第26話 小説家と編集者

<兄> ♠️

書けてしまった。

時計を確認したら、深夜2時だった。

流石に空梨さんも寝ている可能性が高い。

小説を書き上がったら、いつもは力尽きて即寝するのだが、今は体力が余っている。

読み返してみる。


「・・・」

悪くはない。

むしろ、文章力は上がっている。

でも、何か物足りない。

これは、俺が書くべき話なのだろうか。


「お疲れ様です。読みませてもらいますね」

午前4時。

夜中というより明朝だが、空梨さんは起きていた。

迷惑は承知の上でLINEで書き上がったと報告したら、<すぐに読ませて下さい>とすぐに返信がきた。

仕事をしていたのだろうか。

それとも、あの小説の続きを書いていたのだろうか。

10時間ほど前にご老人と3人と話したフリースペースに座り、真剣な表情で原稿を読む空梨さん。


「・・・」


この時間は、今だに慣れない。

今、あのシーンを読んでいるところだらうかとか、何の意味のないことを考えてソワソワしてしまう。

本当は、データを送りたかったのだが、<フリースペースで待っているので、持ってきて下さい>とLINEで言われてしまったので、断るのもダサい気がして、この緊張を味わうハメになっている。

それなりに時間がかかるだろうから、自販機で缶コーヒーを買う。

飲みながら、そういえば、この小説を書くちょっと前に辻村深月さんの「傲慢と善良」を読んでいたことを思い出した。

本当に凄まじい小説だった。

共感と不快感。そして、感動をくれた小説。

俺は、ああいう小説が書きたい。

けど、俺が先ほどの小説は・・・?


「読み終わりました」

空梨さんの声で脳が覚醒する。

いつのまにか寝ていたのか。

時計を見ると、午前5時半。

・・・1時間くらい寝てしまったのか。


「仕方ありませんよ。こんなに素晴らしい小説を書き上げた後なのですから」


「・・・素晴らしい?」


「はい。素晴らしかったです」


全く曇りのない目でそう言う。


「えっと、空梨、寝不足で判断力けどが・・・」


「舐めないで下さい」


ピシャッと俺の言葉を殺す。


「そんな状況で先生に感想を伝えません」


自分の誇りを傷つけたのだろう。少し、悔しそうな顔をしている。


「・・・すみません」


謝るしかなかった。

この人が、小説に関して適当なことを言うわけがないというのは、この5年間で俺も知っていたはずなのに。


「いえ。私もすみません」


そう言って俯いたが、すぐに顔を上げて仕事モードの表情に戻った。


「先生のことだから<こんなの誰でも書けるだろう>とか思っているんでしょう?」


図星だった。

小説としてよくできていると自負できるが、何処かで読んだ気がしてならない。


「書けませんよ」


言い切った。

自信たっぷりに、言い切った。


「面白いです」


「で、でも!」


俺は声を荒げてさしまう。自分の声のボリュームにビビってしまったが、伝えずにはいられない。


「俺は、10代の頃の自分みたいな人に寄り添う話を書きたくて小説家になりました。誰にも理解されない息苦しさを肯定する小説・・・辻村深月さんの<傲慢と善良>みたいな小説を書きたいんです!でも、最近、<不幸せ>を潜り込んで書けない。俺自身が<不幸せ>を忘れ出してるんです」


言いながら、俺が自分の小説に感じていた違和感はこれかと今気づいていた。

そう、俺が10代の頃に助けてくれたあの小説家達とは決定的に違うのだ。


「確かに、<傲慢と善良>は、傑作です」


「はい!だから、俺も」


「先生は、違う才能があります」


え?


「私が物心ついた頃から、<本が売れない>と言われています。紙の本は、何年後まで生き残れるのか心配しなくてはいけないレベルです」


出版業界の問題点を語っているのに、空梨の目は曇りないままだった。


「<傲慢と善良>のような小説にまで辿り着く読者は、悔しいことに少ないです。ハードルが高いんです。絵の知識がない人がいきなり美術館に行くのは、怖いと感じて当たり前でしょう?まずは、小説は難しくなく、楽しいものだということを伝える必要がある。先生、あなたは、その才能がずば抜けています」


こんなに、出版業界の未来を考えていたのか。

俺は、俺のことしか考えていなかったのに。


「今、読ませて頂いた新作は、読書の習慣がない人も読みやすいです。それに加えて、小説ならではの表現も沢山あります。小説の楽しさを伝えるには、最高傑作です。こういったものを書ける人は、そうそういません」


そう言われて、何も感じなかったと言うと嘘になる。

俺は、文芸の化物達と戦えないのかと絶望感があった。

そんな俺の様子を見て、空梨さんは、「トイレですー」と言って去っていった。

一人にさせてやろうと思ったのだろう。

本当、空気を読みすぎるほどに読める人だ。

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