第3話


「ニーヴ様、でいらっしゃいますね? キャラハン家のお方でも、荷物の確認をせずにお通しすることは出来ないのです……」


壁に囲まれた巨大な都市、それがこの国の王都・カラキジョの姿だった。有事には要塞としての機能を果たすためのその高い壁の前で、一台の馬車が止められた。

御者が何かを口にする前に、すっと馬車のカーテンが開いて、中から一人の少女が顔を出して微笑んだ。


「ええどうぞ。くまなく見て頂いて結構よ!」


令嬢がそう笑顔で囁いた後ろで、労働者たちが大きな「木箱」を持ち上げて――。



◇◇◇


「……僕は、王都に本を入れたことなんてないんですよ! やってることって言ったらいつもここでひっそり、交換しに来てくれる誰かを待つことくらいで……」

「でも王都にこの本を何冊か持ち込めれば、別々の本と交換して帰ってこれるのよ! きっと王都の人間が書くものは素晴らしいはずよ!」


自分はやったことがないとしり込みするレイに、私だって密輸なんて噛んだことはないクセに熱く語っていた。

「私があなたの作品を、王都の人間に読ませたいのよ!」

そう叫んでなんとかレイにイエスと言わせて、彼がこれまでに作った本や、読み終わった蔵書の数十冊を分けてもらい、そして王都での交換相手も見つけてもらう約束を取り付けた。その押しの強さに、隣で置物のようにじっとしていたライオネルが何か言いたげに身じろぎすること数回を経て諸々の手配を取り付けてから、私は実際のところの動き方についてようやく考え始めたのだ。


(それにしても、密輸、かぁ……)

知識としてはかろうじて思い出せるのは、禁酒法時代の物語を描いた舞台のワンシーンだった。陰鬱な空気と、それをむしろ好機と裏で暗躍するギャングたち。あの独特の抑圧的な雰囲気と、社会の破滅の匂いとは……確かにこの世界にも似ている気がする。

(……やけに同じ劇団の中で禁酒法時代のテーマがかぶりまくったこともあるんだから不思議よね……)


私にとって、依存も誘発するアルコール代わりの存在が、「物語」なのかもしれない。


かつての人生で楽しんだ物語。それをこの新しい人生の中で、新しい物語に触れるためにその記憶を過去から引っ張り出そうとしているのだ。

かつての自分は現代社会という辛くしんどい現実から逃げるためだけ、そのためだけに私は物語に触れて夢中になっていたはずだった。


(……でもこうして、……それが今の私の命を救っているのね……)


よくよく考えれば、昔の自分もただ逃げるために物語に触れていた、わけではないのかも知れない。

その『逃避』もまた、自分の命を救うための行為だったのかも……そこまで考えて、自分がどうしてこの世界にいるのか思い出せないことに気がついてしまう。死んだの……? 

いや、今はいい。そんな事を気にしている場合ではないのだ。


レイの店から一歩出た私は、隣で渋い顔をしたままのライオネルを見上げて言った。


「ライオネル、……一緒に来て欲しいところがあるの。……エレボス通りの皆さんにもお手伝いいただけるかしら? ビジネスの相談をしないと!」


その一言で、どうやら敏い彼には十分だったようだ。そして、もう隠れて見守ってもらう必要もない。

心強い右腕を得て、私はエレボス通りへと向かった。




◇◇◇




それから数日後。私は家族で住む屋敷の居間で、自分の父親・ロシェックと向かいあっていた。


「……ニーヴ。お前が商売に興味を持ってくれるとは思わなかったよ」


嬉しそうに破顔する父。私は先程彼にこう宣言したのだった。


「自分で仕事をしたいの……だからキャラハン商会ではなく、『ニーヴ商会』を建てたいの!」


理由としては親の七光りではないところで仕事がしたい、なんて話をしていたワケだが、実際のところは私に何かあったときにできる限りキャラハンの名に泥を塗らないように、という表れだった。


私がいなくなってからも、この世界が存在するとすれば……万が一『虚なるもの』を取り扱ったことで両親や、そこに雇われているライオネル他様々な人間に迷惑が掛かるのは防ぎたかった。

「全てはニーヴ・キャラハンが単独で起こした事件である」

ということを世間に納得させるためには、『キャラハン商会』ではない屋号が必要だったのだ。


しかし、父はそんな邪な考えから発したものだとつゆ知らず、私の相談をひどく喜んだのだ。文字通り、涙を流して。

彼はうるんだ瞳をハンカチでおさえながら言った。


「何度でも言おう、お前が……お前が商売に興味を持つ日が来るとは思わなかった! ニーヴ、私はとても嬉しいよ。いくらでも知恵も貸そう、支援もしよう。失敗してもいいんだ、まずはやってみなさい」

「……ええ、ありがとう、お父様……! ……そうしましたら、まずは馬と、棺桶工場があったらお貸しいただけるかしら?」


あまりにも突拍子がなさすぎたのか、さすがに「なんて?」と聞き返してきた父に、私はにっこり微笑んで見せた。









そうして、1ヶ月足らずで準備は整った。


私とライオネルは王都へ向かう馬車に揺られていた。エレボス通りで得た品物と、禁制の『物語』を積んだ馬車とで隊列を組んで。

気高い騎士のはずなのに、護衛任務の延長というにはあまりにもある意味俗っぽい商人の仕事を手伝わされていたのに彼は文句ひとつ言わず、積み荷の上げ下ろしや私が馬車に乗るのをエスコートしたりと、すっかり私の『右腕』としての振る舞いをこなしてみせたのだ。


「……ライオネル。あなたにもきっと心配させてしまったうえ、危ない目に合わせてしまって申し訳ないわ。……何が起きても、あなたは私に命令されただけ、そう答えてちょうだいね」


本来なら、平民出身とはいえ騎士というのは高い地位にいる人間なのだ。

私の密輸を黙認するところまでは想定の範囲内だったが、こんなに丁寧に手伝ってくれるとは思わなかった。


ライオネルは、黒髪の向こうでそっと目を細めて返した。


「……いえ、あなたは……妹に、真っ直ぐ対等な人間として向き合ってくれた、そうして救ってくださった御恩がありますから。それに……いっときの、人形のようだったあなたより、いまのあなたの方が……」

「なあに? 今の私の方が何?」


ライオネルは、まるで自分が何かを言いかけたこと自体に驚いたように口を閉じると、そっと私から目をそらして続けた。

ふせられたまぶたを囲む彼のまつげは長く、まるで光って見えるようで……私はようやくこの人が乙女ゲーの攻略対象であることを思い出したのだ。じいっと見つめられていることに気づいているのかいないのか、彼はぼそりとつぶやいた。


「……いえ、何も」

「そう? ……なら、いいのだけど」


がたん、と大きく馬車が揺れて止まる。馬車の外から聞こえてくる男たちの声から、王都の城門前、荷物の確認列の最後尾についたことを知る。

コンコン、馬車のドアがノックされる音に続いて、外から声がかけられる。


「ニーヴ様、でいらっしゃいますね? キャラハン家のお方でも、荷物の確認をせずにお通しすることは出来ないのです……」


私は先に、何を隠し立てする必要もないと馬車にかかったカーテンとドアを開け放って微笑んでみせた、


「ええどうぞ。くまなく見て頂いて結構よ!」


そのやり取りをしていた馬車の向こうで、【】の体をした、オンボロ荷車が通り抜けようとしていた。

私とその荷車を引く男の目線が絡み合ったのは、私たち以外にはバレていない。


「おいおいおい! ちょっと待て! 中身を改めずに王都には何を持ち込むことも出来ない!」

監査官が慌てた様子でその荷車を止めようとすると、その男――先日エレボス通りで万年筆を私に売ってくれた彼が、ことさら訛りを強くして返した。


「これは……棺、でございます。この棺は……流行り病で死んだ男を運んでいたものです。王都の偉いお医者様が、遺体は埋めて、棺はそのまま持って来いとおっしゃられて……」


監査官と警備の人間たちが、嫌悪感に満ちた顔をする。一度「病」の言葉を聞くと、途端にそれが恐ろしく、汚れたものに見えてくるものなのだ。ろくに確認もせずさっさと通れ、しかし市場の通りの通行は禁ずる、そんな触書きを荷車に貼り付けると、監査官たちはあっという間に城門を通したのだ。


(……まずは、10冊)


それを横目に見ながら、今度は『ニーヴ協会』のマークがついた馬車が運んできた、食器の満載された箱が確認されているのを眺める。緩衝材代わりに、「あくまでも食器が割れないようにするため」に、空間を埋めるために入れられたという体、主役然としない姿を見せる本や紙を、熱心に確認する人間はいない。……ここも、予想通り!

食器の箱は元通りに蓋が閉められて、王都へ入る隊列に戻って進む。……物語とともに。



計画通りに、城門を次々と『物語』が通過していくのを眺めて微笑む。楽勝、とは言わないけれど……危なげなく乗り切ることが出来ている。

だがホッとしたのもつかの間、馬車の開け放たれたままのドアを監査官がノックした。


「……マドモアゼル、失礼ですがこれは……」


一緒に馬車に乗っていた、ライオネルがぐっと眉を寄せ、身体に緊張をみなぎらせるのを見る。私は彼とは裏腹に、あくまで何事もなかったかの様な笑顔を浮かべたまま、声をかけてきた王都の監査官に向き合って見せる。


「……この植物は、王都には持ち込めないのです。閉ざされた王都の緑は外部からの環境変化に弱いため、国外の繁殖力の強い植物を持ち込むことは出来なくなっておりまして……」

商会のマークのついた小さな木箱を私に見せながら、彼は申し訳無さそうに言った。

「あら? 根をすべて落としてあるわよ? それでもダメかしら」

「ええ、種がこぼれる可能性があるもので……」

「いいわ、わかったわ。申し訳ないけれど、こちらで燃やすなり処理して頂けるかしら」

「仰せのままに」


ありがとう、そう言ってやれば男は恭しく頭を下げてから引っ込んだ。


(かかったわ)


……ブラフとして積んでいた、オイルと共に一週間ほど寝かせれば香りの高いハーブとなるだけの外生植物を満載した荷物を彼らに預ける。

中身は香りがいいだけの雑草に近いものだからなんの痛手もない。

従順な態度を見せること、そして彼らに「仕事をした」と思わせること――これが大切なのだ。


「……さあ、検査は終了です……どうぞ通っていいですよ。レディ・キャラハン」

「まあ、ありがとう! ご苦労さま!」


私の乗った馬車と、それに続く品物を積んだ『ニーヴ商会』の馬車は無事に王都の高い城壁を越える事が出来た。

そうして私は、エレボス通りの人々が手配した質が良く個性的な品物たちと、レイに託された『物語』を王都に持ち込む事に成功したのだった。



「……わあ、ここが王都……」


馬車の小さな窓越しに見るだけで、ここがどれだけ栄えているかが伝わってくるようだった。石壁に囲まれた世界の中は、この国全てをぎゅっと集めてきたかのような店の数と人の数、そして華やかさだった。花売りの少女と大道芸人、鼻の下を伸ばしながら怪しげな店に引きずられていく男も。

そして何より数が目立つのは、

(――さすが王都、聖職者たちの数も半端じゃないわね……)

普通に領地で暮らしているときには、(それがどんなに狭い領地だから、ということだけではなくて!)教会のすぐ近くでしか見なかったような白や薄紫、濃紺の長衣を着込んだ聖職者たちが目に入る。

教会に関わる者たち、つまりは……聖女を信仰している人間たち、そして「フィクション」を『虚なるもの』として憎む人たちだ。


彼らのど真ん中に自分から飛び込んだのだということを、私は改めて理解することになったのだ。






エレボス通りの人々が託してくれた商品は、キャラハン家が代々関わって来た商店や専門店を訪れ、一つ一つの商品を紹介して託していった。

自分でいうのも何だけど、腐っても、そしてそれが多大なる献金によったものでも爵位を授けられた男爵令嬢が、わざわざ仕入れた商品を自ら売り込みに来るのだ。店主たちは驚いた様子だったが、私としてはその驚きは品物の本当の魅力に気づくきっかけにさえなればよかった。


魔力が込められたアクセサリーも、繊細な細工がしてあるガラス瓶もみな喜んで店の人間は手に取ってくれたし、店に置いてくれた。そのうえ定期的な仕入れを希望する店まで出てきたのだ。

私は、不当な扱いをされているエレボス通りの人々の事を思い、一人で「ほら見てみなさい!」と誇らしい気持ちになっていた。


(……今は、私経由で持ち込まれたから置いてもいい、みたいな感じだけど……いつかは私なしで商品のやり取りができるようになるはず、今から楽しみだわ……)


そして、『物語』の隠れ蓑として持ち込みつつも、実際たくさんの人間の目に触れ、求められる結果となったエレボス通りの人々から託されたモノの取引をしながら、その途中で私は何食わぬ顔でレイが伝えてくれた書店たちに足を運ぶ。3階まで壁一面にぎっしりと本が詰まった巨大な店から、私の両手を広げたくらいの広さしかない本屋まで。立ち読みするようなフリをして、レイに言われた通りに本をそっと入れかえていくのだ。

最初は、万引き!とか怒られやしないかと思っていたけれど……彼らは私が本を2冊持っているのを見ると、素知らぬ顔で目を反らしたのだ。……わかっている、人たちだった。


『聖女マグノリアの祈りの旅路』

『コーラル領の銃製造と立役者』

『タイタニア公爵家対ウェスカー子爵家 その足跡』


(……タイトルだけで!興奮するでしょこんなの! みんなよく思いつくなあ……!!!)


一見すれば書店に並んでいてもなんの変哲もないように見えるかもしれないが、どれも少しずつおかしいのだ。


聖女マグノリアは旅嫌いで、各地を巡るなんてしたはずがない。それで問題になった異端の聖女なのだから。

コーラル領はたしかに武器の製造では有名だけれど、銃ではなく大砲だ。……これはどうやらスパイ小説みたいな内容らしい。

タイタニア家とウェスカー家の争いは……起きてもいない! ウェスカー子爵が爵位を持つ前にタイタニア家は没落して離散していたはず。

それでも、お互いに有名な騎士を出した家同士だ……確かに戦わせてみたくもなるかも。


(ああ! わくわくしちゃう!)


それでも、フィクションが全部禁じられた世界だからか、あるいはそれでもあくまでも歴史書の一部という顔をするためか、

全く突拍子もない世界や、知らない話を描いたものはない。それがまた、少し寂しいのだ。


私はふと、本の受け渡しの時にレイがつぶやいた言葉を思い出す。

『これまで、バレずに本を流通させることが出来たのは――この国の人たちが、本にも、歴史にもほとんど興味を持たないからですよ』

よくも悪くも、寂しいものだ。

ゲームの世界に聖女として、プレイヤーとして触れているだけでは見えてこない事、この世界で実際に生きるとなるとあまりにも息苦しい事が、あまりにも多い――。







無事に持ちこんだ全ての本を書店に滑りこませ、その代わりにその場にあった本を持ち帰ってきた私はホテルの部屋に入った瞬間大急ぎで鍵をかけると――ドレスがシワになるのなんかも気にしていられない、ベッドに思いっきりダイブして……ようやくお待ちかねの『物語』に手をのばす。


(……腕が震えてる、)


思わず一人で笑ってしまう。きっとこの世界に来る前の自分だって、こんなに興奮しながら本を開いたことなんてなかった。


それも仕方ないことだろう、知らない世界、何度も何度も読んでしまった、もう隅々までそらで言えるようになってしまったこの世界の歴史の話ではなくて、私の知らない世界、知らない感情がそこにはあったのだから――。


私は精神統一のために何度か深呼吸をして、それから手に入れた本の文字をこの目でゆっくりと追いはじめた。


「……最高……これだわ……!!!」


この、物語の可能性を見せつけられて打ちのめされる感覚が欲しかったの! 何だか同人誌即売会から帰ってきた時の気持ちを思いだす自分がいた。

嬉しいは嬉しいけれど、どうやってこの世界に来たのか(死んでしまったの? それとも意識を失っているだけ?)それも思い出せないクセにイベントの興奮を思い出したのに少し笑ってしまう。


(やっぱり『物語』は必要よ……禁酒法時代のスピークイージーみたいな、フィクションだけの脱法図書館作る、とか……! 夢は広がるわね……)

妄想を繰り広げながら寝落ちする、なんて――この世界に来る前では当たり前だった、でも今では手に入らなくなってしまっただらしない幸福を浴びながら、私は眠りについたのだ。



――だがその時の私は、何故王都に誰かが『物語』を持ち込むことを希望したのかも、わかっていなかったのだ。



◇◇◇


「……ふむ、なるほど……な」


その青年は、暗闇の中、一本のろうそくが照らす薄明かりの中で一冊の本を手にしながら嬉しそうに微笑んでいた。装丁を眺め、表紙をめくり、1ページ目を開く。嬉しそうな表情を隠せないまま、その青い瞳は凄い勢いで本の中の文字を追っていく。


それからふと、思いついたように目を上げると、彼の前に佇んでいた、鋭い目をした一人の老婦人に指示を出す。


「……この本を書いた人間を……、いや、これを持ち込んできた人間を連れてきてくれ」

「……ハッ。仰せのままに、王太子殿下」


教会の庇護のもと、この国で実質的には最も強大な権力を持つ男――王太子アッシュは、一人玉座の上でニヤリと微笑んでいた。



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