レッドボアの三色丼の前日

 昨日の快晴が嘘のように、窓の外には黒々とした雲が今にも涙を流さんばかりに待機している。もう数刻もせずに降りだすだろう。こんな日は、決まってを思い出す。



 ――遠くの空に見える黒い雲は、もうすぐこの辺りの空一面を多い尽くして幾日も続く雨を降らせるのだろう。その前に里近くの森へ下り、食料調達をしておいた方がいい。そう思って、人里といってもこの国で割りと大きい街の近くまで下りていた。

 ハンターたちに見つからないよう凶暴な魔物やつを狩り、小さな獣や弱い獣たちを山上の森奥へと逃がしたりしながら、木の実や薬草の採取もついでにやっておこうと聖域の森テリトリーの入り口付近までやって来ていたんだ。


 雷鳴が遠くに聞こえ、そろそろ降るなと空を見上げるために視線を動かした時だった。森と街道の垣根のそばに佇む少女と目が合ったのは。


 本来聖域の森テリトリーと普通の森の境目には幻影の魔術や闇魔法等を駆使してあり、魔力が高い種族でも感知できないようにしてあった。なのに、目が合ったのだ。それも、人族でもの象徴を持つ少女に。


 だからなのか。

 不思議と少女に興味を持ってしまい、しばらくの間見惚れていた。たぶん、無意識に彼女の魂の雰囲気へ惹かれていたのだと思う。なのに、どこまでも清らかな風が流れている魂の色に。


 少女も俺の姿に目が囚われたかのように微動だにせず、ただただこちらに見惚れているようだった。


 興味がつきない俺はその少女――ルフィリアーナと名乗った彼女を、自分の聖域の森テリトリーへと招いた。


 話を聞くと、少女は街一つ向こうの領主の娘だったらしい。魔力がなくて追い出されたからと言うルフィリアーナに、ずっと感じていた事を問うた。


「君が貴族だったから姿を見てもただの獣だと思わなかったし、話しかけてきたのもわかった。でも、そのっていうのが俺にはわからない」

「……やっぱり、聖獣様にはバレてしまうんですね。人間にはバレてはないと思うんですが」

「まあ人間にはばれないだろう。なら、やはりあるのか」


 頷き彼女が口にしたのは、生前の世の記憶を思い出したら今までなかった魔力が溢れてきたのだと言う。千も生きていると希にが生まれた話は聞いたことがあった。どうやら彼女はらしい。

 魔力が溢れてからは瞳の色も変わってしまったようで、本来の色はバレないよう隠していたそうだ。なんでも、追い出された家での扱いが酷く……魔力があるとバレてしまうと余計に扱いが酷くなるのは見えていたようで。バレない内に自ら出ていこうとした矢先に、あっちから追い出されたのだと。


 なんて事ないように話すルフィリアーナの顔は、怒るどころかどこかスッキリとしたように見える。


「だから……わたくしの、じゃないわね。もう縁の切れたグラナート伯爵家が手の届かない国まで行って、新しい人生を始めようと旅してたの。まだ国出てないから、身分証とかも作れてないし……困ったなって思ってたら、あなたと目があったのよ」

「なら、俺と行く?」


 それは、自然と口から出ていた。言った俺も目の前の彼女も驚き眼で。気づいたときには、二人して笑っていた。ああ、こういうのもいいなと。


「でも、あなたの聖域の森テリトリーはここなんじゃ……」

「それなら気にしなくていい。聖獣が住み着いたところが聖域の森テリトリーになるだけだから、俺がいなくなればただの森に戻るだけ。何も問題ない」


 まあ本当は恩恵が割りとあるようだが、それはただそこにが勝手に享受してるだけだし。そういったことは気にしなくていいし、何より気に入ってしまったこの少女に気にして欲しくはないから言わない。

 安堵する彼女に、もう一度旅へと誘った。


「ね? 俺と新しい人生を始めようよ」

「ええそうね。そうだ! この国出る前に身分証作ってしまわないと……でも名前はバレちゃうかな」

「じゃあ、新しいのをつけたらいいさ!」

「新しいの?」

「そう! 全部変えちゃうと慣れないだろうから……赤い髪だし赤髪の少女ルフィナとかどう?」

「ええ! それなら平民にもいる名前だからきっとバレないわ! じゃあ旅の相棒さんの名前を教えてくださいな」

「俺? 俺は聖獣カーバンクルとしか呼ばれないから、ないよ」

「ないの?」

「うん、ない」

「……こんなに綺麗な石榴石を持っているんだから、石榴メログラーノとか素敵だと思うんだけ、」

「いいねそれ! 気に入った! 今日からメログラーノにする!」

「ふふっ。じゃあよろしくね、メログラーノさん?」

「こっちこそ! よろしくねルフィナ――」



 外からの鈍い光が、ルフィナの髪をより一層深い紅に染めている。その重そうな色の髪をやさしく撫でると、指へは絡まらずにさらりとほどけていく。

 何度目かの手を滑らせた時、愛しい子の瞼が震えた。間もなく見えたのはあの頃擬態していた“黒い瞳”ではなく、記憶を取り戻した彼女のである“翠玉の色”。


「おはようルフィナ」

「……えへ。おはようメロ」


 まだ寝ぼけている彼女の額にそっとキスを落とし、今日も開けるだろう彼女の趣味のために起こしてあげることにした。耳元に口を寄せて。


「ねえ。今日は何作るの?」

「――っ!? きょっきょ、うは、レッドボアを挽き肉にして炒めたのと、えっと、コッコの玉子炒ったのと、庭のお野菜のせて三色、どんか、なって」


 耳を抑えようとした手を取り、指先にもやさしく唇を落とす。目は覚めたみたいだね。

 顔だけではなく耳まで真っ赤にしたルフィナに、少し残念なお知らせを教えてあげた。


「ルフィナ。庭へは出れないよ」

「…………え?」

「ルフィナが目覚める直前に、雨降ってきちゃったから。今日は一日中雨だと思うよ」

「ぅえ!? じゃあ、三色丼の一色だけになっちゃう!」


 驚き口をパクパクさせるルフィナ。その姿はかわいいけれど困らせたい訳じゃないから、落ち着かせるように髪をやさしく撫でながら口を開いた。


「とりあえず三色丼は明日にでも回して、保存庫と保冷庫にある野菜を確認しにいこうか」

「――! うん! そうする! そうしよう!」


 笑顔になったルフィナをベッドから起こし、彼女の趣味のために着替えを促した。

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