第9話 彼女の選択

「母から言われて、色々と考えました。結婚してください。お願いします。―― 私を買ってください」

 彼女は、多少切羽詰まった感じで、お願いをしてくる。


「買ってください? それは何?」

「援助を。私だけでは暮らせないんです。お母さんも入院中で。お願いします。家の事お洗濯も食事も。なっ…… 何でもします」

 そう言って、頭を下げてくる彼女。



 先日、俺は珍しく仕事明けの広海を迎えに行った。

 院内に併設の小さな喫茶店。

 いつもはしないが、そこでお茶を飲み、五時半くらいに、駐車場へ向かう。


「悪い人ねぇ」

 何に気が付いたのか、彼女がそうささやく。


「大丈夫。ピルは飲んでいるし、バンバン出して」

 そんな恥ずかしい事を言いながら、腕を組んでくる。


 ここは、町で一つの総合病院。

 噂でも立って、来られなくなると困るが、今日は別。

 だが、広海め。やり過ぎだ。


 じゃれつく彼女にデコピンをしながら、恋人だと周りに見せつける。


 そう、彼女が丁度母親を見舞いに来る時間。

 それを見かけた彼女は驚く。

「本開さん。えっ。私と結婚…… えっ。なんで」

 そう言って、呆然とする。


 人生経験の浅い女の子には、理解ができないだろう。


 好き。じゃあ結婚しよう。二人で幸せな家族を作ろう。

 表ではそう言っても、腹の中では判らないのが、大人だ。


「なあ、遺伝子が合わないんだが」

「あら、調べたの」

 そんな話はごまんとある。


 彼女は呆然と見舞いに行き、聞こうとしたが…… 母親の事を考え、それも聞けず。

 呆然としたまま、暗い家で一人考える。


 本開さんは、お母さんの一つ下。

 私の十七も上。

 当然お金持ちだし、容姿だって…… 普通ならモテそう。


 ―― そうよ。家のお母さんがおかしいだけ。

 幼馴染み。それも自分を好きだって、言ってくれていたと教えてくれた。そんな、一番身近だった優良物件を放り出し、お父さんと結婚をして、貧乏暮らし。


 だけど……

 何とかなって、暮らしてきた……


 ―― 本当に? 

 もし…… それが、嘘とは言わないけれど。


 本開さんの援助で成り立った生活だとして、その見返りは?

 小さな時から、ちょっとしたイベントには来ていた。


 その時も、お父さんは御礼を言っていた。

「何とかして、すぐに返すから」

 そう、事ある事に。


 それは、返せたの?



 暗い中。

 スマホの着信、仕事の時からバイブにしていたのだが、普段なら気が付く。それに気が付かないほど、彼女は考え込んでいた。


 今日見た光景。

 どう見ても恋人のような雰囲気。

 そして距離感。

 あれは絶対、体を重ねたもの同士の距離。


 なんとなく分かる。


 じゃあ。お母さんから出た『本開さんと結婚をする気があるかい?』あれは……



 思い当たる結論。

 彼は、お母さんと結婚がしたかった。

 でも、彼を裏切るように、お父さんと。


 その生活を、金銭的に支えた彼。

 私ならそんな事。

 とてもじゃないけれど、出来ない。


 幾ら恋人としては終わったと言っても、自分が助け、裏切った人達の笑顔をサポートをして見続ける??


 いい人がいても、結婚もせずに。

「まだお母さんが好きなら、お父さんが死んだ今。半年も経てば結婚できるし、高齢だけど、なんとか、まだ子どももきっと大丈夫……」

 だけど彼に、そう。引っかかっているのは、今日見た女の人。


「そして、彼からではなく。お母さんから私に、結婚するかの話し」

 考えて出てくるのは、借金の形。


 それは…… 親としての最悪。

「だから入院なの?」

 ストレスを抱え、入院。


 どうぐるぐる考えても、そこに行き着いてしまう。


「今まで…… 一体…… どのくらいのお金を借りていたんだろう」

 貧乏ではあったが、なんとか暮らせた。


 ―― お父さんは、お酒もたばこもやめなかったし……

 仕事用の部材や設備、道具。そして車。

 全部全部では、ないだろうけれど……


 でも、私の学費や、入学金。

 どう考えても、生活にかかる費用は膨大で、今のパートで稼げる金額だと、返そうとしたって、いつまで掛かるのか。


「無理。本開さんが約束をして、今現状、誰とも結婚をせずにまって居るのなら。その約束を反故には出来ない。いえ。私はしたくない」

 お母さんが、裏切った人。

 その後、どれだけ困っても、彼は笑ってみていれば良かったのに。

 俺を裏切ったバツだと……


「あなたはどれだけ、優しいの……」

 そして彼女は覚悟を決め、颯太に連絡をする。


「私、結婚をするの……」




 親の許可はあったが、結婚は二十になってからと決まった。

 理由は聞いたけれど、言ってくれないし、結婚を言い出した経緯も、お母さんからも、大成さんからも説明はなかった。



 結婚をして、衣装だけの撮影。

 彼の親が反対をしたらしく、祝ってくれる人は誰も居ない。

 いえ。

 一応、二人でしているお祝いに、なぜか風所 広海ふところ ひろみさんが来て祝ってくれた。

 彼女は二十七歳だそう。


「わたし? 愛人で良いわ。許可をしてね正妻さん」

 彼女は、軽くそう言った。


 実際、気が向いたときなのか、彼女は不定期にやって来る。

 それ以外は、一応普通の夫婦生活。


 だけど、あまり経たずに、お母さんが逝ってしまった。

 最後に、ひたすら謝ってくれた。

「私が悪いの。ごめんね」

 と。


 一応家はある。

 だけど、最近はずっと別荘で暮らす。

 そこで私は、知らない世界を見て、知らない自分を知っていく。

「やっぱり、沙羅は変態だね」

 それは、今の私にとって、褒め言葉。


 新たな事で、感じている姿を見せると、あの人は嬉しそうに微笑んでくれる。

 たまに言う、言葉。

「お母さんも変態だったから、血だな」

 それはきっと、彼の中でのお母さんに対する評価だと思う。


 裏切られ、自分の心を保つため、お父さんと結婚をしたお母さんをそう思う事で、自身の心を保っていたんだと思う。


 だからあんなに近くで、私たちの生活を見て、笑っていられたんだ。

 俺を振って、ちぐはぐな生活。

 俺がいないと、まともに生活もできないじゃないか。

 きっとそう思って、彼は暮らしてきたんだと思う。


 そしてどこかで、お母さんかお父さんが口にしたのだろう。

 娘をやろうと。

 そして彼は、約束を守るため、ずっと独身で。


 まあ、実生活は違ったようだけど……

 そこは、まあ。

 少し気に入らない。

 でもこの人と彼女は、三年くらいの付き合いらしいし、それまでは一人。


 何を考えて暮らしてきたのか、私は気になるし…… 責任を感じてしまう。

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