第7話 兄の高校時代と理不尽

<兄> ♠️

学力は大事だ。

大人になってから困るというだけではない。進学する上で、偏差達が低い学校には、必然的に程度の低い奴らが集まる。例外もあるだろうが、9割がクソだったら残りのまともな奴らは、多数決で負けてしまう。数が多いだけの馬鹿に、負けてしまう。


中学で部活や行事に労力を注いだ結果、馬鹿になっていた。仲のいい友達は、みんな俺より成績が良かったから、別の高校に進学して行った。

俺はというと、自分でも入れる、そこまで遠くない高校になんとなく入った。同じ中学の奴はいなかった。

どんな場所だろうと、上手くやれると思っていた。しかし、俺のやり方は、ことごとく通用しなかった。

ます、学級委員に立候補して、発言力をつけようとした。簡単になれたが、女子の学級委員は、こちらが話しかけでも無視を続けていた。

何故か分からなかったが、数日経ったある日、その学級委員と友達が俺の悪口を言っているのを、廊下で聞いてしまった。


「学級委員になろうって男子なんかいないと思ってたのに、あいつマジ空気読めないよね」


「ほんっと、死んでほしい」


それが高校での1つ目の挫折。

気を取り直して、部活を頑張ろうと思った。

中学で陸上部の部長をしていたから、高校でもやるつもりだった。

部員数が少なく、弱小中の弱小。

これならば、すぐに発言権を取れると、意気揚々と入部した。

しかし、部員数が少ないということは、仲間が少ないことと同義だ。

中学から引き続き長距離を選択したが、なんと俺1人しかいなかった。

1年生は、地獄だった。

まず、顧問と合わなかった。

女性。40代半ばの体育教師で、自信が無駄にあるが、仕事はできないし、頭も悪い。

そんな教師とマンツーマンで活動していたら、どうなるか。

心が壊れた。

「お前は口だけだ。本気でやりきろうという気概がない。そんなんじゃ社会で通用しない」「暗い。少しは楽しい顔しろ」「言っている意味が分からない。勉強しろ」「読書が趣味?暗っ」「そんなんだったら帰れ!」「昨日、本当に帰ったよな?頭おかしいんじゃないか?」

心が死んでいく。

1人なので、励まし合う仲間がいない。顧問はダメ出ししかしないため、モチベーションは日々低下していく。説教を通り越して人格否定まで及んだ「教育」は、俺の心を蝕んでいった。

それに加えて、咳払い恐怖症も続いているので、ストレスが中学時代よりも6倍はあった。

中学までは、そこそこ好きだった走ることも、気がつけば顧問に無駄なことを言われないための手段でしかなくなり、いつしか、苦痛にさえなっていった。

徐々に、学校を休みがちになる。

完全な不登校になれれば、その顧問が何らかの責任が生じたのかもしれないが、中途半端に登校していた。

そんな中、マラソン大会がやってきた。

俺の唯一の得意分野だ。

苦痛とはいえ何かで1番になりたいという欲求は残っていたので、全力を出した。

野球部やサッカー部の先輩を追い抜くのは難しかったが、意地で1位をもぎ取った。

嬉しかった。

小説家らしく、もっと気の利いた表現でその時の気持ちを表したいけど、そうとしか言いようのないくらい、嬉しかった。

さらに、1位から3位までは全体朝礼で表彰状を貰えるとらしい。実際にホームルームで担任の先生が言っていたので間違いない。

それだけを楽しみに日々を絶えていたが、1週間経っても話がこない。

はてな?

そう思いながら部室の鍵をもらうため、体育教師の職員の扉をノックしようとしたら、薄い扉の中で顧問が「表彰状作るの忘れちゃったー」といつもより甲高い声が聞こえた。他の複数の体育教師も笑っている。何が面白いのだろう?いつも、俺を罪人の様に扱っている人間が、自分のミスを恥ずかしげもなくネタにしている。

間髪入れずにノックした。

その時の連中は、怒った顔をしていた。

怒りたいのはこっちなのだが、「空気読め」と表情が語っていた。

何を言うでもなく、無言で俺を見ている。

気持ち悪い。

人を馬鹿にして盛り上がっていたら、本人が登場して気まずいので、そいつにがんを飛ばす。

ガキか。

この高校では、精神年齢6歳の馬鹿が体育教師をしているらしい。

結局、その年は俺だけでなく、上位10人に賞状は渡されなかった。

さらに、クリスマスの他の高校との合同練習の時も酷かった。

クリスマス当日に組まれた合同練習には、予定がある他の部員が行けなくなり、俺1人での参加となった。

明後日が当日だと言う。高校までの地図を渡されたのだが、Google mapをそのまま印刷しただけの雑過ぎる紙っぺら1枚だった。こんかもん、なんの役にも立たないので、「これではちょっと・・・」と遠慮して気味にもっと詳しい地図をくれと提案してみたが、「は!?」と返されて、会話をする気力が根こそぎ持っていかれたため、そのまま帰宅した。

帰り道、どう考えてもあの地図では行けないことを再確認して、帰ったら、詳しい道順を自分で調べるしかないと結論づけた。

家に帰って、母親にこの紙っぺらだけ渡されたと話すと、「こんなんで行ける人がいる訳やないじゃん」と言ってくれた。自分の価値観だけではなかったことに安心して、ネットで調べたところ、なんとも分かりづらいところにあって、ちょうど良いバス停も近くにない。サイド、母親にそう話してみると、「明日、一緒に自転車で行ってみて、場所を確認しよう」と、渋沢栄一並みに優しいことを言った。

少し、過保護かも知れないが、誰も信用できる人間がいなかった当時に、自分のために時間と労力を使ってくれる大人がいたことが、俺の精神をギリギリのところで支えていた。

片道1時間もかかる道のりを走ったおかげで、迷う心配はなくなった。

クリスマス当日、集合時間の30分前につき、校門で顧問を待つ。

10分・・・来ない。

15分・・・こない。

20分・・・コナイ。

25分・・・こナい。

合同練習の相手方に挨拶する時間も欲しいので、探して挨拶しなければならない。

向こうの人達は、普通に受け入れてくれたが、俺が不審者だという可能性はこの段階ではあったのだ。

この場をセッティングした教師が連れた高校生なら、その可能性はほぼゼロだろう。しかし、1人で現れた会ったことのない奴に、「〇〇高校の陸上部員です」と名乗られても、確認をしてからでないと、合同練習の話を聞いた童顔の変態が学校に忍び込んでいる可能性は、否定しきれないだろう。そういったことが起こらない様に、顧問は責任を持って部員と共に挨拶するべきなのだ。

向こうの高校は、15人ほどいたが、あまり話しかけられなかった。こっちは味方が1人もいないのだ。

練習が始まったら、もう集中するしかないのだが、どうしても、顧問がどんな面をして現れるかが気になった。

2時間後、向こうの高校の先生にヘラヘラ笑って謝っている顧問を見た。さすがに俺にも一言謝るだろうと思ったが、練習が終わるまで話しかけてこなかった。あまつさえ、呼び出されて、ダメ出しをされた。

いつだったか、説教の内容の中に、「私も自分が悪い場合はお前にだって謝る」と言っていたのを思い出した。その時の顧問は、「こんな下の奴にも謝ることができる自分カッケー」の顔をしていた。

何故、謝らなかったのか?

可能性1 説教でカッコつけて言っただけで、元々謝罪ができない人間だった。

可能性2 俺に謝ることを忘れていた。

可能性3 俺を見下している。

可能性4 可能性1と可能性3の融合。

俺は、4が濃厚だと考えている。

実は、それ以前にも、似た様なことがあった。

大会当日、顧問が集合時間を30分過ぎても姿を表さなかった。

仕方なく、三回ほど、携帯番号に電話してみたが、出ない。

重い練習道具を車で運んでくれることになっていたので、アップが始められず、自分達の陣地がどこにあるのかも、顧問しかいなかったので、電話するしかなかったのだ。

そこから、さらに20分待たされて、到着した第一声、「運転中に何度も電話かけんな!」

そういう人間なのだ。

教師としての職務も、自分の言葉に責任を持つこともできない、でかい子供。そんな奴が、教育しているわけだ。

うんざりしているだろうが、他にもエピソードがある。

入部して間もない頃、1年間の目標を書いて、部室に飾れと言い出した。

これに関しては、中学でもやっていたから、違和感なく、「1500m4分半を切る」と書いた。当時の俺の自己新が4分45秒だったので、丁度良い目標だと思ったのだ。

しかし、提出したら、つっかえされた。

再提出だ。

数字がダメなら、精神面を書いたら受けるのかと考えて、「ネバーギブアップ」と書いてみたが、これもつっかえされた。

数字も精神面もダメとなると、もっとシンプルに「文武両道」と書いてみた。この辺りから、自分の意思はなく、顧問が納得する目標を書いて、さっさと終わらせたい気持ちが強かった。

しかし、これも却下。

何が良いのか分からなくなり、紙を睨みつける。

何も出てこない。

本来、目標というのは、人に却下されるものではない。自分のモチベーションになれば良いのだ。

一緒に付き合わされるチームメイトに申し訳なく思いながら、計7回ボツにされた。

その7回のルーティンは、部室で目標を書き、2階にある体育教師の職員室まで移動して、顧問にボツを食らい、また部室で目標を考える。この繰り返しだ。

5.6回目辺りで、もしかしたら、自分は一生これを続けるのではないかと、本気で恐怖した。

最終的に、自分の目標がどうなかったかは、覚えていない。自分の中にないものなのだから、記憶に留めておくのは難しかった。

そんなことが日常茶飯事だったある日、いよいよ限界を迎えた。

もう辞めるしかないと思い、両親に相談した結果、休部という形で、少し休んでみてから、退部をもう一度考えてみることになった。

両親の指導の元、しっかりした文面の休部届を書いた。

当時の、休部届の文面は以下の通りだ。

翌朝、提出したところ、「よく分からない」と、またつっかえされた。

つっかえすのが好きな奴だな。

何が分からないのかが分からないという、成績優秀者のようなことを思いながら困惑していると、今日の放課後、生徒指導室へこいと言われた。

まさか、自分が生徒指導室に呼ばれることになるとは。俺はこれでも、ルールを守って、真面目に学生をやっていたつもりだ。

あくまで部活動であり、生徒の意思で続けるか辞めるかを決めて良いと、10年経った今でも思う。それなのに、何故、顧問はつっかえしたのか。自分の評価が下がることを気にしたのだろう。

人数が極端に少ない部活。自分で言うのもなんだが、俺は唯一の実力者であったため、辞められたら、「こんな少人数の部活も管理できないのか」と上司に思われることを恐れたのだ。実際にそうなのだから仕方ないだろうに。

生徒指導室で何が行われたのかというと、カウンセリングだった。

「お前は心が弱っている」だろうだ。

8割型あなたのせいなのだが。

大学で心理学を齧っていたとか言って、ノートに何か書き始めたが、その内容はびっくりするくらい覚えていない。とにかく、この気持ち悪い時間が少しでも早く終わって欲しかったので、「そうですねあなたの言う通りです」と、相槌を打っていた。頭の中では、いよいよ校長とかの権力がある人に動いてもらう方法を考えていた。

しかし、結果的には実行せずに済んだ。

1時間ほど、カウンセリングもどきをしてから、「私は4月から別の高校に異動になるけど」と、ついでの様にもらしたからである。

棚からぼたもち。

その諺に一致した、唯一の瞬間だった。


それからも、咳払いの件や後遺症もあり、休みがちで順風満帆とはいかなかったが、なんとか卒業式を迎えることができた。爽やかさとは程遠い、これからの人生、何も楽しいを想像できない、灰色な気持ちだったが、とにかく、3年間耐えたのだ。

卒業式を終えて、数少ない知り合いと話していた。おそらくこれで最後になるだろうから、できるだけ楽しい会話を心がけた。

そんな中、顧問が笑いながら現れた。

学校から呼ばれたのか勝手に来たのか分からないか、とにかく現れた。

俺は、考えるより先に身体が動き、知り合い達に「じゃあ、また会おうね」と声をかけて、顧問とは反対方向に走って逃げた。

その際、卒業アルバムを部室に忘れてしまい、いつか取りに戻ろうとしていたが、今日でもう10年になる。確実に捨てられているだろう。しかし、それでいいと思っている。

同時に、顧問の存在も捨てた気になれたから。

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