魔王軍でも会議は無駄。第3話

 魔王城の地下には驚くべき広さの地下空間があった。

 それこそ、広大な魔王城がすっぽり入るほどの広さだ。

 ここでは何もかもがあほらしくなるほど大きい。

 地下空洞の崖沿いに永遠と造られたくだり階段を降りていく。

 崖の岩肌からは、汽水湖の水がにじみ出ているのか、ところどころから水が滴り流れ出ている。

 その水はとても臭い。汽水湖なので多少の磯臭さはあるのだろうが、磯臭さというよりはまた違った、なにかが腐ったような嫌な生臭さを感じる。

 崖沿いの階段を数分降ったところで、外界からの光が完全になくなる。

 普通の人間では何も見えない暗闇なのだろうが、今の私は吸血鬼だ。外の眩しい陽の光よりもこの暗闇の方がよく見渡せる。

 そこは異様な場所だった。

 ランスの奴が地獄と言っていたのもうなずける。

 この地下空間は絶壁の崖に覆われた盆地のような場所だ。

 それを蓋する様に巨大な魔王城が立てられているのがこの地下空間に来ると理解できる。

 いや、実際にはこの場所を守るために魔王城は蓋をする様に建てられたのかもしれない。

 なぜなら、この地には未だに闇の女神が眠っていると言われているからだ。魔王城はまさに地獄の蓋なのかもしれない。

 また石橋の外にいるミリオンズの連中の最終目的は、その闇の女神の討伐だ。

 だから、ミリオンズの連中もあの石橋を壊せずにいる。

 魔王軍を全滅させるだけなら、石橋を壊してしまえば、現状はそれで実質魔王軍の無力化はできてしまう。

 何にでも襲いかかる海竜共がいるので、それで魔王軍を永遠にこの島に閉じ込めておくことができる。あの石橋を再建することも海竜がいるので事実上不可能だ。

 が、それでも闇の女神が再び目覚めるようなことにでもなれば話は別だ。

 そうなってしまえば、滅ぼされるのはミリオンズであり聖帝国の方だ。

 そのためにも、ミリオンズは闇の女神が覚醒する前に、この地下空間に到達し、闇の女神が復活しないように完全に葬り去らなければならない。

 それこそが、神殺しこそが、ミリオンズの真の目的なのだ。

 なので、ミリオンズは唯一の出入り口である、あの石橋を破壊できない。

 そう聞くと、魔王国側にも勝機があるように思える。

 眠っている神が再び覚醒する。

 そうすれば魔王国がこの戦に負けるようなこともなくなるだろう。ミリオンズとて神の祝福の一端でしかない。

 神そのものが一度目覚めればミリオンズとて太刀打ちは出来まい。

 だが、神が目覚める、そのようなことが本当にあるのだろうか。

 そもそも闇の女神が本当にこの地に実在するのかもわからない。

 伝承では、七日間もの間、光の女神と闇の女神がこの地で戦った。その後、傷ついた光の女神はこの地を去り、同じく傷ついた闇の女神は血族のいるこの地で傷を癒すために眠りについたのだという。

 四百年前の話だというが、生前聖帝国の一領主であった私にはその話は、闇の女神は光の女神に倒され、この地で息絶えた。だからこそ光の女神はこの地を去った、と今では教えられている。

 でなければ、伝承の通りであるのならば、負けて追い出されたのは光の女神に考えられてしまうからだ。

 傷を癒すために眠っているか、復活するためにここに眠っているかの違いだが、聖帝国にとってはどちらにせよ、闇の女神の存在を許すわけにはいかない。

 まあ、そんな教育のたわものか、聖帝国では闇の女神が眠っているのではなく、今は死んでいると考えている人間は少なくない。

 ただ相手は神だ。今死んでいようと復活しないとも言い切れない。

 もちろん確証はない。だから、確かめにいく。そして闇の女神が存在し、眠っている、死んでいるにかかわらず、それを完全に討滅し今度こそ永遠に無き者にする。

 そうすることが聖帝国の真の目的であり悲願だ。

 私も生前はそんなことを思っていたが、相手国側に立ってみるとひたすら迷惑な話だと理解できる。

 そんなことを考えながら階段を下りていたら踏み外しそうになる。

 こんなところで階段を転げ落ちたら吸血鬼の体でもどうなることかわからない。考え事を止めて気を引き締める。

 階段は続く。踊り場もなく手摺もない。足を滑らしでもしたらまず助からない。更に吸血鬼の私だからこの暗さでも問題ないが、普通の人間であるならば視界もままらないような場所だ。

 そんな場所なのに壁より染み出る水で足場は悪く滑りやすい。

 闇に慣れているはずの吸血鬼の身でも階段を降りきるのに小一時間ほど有した。

 間違いなく普通の人間ならば、この階段を降りきるだけで命がけの試練になることだろう。

 帰りにこれを登らなければならないと思うと、疲労を感じないはずの吸血鬼の肉体が疲労を感じているようにも思える。

 地下空洞の底はごつごつした岩場と、あふれ出た生臭い水が集まり流れ出た網目状の小川で構成されている。

 そして、ところどころに、闇の女神を信仰する人間、亜人、獣人、よくわからない生物が、地に伏して祈りを捧げている。

 ふと気配を感じて上を見上げると、すぐ頭上を怨霊と死霊が仲良く飛んでいった。

 通常であれば怨霊も死霊も生きた生物を見ればたちどころに襲いかかるのに、この場にいる悪霊たちは私はともかく、信者たちにも襲いかかりはしない。

 恐らくこのらの悪霊を支配している存在がいるのだろう。

 まあ、わかり切ったことだが、オズワルドだ。

 グレートリッチ。大いなる死者。死を超越せし者。

 魔導を極めた者のみが辿り着ける究極の不死者。

 そんな存在がオズワルドという大神官の正体だという。

 私のようになり立ての似非吸血鬼など相手にもならない存在なのだろう。

 まあ、そんな相手だろうと殿下の命令だ。挨拶しに行かない訳にもいかない。なにせ今の私は殿下の忠実なる下僕なのだから。

 しかし、そこには着いたもののどこを目指せばいいものか。

 辺りを見回しても地獄のような光景が続いているだけだ。

 とりあえず中心にあり目についた崩れかけの神殿のようなものを目指し進んでいく。それ以外に建物もないし間違いはないだろう。

 時折、警備役だろうか、異形の兵士がいるが、私を一目確認だけはするが私の行動を止めようとはしない。

 まあ、吸血鬼だからな。今や私も異形の仲間なのだろう。

 そんなことを考えながら、道なき道を進み崩れかけの神殿まで来る。

 入口らしきものの前に、異形の兵士が二人立っている。

「すまぬが、オズワルド殿は中にいるか?」

 そう声をかけると、異形の兵士達は共に見合い、その後私に視線を合わせ頷いた。

「では、失礼する」

 そう言って入口をくぐる。それを異形の兵士達は止めもしない。

 神殿内も崩れかけとはいえ、なかなか広い。

 今は誰もいないが集団で祈りをささげるような広場があり、最奥に祭壇がある。更に祭壇の奥の壁に、大きな女神の彫像が彫り込まれている。

 その彫像を見上げる様に、祭壇の前に一人の男が佇んでいる。

 私は声をかけるかどうか迷いはしたが、広場を中ほどまで進んでから声をかけた。

「オズワルド殿とお見受けいたします。

 私は…… 新しく始祖の力を受け継いだ吸血鬼の王として殿下に使えることになった、ヴァン・レイナードという者だ。

 以後お見知りおきを」

 そう言って、軽く頭を下げ礼をする。

 頭を上げると、祭壇の前の男はこちらを向いていた。

 その視線にとても嫌な気配を感じずにはいられない。

「まず…… 一番初めに、です。

 確認しなければならないことがあります」

 その男、オズワルドは私をじっと見ながらそう話しかけてきた。

 見た目はただの大柄な男ににしか見えない。

 ただその発する気が尋常ではない。あまりにも濃い瘴気に、死霊や怨霊達がその瘴気に溶けるように飲み込まれ、その瘴気の濃さからまた別の死霊や怨霊が生まれ、また飲み込まれていく。

 そんな地獄のような、未来永劫繰り返されるような、永遠と続くような怨嗟の誕生と終焉が常にオズワルドの周りで繰り返されている。

 正に顕現した地獄がそこにある。

 私はたしかに、その男からそう感じた。

「なにですかな?」

 と、平然を装いそう返すが、気を抜けば吸血鬼の王の力を持っている私ですら、その瘴気に飲み込まれ溶かされてしまう、そんな気すらする。

「先代魔王、ブラハム殿に止めを刺したのはあなたで間違いないですかな?」

 予想外の質問だった。

 いや、先代魔王を打った私を恨んでいるのか?

 だとすれば、私はここで終わりだろう。

 目の前の男に殺されて安らかに死ねるとは思えないが、それこそが魔王の軍門に下った私への罰なのかもしれない。

「ああ、恐らくはだが。

 私の剣が魔王の心臓に届いたのは確かだ。それでもなお反撃に会い、私は命を落としたので確証はない」

 正直に答える。

 嘘を言ったところで、この男には見抜かれる、そんな気がしたからだ。

「よろしい。

 で、あなたは現魔王であるアシュリー殿に忠誠を誓ったと?」

 だが、オズワルドは満足そうに笑顔でうなずいた。

 そこに敵意などみじんもない。いや、オズワルドから発せられている気が少し緩まったとさえ思える。

 私が先代魔王を倒したことを恨んでおらず、喜んでいるようにすら感じられる。

「ああ、殿下の血を頂くことを条件に軍門に下った。あの血を一度でも味わってしまえば、もう逆らい様がない」

 これも正直に答える。

 ここで返答を間違えれば、それこそ死が、永劫に苦しみ続ける死が待ち受けているように感じる。

 それが罰なのかもしれないし、死ぬのも構わないが、やはり出来ることならば安らかに眠らせてほしい、とは思ってしまう。

「ほう、既にアシュリー殿の血を…… 

 ふむふむ。これは面白い。

 その血を力ずくで奪おうとは思わないのですか?」

 更に、警戒が解けるかのように、オズワルドから発せられる瘴気が弱まる。

 よくわからないがどうも今のところは歓迎されているようだ。

「奪えると思うのか? 血への渇望に身を任せてていた初対面では無理だった。殿下は正真正銘の化け物で魔王だ。私とは格が違う。

 だが、まあ、私の性分的に理性があるうちは襲いはしない」

 理性があるうちはな。襲うつもりは毛頭ない。

 が、吸血鬼となった私にはその理性が危うい。血を見れば理性そのものが崩壊する。

「ほほぅ、騎士道精神ですか?」

「いや、違う。

 私は生前、辺境の地の領主だったが、その地を荒らす蛮族どもを滅ぼしたことがあり、その功績で目が飛び出るほど高い酒を皇帝陛下より頂いたことがある」

「ふむ?」

 と、オズワルドは少し不思議な表情を見せる。

 その表情は割と人間らしいとすら思える。

「心残りと言えば、その酒を未だに飲み切ってないことだ。

 私は本当に旨いものは長く楽しみたい性なのだ」

 本心からそう思っている。

 あの酒は本当に旨かった。何か嬉しいことがあった日にの晩酌にほんとうに小さな杯で一杯だけあおる。

 それが私にとっての至高の幸せだった。

 だが、その酒すらも殿下の血の一滴の足元にも及ばない。

「領地に残してきた妻や子に心残りはないのですかな?」

 その言葉に私は苦笑いを浮かべる。

「そんなことまで知っているのか。

 これでも聖騎士の端くれだ。戦場に出たときから死ぬ覚悟はできている。

 別れは既に済ませてある」

 これはさすがに嘘だ。

 心残りがないわけはない。私が人間として復活したのであれば、死に物狂いでここを抜け出し、どうにか故郷に帰ることを望んだことだろう。

 しかし、私は今や吸血鬼だ。聖帝国はもちろんのこと、人間の仇敵とも言っていい存在だ。光の女神を崇める聖帝国がその存在を許すわけがない。

 故郷に帰れば、妻や子にまで迷惑をかけることは明らかだ。帰ることなどできやしない。

「そうですか。ふむ。まあ、及第点ですが合格としましょう。

 わたしは、あなたが、裏切らない限り、あなたの、味方であると、お約束、しましょう」

 妙な言葉の区切り方でオズワルドはそう言った。

 オズワルドは、それが嘘だとわかりつつも、私のことを認めはしてくれたようだ。

「それは、喜んでいいのか?」

「はい、もちろんです。

 味方である証拠に、一つご忠告いたしましょう」

「なにかな?」

 と、虚勢を張りそう言う。

「ヴァン殿。あなたの中には未だに、ベシュメルガの奴が存在し、その存在の復活を試みています」

 オズワルドは試すようにニヤリと私に笑いかけて、そう言った。




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