第9話 空洞と殺意

<妹> 🩶

「兄さん、どこか行くの?」

土曜日の午前8時、通常なら兄さんはまだ寝ている時間のはずなのに、リビングの方で生活音が聞こえたので、起きてしまった。

寝ぼけ眼でリビングに行くと、ランニングウェアを来た兄さんが朝食を摂っていた。

いつもなら、朝食を作るのは私の役割なのだが、先を越されてしまった。しかし、兄さんが食べているのは、コンビニの焼きそばパンだったので、完全敗北ではない。

いや、そんなことより、服装だ。

何故、ランニングウェアを着ている?


「ん。おはよう。ちょっと走ってこようかと思って」


走ってこようかと思って?

じゃあ、そのランニングウェアは、ファッションではなく、正規の使用方法で使うということか。


「・・・ふーん。いってらっしゃい」


ノロノロ自室に戻る。

変じゃなかっただろうか。

自分がどんな顔をしていたが分からない。

上手く、無関心を装えてたら良いのだけど。

すっかり眠気も覚めてしまったがもう一度リビングに行く気にはなれない。

私に気を遣っているのか、ラジオの音は聞こえないが、まだリビングにいることは確かだろう。


「バカだなぁ」


つい独り言がでる。

やっと、あの地獄から抜け出せたのに。



兄さんが高校1年の頃、私は小学4年生だった。

当時の私から見たら、高校生の兄さんは、ひどく大人に見えて、少し怖かった。この頃はあまり、会話はなかった様に思う。別に仲が悪いわけではないが、何を話したら良いのか分からなかった。たぶん、兄さんもそうだった。

でも、兄さんの身に起きていたことは把握していた。

本人から話を聞いたわけでも、両親から聞いたわけでもなく、3人の会話を盗み聞きしていた。

身内の贔屓目抜きでも、何故、兄さんがそんな目に遭わなくてはならないのかが分からず、憤慨していた。

部活の顧問如きが、何を粋がっていたのだろう。

プロ選手になれない、中途半端な運動馬鹿がなる職業、体育教師。授業の内容なんてあってない様なもので、「走れ」「投げろ」「蹴れ」と命令するだけの簡単なお仕事。稀に保健体育の授業をする時は、教科書を読むだけ。あんなの、生徒でもできる。生徒指導を任される場合が多いので、自分は強いのだと勘違いする。言語化できる能力が低いから、頭ごなしの否定しかできない。

そんなクズが、私の兄さんを攻撃していると言う。

殺してやろうかと、本気で思った。

私は小学生だから、当時両親がしていたサポートはできなかった。私にできることはなをだろうと考えた。結論、諸悪の根源を消してしまえば、全ては解決する。

殺す殺す殺す殺し殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。


ますは、家を特定することから始めた。

尾行すれば、道順も分かるのだから一石二鳥だ。

学校を抜け出し、兄さんの高校の校門が見えるところを探す。近くに商業施設があればありがたい。

あることにはあったが、少し遠い。

仕方ないので、長時間いるのは不自然だが、駄菓子屋さんはあったので、そこで身を隠すことにした。

入店して、レジにおばあちゃんが本から目線をはずさずに、「いらっしゃい」とだけ言う。客に関心がないことが、この場合は有り難がった。

そういえば、ちゃんとした駄菓子屋さんに入ったのは初めてかもしれない。

当たり前だが、駄菓子がたくさんある。ふと駄菓子コーナーの反対を見ると、こたつが設置されている畳が敷かれたスペースがあった。

何故に?

答えを求めて、おばあちゃんに目を向けると、これまた顔を上げずに「そこで食べてて良いよ」と呟いた。


「あ、ありがとうございます」


これは本当にありがたい。クズが学校から出てくるのを待つ間、駄菓子が食べれるわ、座れるわ、温まれるわ。

ここは、張り込みするためのお店なのだろうか。

駄菓子を適当に見繕って、レジに持って行く。たぶん、総額200円もしないはずだ。


「いらっしゃい」


やっとこちらを向いてくれたおばあちゃん。ちゃんと正面から見るとわ中々の美人さんだ。お年寄りの見た目は、ほとんど同じなんじゃないかと思っていたが、この人は違うのが分かる。白髪頭だが、髪質はいい様で、サラサラだし、量もそれなりだ。また、痩せすぎず大きすぎすの体型。服装は、男の人が着る作務衣に似ている。いや、作務衣そのものだ。ファッションてしてのアイテムではないが、この人が着るとお洒落に見える。

会計をしている姿に見惚れていた。袋に入れて商品を渡してくれる時に、右腕の作務衣が少しズレた。


「・・・」


なんか、右手に模様が書いてある。

黒だが、あれはマジックではない気ががする。書いたというより、掘った感じ。

小学生でもその存在は知っていた。

映画の怖い人達がつけるもの。

簡単には取れないもの。

温泉に入れない十字架を背負うもの。

刺青だった。

おー・・・。

これは、あれを殺すのがどうでもよくなるくらいのインパクトだ。

甚平で、刺青の老人。

キャラが立ちすぎだろう。

ところで、この私、刺青に憧れがある。

シンプルに格好いいし、温泉に入れないというリスクを飲み込む潔さもよい。

私はあまちゃんなので、社会の目を気にして、大学生になっても掘れずにいる。いつか、とは思っているのだが、そのいつかが見当もつかない。

この時が、映画や漫画以外の現実で、初めて刺青を見た瞬間だった。見てはいけないものを見た感覚。それは、一種の性的興味に似ていた。しかも、美人の老人ときた。性癖が歪む。

あんまりガン見するのもはしたない。私はポーカーフェイスで駄菓子を受け取り、こたつへ向かった。

こたつの中でノソノソと、自分がリラックスできる姿勢を探す。お尻の位置、肩の力加減、女の子座りか胡座かを決める。

悩んだ結果、胡座をかくことにした。普段は、女の子座りの方が多いのだが、駄菓子屋には似合わない様な気がしたのだ。

さて、ここからなら校門がバッチリ見えるから、駄菓子を食べながらゆっくり待とう。

チョコ系が多かったので、少しはしょっぱいものが欲しくなった。こたつから出て、追加で駄菓子を買いに行く。

しかし、しょっぱい系は、今まであまり食べたことがないので、どれが美味いのか分からない。


「あ、これ知ってる」


駄菓子にしては大きいパッケージのベビースターラーメン。流石にこれなら食べたことがある。知っているという安心から、3袋購入。レジしてくれているおばあちゃんの右腕に注目してみたけど、今回は見れなかった。

再び、こたつに向かおうとすると、おばあちゃんが何か言ってきた。


「え?」


決して小さい声というわけではなかったのだが、話しかけてくれる可能性を考えていなかったので、聞き逃してしまった。

おばあちゃんは、気を悪くした様子もなく、もう一度言ってくれた。


「ベビースターには、お好み焼きが合うよ」



駄菓子屋は、何も駄菓子だけを売っているわけではない。夏はかき氷もあるし、おもちゃだってある。中には、お好み焼きを作ってくれるところだってある。

そう、目の前で作ってくれる。


「・・・」


思わず見入ってしまう。

もちろん、校門にも神経を向けていたが、おばあちゃんの巧みなヘラ捌きに夢中にだった。

たまに、家でもお好み焼きを両親が作ってくれるが、やはり仕事にしている人は、素人でも何かが違うと分かる。無駄がないというか、洗礼されている。


「はい。おまちどう」


そう言って、レジへ引っ込んでしまう。

言われた通り、ベビースターをかけてヘタで食べる。ちなみに、ヘタで食べるのも初めてだった。


「おー・・・!」


ベビースターが加わることで、さらにジャンキーな味わいになっている。男子高校生が大好きな味だ。つまり、私の好みだ。


「あの、美味しいです」


「そうかい」


ほんの少しの微笑で答えてくれた。いや、もしかしたら、顔を体操をしていただけなのかもしれないと思うほど、微かな表情の変化だった。

現在、午後5時。

夕飯が入るか心配になってきたが、もうどうにでもなれと完食した。

それからも、張り込みを続けたが、クズは現れなかった。このお店、6時に閉店とのことなので、断念。

今日は休みだったのだろう。

と、思っていたが、1週間この調子だった。

おかげで、この駄菓子屋のラインナップを総ざめしてしまった。

財布が軽い。


1週間経ってやっと、車で来ているのではないかという可能性を考えた。

小学校にも車で通勤している先生がいて、カースト上位女子からチヤホヤされている。車で通勤することの何が格好いいのか分からないが、その先生もまんざらではなさそうなのが気持ち悪かった。

学校をという、狭い世界で表面上の人気者になる大人に、私はこの頃から嫌悪を抱いていた。

例外もいるだろうが、直で教師になった者は、学校を卒業して、学校に勤めるという流れになっている。つまり、バイトやボランティアを除けば、社会経験が異常に乏しい人間が教育、教えて育てる職業に就くわけだ。言わば井の中の蛙。

閑話休題。

そんなわけで、今度は駐車場を注視することにした。校門とは別の場所にあるため、大変お世話になったあの駄菓子屋ともお別れだ。また、見張れる場所を見つけないといけない。

寝る前にあれこれ考えていたら、思考が明後日の方向に行ってしまい、明日の土曜日に、駄菓子屋に行って、爆買いして最後にしようという、全く関係ない結論に至った。


「お願いします!」

カゴを3個いっぱいに溢れた駄菓子達をレジに置く。何事にも動じないおばあちゃんも、流石に驚くだろうと楽しみにしていたが、いつも通りにテンポ良く会計をしてくれている。おー。コンビニでも通用しそうだ。

もう張り込みをする必要は無くなったので、このまま退店する予定だったのだが、会計が終わっても、突っ立ってしまった。

なんだ?最後の挨拶でもしたいのか?おばあちゃんにとってわたしは、ただの最近よく来る常連客でしかない。そんな奴に挨拶されても困るだろう。


「・・・」


「・・・」


お互い無言の状態が続く。

あー、もう。何がしたいんだ私は。


「じゃあ!」


沈黙を破ったのは私だったが、何の予備動作もなく、思ったより大きな声が出てしまった。

おばあちゃんはというと、例の分かりにくい微笑を浮かべて、「また、おいで」

と返してくれた。

大荷物を持って、駄菓子を出る。

物心ついた頃から、泣くことが少なかった。泣けると評判の映画を見ても、感動はするが泣くことはない。物語というのは、他人の話しなのだから、その人達が幸せになろうと不幸になろうと、どうでもいいとまではいかないが、面白ければどっちでもよかった。

もちろん赤ん坊の頃は、本能で泣いていたのだろうが、自分の記憶がある4歳からは、泣いた記憶がない。さらに、泣きそうになったこともない。

そんな自分が格好いいと思っていた時期もあったが、確かに感動しているはずなのに涙が出ないことに、ストレスを感じることもたまにある。

もうこの頃には、涙を流すことは諦めていた。

しかし、その私が、こんな私が、私如きが。

目に涙を浮かべた。

それは、目薬を刺した時よりも刺激がなく、特に面白いものではなかった。

ありふれた感覚。

普通。

それがどんなに難しいかを、異端の者は知っている。

おそらく、兄さんも。



ガコンッ

自販機の商品が出てくるこの音が好きだ。

ただ落下しているわけではなく、発車前に一気に出されている印象。

暇なので、コーラを飲みながら、何故、この音が好きなのかを考えてみる。

何かに似ているのだ。それも、とても身近なものに。


「・・・あー。うんこだ」


変な独り言が出てしまった。

そうだ。うんこが肛門から出る感覚と似ている。

最後の部位を出し切る時の、若干の抵抗を感じながらうんこを出して、うんことの戦いに勝った気になるあの瞬間が好きで、その気持ちよさを自販機にも感じたのだろうり

上手く自己分析できて満足したが、現実は変わらない。

1週間、駄菓子屋以外の潜伏場所を探したが、あれほどの好条件が、狭い範囲にもう一つあるなんて都合のいいことはなく、泣く泣く、自販機に隠れて張り込みをすることにした。

現在は、2月の下旬。

寒いなんてもんじゃない。

そこそこ暖かい格好をしているつもりなのだが、手も足も感覚がなくなりつつある。

そんな中、クズが駐車場に現れた。

赤い車に乗る。私は、授業中とは比べ物にならない集中力で、ナンバーを覚えた。

さて、ようやく進展した。

しかし、車で移動しているのなら、こちらも、それなりの足が必要になる。

車を盗むのが早く済みそうだな。

小学生なので人生を舐めているのは、ご容赦頂きたい。ガキのころの私は、周囲の目を気にせずに奇行に走っていた馬鹿な子供だった。


「どうせなら、格好良い方が良いなぁ」


もう一度言おう。馬鹿なのである。

クレヨンしんちゃんの映画で、春日部防衛隊が敵から逃げるためにバスを運転してたから大丈夫だろうと、創作と現実がごっちゃになっている危ない状態で、車を探す。近くに土手があり、その近くに止めてある真っ黒の車が、格好良く見えた。

近くに寄ってみる。

中に人はいないようなので、ドアが開かないか試そうとしたが、こちらに人が近づいてくる気配を感じた。慌てて隠れる。一応、所有者に見つかったらまずいとは思ってあたのだ。

バタンッ。

少々、威圧感のある車のドアを閉める音。さらに、エンジン音がした。

このまま、去ってくれるのなら問題ないのだが、当時の私は、「逃げられる」と焦った。自分の琴線に触れた車が自分から物理的に離れてしまうことが嫌だった。

そこで、私はトランクに反射的に入ってしまった。

完全に犯罪である。

それも、盗もうとしているのだ。子供だろうと監獄にぶち込むべきだ。こんな奴。

しかしながら、自分こそが正義だと疑わない愚かな10歳は、車が目的地に着いたら、運転手を3.4発殴って気絶させて外で寝てもらおうとした。

もちろん、それは叶わなかった。

返り討ちにされたわけではない。

勇気という名の愚行ができなかったわけではない。

良心が痛んだわけでもない。

叱られたのだ。

きちんと、大人に、納得のいく形で。



「人のものはとってはいけない。あんたの親御さんにも言われたことがあるだろう。その理由を教えてやろう。この社会は、お金が中心だ。よく、大事なものはお金では買えないとか言う馬鹿がいるが、少しでもこの社会で負けたことのある人からしたら、それは間違いだと気づくだろう。お金で、大概のものは買える。例えば、安心感が欲しいと願ったとする。もちろん、どれだけものを増やしても手に入らないだろう。となれば、人と関わるしかない。人と繋がることで、自分はこんな素晴らしい人から愛されているんだと安心感を得る。そうなりたかったら、宗教に入るのが手っ取り早い。(神はいつでもあなた方を見守って下さいますよ)こいつが宗教に昔からある誘い文句だが、結局、人間はそういう存在を求めてる。正しいことをしたら、その分誰かに褒めてもらいたい。当然の感情だ。しかし、世の中はそうはできていない。絶対に必要な不特定多数のサラリーマンやサービス業の人間を評価せず、何の役にも立たない表現者が褒められる世界。確かに、人生に疲れて神にその役割を求めることは、当たり前の思考回路だ。だけど、そのための対価を払わなければ(安心)は得られない。宗教というのは、基本的にそういう商売だ。他にもお金で買える概念はあるが、キリがないから今は話さない。自動車が移動する際に対価としてお金をかけなくてはいけないことは、お前さんも知っているだろう。自動車本体だけではない。教習所代、駐車場代や車検と、なんともお金のかかるものだ。それを、お前さんはタダで手に入れようとした。だから、私は今、怒っている」


その所有するだけでも、大変な労力がかかる自動車の助手席で私は正座して俯いていた。

運転席に座るおばあちゃんは、毎日のように見ていた、感情は読み取れないが、決して冷たくない表情で先程の話をした。

今まで私が受けてきた説教は、言っていることは正しいのだろうが、退屈な内容だった。ただ時間が長いだけで、同じ意味のことを繰り返すので、反省というよりも、またこの退屈な時間を繰り返さないように、行動を改めていた。

しかし、おばあちゃんの説教は、反省を促す力があった。

子供だからと表現を和らげることなく、自分の言葉を選んでいる。正直、よく分からないところもあったが、私を1人の人間としてみてくれているのだということは分かった。


「・・・すみませんでした」


「ん」


おそらく、謝罪を受け入れてくれたのだろう。


「ところで」


おばあちゃんは、次の問題に入った。


「なんで、車なんか盗もよとしたんだ?」


「尾行です」


ふむ。とおばあちゃんは、少し考えた後、「1000円」と言った。


「はい?」


「1000円払えば、私が車を運転してやる」


お金を払うことで、相手と対等な関係を築けたと勘違いすることができる。おばあちゃんは、その勘違いをさせたくて、そう要望したのだと、今なら分かる。しかし、小学生にとっての1000円は、大金だ。


「は、はい・・・いけます!」


初めての取引だった。



今でも治っていない面倒なことのうちの一つに、車酔いがある。

19年間、酔い止めなしでドライブ中健康に過ごせたことが数えるほどしかない。車内でぶちまけたことは、幸い一度もないが、その惨状を覚悟したことなら何度もある。

両親が、大人になれば自然に車酔いしなくなると言っていたため、当時の私は、「大人」に深い憧れを抱いていたのだが、その憧れが幻想であることを、いまの私は知っている。

元々、三半規管が異常に弱いようで、大人になった今でも、車酔いはするわ、遊園地の乗り物がほぼ乗れないわ、お酒な匂いだけで吐くわ、行動がそれなりに制限されるレベルだ。

気持ちの問題だと簡単に言う輩がいるが、19年間、車に乗るたびに体調が悪くなってきた奴がポジティブに慣れるわけがないだろう。

酔い止めも、そんなにしょっちゅう飲んでいたら身体に悪いらしいので、考えなくてはならない。

さて、おばあちゃんに車を運転してくれる際に、私が1000円よりも心配だったのは、酔い止めの調達だった。

家の酔い止めは切れていたため、買うしかないのだが、そのためにはお母さんにお金を出してもらうしかない。こっちは1000円出しているので、お小遣いがすっからかんだ。しかし、買ってもらう理由を説明するのが難しい。遠足でバスに乗るみたいな予定がないのだ。いつも使っている私に合っている子供用の酔い止めは、税込657円。理由も言わずに出してもらうには高すぎる。おばあちゃんも忙しいので、こっちの都合で振り回すわけにはいかない。よって、翌日、酔い止めなしで尾行する覚悟を決めた。

よく、気の持ちようと言われるので、気合いを入れている今だったら大丈夫だろう。

結果、盛大に酔った。


「大丈夫かい?」


足元を見つめて微動だにしない私に、おばあちゃんはそう言って、ペットボトルのスポーツドリンクをくれた。チビチビ飲んでいたら、多少マシになったので、コンビニに止めていた車から降りて、外の空気を吸うことにした。

空気が美味いという表現は昔からあるが、私にはどうにも分からない。こうして車酔いしている時は、外の空気を吸うことで気分転換になることは認めるが、ここ埼玉の空気と家族旅行で行った北海道との違いは見つけられない。両方、車酔いした時に助けてくれる友達で、そこに差はない。その時の空気も、変わらず慰めてくれた。


「ここまで酔いやすいとはね」


おばあちゃんにそう言われるのも無理のない話で、出発して2分も経たない内に気分が悪くなり、クズの車を睨むこともできないまでになり、おばあちゃんが「吐かれたらかなわん」と、尾行を中止して、近くのコンビニに駐車してくれたのだ。

情けない。

こんなに環境に恵まれているのに、尾行一つ満足にできない。

兄さんの力になれない。

・・・最近、兄さんと話せてないな。

兄さんと楽しく過ごすためなのに、もう1ヶ月近くコミュニケーションをとっていない。

いけない。体調を崩すと考え方がネガティブになる。

全ては、奴が消えれば解決する。


「い・・・おーい」


おばあちゃんの声。


「とりあえず、私の家きんさい」



恥ずかしながら帰ってまいりました!

覚悟を決めた顔をしてこの駄菓子屋を去ってからわずか1週間で再びの入店。

しかも、今回は店の先にあるおばあちゃんのプライベートスペースにまで入ってしまっている。

レジの後ろに襖があり、そこを開くと畳の部屋があった。

なんてことのない、日本に昔からある形式の部屋だ。

ところで、私は人の家の匂いが苦手な奴だ。

うっすら臭いとまで思っている。

耐え切れないほどではないが、嗅がずに済むのなら遠慮したいくらいのレベルの苦手。

下手をすれば体調が悪化する可能性もあったが、おばあちゃんの家は、驚くほど匂いが薄かった。

箪笥やテレビ、テーブルくらいしか家具がない。

余計なものがない、洗礼された空間。

おばあちゃんが台所に行き、何やらお湯を沸かす音が聞こえてくる。

待っている間、何もすることがなかったが、ただ寛ぐことができた。


「はいよ」


おばあちゃんが出してきたのは、しじみのスープだった。

しじみは、疲労回復に効くとされており、車酔いでグロッキーな私に最も適した食事だと言える。


「ありがとうございます」


「良い良い。礼なんて。さっさと食いや」


「いただきます」


何から何まで、ありがたすぎる。

少しだけ口に含み、今の状態でも摂取して大丈夫なことを確認できたので、ゆっくり完食した。


「ん。ちょっとは良くなったかい?」


「はい」


「そんなに辛いなら、やめた方が良いよ」


今までと変わらない口調だったが、私にとっては罵声を浴びせられた様に聞こえた。

私の存在理由を否定された。

何故、優しいおばあちゃんがそんな酷いことを言うんだろう。


「あんたを見ていると、懐かしくなる」


「?」


「他人の為に怒れることは美徳だけど、自分のことも見てあげなさい」


他人?

他人じゃない。一番大事な人だ。それをこの人は分かっていない。


「ありがとうございます。けど、私がやりたいことはこれなので」


誰しもが自分を持っているわけではない。趣味も特技もない。

よって、他人にも興味が持てない。

本来、自分という物差しで図ってこの人は自分に合う合わないを決めていくのだと思う。しかし、「何もない」という共通点を見つけることは、案外難しく、個性を持っている人が宇宙人に見える。

唯一、家族を除いて。

血が繋がっているという、これ以上ない共通点。

この間観たドラマで、家族同士は何でも分かり合えると言っていた。

なんて素晴らしい関係だろう。


「私には、これくらいしかやることがないんです」


物心ついた時から、何も面白いと思えない。

スポーツも、アニメも、恋愛も、芸術も、グルメも、お笑いも、映画も、釣りも、山登りも、ドラマも、YouTubeも、買い物も、ボランティアも、会話も、あやとりも、けん玉も、ゲームも、散歩も、勉強も、音楽も、動物との触れ合いも。

やり方は分かる。ある程度続けて、コツも掴める。

でも、ダメだったら。

4歳から探してきた楽しいもの。そんなものは無いのかもしれないと諦めかけた時に、兄さんの話を聞いた。

自分のことの様に怒れたことが、嬉しかった。

私は、家族のためなら、感情を動かすことができると知ってからは、毎日が楽しかった。


「そういう生き方をしていたら、近いうちに破滅する」


おばあちゃんは続ける。


「今すぐやめろとは言わない。それは、お前の良いところでもあるんだから。少しずつ、熱を覚ましておきなさい」


「は、、い?」


なんか良いことを言っている雰囲気を感じたので、喧嘩腰は控えたが、よく分からなかった。分からないなりに、返事だけはした。

おばあちゃんは、呆れ半分、悲しみ半分みたいな顔をして、台所へ向かった。



それから1週間後、再び1000円を払ってクズの家に行ったが、郵便受けにカラスの死骸を入れるだけにした。

酔い止めをしっかり飲んだ朝、駅から駄菓子屋さんまでの土手を歩いていたら、カラスの死骸に出くわした。

カラスはどっちかと言えば好きな方なので、なんとく眺めていた。ふと、世間的には嫌われていることを思い出す。

これを郵便受けに入れるのはどうだろう。

そう考えて、コンビニでうまい棒を5本(後にうちで買えとおばあちゃんに怒られた)を買い、レジ袋をデカいのにしてもらった。

袋をぶら下げておばあちゃんに中身を見せたら、「丁度良いじゃないか」と言われた。

こいつで嫌がらせをしてやれと、話し合った結果、郵便受けに入れることに決まった。

確かに、丁度いい嫌がらせなのかもしれない。

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