第8話 決戦

 一

 

 扉の先は、父子の日記に書かれてあった通りのものがあった。

 本来なら、思いで出来た建物以外は壁は無い筈。

 だが、そこは、建物ではないのに、壁がしっかりある。黒に近い灰色の壁が。

 更に大きな違いは、ここには色があるのだ。

 三人が立っている扉から奥に向かって、赤い毛氈が敷いてある。

 まるで血のような赤い色の。

 その奥には、玉座が見えた。その玉座には、威厳に満ちた顔と佇まいで扉を見つめていたを見つけた。

 その姿は、まさに『皇帝エンペラー』そのものだった。

 その男の座る金縁の玉座の上に、日記に書かれていた通り、タロットカードが円形に飾られている。

 そこには、確かに三枚分のカードがぽっかりと空いている。

 三人はゆっくりとその男に近付いて行った。

 旅人が王に謁見するような距離まで近付くと、その男の姿が鮮明になっていった。

 男の顔は、目元以外は英雄と似ていた。その目は少し吊り目だ。

 その表情は、威厳と邪悪に満ち満ちている。

 男は、玉座よりも黒味のある赤いマントローブを羽織っている。

 彼こそ、グリム・エンペラー――東条帝治に間違いない。

 その隣には、形がはっきりした英雄と、四十代くらいの淑やかそうな女性が目を閉じて無表情で立っている。

 どうやら帝治の妻、優季恵だろう。

 その隣には、陽美とはまた違う快活そうな女性が立っている。

 だが、今のその顔は、快活とは到底思えないくらい、沈んでいる。

「蘭!?」

 陽美は叫んだ。

 蘭と呼ばれた若い女性は、それに気づき、顔を上げる。

「陽美……」

 と弱々しい声で親友の名を呼ぶ。

「よくここまで来られたな」

 あの時と同じ、錆びたコントラバスのような声でゆっくりとした拍手を送る。

「漸く会えたな。皇昌教君」

 あの時は声だけだったので、顔を見るのは、初めてになる。

「……貴方が、グリム・エンペラー。いや、東条帝治さんですね」

「ほう。正体も既に把握済みか」

 と不敵な笑みを浮かべる。

「瑠奈を連れて来てくれるとは、なかなか気が利く紳士だな」

 と瑠奈を嘲るように見る。

 瑠奈の体は、武者震いのように震えている。

「そして、そこのお嬢さんは初めましてだな」

 と陽美に向けて言う。

 陽美は、目をキッと吊り上げただけで答えなかった。

「昌教君。ここまで来られた褒美だ。君の探している奴に会わせてやろう」

 そう言うと、帝治はパチン、と指を鳴らす。

 すると、玉座から見て右側に、黒い鉄格子の牢屋がポワンと煙に包まれて現れる。

 中には、三人が知っている蝋人形の犠牲者が、捕らわれていた。

 隼人がそれに気づき、

「昌教!」

 と部屋中に響くような声で親友の名を呼ぶ。

 だが、昌教は一瞥しただけで、また帝治を見る。

「後三十分すれば、ここにいる者全てが、黄泉の亡者となる」

「え!? おかしいわ。計算が合ってないわよ。十日でなる筈じゃあ」

「フフフ、あれは、君たちがここまで来られるかを試す目安に過ぎない。私がその気になれば、いつでも亡者化させることが出来る」

 と煽るように言う。

 それを聞いた牢屋の中の一同は、皆青ざめる。

「マジかよ。助けてくれ。昌教!」

 代表して隼人が昌教に叫ぶ。

 だが、昌教はもう視線すら牢に向けず、帝治に向いたままだ。

 昌教は少し悲しげな眼を向け、

「帝治さん……。もうこれ以上の悲劇は止めて下さい。アイツも英雄のことを悔いていました」

「……悪いが、奴の言葉や気持ちなど信用できぬ。野々宮家の者には、これから先、無限地獄を味わわせてやるためにな」

 昌教は目を吊り上げて黙る。やはりそれでは引かない、と思ったのだろう。

「それじゃあこれは? 貴方の息子さん――英雄の日記よ。彼も、もうこれ以上止めてほしいって思ってるのよ」

 陽美が持って来た英雄の日記を見せる。

 英雄はキッとなり、帝治に向かって頷く。

「……!」

 僅かに帝治の顔が変わる。

 だが、それも一瞬だった。

「悪いが、それは出来ぬな。全ての者に罰を与えるまではな」

 陽美は日記を持っていた両手を下ろす。

「……駄目ね。もう」

「ああ。今の彼には、説得の言葉は届かないな」

 悟った顔をする二人。

「私のただ一つの誤算は、英雄が秘かに君達に助言を与えていた事だ」

 帝治は、傍にいる英雄を、説教するような顔で見る。

 英雄は、父から目を逸らす。

「英雄は悪くない。私達は、もうこれ以上の悲劇を生まないために」

「決着をつけに来たのよ。そして、瑠奈を守るためにもね」

 と昌教と陽美は、同時に星の短剣を抜く。

「フフフ。良いだろう。ならば、君達を始末して、その後は私の側近に加えてやろう」

 帝治は、優季恵に持たせていた金色の鞘の長剣を手に取り、鞘から抜く。

 帝治は、まず昌教に刃を向ける。

「!」

 昌教は咄嗟に刃で防ぎ、難を逃れる。

「やるな」

 今度は横斬りをして、陽美ごと斬りかかる。

「キャ!」

 陽美も目をつぶりながらも、刃で何とか防ぐ。

「二人とも、頑張って下さい。私はこれからあることに移ります。申し訳ないのですが、お二人のシオリとペンダントを借りることは出来ますか?」

 瑠奈が必死に二人に呼びかける。

 昌教と陽美は、何とか攻撃を防ぎながらも、

「分かった」

「うん」

 と片手でなんとかそのシオリとペンダントを、瑠奈に渡す。

「有難うございます」

 瑠奈は自分の体を光らせる。

 帝治は、それを見るや否や、

「させぬ」

 と瑠奈に斬りかかろうとする。

「止めろ!」

 昌教が前に出て、瑠奈を守る。

「ナイト気取りか。無駄な足掻きを」

 帝治が、剣を振り回し、昌教を薙ぎ払う。

「うわ!」

 昌教の左腕が斬られ、血が帝治の体や毛氈にかかる。

「くぅ……」

「昌教君!」

 陽美が駆け寄る。

 昌教の左腕からは、ぱたぱたと鮮血が滴る。

 帝治はマントローブに血が付いたことで、少し顔をしかめるが、すぐに元の顔に戻る。

「今度は心臓を狙ってやろう」

「させないわ!」

 陽美が昌教の前に出る。

 帝治は、それを見てほくそ笑む。

「ほう。やる気か? 面白い。ならばまずは君からにするか」

 帝治は、陽美目がけて刃先を突き刺そうとした。

 陽美はぎゅっと目を瞑る。その時、

 ガキン!

 と刃を防ぐ音がした。

 陽美が目を開くと、目の前に背中があった。

 それは、父の攻撃を剣で防いだ息子、英雄の姿だった。

「な、英雄。何故止める!?」

 初めて帝治が慌てる。

「父さん。もうこれ以上罪の無い人を巻き込み、ましてや命を失わせるのは止めて下さい!」

「英雄……」

 少し剣を持つ手が弱まる。

「父さん。もう止めましょう。私は弱い人間でした。元はと言えば、父さんたちに相談できなかった私の意志の弱さもあるのです。私は父さんと再会出来ただけでも幸せでした。確かに復讐を果たせた時に、既に満足していました。少し懲らしめるだけで十分でした。その後は、母さんと蘭と共に天で暮らせばそれで良かった。だから……」

 英雄は少し涙交じりの声で父を説く。

「英雄……お前……」

 その後ろで、陽美が、なんとか昌教の左腕を包帯で傷口を縛っていた。

「有難う陽美」

 それと同時に、瑠奈の中にある光が、部屋中を包み込んだ。

「昌教さん。陽美さん。護って下さって有難うございます。これを」

 瑠奈が出したのは、例の光輝く三枚のタロットカード、『教皇ハイエロファント』、『太陽サン』、『ムーン』のカードだ。

「!! 何!」

 帝治が驚く。

 まさか、欠けていた三枚を持っていた者が、この三人だったとは予想外だったのだ。

 いや、正確に言うと、瑠奈は分かっていたが、二人に関しては寝耳に水だ。

「さあ、この世界を護りしカードよ。我らに力を与えたもう!」

 すると、背後のカードたちがその三枚に呼応するかのように、クルクルと回転しだし、欠けていた三枚も集い、昌教と陽美の元へやって来る。

「このタロットカードは、元はこの黄泉の世界を守る為にあるものです。結界の意味もありますが、元来よこしまなる者を消滅させるものです。この世界の守護者として、この世界を護ります!」

 瑠奈の体が青紫色に強く光ると、タロットカードが白く清浄しょうじょうなる光を放ち、帝治の体を日光のように浴びせた。

「! ぐわあああ!」

 帝治は、剣を落とし、両手で上腕を掴みながら、苦悶の表情になる。

 燃えるような暑さを覚えている。

「父さん!」

「あなた!」

「ハア、ハア……」

 帝治は膝をつき、荒い息を立てる。

 昌教が前に乗り出して、短剣を胸に突き刺そうとする。

 だが、

「……」



 昌教の手が、胸に届く寸前で止めた。

「――」

 陽美は察した。

 昌教は体は帝治のままだが、首は牢屋に向けた。

 牢にいる人たちは、「早くとどめを」と促すが、

「いい加減にしろ!」

 と昌教が珍しく叫ぶ。

 牢にいる人たちは、ぎょっとする。

「元はと言えば、お前たちが英雄を虐げたことが原因だろう! 英雄を虐げたのも、どうせ下らない理由からだろう。人一人自殺に追いやってのうのうと人生を送っているなど。ふざけるな! 最初は私はお前たちを助けようと必死だった。だが、英雄の過去を知る度に、段々お前たちの自業自得だと分かった。お前たちのような奴らがいるから、このような犠牲が生まれ、帝治さんにこのような暴挙を起こさせたんだ。それが分からないのか!!」

 普段は冷静沈着で、慌てたり荒げた姿を見た事が無い。それが皇昌教だ。だが、今度ばかりは、自分の思いを思いきり吐き出した。

 その目からは、いつのまにか涙が流れている。だが、涙の奥には怒りが満ちている。

 牢の人たちは、昌教の言葉と目にがくりと首を項垂れる。

 そして、牢の中で一斉に土下座した。

 陽美は、本来の姿を身内以外では一番分かっている婚約者の姿に、最初は少し驚いたが、昌教が言い切ると、昌教の背後から肩に手を添えた。

 陽美の目も、昌教と同じ目をしている。彼女も同じ気持ちなのだ。

 ひとしきり伝えると、再び帝治の方へ首を向ける。

「帝治さん。貴方の気持ちはとても伝わりました。でも、貴方の場合は、少し度が過ぎています」

 と柔らかいが、きっとした声で言う。

 すぐに柔らかい笑みを浮かべ、

「……英雄も私も陽美も瑠奈も――皆からのお願いです。元の貴方――東条帝治に戻ってください。それが……私達の望みです」

 とカウンセラーのように言った。

 その言葉で、帝治の顔が、生前の厳しくも優し気な顔つきに戻っていく。

 それを見た優季恵と蘭が、安堵のあまり泣き崩れる。

「……すまなかった、昌教君。私は復讐に駆られるあまり、大切な人たちの存在を見失っていたようだ。……これでは、父親失格だな」

「いいえ。そんなことは無い!」

「あなた!」

 帝治の愛する妻子が、彼の傍へ寄る。

 蘭は、陽美の傍へ寄っていった。陽美と蘭は、手を繋いでその様子を見守っている。

「あなた……。私は貴方の妻で……幸せでした」

 優季恵は、大粒の涙を浮かべながら、穏やかな声で夫に感謝を述べる。

 英雄も涙を浮かべ、

「父さん。私は……貴方の息子になれたことを後悔したことは、一度もありません。父さんは、いつも私を気にかけてくれた。私の名は、『正義ジャスティス』を元にした名前をつけた、と言ってくれて、それを知った時、とても誇りに思いました。なのに、こんな形で生涯を終えてしまった。むしろ親不孝な事をした。それが一番の後悔です」

 と悔いた顔をする。

「優季恵、英雄……」

 帝治は、二人を抱きしめ、

「本当にすまなかった。……行こうか」

 優季恵は、涙で目を潤ませながら、頷く。

「有難う。昌教君、陽美さん。そして、すまなかった瑠奈。では……」

「有難うございました。貴方達のことは、決して忘れません」

 夫婦は霞のようにふっと溶けて消えていった。

 両親を見届けた英雄は、昌教たちの方を振り返る。

 その顔は、もう十三年間の陰りがすっかり消えている。

 昌教は、ポケットから例の物を取り出した。

 それは、少しくしゃくしゃになってしまった白いバラの造花だった。

『!』

 英雄と蘭は驚いた。

「それ……」

「……」

 昌教は少し照れ臭そうにする。

「貴方の大切な物、だろう?」

 英雄は顔を赤くして頷いて、昌教から受け取る。

「……私達からの手向けだ。これは貴方には必要な物の筈だから……」

「……ああ。有難う」

 英雄は白いバラの造花を胸の前で優しく握りしめ、

「……もっと、早くに貴方と出会いたかった。昌教……」

「……そうだな」

「私は、貴方には感謝しているのだ」

「?」

「実は夢に……貴方が出て来たのだ。『皇帝エンペラー』のカードから現れてな」

「へえ」

「そこで貴方は私にこう言った。「貴方は今、幸せか」と」

「ほう」

「そのお陰で、私はここにいる婚約者との気持ちを改めて分かり合うことが出来た。有難う」

「そうか……」

 英雄は直接ではないにしろ、役に立てて満更でもなさそうだ。

「今度は私が問いたい。貴方は今、幸せか?」

「……。ああ。幸せだとも」

 昌教と英雄はがっちり握手した。

(ふふふ。こう見るとまるで双子ね)

 陽美が心の中で笑う。

「それでは」

「ああ」

 去ろうとすると、

「あ、そうだ。『黄泉の秘薬』は、嗅がせると、皆元の姿に戻る事が出来る」

「分かった」

「蘭はどうするの?」

 陽美が蘭の方に向いて言う。

「……陽美。ゴメンね。私――彼について行くことにするわ。陽美と別れるのは少し寂しいけど。今まで有難うね」

「そっか……。でも、最後にお別れのあいさつが出来て良かったわ」

「私もよ」

 陽美と蘭も、あっさりとだが、がっちりと握手をする。

「それじゃあ、蘭」

「ええ」

 英雄と蘭はがっちりと接着剤を塗ったように手を繋ぎ、

「さようなら。最期に会えて本当に良かった」

 英雄と蘭は、両親の後を追い、霧のように溶けていき、光の粒となって天へ昇っていく。

 三人はその姿を完全に消えるまで見送っていった。


「行ってしまったな……」

 昌教が名残惜しそうに呟く。

「ええ……」

 昌教は無表情になりながら、牢へ近付く。

『黄泉の秘薬』を嗅がせようとすると、

「本当にゴメン。昌教、英雄……」

 と隼人が涙でいつもの綿菓子のような顔が、しなしなになる。

「……」

 昌教は何も言わず、牢にいる人々に秘薬を嗅がせた。

 すると、さっきまでそこにいた人々が消えていく。

 最後に隼人も。

「……これで、目的は果たしたな」

「そうね」

 すると、さっきまで色が載っていた背景が、ぼろぼろと瓦礫のように崩れていく。

「! な、何だ!?」

「わわ、揺れるわ!」

「ここを支えていた帝治さんがいなくなったので、この空間が消え始めています。急いでここを出ましょう」

「ああ」

「うん」

 三人は、入って行った扉と同じ扉をくぐって、黄泉の世界を後にした。



「瑠奈。本当にお世話になったな」

「ホントよね。瑠奈がいなかったら、迷宮入りになってたと思うもん」

「いいえ。お礼を申し上げるのはこちらです。私一人ではどうしようも出来なかったのですから」

 人間の姿になった瑠奈が、深々と頭を下げる。

 三人は、黄泉の世界の扉の前にいる。

 窓から見える空は、もう、とうに黒が八割ほど藍色の上にかぶさっている。

「二人とはここでお別れになりますね」

 寂しそうな瑠奈の台詞に、二人は分かってはいるが、途端に寂しそうな顔になる。

「そう、だな。君は扉の向こうの世界を護る者なのだから」

「……あたし、妹いないからさ、何だか妹が出来たみたいで、楽しかったわ」

「私も陽美さんと一時ひとときでも過ごせたあの時間は、とても楽しかったです。そうだ。これを」

 瑠奈は、ワンピースのポケットからシオリとペンダントを取り出した。

「あ」

「貴方達の大切な物でしょう?」

「そうね。有難う」

 二人は名残惜しそうに受け取った。

 瑠奈は口元だけ笑みを浮かべ、真剣な眼差しで、

「では、さようなら。二人とも。お元気で」

「ああ。さようなら」

「うん。元気でね」

 瑠奈は黄金の扉の取っ手を握り、扉へ入った。

 瑠奈が入ったと同時に、黄金の黄泉の世界の扉は消え去り、そこは、本来の姿のトイレへと戻った。

「行ってしまったな……」

 昌教の涙からは、僅かに涙が浮かんでいる。

「ええ……」

 陽美もだった。

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