第7話 真実
一
「随分朱色の濃い黄昏だな」
図書館跡へ向かう道中、昌教は空を見て、ふと呟いた。
と同時に自嘲するような笑みを浮かべた。
「あの日の空もこんな感じだったな。……そう。アイツと最後にコンタクトを取ったあの日に」
逢魔が時――
あの世とこの世が最も近くなる
あの時は、眩しいなとしか思っていなかったが、今となっては、まるで魔界に足を踏み入れているかのように感じる。
昌教はネイビーの開襟シャツの左胸をぎゅっと握り、また歩を進めた。
図書館跡まで行くと、昌教と同じような真剣な顔をした陽美と瑠奈が既に待っていた。
「お待たせ」
「あ、昌教君」
「お待ちしていました」
陽美は左手をあげ、瑠奈は会釈する。
陽美は、最初に来た時と同じ、暗いグレーのパンツスーツだ。勿論仕事帰りなので、少し疲れ気味の顔ではある。
「では……行くか」
「うん」
「はい」
三人は図書館跡へ入り、そこの中にある黄金の扉を瑠奈の手によって開けられた。
これが最後、と決意を固めて。
二
最後に着いた所は、ごく普通の二階建ての一軒家だ。
どうして二階建てと分かったのかは、扉からまっすぐ先に階段があるからだ。
まあ、二階建てかどうかまでは、上がるまでは分からないが、一般的な家は、二階建てが多いからそう思っただけだ。
床はフローリング。壁は真っ白で、今三人がいる玄関口も、標準な広さだ。
「ここは……」
「誰の家……かしら?」
「……アイツの家……では無いな」
昌教はそれは確信したようだ。
アイツ――つまり隼人の家では無い事が。
高校時代や大学時代に、時々誘われてお邪魔したことがあったから。
「アイツの玄関口や、廊下は……ここの倍くらい広かったから……」
「……成程。分かる気がするわ」
陽美は、誰の事なのか、その人物の家のことに関して察した。
「では、誰の家でしょうか?」
「蘭の家も――違うわね」
と陽美は首を横に振る。
「もしかして、なんですけど」
「……東条家、なのか……」
昌教の言葉に、陽美も「私もそう思う」と呟いた。
二人は、流石に異世界だから、と土足で廊下へ上がって行った。
すると、
「うぅぅぅ……」
と呻くようなすすり泣くような声が、上から聴こえてくる。
『?』
昌教と陽美が上の方にランタンを向け、ギシ、ギシ、と階段を上がって行く。
やはりこの家は二階建てのようだ。ここから上は無い。
声は、階段から上がって、一番右奥から聴こえてくる。
三人は強行突破する形で部屋に入ると、そこには、紫苑中学校で見たあの黒い影が、勉強机に向かってすすり泣いていた。
今はその姿は、はっきりと形作っていて、それは、左目の横にホクロがある以外は、昌教そっくりだった。
『――!』
三人が絶句する。
それでも、
「あの……」
と最初に硬直が解けた陽美が声をかける。
すると、黒い影はこちらに気付き、ハッと驚いて、涙を強引に拭い、再び霧のように消えてしまった。
「あ、待って」
もう行ってしまった。
三人は黒い影が見ていたところを見てみると、そこには、紫苑中学校で見たノートよりも少し白みが多いノートが置いてある。
「……」
昌教は、そのノートを手に取って、最初のページを開いた。
三
日記にはこう書かれてあった。
今回は、日記の主の意向に添えて、敢えて綴ってある内容に添って書こうと思う。
ここへ来て何年が経っただろうか。
もう十年が経った以降からは、年月を数えることを止めてしまった。
この世界は、とても穏やかだ。
静かで、色も無い。いや、正確に言えば白と黒と灰色しかないが。
それでも、この世界は居心地が良かった。
亡くなる前までのあの辛さが嘘みたいに。
あの時は、本当に辛かった。
学校へ行く事が、あまりにも苦痛だった。
同級生からの突然の存在の否定からの嫌がらせ。
部活でも、あの二人の先輩からの後輩いじめ。
担任にも相談しても、「気の所為だろう」とまともに取り合ってもらえない。
同級生たちも見てみぬふり。
毎日毎日が辛かった。
父さん、母さんには言えなかった。
言えば、二人にまで辛い思いをさせてしまう。それに、どう反応されるか怖かった。同じような反応をされるのではないか、という恐れがあって言えずにいた。
今思えば、言えば良かった、と後悔はあった。
日に日に私の足は重くなっていった。同じ所を歩き続けている砂漠のように。灼熱の日差しを浴び続ける辛さの中で、私は生きていた。
ただ、その砂漠を歩いている時も、一時だけオアシスを見つけ、休めることが出来た時があった。
それは、蘭と会っている時だ。
親の都合で、同じ県だけど違う中学に通う事になってしまっていたが、時々会える蘭との時間だけが、あの頃の私のオアシスだった。
中学三年の秋頃――
私は蘭と一緒に、蘭がお母さんから教わったという造花を作った。
その時の私は、ふと蘭のこと以外がどうでもよくなっていた。もしかしたら、死期を悟っていたのかもしれない。
幼い頃、よく遊んでいた神社の裏手にある、百合の花畑の一角に、その思い出の造花をクッキーの缶に入れた。
思えば、黒百合だったのは、偶然ではなく運命だったのかもしれない。
母さんから花言葉を知るまでは。
母さんは、花屋に勤めていたから、自然と覚えたのだろう。
確かに、蘭への思いと中学に関しての気持ちが、その言葉に綴られる。
……もう、後は残りの気持ちをノートに綴っておくことにする。これは、私の遺書になるだろう。
昌教が読み上げていくごとに、段々昌教の言葉に感情が失われていく。
陽美も瑠奈も、哀しくなり、目を伏せる。
昌教が続きを読み上げていく。
ある日の事。突然父さんが、ここへ現れた。
最初は、再会したことに、驚きと少し気まずさもあった。
父さんは、「遺書を読んだよ。ごめんな。お前があんなに辛い目に遭っているとも知らないで。……私は愚かだった」
と涙目で私に謝った。
別に父さんに恨みは全く無かったので、私はあっさり許すことにした。
だが、心配していたことが二つあった。
母と蘭のことだ。
父さんは、直に来させる、と言った。その時は、何の事なのかは分からなかった。
ある日、父さんは歓喜に満ちた表情で私に言った。
「これからは、私がこの黄泉の世界の守護者――『グリム・エンペラー』だ!」
と。
私は何のことだ、と父さんに聞いてみると、ここを護っていた瑠奈という
止めを刺せなかったことは、少し悔いていた。
父さんが両手を掲げると、そこに金縁に赤い玉座が現れた。
「よし。まずは人狩り行くとするか」
と妖しい目をしながら呟いた。
何のことか、と疑問に思ったが、その言葉がすぐに分かった。
左側に鉄格子の牢屋を出して、そこに、何人かの魂を放り込んだ。
その顔を見ると、私はぎょっとした。
それは、中学時代のかつての同級生だったからだ。
皆気を失っている。
その時の私は、優越感を覚えた。それと同時に、どうして父さんに相談しなかったのだ、と本気で後悔した。
同級生を次々に放りこみ、その同級生が怒声と悲鳴をあげる度に、私を苦しめた罰だ、と何度も思った。
辛い目に遭わせた先輩や教師が送り込まれた時は、その歓喜はどれほどのものだったか計り知れない。
そして、最も憎むべき相手――野々宮隼人が送り込まれた時、私の歓喜は頂点に達した。
「やはり、隼人さんを恨んでいたのね」
「……」
昌教は目を閉じた。その顔は、微かながら怒りが出ている。
昌教は続ける。
後に父さんが行っていた「直に来させる」といった意味が分かった。
蘭と母さんもこちらへ来た。
但し、牢屋ではなく、父さんの近くだ。
二人とも私を心配していた。私を見るや否や号泣していた。
でも、二人は私を微塵も責めなかった。何も言わず私を抱きしめた。
勿論私も二人の事を責めなかった。むしろ、二人には後ろめたさがあった。
隼人を捕えてすぐの事だった。
あれから父さんの目つきが段々変わっていった。まるで、野心に満ち溢れた社長のような。
同級生たちの中には、完全に亡くなってしまい、顔がのっぺらぼうになってしまった奴もいる。
父さんが前に言っていた『黄泉の亡者』になったのだろう。
私は恐る恐る聞いてみた。
「これからどうするつもりか、と」
そしたらこう答えた。
「私にも個人的に恨みを持っていた奴がいる。そいつらも捕らえて亡者にしてやろうと思う」
と。
私は初めて父さんを恐れた。
もう私は満足した。これ以上は控えて欲しい、と何度も説こうとした。
でも、父さんは「不公平はたとえ息子でも許さん」と突っぱねた。
母さんも蘭も、父さんを止めようとしたが、結果は同じだった。
そして、恨みを持っていた人を、手あたり次第に魂を牢屋へ放り込んでいった。
今の父には、私や母の言葉さえも届かない。
私にはどうすることも出来ない。
残るは、一週間前にやって来た人間――確か名前は、皇昌教。
もう今の私の頼みの綱は、彼しかいない。
彼に望みを託そうと思う。他力本願で申し訳ないが。
だからせめて、私が掴んだ情報を、ここにしたためようと思う。
父はずっと苦虫を嚙み潰したような顔で、こう呟いていた。
「後三枚のカードが足りない。その三枚さえあれば、結界は完成し、私が真の皇帝になることが出来るのに」と。
父の玉座の背後には、タロットカードが円形に飾られている。
そこを見たら、確かに三枚分のカードがぽっかり空いている。
位置から考えると、無いのは、『
このうち、『
だが、残る二つに関しては、結局分からず仕舞いだ。
以上が、今私が握った情報だ。
では、皇昌教さん。どうか、父を――東条帝治を止めて欲しい。
例の『黄泉の秘薬』を――この机に入れておく。
お願い……します。
日記はここで終わった。
四
「……」
昌教は日記をそっと閉じて、机の上に置く。その指先は、必死に悲しみを押し殺している。
陽美は、涙目になりながら、日記の途中から、太陽の色のペンダントを握りしめていた。
英雄の気持ちを考えると、当然のことだ。
瑠奈も少し震えている。
昌教は、英雄の日記の最後に書いてあった通り、引き出しを開けてみると、手の平サイズのドロップ型の香水瓶を見つけた。
「それが……『黄泉の秘薬』です」
と瑠奈が言う。
「彼が……『
陽美が悟るような声で呟いた。
「ああ。あの黒い影も……英雄だ。そして、残りの三枚のタロットカードにあたる者――『
「そう言えば、よく考えたら、あたし達の名前もそれに関係しているわね」
「!」
昌教の目が少し大きく開く。
「ほら。瑠奈って月を表す名前で有名だし、あたしの名前、太田陽美も太陽になるし。そして皇昌教君も、教皇になるわ」
「これって……運命だったのでしょうか?」
と瑠奈が天井を見る。
「今思えば……そうかもしれないな」
と昌教も同じく上を見る。
「……ねえ」
陽美が二人に言う。
「ここが、東条家だったらさ、お父さんの部屋もある筈でしょう?」
二人は陽美を見る。
「そこも調べてみない?」
という陽美の提案に、
「そうだな。もう少し情報を集めてみるか」
「そうですね」
と昌教と瑠奈も賛成する。
三人は英雄を部屋を後にする。その際、最後に部屋を出た昌教が、机の方を見て、
(……貴方の気持ち。確かに持ったぞ)
と心の内に呟いて、今度こそ部屋を出た。
「さて、何処かしら? 帝治さんの部屋は」
陽美がランタンを左右に向けて探す。
「兎に角、手分けして探すか」
となった。
「では、私は一階の左側を見て来ます」
「あたしは一階の右ね」
「私は二階を見て来よう」
と一旦バラバラになって探していった。
昌教は、片っ端からドアを開けて探していくことにする。
まず英雄の部屋のすぐ隣のドアを開ける。
中は、掃除機やこたつや扇風機などがきっちりと入っている。
「物置か」
昌教はすぐにドアを閉めて、次へ向かう。
「次は……」
とドアを開けようとすると、
「きゃあ!」
と陽美の高い声が下から聴こえた。
まさか亡者が出たのか、と慌てて階段を下りて、陽美が探すと言っていた一階の右側――丁度英雄の部屋の真下の方に陽美がいた。
陽美の顔は、初めて殺人事件を見たかのような顔をしながら、ランタンを握りしめていた。
「どうした?」
と昌教と瑠奈が駆けつけると、陽美が二人に気付き、部屋の奥を指さす。
二人が部屋に入ると、
「……!!」
二人も陽美と同じような顔になった。
瑠奈の場合は、羽根をピーンと引きつらせて。
そこには、壁の至る所に、野々宮家や今回の英雄に関わった人々、そして、見知らぬ人のズタズタの顔写真が貼られていた。
「まるで精神異常者だな」
と昌教が微かに震えた声を出す。
この部屋は、少し狭いながらも、ガラス戸の棚や書棚、陽美の身長の半分ほどの大きさの花瓶が机と椅子の一式の近くに置かれている。
どうやら書斎のようだ。
そして、その机にも写真が無残に散らばっている。数枚は、机から落ちている。
昌教はそれを拾うと、またぎょっとした。
それは、隼人の写真だった。それも、ズタズタになったり、ビリビリに破れているものもある。
中学時代から高校、大学、社会人になってからのものが無数に。
机の上には、写真の中に、一枚だけ綺麗なものがあった。
よく見たら、それはタロットカードだった。
それを拾ってみると、
「逆位置の『
と言った。
「どんな意味があるの?」
と訊く陽美。
「傲慢や強欲、などがある」
「うわぁ……こりゃ相当の恨みがあるわね」
「ああ。……ん?」
昌教は何かを見つけた。写真の中に埋もれて、一冊のハードカバーサイズの本を見つけた。
「何ですか?」
昌教がパラパラと大まかにめくってみる。
「これも、日記のようだ」
陽美と瑠奈は近くに寄る。
「これは……」
五
ここも、日記に綴られている文章をそのまま載せることにしよう。
私は駄目な父親だ。息子の痛みを、苦しみを分かってあげることが出来ず、最も最悪な方法を取らせてしまった。
葬式の後、私は優季恵と大いに嘆き、悲しんだ。
肝心の野々宮家の者どもは、特に何も言わずに平然としていた。
あの専務は、大事にしないで欲しいと示談金を大量に渡してきた。金額は一千万。
それを見た時、私は固く復讐を誓った。
大切な息子を死に追いやっておきながら、金で解決しようとするとは。
勿論、大切な息子の命と比べれば、こんなものは端金に過ぎない。
この男は、息子の命を何だと思っているのか。
一時期は、あの男の息子を、と思ったが、妻の事を考えると流石に止めた。
大切な息子を失ってから、私達夫婦の時計は、そこで止まってしまった。
まさに『大きな古時計』の通りだ。ただ、百年ではなく僅か十五年だが。
私は、何とか復讐の機会を虎視眈々狙った。
それから十三年後、神は私達に味方してくれた。
私は英雄と再会できた。
再会できたばかりの英雄は、少し悲し気な目をしながら佇んでいた。
私を見た時の息子の顔は、随分驚いていた。
まあ、それは無理もない話だ。
英雄は随分後ろめたい顔をしたが、私はそれを許した。
いや、私には英雄を責める資格が無いからだ。
その後は、ここを護っている瑠奈というあの蝶の娘に変わって、私がここを護る事にした。
瑠奈は、間一髪で取り逃がしてしまった。
口惜しい。
あの娘が持っているブローチは、何よりも必要な物だ。
結局、何処へ行ったのかは、分からなかった。
この世界は壁というものが存在しないことが後になって分かった。
仕方がない。このまま計画を進めていこう。
「まずは十三年前のことか……」
昌教が険しい顔になる。
「やっぱりそれが今回の事件の大元ね」
陽美も同じ顔になる。
瑠奈はあの事を思い出したのか、少し震えている。
「次の欄は、英雄の日記に書かれていた事と同じだな」
「はい」
昌教が次のページを開くと、そこからは白紙だった。
「あら? ここで最後?」
「何だか中途半端ですね」
「……妙だな。白紙の筈なのだが、書いた跡がある」
「あ!」
瑠奈が驚く。
陽美がランタンで照らしている左側が、じわ~っと字が滲み出てきた。
それを見た二人が、おおっと軽く感心して、
「あぶり出しなのね。それじゃあ」
陽美がランタンを日記の上から照らす。
すると、文字が全体に浮かび上がり、読めるようになった。
「有難う陽美。どれ……」
と昌教は続きを読むことにした。
私は昔から
まあ、そうでなければ、こんな事には微塵も
玉座の奥の壁に飾っているタロットに
勿論、人として重要な場所には、私に相応しいタロットが彫った。
日記はここで本当に終わった。
六
昌教は目を伏せて、静かに日記を閉じると、
ヴィイイン!
と渦を巻くような音が上の方から聴こえてきた。
何だ、と思った三人が慌てて階段を上がると、なんと、さっきまでごく普通の木製の英雄の部屋のドアが、黄泉の世界の入り口のような、金属製の重い印象の扉に変わっていた。
三人はそれを見て察した。
グリム・エンペラー自身が、三人を我が元へ来い、と招いたのだ。
三人はお互いを見て、深く頷き、昌教が取っ手に手をかけ、扉を押した。
いよいよ決着をつけに。
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