第3話 彼は、すべてを失い……

 一応先生には、顛末を説明する。


「親が喧嘩をして、ママが出て行きました」

「そうか、まあ大変そうだが、頑張れ。学校には来いよ」

 彼の疲れ切った顔は、心晴の一件によるものだが、先生は知らない。


 自分のクラスで授業を受け、ふらふらと下校する。

 まともに食べたのは、昼だけだが、小遣いが三百五十円も減った。

 この学校、昔、給食費の未払いとか、色々あって、給食がなくなり。共稼ぎ夫婦が弁当など作れるかぁと言うことで、配膳室が改築されて食堂になっている。


 標準ランチは三百五十円。ご飯かパン。漬物。キャベツ。コロッケ一個程度。

 数量限定で、売り切れたら上ランチか、麺類になる。上ランチは、コロッケがメンチカツとかハンバーグになる。そしてデミグラスとかのソースがかかる。

 そうは言っても、違いは五十円だが。

 麺はうどんかラーメン、百五十円。トッピングはネギとわかめのみ。



 まあ、それは良いとして。

 家へ向けて帰っていく。


 登りとなると、鬼のような階段。

 駅からの人は、ほとんど階段途中から脇へそれて、自分たちの家へと帰っていく。


 彼一人、道路を渡り、草刈りのされていない階段へと突入していく。


 振り返り、下の住人達を目で追う。

 買い物袋を下げ、嬉しそうな子供達が、母親と楽しそうに歩いている。


 彼がそれから視線をそらして向き直ると、目の前を覆う藪と、続く階段。すこしの間、向かう方向を見つめると、ゆっくりと歩き始める。

 休憩しつつ、昇って行く。登り終える頃には、すっかり日は暮れ、周りは空から落ちてきた紫色から黒へと変わり、静かに闇へと包まれていく。


 区画全体に目立つ明かりはなく、死んだ町のように見える。

 我が家も含めて……


 その晩はテレビを点け、ぼーっと動く画面を眺める。

 風呂が、湯の溜まった知らせを騒がしく知らせる。


 風呂に入り、出てきても静かな家。


 なんとなく、廊下や玄関に電気を付けて回る。

 

 冷蔵庫を開けて、豆腐で味噌汁を作る。

「指は、にゃんこの手……」

 調理実習が役に立った。

 ご飯は、ガシガシの所をのけると、食べられそうだったので、食べられるところを茶碗へ盛る。


 時間はかかったが、キャベツの千切りに、卵焼き。

 ご飯と、味噌汁。

 ニンジンとタマネギも入れた。

「立派なものじゃないか」

 自分を褒める。


 食べたあと、ふと思い。米を研ぎ、炊いておく。

 普段は三合で、休日は四合と言っていたはず。


 ある程度洗って、わずかに残る濁り。

「健康のためには、ここまで洗わない方が良いけどね」

 調理実習の前に、ママに習った手順。

 

 そう、この頃には、彼はまだ、何とか普通だった……


 翌朝も、変わりの無い家の中。

「お父さん。帰ってきていない。ママも……」


 その頃両親は、お互いに家には帰らない。好きにすれば良いと、言い張っていた。アプリのメッセージ中で……

 お互いが、言い放ったメッセージ。それの意味を理解することなく……


 その週は、学校へ行った。

 だが、面倒になった往復。

 そして、週末。彼の中で、すべてが面倒になっていく。

 うつ病なのか無気力症候群なのか、原因が何かは判らない。


 ただ、一人居る家の中で、自分は世界に捨てられてしまった気がして、居ないはずの家族を思い出しては、その姿を幻視。それが分かり、泣く日々を少しの間続ける……

 そう、彼は急速にすべての物から興味が失せ、彼の心の中で、世界は色あせて行く……


 ただ、何をするでも無く、淡々とゲームをこなす。

 一人三役で双六をして、独り言を言い。

 また黙る。


 途中電話や、玄関チャイムも鳴っていたが、どうせ偽物だと、無視をする。

 腹が減れば、備蓄用の食料や、冷凍食品で食いつなぐ。


 そんなある日、ふと思い出す。一人で真面目に留守番しなくても、心晴を呼べば良いと…… かれは、思いつく。


 衝撃的な事実など、何も見なかったかのように、彼女の存在だけを思い出す。

「そうだよ、なんで一人でゲームをしているんだよ。心晴を呼べば良いじゃ無いか」

 そうだそうだと、スマホを見ると、電池切れで落ちていた。

「畜生」

 つい、舌打ちをする。


「充電器……」

 探し回るが、思い出せない。


「どれが、充電器だったっけ? あれ? 充電て、どうやるんだ?」

 それは彼が我が儘一杯に育ち、ストレスに弱く、限度を超えたのか、それとも自己防衛なのか原因は分からない。

 ただ少し、記憶がおかしな事になっていたようだ。

 何とか、ケーブルを見つけて、適当に突き刺したら、充電ができた。


「そうだよ。刺せば良かったんだ」


 そして彼は、何とか電話をする。

 ―― だが出ない。

「何してんだよ、心晴のくせに……」


 頭をかきむしった後、何もなかったようにまたゲームを始める。

 着信の時間は、午前三時。

 むろん、心晴は寝ている時間。


 心晴は翌朝に起きて、着信に気が付く。


 実は幾度か、家に行った。先生から様子を見てくれないかと言われて。

 チャイムを鳴らしても、反応が無いと連絡をした。そのために先生も、両親どちらかの家に行き、連絡を忘れているのかと考えたようだ。

 そう、休日を挟んで、来なくなったから……


 着信があったことを、両親に伝えて、車で送って貰う。

 両親自体は疎遠になっていたが、知らない仲ではない。


 だが、家のドアはやはり閉まっているが、明かりは見える。


 スマホで、電話を掛けると、幾度目かで電話が取られた。

「おう。心晴どうした」

「どうしたのはあんたでしょ。無事なの?」

「おお? うん。無事だよ。……そうだ、ゲームしよう」

「玄関にいるから、ドアを開けて」

「おお? おう……」

 しばらく、ガサガサと音がするが、出てこない。


「どうしたの、玄関。鍵を開けて?」

「いや鍵が無くて……」

「中からなら、鍵はなくても開くでしょ」

「そうか?」

 そう言ってから少しすると、ドスドスと音がする。

 ガチャと音がしてドアが開く。

 だが、それと同時に異臭が匂う。

 

 ドアを開ける作業は、体に染みついた行動。つまり『手続き記憶』だから、見たら判ったようだ。大脳は関係なく、大脳基底核や小脳が働く。繰り返しの反復によって獲得される。これは、自転車に乗るなども同じで、一度手続き記憶として覚えると、一生忘れない。


「ご両親は?」

「はっ?」

 父さんが、ご両親はどうしたのかを聞いても理解ができない様子で、彼は首をひねる。


「お父さんや、ママはどうしたの?」

 そう聞くと、理解できたようだ。

「まだ、帰ってきていない」

 彼は何かが抜け落ちたような顔で、不思議そうに答える。


 まあ、それから色々あって、結局警察を呼んだ。

 冷凍食品とか、洗い物とか色々出しっぱなしで腐っていたようだ。


 そして、彼は保護されて、ご両親は捕まった。

 中学生でも、月単位で留守番は駄目らしい。


 騒動の後、彼の家は売りに出されてしまったが、買い手は付かないようだ……


 そして、心晴は今朝も、嬉しそうに与次と腕を組み、電車に乗り込む。


 定刻となり、電車はゆっくりと駅からでて、明るい光に包まれていく。意地悪な幼馴染みに掛けられた呪縛からは、すっかり解放されて……


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 お読みくださり、ありがとうございます。


 最近、限界ニュータウンに関しての情報をよく見るので、ふと書いたものです。

 今回、テーマを、『忘れ去られた』とか『忘れる』として、話を作っています。

 もし、見聞きした中で、似たようなことがあっても、これはフィクションです。


 忘れていく過程というのか、反応は、介護中の親がしていた反応なので、ストレスとかで起こる疾患によるものとは、少し違うかも知れません。


「あんた電話をした?」

「してない…… そもそもこんな時間に、なんで起きているんだよ。寝ろ」

 夜中の電話は、結構辛い……

 まあそんな時間に、こっちは小説を書いているわけですが…… 驚く物は驚く。

 

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