第10話 ランニングと風呂

<兄> ♠️

こんなにもキツかったっけ?

まずい。このペースでは保たない。幅を小さく、息を丁寧にしなければ。

・・・。

よし。後2キロくらいだったらいけるだろう。

土曜日の8時は、人が少ないので咳払いに怯えるリスクはいつもよりは低い。歩いている時はイヤホンをするのだがら走るとなると、汗と振動で壊れてしまいそうなので、イヤホン無しの外出を数年ぶりにしてみた。

完全な0とは言えないが、平日の昼間に比べれば全然マシだ。

3月中旬のまだ春になりきっていない寒さの中、ゆっくり走る。

よく景色を楽しみながら走るのが気持ちいいとか言う人がいるけど、フォームや息を正すのに忙しく、景色を気にしている余裕がない。

早く走りたいという、幼稚園児の頃からの欲求を未だ持っている。

速さは、基本的に格好良いものだと、男の子は歳を重ねても思っている。

ちゃんと考えたら、プロにでもならない限り、別に人生の役に立つものでもない。

それなら、何故俺は走っているのだろう。

健康のため?執筆のため?

格好つけるため?


午前9時にシャワーを浴びる贅沢をしてしまう。

思ったよりも汗をかいたので、妹に風呂場に放り込まれた。

風呂の時間は、あまり好きではない。面白くないからだ。温泉にも同じ感想を抱いており、湯船に入っているという状況を気持ちいいとは思えない。しかし、身体が休まるらしいので、2分くらいは浸かる様にしている。その2分が暇で暇で仕方がない。

完全なる無である。

無の時間といえば、睡眠以外はこの2分間くらいかもしれない。

朝の眠い時間もラジオを聞いているし、考え事をしている時も多い。

漫才師が間が怖いと言うのと似ている。漫才は、一応立ち話という体の演芸なので、黙って笑いを取るのは難しいのと同様、何もしていない時間が怖いのだ。

しかし、今、風呂に浸かっている状態は、そこまで苦ではない。

脳がサボっている。

俺も叱るつもりもない。何だったら半日は休んでても良いと言ってしまいそうなくらい心地良い。


「情けない。たかだか30分くらいでしょ?」

押し入れから引っ張り出してくれた扇風機に当たっている俺に、妹が呆れ顔で言いながら通り過ぎる。

「全く仰る通りです」

しかも、家から出てすぐの自販機でスポーツドリンクも買ってきてくれたものだから、頭が上がらない。

4月中旬に扇風機を使う罪悪感に苛まれながら、横になる。

ランニングでではなくのぼせてダウンするとは思わなかった。


「・・・はーあ」


こうして横になっていると、見慣れたはずの家の別の顔が見えてくる。

我が家は、本棚がそこら中にあるのだが、本の背表紙が並ぶ手前に埃が少し溜まっているのに気づく。

気になる。

雑巾で拭きたい。

頭では分かっているが、身体が動かない。

埃を視認したものだから、脳内は埃のことでいっぱいだ。

動け。

動け。

動け。

足に力を入れる様に努める。とりあえず、膝を使うんだ。膝から上体を上げてしまえばこっちのもんだ。


「うぐぁ・・・!」


声を出して気持ちも高める。


「ズぁィ・・・!」


一気に膝から起き上がる。


「がルゥっあ!」


立った。

ついに、立った。

よくやった。俺よ。あのまま1時間無意味にダラダラする可能性もあった。しかし、今回の俺は意思を見せた。今だったら何だってできる気がする。誰でも守れる気がする。やはり、俺の人生は俺が主役なんだ。それなりに売れてイケメン俳優が俺をやってくれる作品の主人公だ。

さて、やるとするか。


「・・・」


「何突っ立ってんの?」


洗濯物を取り込んでリビングに持ってきた妹が無表情で聞く。


「なにするために立ったのか思い出してる」


「ガンバー」


本当に興味がないのだろう。

家族だからこそ許される無関心が心地良かった。

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