長すぎる二年の時間。そして人は……

第1話 彼女の事情と、自身の無力

「来て……」

 彼女に誘われるまま、外灯もほとんど無い暗い夜道を、手を引かれて、ただ俺は付いて行く。


 手は繋がれているが、月が照らす薄明かりの中。

 彼女が着ている、薄いグリーンに白い大きな花をあしらった浴衣が闇に溶け、彼女が消えてしまいそうに感じる。

 白い花は、月下美人だろうか? 特徴的な萼片がくべんが花の後ろに描かれている。花言葉は何だったか……


 導かれて、たどり着いた場所。

 そこは、彼女の実家。


 今では、そこに住むものは誰もおらず、電気すら来ていない。

 少し湿った空気と、カビの匂い。

 住む人がおらず、死んでしまった家。


 手に持った懐中電灯だけが、部屋の中を照らす。


「来て……」

 そこは、数年前。高校時代に愛し合った部屋。

 その時とは違い、少しパーマの掛かった緩いウェーブのショートボブカット。

 化粧の加減もあるのか、大人っぽい雰囲気が感じられる。

 だけど、少し目に掛かる髪の毛が表情を隠す。


 彼女がカーテンを開くと、月の明かりが差し込んでくる。

 記憶に残るベッドに机。

 そして本立てと、小さめのタンス。

 六畳ほどの広さ。

 

 だが、明らかに前とは違う。

 こちらに向き直り、ストンと落ちる浴衣……

 その下には、何もつけていなかった、かの女……

 何かが違う違和感。それでも、導かれるままに、彼女と抱き合い求め合う。


 その行為は記憶にある、あのたどたどしい行為とはまるで違った……

「随分……」

 俺は、言いかけて口を噤む。


 でも彼女は、理解をしたのだろう。


 それは俺を諭すように、現実を教えるように語ってくれる。

 力も何もなく、自身の無力さを知り、変わってしまった生活。


 あの電話の後、急に降りかかってきたリアルな生活のために、自身で決断をして、一足飛びに大人になった彼女。


 あの時、電話の向こうで。

 ただ、子どもの頃にした約束を盾に取り、ガキの様な夢を語るしかない俺に、その現実を教えてくれた。

 そうあの時、結婚の報告を聞いたとき。口を突いた言葉は、彼女を責め立てるしか出来なくて、きっとそれは彼女を傷つけただろう。

 だけど、久しぶりに会った彼女は、俺に対してお別れの儀式をしてくれた。

 きっとこれは、最後に見せてくれた優しさ。

 これから後。

 二人の歩みは離れ、再び交わることはないだろう。


 彼女は教えてくれる。

「あの人は、大人だからね。私は知らなかったけれど、色々と経験もあったみたいね。ふ…… 夫婦はお互いに愛し合うモノだと言って、色々と教えられたから。少しは上手になったでしょ。私も色々と感じるところも増えて…… どう? よかった?」


 夏の夜。

 山の中といえ暑い。

 お互いに汗だくで、混ざり合った汗…… それと、とめども無く流れ出る、色々。

 薄暗い部屋で、裸で向かい合い。


 淡々と語る彼女は笑っているのか、泣いているのか。

 逆光で、よく見えない。

 だけど…… 俺の知っている彼女は、もう何処にも居ないのだろう……


 彼女と懐かしく体を重ねたのに、変わってしまったことを実感する。彼女の心も、体もまるで知っているモノとは違っていた。それを理解して、心の中からごっそりと何かが抜け落ち、現実と情報が、頭の片隅から広がり、心を薄黒く染めていく。 

 俺はもう、ここへは帰ってこないだろう。


 そう、今日は、二人の別れ。

 その決別の儀式……


 山の方では、まだ、かがり火が焚かれ、先祖を祭る念仏踊りが続いている。


 ―― ここは山の中。

 女の子が一人で生きるには、不便なところ……


 彼女が結婚を決意した半年前。

 俺が就職をするまでの、いや、大学入学からの…… どちらも二年間という月日は、長すぎたようだ……

 そういえば彼女。昔は散々求めてきたキスを一度も……





 高校卒業の少し前。

 お互いに努力をして、大学には合格をした。

 だが、世の中には、感染症が流行っていた。

「じゃあ、大学には行かないのか?」

「うん。お母さん一人じゃ心配だし」

 親父さんが、流行病で入院した。



「お母さんは、保険があるから大丈夫とか、不吉なことを言っているし、家のことは、私がしないと」

 お母さん。親父さんが死ぬ前提なのか?

「そうか」


 ガキの頃から一緒に遊び、色気づく高校の時に彼氏彼女の関係になった。


 田舎で、人数も少ない若者達。

 俺達のような関係は普通だ。そして遊び場もない山の中。

 そのかわり、人目が届かない場所は沢山ある。

 大自然の中で服を脱ぐと、たまにとんでもないところを蚊に刺され、地獄の苦しみを味わう事を知った。

 そう、男特有の袋。あそこに虫刺されの液体は、以外と熱いし痛い……

 いやまあ、楽しい青春だった。


 だが、世界中を襲った流行病が来て、色々と狂ってしまった。

 それは、こんな田舎までやって来た。


 田舎でも、町との関わりは当然あるし、人の行き交いもある。

 外で、仕事をしていた親父さんは、病気を拾ってしまった。

 持病もあり、今一体調がよくないらしく、彼女のお母さんも病院での世話と仕事を掛け持ちをしている。


 お母さんは、気にしないで。

 何とかなるから、大学に行きなと言ってくれたようだが、先の見えない生活でお気楽なことは出来ないと、彼女は生活を優先をした。


 そんな彼女の不安は、よくない方向で当たり、親父さんは、入院の末亡くなった。


 まだ蔓延をしているときで、俺は電話のみで励まし、帰ることはなかった。


 そしてその後すぐ、彼女のお母さんも体調を崩して、入院をしてしまった。

 流行病ではない。

 看病からの心労だろう。多分親父さんが亡くなったことが大きかったのだと思う。

 それと、現実問題として、親父さんが亡くなって、途絶えた収入。


 親父さんの保険が、どのくらいあったのかなど知らない。

 本当にあったのかどうかも。


 彼女は、使わなかった入学金で、何とか車の免許を取り、パートに通い始めた。

 かかってくる電話では、話の通じない先輩が鬱陶しいとか、少し愚痴が出ていた。

 優しい彼女にしては、珍しいこと。


 そう、色々なことが降り積もり、彼女はギリギリだった。

 そんな大事な事を、電話で聞くうわべだけの言葉を信じて、俺は気にしていなかった。


 長引く入院。

 その心労は、彼女を追い込んでいく。


 彼女は聞いてくる。

 通えなかった。行くはずだった大学の生活。

「大学はたのしい?」

「まあ、単位を取らないといけないから、大変は大変だよ。でも最近アルバイトも初めて、何とかやっているよ」

「そう。頑張っているわね」


 俺は、彼女の変化に気が付かなかった。

 彼女は、最初の頃。これから、どうなるんだろうとか、会いたいとか、淋しい。

 そんな繰り返していた言葉を、最近は俺に対して言わなくなっていた。

 ただ、大学の生活などを淡々と聞く。

 愚痴が無くなり、それに安心をして、不覚にも気が付かなかった。


 言わなくなった、辛いと言う言葉。

 それは、何処へと行ったのだろうか?

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