第2話 思い出の高校

一 


 昌教が次に網膜に映したそこは、まるで昔のテレビのような、白と黒、そして灰色しかない空間だった。

 こうなると、色が載っている昌教が珍しいくらいだ。

「ここに……隼人が」

 昌教が辺りを見渡すと、さっきまでいた瑠奈がいなくなっている。

「あれ? 瑠奈、何処だ?」

「ここです」

 と右の方から声がした。

 昌教がそっちを向くと、青紫色に淡く光る一羽の蝶が昌教の傍を飛び回る。

「え、瑠奈?」

「はい。この世界では、私は人の姿は保てません。なので、この姿であなたをサポートします」

「そうか。分かった」

(蝶か。意外な気もするが、瑠奈らしいな)

 と心の中で微笑を浮かべた。

 突然瑠奈が何かに気付いたように、昌教の深緑色のスプリングコートの腰のポケットに入り込む。

「どうした?」

 すると、

「フフフ、ようこそ。我が世界へ」

 と錆びたコントラバスの様な声が何処からともなく響き渡る。

「だ、誰だ!?」

 昌教は上の方を見渡すと、

「そうだな。『グリム・エンペラー』と名乗ろうか」

「グリム・エンペラー?! 隼人を人形化して、一体何が目的なんだ」

「動機はシンプルだ。復讐のためだ」

「復讐!?」

 昌教が目を丸くする。

「どうやら君は余程野々宮隼人を大切に思っている様だな。何処とも分からないここへ来るまで」

 グリム・エンペラーは少し憐れみを込めた声で言う。

「……ああ」

 昌教は強く頷く。

「そうだな。友達思いな君に……一つゲームと行こうじゃないか」

「ゲーム?」

 昌教の怪訝な顔は更に深くなる。

「そうだ。野々宮隼人の体は確かに今は仮死状態で、完全には死んでいない。だが、十日以内に魂を助けねば、野々宮隼人は完全にあの世へ行ってしまうだろう」

「!」

「助ける術は一つだけある」

 グリム・エンペラーは突如色を失くした声色になりながら、

「『愚者』が持つ『』を飲ませれば、人形化が解けて、元に戻せる」

 言い終えると、

「奴の、奴らの所為であの子は……」

 と蚊が鳴くような声で忌々し気に呟いて、聞こえなくなった。

「……一体、復讐って――隼人が何をしたのだろう? それにあの子とは……何者なのだ?」

 と考えていると、

「昌教さん」

 とポケットから瑠奈が出て来て、右から話しかける。

「瑠奈」

 彼女が話してくれたのは、この世界の事についてだ。

 だが、瑠奈が説明してくれた事をここで語ると非常に長くなるので、今回は箇条書きのように書いておくことにする。

 この世界は、今はグリム・エンペラーの支配下にある事。

 今回は昼間でも入る事は出来たが、本来この世界は夕刻からしか開かないとのこと。

 黄泉の世界は、はっきりとした場所の概念が無い世界で、人々の思いが生み出している。

 ここでの人々とは、昌教のようなタイプの人間ではなく、人形化した人々の事を指している。

 と言う事だ。

「成程。大体はだけど分かった」

 と昌教は頷いた。その顔は微かに緊張の色が載っている。

「参りましょう」

 瑠奈はふわふわとトランポリンのように軽く弾みながら、先導する。

 昌教も後からついて行く。

 少し歩くと、正面にいきなり、ドンとマンションのドアのような扉が現れた。

 昌教は意を決して扉のノブをゆっくりと回して、これまたゆっくりと開ける。



 扉の奥は、何処かの学校の昇降口に繋がっていた。

 何故昇降口と分かったのかは、複数の鉄製の下駄箱がずらりと規則的に並んでいるからだ。

 こういう入口は、学校以外にはなかなか無いから、比較的分かり易いだろう。

「……?」

 昌教は少し違和感を覚えた。

「ここ……何処かで……」

 全く知らない訳では無いようだ。

 ここへ入る前に事前に瑠奈から貰った、水色に淡く光るカンテラで周りを照らしていく。

 下駄箱のある昇降口から上がって、左側に歩くと保健室のプレートが見える。昇降口の真正面には階段があり、すぐ傍には職員室がある。

「この配置……間違いない。私と隼人が通っていた菫高校だ」

 昌教は確信したように頷いた。

「まずは高校ということか。確かに最初にはピッタリだろうな。……隼人に関連するものとなると、最初に出会った一年の時の教室か、最後の三年の時の教室かもしれないな」

 とカンテラで上の方を照らす。

 菫高校は三階建ての、南側に新しい校舎。北側に新校舎よりも壁や廊下が少し色褪せている旧校舎がある。

 一年と二年の教室は、新校舎のそれぞれ三階と二階にあり、三年の教室は旧校舎に置いてある。

「何処から行きますか?」

「そうだな。一年の方の教室から行ってみるか」

 昌教は爪先を正面の階段に向けて、歩を進めていく。

 カツン、カツンと革靴の音が、木魚のように静寂に包まれた校舎に響き渡る。

(まるで肝試しだな)

 と心の中で苦笑した。

 昌教は慎重な性格なので、あまりそういう無茶なことは自ら進んではしない方だ。そして、一度もそういうことをしたことは無い。

 カツン、カツンと階段を上がって、一年の教室が並ぶ三階までやって来た。

「何組の教室へ行くんですか?」

「私達が所属していたのは、二組なのだ」

 昌教が上を照らして、クラス名が書かれているネームプレートを見ていく。

 菫高校は一学年につき六組ある。

 階段を上がって右側に、五組と六組。左側に四組、三組と続いている。

 四組、三組と通過して、二組のプレートがかかっている教室の前で歩みを止める。

「ここだ」

 昌教が引き戸に手をかけるが、ゴトゴトと揺れるだけで開かない。

「鍵がかかっているようですね」

「みたいだな」

「鍵は何処にあるのでしょうか?」

「恐らくは職員室かな。全ての部屋の鍵はそこにひとまとめにしてあったのを覚えているから」

 昌教は、もう一度職員室の方へ戻る事にした。

「それにしても、元々学校の壁や廊下がこういう色だったから、今ここが黄泉の世界とは思えないな」

 苦笑しながらぽつりと独り言を呟く。

 どうやら、現実の菫高校も壁や廊下の色合いは白やグレーだったらしい。

 さて、職員室へ来た昌教は、扉を引いてみる。ここは鍵が開いているようで、すんなりガラガラと横に開いた。

 職員室は、事務机や事務椅子はそれなりの数はあるが、プリントや文具、ノート類は全く無い。

 学校として機能していないのが、見て分かる。

 こう見ると、やはり黄泉の世界へ来たと思わせられる。

「えっと、確かキーボックスがあった筈だけど……」

 昌教はカンテラで一台だけ一回り大きい机の右側の壁を調べると、そこに、キーボックスと、借りた鍵と借りた人の名前を記帳するノートが傍に掛けられている。

「あれ?」

 昌教が中を開けて、一年二組の鍵を探すが、無かった。

 ノートの方を調べると、隼人の名前で借りられていた。

「場所は――三年一組か」

 三年一組は、昌教と隼人が三年の時に所属していたクラスだ。

「行くか」

 と昌教は三年の教室がある旧校舎へ爪先を向けて歩いていく。

 旧校舎へは、二階にある、外へ出るドアから旧校舎へ繋ぐ階段で向かうのだ。

 外は、現実では絶対にそこにある筈の建物や街路樹が全く無い。空も最初に来た時と同じ、モノトーンの霧が形を作りかえながらふわふわと漂っている。

 この学校だけがはっきりと存在しているのが、不思議な気持ちになってしまう。

 昌教は旧校舎へ入って、二階にある三年一組の教室へとやって来た。

 ここは既に鍵が開いているようで、すんなりとガラガラと横にスライドした。

 教室の方も机や椅子はある。そして、黒板やロッカー、掃除道具入れもある。

「さて、鍵は……」

 昌教は机を廊下側の方から片っ端から覗いて探していく。

 机は縦横それぞれ五つずつ並んでいる。

 因みに当時昌教が最後に使っていた席は、真ん中の列の後ろから二番目だった。

 隼人は窓側の端の真ん中の席だった。

 昌教が当時の隼人の席を覗くと、青く光る鈍色のものが奥にあった。

「あ。あった」

 チャリ、と金属の擦れる音を立てて鍵を握りしめて、さあ、引き返そうとした。

 その時、

「!」

 瑠奈があるモノに気付き、

「昌教さん。一旦伏せて下さい」

「?」

 瑠奈に突然伏せるように言われ、あまり分からないが、取りあえず言う通り伏せる。

 すると、昌教が入った方から、白い光を放っている松明を持つ人影らしきモノが、フワフワと彷徨うように教室を通り過ぎていった。

 昌教はそれに冷や汗を覚えた。明らかに人ではない。そう感じられた。

 完全に気配が消えるのを、肌で感じた昌教は、

「瑠奈。アレは一体何なんだ」

 と小声で訊いた。

「アレは『黄泉の亡者』。元は人だった者です。同じように黄泉の亡者によってなってしまった人達になります」

「――。もし、アレに捕まったら、どうなるんだ?」

「少しの傷でしたら、ある程度休めば回復しますが、重傷を負ったら、負えば負うほど亡者になっていきます」

「――分かった。兎に角、見つからないようにしていけば良いってことか」

「はい」

 昌教はゆっくりと立ち上がり、見つからないように、今度は少し歩調を遅くして一年二組の教室へ戻っていく。

 幸い、その後は一度も黄泉の亡者に出くわすことは無かった。



 鍵を開けて、一年二組の教室をガラガラと開けて、入って行く。

 ここも机と椅子の並びは、三年の方と一緒だ。

 実は偶然にも、当時最後に座っていた席が全く同じ席なのだ。

 昌教は迷わず、まずは自分の席を調べてみる。

 だが、特に変わったものは見つからなかった。

 次に隼人の机を調べてみる。

「ん? 何だこれは?」

 机の奥から、トランプのハートを模したような白い結晶石を見つけた。

 まるで真珠のように淡い光を放っている。

「それは『心のオーヴ』と言いまして、その人の過去の記憶を結晶化したものです」

「もしかすると、これが――隼人の記憶、なのか?」

 昌教の言葉に反応したかのように、オーヴが強く輝き出し、オーヴの内側から映像が浮かび上がる。

「俺は……何であんなことをしてしまったんだ……」

 そこには、高校時代の、今よりは確実に幼い顔立ちの隼人が映っている。

 その隼人が、今にも泣きそうな顔でそれを呟いていた。

 昌教はその顔に見覚えがあった。

 明るくて優しい性格だったので、同級生は勿論だが、先輩からのウケも良くて、後輩からも慕われていた。先生にも、だ。

 その隼人は、普段は明るい表情が多かったが、一人きりでいる時に、時々暗い顔をする事があったのを見た。

 それも、一度ではなく何度も。高校卒業して大学や社会人になってからも、だ。

「そう言えば、初めて隼人に会った時、私を見るなり随分驚いていたな」

「驚いていた?」

「ああ。まるで、何か亡霊にでも会ったかのような顔で」

「……何だか気になりますね」

「ああ」

 昌教には、隼人のこの表情の意味については、今はまだ分からなかった。

 だが、この事件と少なくとも無関係ではない、と彼の本能がそう思わせた。

「ん? これは……」

 昌教がオーヴの底の方に何かを見つけた。

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