンクを取りだして、汗だくの藤川と赤城に手渡した。二人とも、美味しそうに喉へと流し込む。どくんどくんと、喉のふくらみが大きくうごめく。それ単体が生き物であるかのように。


「しかし、山下は焦る感じがないな」


 赤城は、羨ましそうにこちらを見ている。まあ、同じく能力が判明していないわりにはその捉え方が対照的だ。赤城は少しでも早く、自分の手に入れたギフトを理解して、次こそは活躍しようと燃えている。一方の亜蓮は、能力がわからなくても別にいいと思っている。


「まあ、前みたいに指示を出している方が、よっぽど楽だ」


 ふと隣を見ると、亜蓮の指示に疑いもなく先生へととびかかってくれた藤川がいた。その背中は、ギフトを手に入れたこともあってより頼もしく見える。

 そして、もう一人はサポート役に徹した青山。この二人は、なかなか急造にしては連携が取れていた。だからこそ、藤川を前面に出して、青山が敵の動きを妨害する。それと同時に、もう一手を繰り出せるような能力を赤城が、そしてすべての案が失敗しても、それを挽回し勝利へと導けるような能力が亜蓮に与えられたギフトであれば、いいけれども。


 さすがにそれは望みすぎだろうか。


「さ、すぐに再開しよう。俺は、指示なんて柄じゃないからな」


 そう言って、赤城はすぐに立ち上がる。もう、疲れてシャツの首周りにはしっかりと円が描かれている。それでも、赤城はやめようとしない。暑さなんて、野球部員からすれば屁でもないのだろうか。イメージとしては、良く似合う。

その時、突然、茂みの方から音がした。

 全員がそちらに目を向ける。


「なんだ?」


 真っ先に反応した藤川が、盾になるように前に立った。

 彼の視線、その先には大きな熊がいた。、しかも、それはただの熊ではない。あきらかに大きな種類だ。動物園にいるものとはわけが違う。獰猛な目つきと、鋭い牙。


「お前ら逃げろ!」 


 藤川のその背中は大きく、強い。だが、震えも見える。ここは、命の保証がない。そのことを今の今まで忘れていたのだ。その事実が、体に大きく制限をかける。


「くそ!」


 足が動かない。藤川はそんなところまで理解しているのか、敵をうまく引き付けてから攻撃を仕掛けた。


「おらぁ!」


 藤川は足を折りたたんでばねのようにすると、思い切り飛び上がった。そのまま、飛び上がって思い切りクマの側頭部をめがけて蹴りを繰り出す。


「は?」


 しかし、クマはそれを見事に避けた。まるで、人のようにきれいに無駄のなく避けるものだから藤川はそれに意識を奪われてしまい着地を失敗する。浮いた体が無防備な状態で空中にさらされているのが、最も危険だ。

 藤川は体を強引に捻って、体の右側から地面に落ちた。そのままごろごろと転がって、クマから距離を取る。先生と戦った時には、猪突猛進に突っ込んでいくだけだったが、藤川はこの短い間で少しずつ戦い方を学んでいる。

 それでも、このクマは一人でやるのは危ない。


「藤川!」


 亜蓮は藤川を救援に向かおうとするがそれを阻むようにクマが立ちふさがる。もう、この時点でこのクマがただものじゃないことはわかっていた。こちらの視線から、進行方向を察知してそこを防ぎにくるなど、もう思い当たるのは一つしかない。ギフトだ。だとしても、どうしてギフトで襲い掛かってくるんだ?


 わからないことだらけだ。だけど、自分たちではどうにもならないことはわかる。

亜蓮には、勝ち筋が見いだせないでいた。青山の能力を駆使して、ちょうど藤川と互角くらいだろうか。だとしても、それならば特訓で疲れの蓄積していた藤川が不利だ。

 そして、ここでは何の保証もない。無理はさせられない。このことが、大きくのしかかっていた。もしも、死が目前にある状態ならば、亜蓮はあの時に藤川を先生に突っ込ませるようなことはしなかった。できた指示は、「逃げろ」というくらいだ。

 そして、クマはにやりと笑う。こちらの番だとでも宣言したいかのように。そして、思い切り爪を振り下ろした。もうだめだ、そう思った時だった。


「うぉぉぉぉぉ!」


 赤城が叫んだ。

 その瞬間、ホログラムの壁があたりに現れる。クマはそれにどんどんと隠れていく。壁はまるでクマを囲むようにどんどんと現れていく。ちょうど、先生がスイッチを起動したかのように。


「な、なんだ、これ」


 藤川はどうやら無事だったようで、立ち上がってなんとかこちらへと歩いてくる。

それにクマが襲い掛かろうとするが、壁がそれを阻む。もう、壁はクマの体を半分以上も覆っている。とりあえず、安全が生まれた。


「あ、赤城?」


 赤城はもう理性を失っているようで、どんどん壁が現れてくる。

 状況から察するに、赤城がギフトを覚醒させたのは間違いないだろう。そしてその壁は完璧にクマを覆い、敵の姿は見えなくなった。赤城のギフトは、壁を作る能力なのか?

 クマが壁に向かって攻撃をしている音だけが響く。爪ががりがりと響く音が不快だった。


「赤城? 大丈夫だ。もう、クマはお前の能力でなんとかなったぞ」


 そう言って赤城の体を揺さぶると、赤城はなんとか冷静を取り戻したようだった。

 そこから、少しすると壁の中からも音がしなくなった。どうやら、諦めたのだろうか。


「赤城、能力を解除してみてくれ」


「ああ、いいぞ。なぜかわからないけど、体をどう動かせばギフトが発動するのかというのが、すべて手に取るようにわかる。みんな、こういう感覚だったのか」


 それは、パソコンが電源を落とされている間に本体の更新が終わっていたのを、パソコン視点から感じたようなものだろうか。あれも、知らない間に機能が追加されている。赤城は、警戒しながらも壁をゆっくりと消していった。もしも、とびかかってきたら面倒だから藤川が前でその背中から三人は様子を窺う。しかし、なかなか姿は現れない。


「なんだよ、これ。おもちゃじゃねえか」


 最後の、ホログラムの一ブロックが虚空へと消えた。そこにあったのは、一体の人形だった。


「たしか、テディベアだったか」


 イギリスとかフランスとか、なんだかお洒落なヨーロッパで作られたようなクマの人形。亜蓮はもちろん、他の三人もぬいぐるみや人形に対する知識はほとんど皆無と言ってもいい。お世話になったのは、三歳くらいまでだろうか。

 しかし、その答えは意外なものだった。その答えは、亜蓮達の背後からやってきた。


「ごめんね。思ったよりも怖がらせちゃったみたい」


あんまり申し訳なさそうに、ドッキリ特番をみているはしゃぎようで話す大淵さん。


「申し訳ありません。すべての責任は私にあります」


 そう言いながら頭を下げる、朝霧さん。さらに、後ろには見覚えのない二人の女子がいた。


「どうして、こんなところに?」


 とりあえずの顔見知りである亜蓮が、話を切り出す。それと同時に、自分の記憶に対して朝霧さん達の背後にいる二人の顔に覚えがないかと問いかける。それと同時に、左脳には思考を命じる。

 先に答えを出したのは、左脳だった。


「朝霧さんと大淵さん。それに、ルームメイトなのかな」


 この学校において、四人一組で最も想像に容易いのが、ルームメイトだった。それも、亜蓮が寮長に頼んで名簿を見せてもらったときに知ったことだ。彼はやはり、個人情報とかプライバシーとかにも興味が無かったようで、好きに持ち出してもいいよとまで言われたのだ。


 どうやら、その推測は当たっているらしい。


「そうよ。こっちの怖そうなのが柳生汐里。こっちの優しそうなのが藤原織姫」


「どうも」


「よろしくね」


 二人とも、大淵さんの紹介通りの声で、態度で、雰囲気でこちらに対して挨拶をしてくる。ただ、敵意がないことはわかる。特に柳生さんは、背が高くて目が鋭いから怖く見えがちだが、声は届いた音よりも優しく聞こえた。


「よろしく。それで、どうしてこんなところに?」


「理由はあなたたちと同じく、能力の練習。でも、やりすぎたみたいね」


 そう言って大淵さんが力を手に込めると、床に倒れていたテディベアがぴょこんと立ち上がった。体のバランスがもともと、立つことを想定されていたためにぐらぐらとしているが、それでもしっかりと歩いて大淵さんの肩に飛び乗った。


「どういうことだ?」


 赤城が怒気の混じった声で怯えながら問いかける。それは当然だろう。さっきまで、能力を無意識に戦いながら介抱するほどに怯えていたのだから。

 しかし、大淵さんはどうやら人の顔から感情を読み取ることが苦手らしい。


「これ? さっき戦ったばかりじゃない。それより、能力の開放ができてよかったね」


「どういうことか聞いてるんだよ!」


 赤城が恐怖からか、強く叫ぶ。しかし、もともとの赤城はそんなことができるような人物じゃない。すぐに少し申し訳なさそうにしていた。


「私が説明します」


 そう言って現れたのは、朝霧さんだった。彼女はやはり無表情だった。右手をぴんと伸ばして、大淵さんの前に立つ。


「鈴蘭様の能力は、傀儡化(タイプA)です。こういったぬいぐるみなどに意識を与えて使役できるというように言えばわかりやすいでしょうか。皆さんが能力の発動に困っていらしたので、少し困難な状況に陥れば能力の開放も進むかというお嬢様なりの配慮です」


「でも、怖がらせすぎたならごめんなさい。まさか、私もあんなに怖いデザインにするつもりはなかったんだけど」


 彼女の手にもつぬいぐるみは当たり前のようにデフォルメされており。爪は生えておらず目はまん丸だ。まさか、本物のクマになるとは思いもしないだろう。


「ま、まあそこまで言うなら」


 赤城も、一気に怒る気持ちが失せていた。いや、二人が可愛いからと言っても、あそこまで怯えていたのを、一言の説明で許せるなんてこいつも大物だ。


「それで、能力の詳細は?」


「詳細? いや、右手に力をこめて対象をイメージすれば壁が生まれたんだけど」


 大淵さんは、赤城のその説明を聞いて不思議そうにしている。いったい、この人は何を話しているんだろうとでも言いたげだ。


「もしかして、デバイスを確認していないんじゃないか」


 すると、大淵さんの右後ろにいた柳生さんが、一つの推論を取り出した。


「デバイス?」


 亜蓮が持っているもののなかで、デバイスと呼ばれるものはそんなに多くない。右手は自然と尻ポットに入っている携帯電話に伸びた。


「ウィジェットに、見覚えのないものが追加されていない?」


 そう言われて四人ともが確認すると、そこには確かに謎のアイコンが存在した。さっそく、タップしてみると、『能力未開放』と表示された。

 しかし、藤川たちは違うらしい。


「すげえ。今の俺たちはDランクなのか」


 亜蓮は藤川の画面をのぞき込むと、そこには確かに先生の説明したとおりの能力に関する詳細が記載されていた。

 藤川の能力は、【身体能力向上(タイプB) ランクD】と書かれている。

 詳細の欄には、


【このギフトを手にしたものは、そのランクに応じて定められた数字を使用者本来の持つ運動能力に乗算した身体能力を得る。ただし、ギフトを手にして以降に向上した身体能力は計算に含まない。それに加えて、自らのスピードに耐えうるだけの強靭さも計算されて、自動的に付与されている】


 まあ、長ったらしいけれどもわかりやすくまとめれば、身体能力がランクに応じてどんどん上がっていく。だけれども、ギフトを手にした現段階から藤川がどれだけ筋力をつけたり、足が速くなったりしても、それはギフトの使用時には計算されない。


「ちなみに、そっちの部屋にいる人たちはみんな能力が判明しているのか?」


「ええ、こちらの部屋は全員が能力を確認しました。聞きますか?」


「ああ、興味はある」


 朝霧さんは視線で他のメンバーに答えを促した。三人とも、別に隠すほどのことでも無いと思っているらしい。逡巡する様子もなく、首を縦に振った。


「教えてもいいと言われたので、こんな感じになっています」


 そう言いながら、朝霧さんはこちらへとデバイスの画面を見せてきた。

 そこには、箇条書きで名前と能力とその概要が並べられていた。


・大淵鈴蘭【傀儡化(タイプA)】 概要:人型の物に意識を与えて使役することができる


・朝霧玲奈【薬物調合】 概要:体内で任意の効能を持つ薬物を生成し、その効能を得ることができる


・柳生汐里【反射】 概要:主にダメージや衝撃など体感的なものを反射して、直線的に跳ね返す


・藤原織姫【交換(タイプC)】 概要:任意の物を、それと同程度の質量をもつものと交換できる


「へぇ、これはわかりやすい。しかし、全員が優秀な能力を持っているな」


 赤城がそう言った。彼の能力は、【テレポート(タイプA)】

 彼がどこまで本気でこれを言ったのかはわからないけれども、確かに優秀だ。四人のチームにおいては、バランスが理想的である。


 まずは優秀な戦闘員である朝霧さんと、大淵さんの操る人形。

 守りは、柳生さんの能力はほとんどチートのようなものだ。

 サポートとして藤原さんの能力にどれほどの制約がかかるのかはわからないけれども、とにかくはこのチームを敵に回したくはない。亜蓮はより一層、大淵さんを囲いこむ重要性を認識することができた。


「藤川君だっけ。褒めても何もでないわよ」


 そう言って大淵さんは、ぬいぐるみを点へと放り投げる。

 そして、刹那。大淵さんの目から稲妻のようなものが走ったかと思うと、ぬいぐるみがひらりと空中で宙返りを披露して大淵さんの肩に乗る。そして、その人形はまるで貴族のように右手を胸において頭を下げた。


 おそらく、これが傀儡化の能力だろう。ただのぬいぐるみの動きとは思えない。それに、能力を発動しているときの雰囲気が明らかに違っていた。


「どうも。僕の名前はティギー、よろしくね」


 亜蓮たちは、ぽかんとしていた。

 すると、大淵さんが能力の使用をやめたらしくティギーはまるで意識を失ったかのように大淵さんの肩から落ちていった。それを朝霧さんが間一髪のところでキャッチする。


「ほんとは、もっといっぱいのぬいぐるみを操ってにぎやかにしたいんだけどね」


「ランクの上昇か」


 もちろん、どんなギフトをもらうかも重要だけれども、ランクは能力の相性とかバランスを大きく崩せるほどだ。さっき、藤川のデバイスを見た時には次のランクでは現在の倍、つまりは藤川の身体能力を十倍ほど向上させるらしい。イメージがはっきりとできるわけじゃないが、きっとそうなれば目で終えない。


―――それこそ、どんな能力でも最後までランクを上げれば、人ではいられないだろう


 ここ百年で、科学は大きく発展した。

 誰が世界の裏側にいる人とリアルタイムで話ができると想像したか。

 誰が、ボタンを押すだけで料理が完成すると想像したか。

 誰が、一発で世界を滅ぼせるだけの爆弾が開発されると想像したか。


―――それでも、科学の発展はとどまるところを知らない。すでに才能まで浸食した。


 いずれ、もしも神様がいるならば裁きを受けてもおかしくない。

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