第4話


「ニーヴ・キャラハン!」


天井が高く、石造りの大広間。やけに声が響くこの空間で私の名前を叫んだのは、白い長衣に身を包んだ神官だった。

この王都にたどり着いた時の華やかさとは大違いの暗い表情で、私は王都の権力の中枢――王太子殿下の謁見の間に引きずり出されている。


恐怖で顔がうまくあげられない。だがおそらく、この部屋には……王太子が、いるのだ。

老いてお飾りの領主となった父である王の代わりに、全てを握っている王太子が――。








ここまで連れてこられたのは、本当にあっという間だった。


ホテルの部屋のドアが勢いよく開け放たれたとき、私は呑気にも朝食は頼んだが、ノックもしないとはなかなかとんでもないルームサービスがあるものだと思っていたのだ――それもつかの間、部屋に飛び込んできたのが教会の攻撃実働部隊の聖デュルメルの黒衣をまとった男たちだと気づいて、流石に息が止まった。


(……早い、あまりにも早すぎる……!!!)


牧歌的とも言えるくらい『虚なるもの』、つまり創作物の存在なんか見えていなかったかのように振る舞っていた教会が、私が王都に入った途端に逮捕しにくる……!? 

にわかには信じがたい状況だったが、こうして実際ドレスを整える時間さえ与えられず、文字通り引きずって来られれば現実だと理解するしかないのだ。


(……こんなの、『カデンツァ』の断罪イベントみたいじゃない……)


本編だって始まってないのに、そう自嘲しようとしたのにうまく口角を持ち上げることは出来なかった。

19歳になって破滅するなら、それまでは大暴れしてやると意気込んでいたのに……その前でも、『殺されれば』人は死ぬのだ。


恐る恐る目線を上げて、視界に入ってきたもの。目の端に映る、――鮮やかなピンク色。


(……ウソ、でしょ……あれは……)


「……聖、女……?」

私の目線の先、聖職者たちに囲まれて立っているのは……さんざんスチルの中で見たピンクブロンドの髪の少女だった。

悪役令嬢となった私が、彼女と出会うことは破滅以外の何物ももたらさないことは分かっていた。


(まだ断罪イベントは先のはず、……というより、本編だって始まる前のはずでしょう……! あと、あと2年はあったはずなのに、何故……)


「何で今、断罪イベが起きてるのよ……!」


思わず口に出ていた。すると――


「!」


聖女が私の方を見て――確かに、笑っていた。にやりと目を細めて、決してスチルに映るときにはそんな顔したことないっていうような、酷薄な笑みで――。


それで思いだす、私がかつて、あの聖女の目線でこのニーヴが墜落していく瞬間を見つめていた事を。

断罪イベント――ヒロインの力を、様々なキャラクターから『愛される正当性』をプレイヤーに共有するためのイベント。代わりにすべての悪事をニーヴは押し付けられる……その残虐性を、私は今になって思い知らされているのだ。


(……でも待って、その時聖女がいるのって……王太子のとなりじゃなかった?)


何故、聖女が本当にいるのだとしても今みたいに聖職者たちに囲まれているのか――考えてみたところで、あり得ないことが起きているという事実しかわからない。


「この者は、この教会が守護する王都に――虚なるものを持ち込んでいた! しかも己のみで鑑賞するにとどまらず、王太子様の手に渡るように画策し、かの人の思想を穢れに晒した罪である! よってこの魔女に断罪として国外追放、あるいは絞首刑の展開を――」


耳を打つのは、老神官の私がいかに非道な人間かとあげつらう声だった。

ハッとなって、顔をあげないままキョロキョロとあたりを見回す、……どうやらライオネルはこの場にはいないらしい。彼が抵抗なんかして傷つけられることがあったら困る。私は死ぬのが決まっている人間だけど、彼は違うのだ――。


っていうか、王太子様の手に渡るようにって言った? ……たった一日で、王太子の手に……?


バッ、と思わず顔をあげる、それだけで「魔女め」「守銭奴」などとざわざわと非難の声が投げつけられる。


「王太子様、かの者を断罪する特別法廷――いや、処刑の準備を整える事を進言します」


神官がそう宣言して恭しく頭を下げた方向に顔を向ける。だが顔を向けた先、この部屋の奥にあるはずの玉座はその後ろから入ってくる強い日差しのせいで逆光となり、そこに座る人間の表情が見えることはなかった。


死ぬ覚悟、というより諦念は持っていたはずなのに……ついにそれが目の前に来たとなると、恐怖で体が震えていた。

私は自分の死刑宣告を出すであろう、王太子の言葉を待つ――。





「彼女は罪に問われない」





王太子がきっぱりと発した、しかし想像とは全く違うその一言で、謁見の間は騒然となった。

当たり前だ、教会と最も近いはずの王族、しかも第一後継者からそんな言葉が出れば――。

私もぽかんとした表情を浮かべることしか出来ない。今なんて言った……?


「何を……!」

「罪に問われない、そう言ったのだ」


神官がおののき、とっさにこぼした一言に改めて返しながら、彼は立ち上がると、つかつかと大股で私の目の前までやってきた。

顔を見上げることなんて出来なくて、私は彼の上等な靴の先、つやめく黒の革をただ見つめていた。


「なぜなら――彼女こそが聖女だからだ!」

「は!?」

「えぇ!?」


私の叫びと、ピンクブロンドの少女――『聖女』の叫びが重なる。

そんなはずがないと『疑っている』のがこの場にいるほとんどの人間、そして……そんなはずがないと『知っている』のは、どうやら私と「本当の聖女様」の二人だけの様だった。


「聖女が現れた時――王族との婚約はいち早く行われるべきと言われているのだから――教会の長どもよ、私が話を手っ取りばやくしてやろう。……私は、このニーヴ・キャラハンとの婚約を宣言する!」


ぐい、と王太子が私の腕を掴んで立ち上がらせる。

その瞬間目に入ったのは、彼のきれいなブロンドの髪と、涼やかな目元だった。……顔に浮かんだ笑みはどう見ても「悪い笑み」で、爽やかさとは程遠いものだったけれど。青い瞳がこちらを射抜くのから、目が離せない。


私の混乱をいいことに、動けないままの私の頬に手を添えると彼は――公衆の面前で、……というよりも宗教裁判の真っただ中、微笑んだまま私に口付けを落としたのだった――。




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虚言令嬢の異世界密輸生活 あむだ前歯 @amuda_maeba

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