第3話 東条英雄とは


「今日は有難う。瑠奈」

 黄泉の世界から出て、現実世界の図書館跡へ戻って来た。

 瑠奈も今は人の姿になっている。

 瑠奈は静かに会釈し、

「いえ。そうだ、これを」

 と一枚の紙を渡される。

 そこには、瑠奈の電話番号が、女性特有の丸みのある綺麗な字で書かれている。

「今後黄泉の世界へ行く時は、ここへ連絡して下さい。但し、今回は特別です。次からは、夕方からしか行けないのをお忘れないで」

「分かった」


 昌教が帰宅した時は、もう藍色の帳が西の端以外を覆っていた。

 結局、持って来たチーズケーキと寿司は、残しても腐らせてしまって勿体ないだけになるので、瑠奈に頼んで一緒に食べてもらった。

 昌教は自分の部屋に戻るなり、ボフッと自分のベットに横になって、結構膨れたお腹を擦りながら、瑠奈の電話番号が書かれた紙を眺めて、今日の事を振り返る。

「まさか、あんなことが、あんなことになるとは、な」

 元々冷静沈着で、慌てふためいたところを見たことが無い、と色々な人から言われた昌教だからこそ、静かに受け止められている。

 これがもし他の人ならば、慌てふためいたり、人によっては受け入れられず否定して迷宮入りにさせてしまう人もいるだろう。

「隼人。必ずお前を元に戻してみせる。必ず……」

 昌教は、高校時代からずっとお守り代わりにしているシオリを、胸の前に持って来て当てた。

 そのシオリは、タロットカードの『教皇ハイエロファント』が描かれている。

 落ち込んでしまった時は、これを見ると不思議と不安や悲しみが和らいていく。

 これは、高校入学祝いに昌教の父が、絵師をしている父の友人に頼んで描いてくれた物なのだ。

 昌教はこれをとても気に入って、それ以来、彼はずっとこれを大切に持ち続けている。今の彼にとっては、ならば最も大切な物なのだ。

「そう言えば、タロットと言えば……」

 昌教は起き上がって、鞄の中から手帳を取り出し、その中に入れていた二枚のタロットカードを取り出した。

 これは、心のオーヴに貼り付けられていたものだ。ここを去る前に見つけたものだ。

 几帳面な昌教故、位置はそのままにしている。

 一枚は逆位置の『戦車チャリオット』。もう一枚は正位置の『タワー』だ。

 早速、職場で借りた本で、その意味を調べてみた。

「えーっと、まずは『戦車チャリオット』。これの逆位置は……障害、利己主義、他人の権利を無視する」

 昌教は手帳にメモしていく。

 昌教の字は、瑠奈ほど滑らかでは無いが、それでも男性にしては曲線的な字だ。

「次は『タワー』。正位置は……事故、負傷、失望」

 これもメモしていく。

「う~~ん。一体何を表しているのだろう?」

 昌教は頬に人差し指を当てて考え込んだ。

「事故。隼人が過去に何かしらの事故に関わっている、と言う事か? それなら今まで時々暗い顔をしていた理由も大体は想像できたけど……」

 だが、残念ながら今の時点では、はっきりとした答えは見つからなかった。



 翌朝、いつも通りに出勤した。あまりスッキリしていない眼で。

「おはようございます」

「おはようございます」

 いつも通りの当たり前だけど大切な挨拶を返していく。

 昌教はスタッフ用の黒いエプロンを着けて、仕事の準備をしていると、スタッフ同士で、

「そう言えば、今日って何処か社会見学があったよね?」

 と同じ色のエプロンをした少し年上の女性スタッフが、独り言のような声量で話す。

「そうそう。今日は小学校の子らが来るんだよ」

 と同じ色のエプロンの、女性スタッフと同年代の体格のいい男性スタッフが返す。

「あ、そうだったね」

 と今日の日程を話している。

(社会見学か……。私の小学時代は工場だったな。オフィス機器の)

 昌教は当時を思い出して、口角が上がる。

(あの時、私が興味を持ったのは、パソコンとコピー機だったな。作っているところを見た時は、おお、と感動したな)

 少し小学時代を懐かしんだ後、

(さあ。開館の準備をしないと)

 と作業を続けた。


 昌教は開館時間まで、相当数の本棚に収められている、これまた数万冊の本の乱れやいがみを直しの作業をやる。

 本の乱れやいがみを直すのは、単純なようで、実は結構大変な作業だ。

 本一冊一冊に、貼られた番号と五十音順に並んでいるかをチェックしていかないといけない。

 乱れていたら、一旦本棚から引いて、一時的に本棚の隅に立てかけて、改めて本来の位置に戻していく。

 これを繰り返していく。

 夢中になると、時間が経つのを忘れてしまう。気が付いたら昼休憩まで後五分になったことも度々あった。

 そうこうしていると、

「開館します」と女性スタッフの声でアナウンスが流れる。

「もうか」

 昌教は、取り出した分――十冊ほどをカウンターへ持っていく。

 それから返ってきた本を、背表紙に貼られている番号のある棚へ戻していく。これが昌教の一日の作業のだ。

(単純な作業だが、嫌いではない。それに、休憩を入れるのはその都度自由だから、マイペースな私にはピッタリだ)

 昌教は四、五冊ほどの本を左脇に抱えながら、本棚に向かいながらそう思った。

 昌教が図書館へ勤務しているのは、一つの目標の為なのだ。

 それは――彼は小説家志望なのだ。

 いつかは自分が書いた本が、図書館に置いて欲しいという。

 勿論、小説家になることは、そう容易いことではないのは、昌教は重々承知だ。

 すんなりなれる訳でもないし、チャンスの大元でもあるコンテストでも、あっさりと取れたなんて前例も聞いた事が無い。

 昌教もこれまで仕事の合間に、数多の作品を書いてきた。

 でも、今まで賞はおろか、選考でも落ちてばかりだ。

 その度に落ち込んだ。何がいけなかったのだろう。自分の作品は劣っている。そんなことを思ってしまうことも数知れず。

 でも、それでも諦めていない。匙を投げるのは性に合わないし、自分が決めたことだからこそ、やり遂げたい気持ちがあるから。

 だからそれまでの間の生活費を稼ぐために、今はここで働いている。因みに今年で二年目だ。

 昼休憩の時、スマホを見ていると、一件メッセージが来ていることに気付いた。

「ん、誰からだ?」

 画面に表示された名前を見ると、少し目を開いて画面をスライドする。

「ああ、もしもし。昌教だけど……。うん、うん……。そう。昨日……。え?」

 昌教は急いでメモ帳を取り出して、

「そう。なんでも……」

 昌教は、電話の主に小声で昨日の事を話す。

「うん。分かった。瑠奈にも伝えておく。うん……、うん。それじゃあ明日」

 そう言って、昌教は電話を終えて、今度は昌教から電話をかけた。

「もしもし瑠奈かい? うん。そう。明日の夜行こうと思う。後、その日一人同行したい人がいるんだけど、良いかな?」

 昌教は瑠奈からの返事を頷いて返していく。

「分かった。では、明日の六時に例の図書館跡で。……うん、分かった。それじゃあ」

 そう言って通話を終えて、一呼吸入れて、ちょっと慌てた足取りで午後の仕事に取り掛かる事にした。



 翌日。今日は図書館が休館日のため、昌教は外出していた。

 を買ったからだ。

「兎に角、実物も無いと後々困るからな」

 それは、タロットカードだ。

 今借りている本は、貸出期間が二週間しかないから、もしもの為に備えて買う事にした。

 それとは別に、今後の未来を占う為というのもある。

 家に帰った昌教は、本を片手に早速やってみることにした。

「では、まず将来夢は叶えられるか?」

 昌教は、カードをチャッチャッと切って、本に書いてある通り、カードを三枚引いた。

「一枚目は過去。二枚目は現在。三枚目は未来、だな」

 昌教がカードを裏返すと、出て来たカードは、一枚目は正位置の『皇帝エンペラー』。二枚目は逆位置の『世界ワールド』。そして三枚目は逆位置の『太陽サン』だった。

「この結果は……」

 調べるとこうだ。

 過去の方は、今まで困難はあっても、挫けずに向かう姿勢で目標に向かっている。

 だが、現在に現れているカードが、自身とやる気に満ちていた過去と比べて、今は思った様に物事が進まず、心が折れかけている。

 未来に出たカードは、パワー不足や頑張った事への見返りが少ない事への暗示となる。

「……。このままでは夢を見失いそう。もう一度立ち止まって考える必要がある……か」

 昌教は自嘲する笑みを浮かべ、

「そうかもしれないな。今は、考えるとき、かもしれないな」

 とふう、と溜息をついた。

 


 当日――

 大分陽が西に傾いてきた六時十分前。

 瑠奈は昨日と変わらない服で、図書館跡で待っていた。

 昌教を待っている時、少し悲しそうな目で両手の平にある物を見ていた。

 それは、金縁に淡い金色のブローチだった。その形は金縁を取れば、満月そのものだ。

 恐らく彼女にとってのお守りのような物だろう。昌教のシオリのような。

 そのブローチを暫く眺めていると、

「お待たせ。瑠奈」

 と右から昌教の声が聞こえたので、少し慌ててブローチを胸につけ直して、昌教の方へ向く。

「昌教さん」

 昌教は、仕事の時とあまり変わらない、藍色の裾の長い長袖のTシャツとベージュのコーデュロイのボトムを着て、寝起きだったのか目が眠そうな顔をしながらやって来た。

 隣に暗いグレーのパンツスーツの女性を連れて。

 彼女の顔は昌教程は疲れた顔ではないが、それでも目の奥の光がちょっと薄れている。

「この方が……」

「そう。紹介するね」

「太田陽美。税理士事務所で働いているの。あなたが瑠奈ね。よろしくね」

 と仕事帰りとは思えないくらい、快活な声で自己紹介する。

「よろしくお願いします」

 と対照的に静かな声で返す瑠奈。

 太田陽美――

 先程本人が言っていた通り、税理士事務所で働いている二十六歳だ。

 明るい茶色の腰まである性格みたいに真っすぐなロングヘア。瞳も髪と同じ色。

 身長一六五センチある為か、昌教が低く見えてしまう。

 こちらも、まるでモデル並みの体型と顔立ちだ。

 彼女は、「誰とでも分け隔てなく」をモットーとしている。それが、クライアントからも凄く好評なのだ。

 実は――彼女は昌教の婚約者でもあるのだ。

 二人は大学時代に出会い、そこで意外にも陽美から告げられ、卒業を機に付き合う事になり、この秋に結婚する事になっている。

「陽美さんはどうして……」

「あたしも昌教君と同じ理由なの。あたしも友達が人形化してしまってね。どうにか出来ないかって悩んでいた時に、昌教君からこのことを聞いてね」

「それで私達との同行を申し出たんだ」

「そうですか。では、行きましょうか」

 昌教と陽美は頷いて、瑠奈の後をついて行く。

 瑠奈はブローチ、陽美は胸に付けている橙色の楕円形のペンダントを握りしめながら。


「そうだ。お二人にこれを渡しておきます」

 黄泉の世界への扉をくぐる前、瑠奈が二人にあるものを渡した。

 それは、銀色の鞘の短剣だ。

「これは?」

「昌教さんは昨日見ましたね。松明を持つ人影――黄泉の亡者を」

「あ、ああ」

「昨日は一体だけでしたが、あの世界には、あの黄泉の亡者が沢山現れることでしょう」

「うん。そうだろうな。向こうも本気で探す気と分かれば、こっちに亡者を送り込んでくるだろうし」

「なので、対抗手段として、その『星の短剣』を使って下さい」

「ああ」

「分かったわ」

 陽美は大切そうに短剣を握りしめる。

「では、参りましょう」

 三人が黄泉の世界に足を踏み入れる。


 瑠奈は昨日と同じく蝶の姿になる。

「へえ。蝶か。でも、瑠奈に合ってるわね」

 と蝶になった瑠奈の感想を言う。

 瑠奈は頷くように羽ばたく。

 相変わらず空間は、白と黒と灰色のモノトーンのもやに包まれている。

 今度も扉が現れ、昌教は現れた扉のノブをゆっくりと開ける。



「ここは……」

「会社……か?」

 二人が次に見たものは、何処かのオフィスの中だろう。

 十数台の事務用の机と椅子が置かれている。隅には観葉植物、窓にはブラインドがついている。

 二人が立っている所は部屋の入口だ。

「ここも……何だか知っているような……」

 昌教が一旦部屋の外に出て確かめてみる。

 もうそこは、黄泉の世界の入り口ではなく、廊下に変わっている。

 入り口の傍の左側の壁に、『人事部』と書かれたプラスチックのプレートが付けられている。

 人事部の部屋から出て右側に、トイレと大人九人分ほど乗れそうなエレベーターが二基ある。

 それぞれのエレベーターの間に、四階の文字が貼りつけられている。

 更にエレベーターから見て右側にも、部屋がある。

 そこは、『商品開発部』と書かれたプレートがある。

「あ、そうだ。ここって、隼人の勤め先の」

「え? じゃあ、ここ『株式会社星奏』!?」

「ああ。間違いない。二度ほどお邪魔したことがあるから」

「あたしも一回だけなら……。そう言えばこんな感じだったわね」

 昌教と陽美は、忘れかけていた同級生を思い出したかのような顔で、ウンウンとお互い頷く。

『株式会社星奏』――

 ここは前にも隼人を紹介した時に書いたとおり、隼人が勤めている会社だ。

 そこは、主にオフィス機器を取り扱っていて、全国に支店を置いている大企業だ。

 支店に所属している社員、下請けの工場の作業員諸々を含めれば、五万は行くだろう。

 因みに、隼人が所属しているここが本社である。本社はおよそ百二十人ほど在籍している。

「人事部に来たのは――」

「確か、アイツが所属しているからだ」

「そうだったわね。でも、何でここが……」

 陽美は、黄泉の世界へ行く前に、瑠奈から黄泉の世界のことについては説明を受けている。

「……」

 昌教が人差し指を額に当てて、情報をたどっていく。少しして、思い出したように手の平をポンと叩く。

「……あ。そうか」

「何ですか?」

 瑠奈が訊く。

「今朝のニュースで見たんだ。ここの社員が二人蝋人形になったって」

「ああ。そう言えばあたしも昼間ネットニュースで見たわ。確か名前は……」

神田歩夢かんだあゆむさん。そして花村達久はなむらたつひささん。どちらも二十九歳の男性。隼人と同じくこの人事部に所属している、って言ってたな」

「そうだったわ。でも、何でその二人なのかしら?」

「分からない。今の段階じゃあ」

「そうね」

 昌教と陽美と瑠奈は、人事部へ戻って手掛かりを掴むことにした。

「えっと、隼人さんのデスクは……」

「確か……ここだった」

 昌教が手を当てた所は、扉の傍の左端のデスク。

 現実世界でここへ来た時に、隼人がここに座っていたことを覚えていたからだ。

「ホント、昌教君、記憶力抜群ね」

「そ、そうか?」

 陽美はまるで自分のように頷く。

 昌教は口元だけ苦笑を浮かべながら、隼人のデスクを探っていく。

 右上、真ん中と引き出しを開けるが、何も入っていない。

 だが、

「あれ?」

 右下の一番大きな引き出しがガタガタと揺れるだけで開かない。

「鍵がかかってるのかしら?」

「正面の引き出しはどうでしょう」

 瑠奈に言われ、正面の引き出しを開けてみると、そこには鍵があった。

 でも、

「『社長室』って書いていますね」

 と瑠奈が言う。

「そこにあるのかしら?」

 と陽美が首を傾げる。

「兎に角行ってみよう」

 と昌教が爪先を扉へ向けたその時、

「! 二人とも、扉の方」

 瑠奈がいつもより速く弾んで二人に知らせる。

 二人が扉の方に目を向けると、そこから白い炎を灯した松明を持ったこれまた白い亡霊が三体、強盗のようにこの部屋に入って来た。

 亡者は全て同じ姿なので、性別の判別は勿論、顔もほぼのっぺらぼうなので、生前の顔が全く分からない。

 服は白装束なのが、より亡霊らしさを引き立っている。

 それにしても、顔が分からない分、ただの幽霊よりもある意味不気味である。

 

「な。遂に来たか」

「く……。やるしかないわね」

 二人は瑠奈から貰った短剣を、銀色の鞘から引き抜く。

 刃もまた、輝かしい銀色に光っている。

 亡者の一体が、松明を鉈に変え、昌教に振りかざす。

「!」

 昌教は咄嗟に短剣ではじき返す。

「く」

「瑠奈。何か弱点とか無いの?」

 陽美も振りかざしてきた一体に短剣で応戦しながら瑠奈に訊く。

「はい。首が急所です。そこを狙えば消えます」

 と少し慌て気味に言う瑠奈。

「オッケー、首ね」

 陽美は亡者の鉈をガシィンと弾き、亡者の喉仏目がけて刃を突き立てた。

「――!」

 亡者は声の無い悲鳴をあげて、頭の方から灰になって消えていく。

「首だな」

 昌教も陽美と同じように、残り二体の亡者の喉仏を刺していく。

 それらも声の無い悲鳴をあげて、同じように消えていった。

「ふう……。何とか撃退出来たね」

「ああ……」

 昌教は刃を鞘に収め、柄を握り過ぎて赤くなった両手を見つめている。

 信じられないといった顔で。

「昌教君」

「あ、ああ。まさか……」

「まさか自分がこんな経験をするとは、でしょ?」

「う、うん……」

「それはあたしも一緒よ。あたしだってこんな経験は初めてだもん」

「それも、そうか」

 昌教と陽美はお互いを見て微笑む。

「二人とも。それではその社長室とやらに向かいましょう」

 と瑠奈に言われ、二人は慌てて社長室へ向かう事にした。



『株式会社星奏』は、地下を含めると十五階建てのビルで、創業八十五年の老舗の会社だ。

 隼人から聞いたところだと、隼人の曽祖父の代から創設されたそうだ。

 だけど、その時訪れたこの本社のビルそのものは、出来立てのように綺麗なのを昌教は知っている。それは、五年前に今の所に移転したから。

 つまり、隼人は未来の四代目になる。だけど、それはそのまま進めばの話だ。未来はどうなるかは分からない。

 改めて、社長室は皆が予想している通り、最上階――つまり十四階にある。

 十四階と聞いた時、「十四階まで上るのか」と二人ともげんなりしかけたが、

「どうやらこのエレベーター、電源は入っているようです」

 と瑠奈が良い知らせを言ってくれた。

 昌教と陽美は心でガッツポーズをした。仕事終わりでただでさえ足が疲れているのに、階段で歩いたら、ここで亡者になってしまう。

 確かにエレベーターは、瑠奈の言った通り、扉の上の回数表示が淡く光っている。因みに光っている所は、今いる四階だ。

 昌教は上のボタンを押すと、エレベーターはピンポーンと呼び鈴のような音を立てて左右に開いた。

 エレベーターも、この世界故に中は真っ白だが、白でも周りと比べるとかなり明るい。

 昌教と陽美と瑠奈はエレベーターに乗り込んで、陽美は十四階のボタンを押す。

 エレベーターはグィーーンと音を立てて上がって行く。

 回数表示の光もどんどん上を示していき、十四が光ると、またしてもピンポーンと音を立てて左右に開いた。

 十四階は、割とシンプルにエレベーターから見て右側に社長室。その左隣に社長秘書室があるだけだ。後トイレと。

 秘書室の方は鍵が掛かっているので、すぐに社長室の鍵を開けて入る。

 社長室は、人事部と比べると圧倒的に広く、昌教が住んでいるマンションの部屋全てを合わせたくらいだ。

 社長室のレイアウトは、入ってすぐ傍に黒の革製のソファーが対面している。

 ソファの左後ろには、大量の資料を収めたファイルを入れた人二人分の大きさのキャビネットがあり、右側には、細長い正三角形の形の葉の観葉植物が置かれている。

 ソファの奥に、一般的なデスクより人一倍大きなこげ茶色の机が、真正面に置かれている。

「あれね」

 陽美が近づいて鍵が付いている引き出しを見つけて、ガチャッと鍵を開けて開けてみた。

「あったわ。鍵よってあれ?」

 と陽美が取り出すと、ふとまた下を見る。

「どうした?」

 昌教と瑠奈がデスクに近付く。

「見てこれ」

 陽美がそれを取り出して、デスクに置いた。文庫本ではないサイズの小説のサイズで、少々古ぼけている本だ。

 明るい灰色の表紙に黒い文字でDiaryと書いてある。どうやら日記の様だ。

「う~ん……」

 二人は少しためらう。流石に黄泉の世界で当人はいないと分かっていても、日記や財布などのプライバシーに関する物には簡単に手を出すのは後ろめたいからだ。

「二人とも。気持ちは分かりますが、手掛かりを掴むという目的で、開いてみませんか?」

 と瑠奈に言われ、

『うん』

 とお互いと瑠奈を見て頷いた。

 昌教が日記を開いてみると、真顔だが目だけ少し鋭くなる。

 陽美と瑠奈も横から見ることに。

 ただ、日記の内容をそのまま書いていくと、話が一向に進まずもどかしい思いをすると思うので、少し端折って書いていくことにする。

 では改めて、日記にはこう綴られていた。


 日記の日付は十三年前になっている。

 そこでは、この日記の主――野々宮拓真たくまが当時専務だった時だ。

 その時、息子の隼人のことで一時彼の地位が危ぶまれた時があった。

 中学時代、隼人の同級生が自ら命を絶った。

 同級生からの遺書は見つからなかった。だが、同級生が命を絶ったと聞いた時、隼人の顔色が非常に悪くなったのを覚えていた。

 隼人は何も語らなかったが、関りがあったのは感づいた。

 幸い相手方の方からは、何も言って来なかったので、何事もなく片付けた。

 

 とのことだ。

「うーん……。少なくとも当時の隼人君に何かあったのは確かね」

「ああ。……ん?」

 昌教が日記の下の方にあった何かを見つける。

「これは……『東条英雄とうじょうひでお』?」

「東条英雄?」

 陽美が聞き返す。

「誰だろう?」

「う~ん……。知り合いにはいないわね」

「私もだ」

「もしかして、被害者さんの名前でしょうか?」

 と言う瑠奈。

「それが、この日記にははっきりと名前が書かれていないんだ。でも……」

「もしかしたら、かもしれないわね」

「ああ」

 昌教は日記を閉じると、陽美と瑠奈と一緒に人事部へ戻っていった。

 人事部へ戻ってみると、三人は驚いた。

「え?」

「ど、どういう事……?」

「こ、これは……」

 なんと、人事部の机や椅子が滅茶苦茶に荒らされていた。位置が滅茶苦茶になっていたり、椅子が倒れたりしている。観葉植物も植木鉢が壊れて、中の黒い土が散らばり、ブラインドもぐちゃぐちゃにひしゃげられている。

 まさに強盗に押し入られた、と言う言葉がピッタリなくらい。

 三人が出た後、誰かが入って荒らしたのだろうか。

 特に隼人と被害者二人と思しきデスクは、剣や斧などの太い刃で斬られたような跡がある。

 今は気配は何も感じない。

 昌教と陽美は、遺体を見るような目で隼人のデスクまで行き、陽美が鍵を開けた。

 引き出しを開けると、そこには一枚のタロットカードがあった。

「今度は『悪魔デビル』か。それも逆位置」

 陽美には昌教からこのことも聞いている。

「結局、今回は心のオーヴは見つからなかったな」

「そうね。でも、このタロットの意味、何なのかしら?」

「帰ったら調べてみるよ。図書館で借りた本で」

「お願いね。あたしは、警察にあたしの従姉がいるから、この被害者二人の事について聞いてみるわ」

「分かった」

「二人とも。そろそろ時間です」

 瑠奈に言われ、瑠奈の力で黄泉の世界の入り口に戻っていった。



 二人が図書館跡から出ると、もう既に星がちらほらと瞬いていて、上には下弦のか細い月が二人を淡く照らしている。

 色のあるここが、少しだが新鮮な気分になる。

 陽美が自分の腕時計を見ると、既に十時半になっていた。

「うわ。もうこんな時間か。それじゃ今日はこれで。昌教君、瑠奈、有難う。じゃね」

 と陽美はカツカツとヒールを立てて、慌てて帰っていった。

「では、私も」

 と昌教も瑠奈に会釈して帰った。

 一人残された瑠奈は、夕方見ていたブローチを外して、また眺める。

「どうか……昌教さんと陽美さん。黄泉の世界に安寧を……」

 修道院の僧侶の祈りの様な顔で手を組んだ。


「う……。ここは……」

 隼人が目を覚ますと、何処か分からない所だった。

 最初に目に飛び込んだのは、鉄格子だった。

「え? 何だよこれ!」

 隼人の声に気付いた何者かが、目だけ檻の中に向ける。

 その者は一瞥すると、まるで隼人を透明人間かのような反応を示して、後ろに語り掛ける。

「後もう少しだ。もう少しでお前の無念を晴らしてやるからな」

 その顔は敵討ちに向かう人のようだった。

 後ろにいる者からは、何も返事は無かった。

「おい。無視するな!」

 隼人の叫ぶ声は、その広い空間に虚しく響くだけだった。

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