第29話 食欲と帰還

<妹> 🩶

妄想したことが無いと言えば嘘になる。

いつか、私の前におばあちゃんが現れて、二人で幸せに暮らせるという、荒唐無稽な夢を見て、自己嫌悪に苛まれた。

逃げたくせに。

もしものことになったら、今度こそ私は私でいられなくなる。そんな確信があった。そうなったら、自分が何をするのか予想すらできなかった。

自分のことが分からないことに、どうしようもない恐怖を覚えた。

気がついたら走り出していて、兄さんにおばあちゃんの代わりをしてもらおうとして、東京まで押しかけた。

当時の兄さんは、両親が電話しても一向に反応がないので、ひょっとして死んでいるのではないかと心配されていた。

ちょっと、あいつの家まで様子を見に行こうという話になった時、「二人は忙しいんだから、とりあえず、暇な私が行ってくるよ」と提案した。

両親は共働きなので忙しいのは本当だ。

でも、私は兄さんと一緒に暮らせる様に、借りを作る必要があった。

兄さんは、基本的に一人が好きだ。妹であっても自分の領域に人を入れるのを良しとしないだろう。

しかし、同時に律儀な人でもある。

何かをしてもらったらお礼をする。

これをせずにいられないお人好しだ。

そこをつく。


➖あーあー。やっぱりこうなったか。


これも、用意していた言葉だ。



➖まずは、片付けから。


相手より優位に立つために指示をする。


➖はい。


こうして、兄さんに「恩」を売ることに成功した。



おばあちゃんだ。

小説のようなタイミングで現れた。


「おばあちゃん。い、いき」


「勝手に殺すな」


眉間にさらに皺を寄せて、私の言葉を遮る。

ああ。この何も気を遣わない声のトーン。間違いなくおばあちゃんだ。


「さっき、恋愛小説の主人公みたいだったよ」


富士そばを食べながら泣いていたことを指しているのだらう。

見られていたのか。

今更だけど、恥ずかしくなってきた。


「ああいうのを、エモいっていうのかねぇ」


この歳の人が「エモい」と言ってることの方がエモいと思うのだが、口には出さない。


「あんた、それで足りんのかい?」


かけ蕎麦の器だけが乗ったおぼんをあらためて見る。


「・・・」


さっきまで、これ以上お金を使いたくないとか思っていたが、まだ自分がお腹が空いていることに呆れる。


「じゃあ、カツ丼を買ってこよかな」


「そうしな、あんたはよく食う娘だったじゃないか」


そうだった。

高校の頃の私は、バドミントン部の練習で常にお腹を空かせていた。

週末になったら現れる他人の娘にトンカツや焼きそばなど、ガッツリくる料理を出してくれていた。

部活を引退してからは、「運動しなくなってもあの量を食うと後悔するぞ」と言って、ヘルシーな食事に変えてくれた。

あの夏のそうめんも、その中の一つだった。

カツ丼を食べていると、あの頃に戻れたような気がした。


「あの後、客の小学生が救急車を呼んでくれたんだよ」


「・・・うん」


おばあちゃんがここにいるのを認めてから、その可能性は考えていた。


「あんたが私を置いてどっかに行ったと思ったら腹が立ってな、一言文句言ってやろうと探したのさ」


コロッケ蕎麦を啜りながら、雑談をするような軽い口調で語る。


「最初は、埼玉のあの辺を探したんだが、全く見つからなかった。こりゃ、無理そうだなと思ったよだけどね。ふと、あんたを探すって言い訳にして、行ってみたいところに行くことにした」


コロッケの衣だけが残った汁を啜って、一息ついて、続ける。


「で、見つけた」


ものすごく簡略化しての説明だと私でも分かる。


「無事で良かった」


蕎麦を綺麗に食べ終わり、そう言った。

「文句は?」


「帰ってからで良いよ」


ああ。

また、この人に叱ってもらえるんだ。


「うん。帰る」






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