第2話
「……やるわよ、私も……物語の密輸を!!」
堂々たる犯罪宣言をした瞬間に腕を掴まれれば、驚くなという方が無理な話だった。私はそうされた瞬間確実に息が止まっていたし、カウンター越しの丸眼鏡の青年も完全に言葉を失っていた。
突然この店の中に現れた3人目の人間……彼は私を見つめながら叫んだ。
「お嬢様! ご無事ですか!」
がし、と強くつかまれた腕が引かれて、私は黒い布——重いマントに隠されるように誰かの腕の中に引き込まれていた。
……どうやら私の犯罪宣言で即逮捕しにきた誰かがいた、なんてワケではなさそうだ。
抱きしめられるような形になりながら、私の腕を掴んだ主の顔を見ようとする。
短い黒髪、赤い瞳――。
(えっ……これ、この顔、もしかして……)
「ライオネル・エヴァンズ……?」
乙女ゲーム「百花繚乱カデンツァ」の攻略キャラの一人、【黒騎士ライオネル】が私の腕を掴んでいた。
ライオネルは私の一言に、驚いたように目を見開いた。
「……オレの名前をご存じで?」
「え、ええ……そう、そうね……」
「……正直、オレのようなこんな下位の者の名前を覚えて頂いているとは思っていませんでした」
意外そうに見つめてくる彼の表情は柔らかいものだった。無骨ながら整った顔が、こんな風にほころぶのなんてスチルの中ですらほとんど見たこともなかった。
名前を覚えていたことに彼は喜んでくれているみたいだけど、覚えていたのは【ニーヴ】ではないから、少しだけ申し訳ない気もする。
そして原作を知る私としても、彼が「カデンツァ」のヒロインと、教会の守護騎士として作中でイイ感じになる前はどうやらキャラハン家に雇われていた様子だというのも知らなかった。
【黒騎士ライオネル】、過去にトラウマがあるから攻略には難しいキャラのはずだけど――今目の前にいる彼はそんなスチルのイメージと違って、ずいぶん優しそうに見える。
「……お嬢様が悲鳴を上げていらっしゃいましたが、この男に何かされたということですか?」
狭い本屋の中でゆっくりと剣を抜こうとするのをみて、眼鏡の彼はカウンター越しに声にならない悲鳴をあげる。私は慌ててその剣を納めさせるように、剣を握った彼の手に思わず自分の手のひらを重ねていた。
本来なら嫁入り前の少女がこんな風に異性に触れていいはずないけれど、私の希望となる男を今にも切って捨てようとするライオネルの殺気に慌てていたのだ。
「違うわ! 何もされてはいない! というよりあなた、ずっと私を監視していたの……?」
わずかばかりの変装をしていたとはいえ治安が良くないと言われるところにずんずん入って行っても無事だったのは、彼がいたからかもしれない。
「もちろんです。お父様に仰せ使っておりましたから」
……どこまで父にバレているのやら。考えると少し頭が痛くなる。
「見守っていてくれたのには感謝するわ。……でも、この件は止めても無駄よ」
「……オレは、あなたを守る盾です。盾以外の何もできません」
そっけない言い方かもしれないが、それで十分だった。ありがとう、思わず安堵の笑みを浮かべてささやくと、ようやく彼は剣をすべて鞘に戻したのだ。
それに、とライオネルは続けた。
「オレはエレボス通りの出身です、……見ていましたから、あなたのやり方を……」
少し照れたようなその一言で思い出すのは、原作ゲームの中で少しだけ触れられていた彼のトラウマだ。
貧しい地域出身で、必死に働いたけれど家族が病に倒れた時に何もできなかった記憶から心を閉ざしていたはずだ。
「……妹は、あなたに感謝している。正当な対価をもらって、自分の力で、薬を買うことができたと……あいつは、オレからの支援をめったに受け取ってくれなかったから……」
「!」
私の首元に彼の目が向けられる。つられて首元に指を伸ばせば、魔力が込められた香が編み込まれたリボンに触れる。
どんなドレスにも似合うとお気に入りのこれ、最近はいつでも付けてまわっていた。しかもかすかにハーブの香りがついているから、気持ちも落ち着けてくれる。
これを売ってくれたのは、流行病で手にあざが残ってしまっていた少女だった——。
私はにっこり笑いながら、ライオネルを見上げて言う。
「……今度、あなたの妹さんをご紹介いただけるかしら? 改めてご挨拶をしたいわ」
「……あいつも喜びます、お嬢様」
そんなやり取りに乱入するように、か細い声があがる。
「なっ……なんなんですかあなたたち……。名前も言わずに、こんな狭いところで大暴れして……!」
ようやく喋れるようになった様子で、カウンターの向こうで男が息も絶え絶えな様子でなんとか声を上げていた。
「失礼いたしました。……わたくし、ニーヴ・キャラハンと申します。こちらは私の専属騎士のライオネル・エヴァンズ。改めて言わせてくださる? ……私も、物語の密輸に関わらせていただきたいの!」
「キャラハン!? あの、成金貴族のご令嬢!?!」
眼鏡な青年は、あまりよろしくない呼び名で呼んだことにあとから気づいたようで、ライオネルの冷たい目を向けられまたカウンターの奥で小さくなっていた。
「……お茶を、どうぞ……」
「ありがとう、いただくわ。……えーと、」
「レイモンド。レイモンド・リウと、いいます……。レイ、と呼んでくださってかまいません」
書店のカウンターにいた淡い髪色の丸眼鏡の青年は、おどおどしながら私たちを店の奥の小さな部屋へと案内し、テーブルにつくようすすめると震える手で紅茶を差し出していた。
流れでライオネルも紅茶を出されているが、レイはライオネルが腰に下げた大振りの剣にびくついているようだった。
「……ライオネル、お茶の席よ。騎士のあなたにこんなことを言うのも気が引けるけれど、剣をいったん下ろしていただけないかしら?」
「……仰せの通りに」
意外にも、ライオネルは言われた通りに腰から剣を下ろすと、害意はないとでも言うようにテーブルから離れた壁に立てかけた。
騎士の態度としては破格の対応と言えるだろう、それだけでさっきまで怯えた顔をしていたはずのレイは、驚いた表情で私とライオネルを見つめていた。
(……こんな柔軟な人だとは思わなかったわ……。原作では何があって、彼はキャラハン家を出て教会の守護者になってしまうのかしら……)
そんなことを考えかけたけれど、まずは目の前にいるおどおどしている青年——レイの話を聞かなければ。
「……改めて、この本のことを教えてほしいの」
レイにむかって、先程発見した本——『第四次イラクサ戦争においての英雄ヴァレの功績』を机の上で滑らせて差し出す。
びくっと肩を震わせてからゆっくりと息を吐き、レイは最初のおびえ切った様子からは違った態度で、私を見つめてから口を開いた。
その仕草からは、私が本当に本を、『物語』を求めてくれているのだと見込んでくれたようだ――そうハッキリ感じさせるくらいの変わりようだった。
「……この、本は……実は、僕が書いたものです」
「え!!!」
思わず大きな声を出してしまったが、再びびくっと体を跳ねさせたレイを見て、驚きで忘れかけた『令嬢らしさ』を咄嗟に取り戻す。
すぐに失礼と囁いてから彼に続きを促した。
「ええと……こういう……本当じゃあないことが書かれた本は、基本的に本同士の交換で広がっていくものなんです……売り物じゃあない。別の本に紛れさせて密輸するんです」
「なるほどね。そうして、書く人間、読みたい人間を……組織に組み込んでいくのね」
誰かに読ませるのなら、同じように罪を共有する相手にだけ、同じリスクを背負える相手にだけ読ませる。今回私が割り込んでしまったように完璧な運用ではなかったかもしれないけれど、何とか外部の人間をシャットアウトしようとしていたのだ。
「……同人誌みたいなものね……」
「なんです?」
「いえ何も。続けて!」
一瞬、疑うような目をレイは向けたけれど、ふうと息を吐いてからゆっくりと続けた。
「……うちの店では、特定の場所に本を並べておいて、自分が持ってきた本と交換するんです。そうやって少しずつ、……『本当じゃあない本』を手に入れるんだ」
本来なら取引相手は明日来るはずだったし、これまで誰一人気づかなかったのに、そうブツブツとレイがささやく。
「それは……横入りしたお詫びするわ」
「いや、今となってはもう取引を延期するしかないから……。それでも、もしこの本が欲しいと言ってくれるなら、あなたも本を書かなくてはいけない。それか、……密輸を自分の足でやるんじゃなくて、もっとずっと……遠くの距離まで運ぶ係を買って出るか……」
「ええ!? それでもいいの?」
ここまでの話を聞いて、物語を書いてその組織に入れてもらうほかないと思っていたから、『密輸だけでも構わない』と言われて自分の目が輝くのがわかった。……密輸だけ、でも十分厄介なのは、隣にいるライオネルが何か言いたげに少し身じろぎをして見せたのでなんとなく察するけれどもちろん無視をする。
食いついた私に、レイは少し驚いたように、そして『正気か?』と言わんばかりの表情で見つめていた。
「ああ。危険が伴うことにはかわりない、どころかよっぽど危ない橋を渡ることになるんだから……」
「やらせてちょうだい!!」
勢いよく前のめりで改めて宣言すると、レイはきゅっと眉を寄せて困ったような表情を浮かべる。メンバーが増えることは良い事ではないのかしら、そう思ったけれど、彼はまっすぐ私を見つめて、困ったように、でも優しく笑って言った。
「……行き先も聞かずに返事をしちゃあダメですよ。運ぶ先は教会の力も強い王都のど真ん中になっちゃうんですよ。……そんな危ないことしなくても、まずは本を書いてからでも……」
「それじゃあ間に合わないの!」
19歳で迎えるはずの『ゲーム本編』の世界――逃げるべくもない破滅はもうすぐそこなのだ。この物語を愛しているからこそ、未来で不可避に起きる破滅は大好きなゲームの世界で役割を与えられ、命をもらった分は受け入れようと、なんとか納得しようとしている最中なのだ。
だからこそ――物語が始まるまでの世界ではせめて好きに生きると決めたのだ。
すぐにでもこの国の歴史以外の物語が読めるなら、なんだってやるわ!
(……それに、……人に話を見せるの、って……私にできるわけがない)
転生したならその記憶もどこかにやってくれたらよかったのに、……私の心にはしっかりとこの世界に来る前のトラウマが貼り付いたままだった。
一生懸命書いたつもりだったお話。……仲良しの子に投稿したURLを連携したら、次の週にはクラス中の人間がそれを知っていて――ダメだ、少し思い出しただけで手足が冷たくなっていく。他人から見たら馬鹿みたいな話だとわかっているけれど、幼い頃の私からしたら心を粉々にされるのと同じだった。
意識をそこから無理やり引きはがすように、話題を変えて私はレイに声をかける。
「あーっと、えーと……そういえば! あなたがこの本を書いた理由は何?」
「……書くのが楽しい、から……禁じられてても、止められないくらいには」
レイは、チラリとライオネルを見てから、自嘲するように微笑んだ。
「……それに、歴史の中で活躍するのはいつだって彼みたいな強くて男らしい人なんだ。『本当じゃあない本』の中でなら、僕みたいな……剣も握れないような人間の居場所もある。……歴史の中で語られてるヴァレの話は、彼一人でこなすには広すぎると思わない? もうひとり、彼を支える人がいたんじゃないかなって思って……それが、僕みたいなヤツかもしれないよな、って……」
丸眼鏡の向こうで、線の細い青年は少しだけ恥ずかしそうに、でもイキイキと語り始めたのだ。
ああ……そうだ、そうなのよ……物語って、そういう事をしてくれるのよ……!
「わかる!!! そうなのよね!!!! いろんな人を勇気づけられるのが、居場所をくれるのが物語なのよ!!!!!!」
気付けば私はテーブル越しに目の前のレイの手を取って、大声で叫んでいた。
成金貴族とはいえ令嬢に突然手を握られてレイはもちろん驚いているし、私の隣にいるライオネルがどんな顔してるかを見るのもなんだか怖い。でも全部無視することにした。
目の前に欲しいモノをぶら下げられたオタクの勢いは、それくらいじゃ止められないのだ。
しかもそれが、このゲームの世界に転生してから10年近く手が届かないと思っていたものならなおさらだ。
「ものがたり……」
ぽつりとささやくレイに、私はさらにぎゅっと強く手を握りしめて言った。
「私は……密輸でも何でもして、あなたの書いた本を王都に届けてみせるわ!」
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