第4話 弱った心

 おれは、ざっと道具の片付けを終わり、ぼーっとしていた。


 昼。


「腹減った」

 思い立って、ふらふらと『ひるがお』へ向かう。

 ひるがおは、あの喫茶店の名前。

 覚えていなくて、呆れられた。


 ところが、土曜日の昼。

 店は一杯で入れない。

「あら。ごめんなさい。今ちょっとお席が用意できなくて」

 そう言って挨拶をするのは、彼女のお母さん。


「あっじゃあ。また後で。出直します」

 そう言って、向き直ろうとすると、彼女が目ざとく見つけたようだ。

 なんか、嬉しそうに近寄ってくる。


「土曜日なのに、釣りはどうしたの?」

 そういえば言っていたか。


「行ったけど、人が一杯で、釣るのを諦めたんだ」

「そうなんだ。今ちょっと一杯だけど。うーん。私の部屋で漫画でも読む?」

 彼女がそう言うと、彼女のお母さん。ニヤニヤが止まらない。


「あらあら。そうなの?」

 口の前に掌を当て、笑い始める。


「違うから。変に勘ぐらないで」

 そう言って、彼女のほっぺたが、いきなり赤くなる。

「あらそう?」

 そんな茶番を見ながら、奥へとあげて貰う。


 休憩所になっている左手の茶の間と、右側の階段。

 基本は二階が住居のようだ。


 そして、今日は短めのスカート、階段で前を行かれると…… 見てしまうじゃないか……


 堪能しながら上がると、左は水回りとトイレ。右側はご両親の部屋らしく、廊下を南側へ向けて折り返すともう一部屋。そして、南への出っ張り部分が彼女の部屋だそうだ。

 あのL字に折り返した、二つの席があるところ。あの真上だな。


「暴れないでね。下に響くから」

「判った」


 彼女の漫画ライブラリは、少年少女関係なく充実をしている。

「すごいな」

「ああそれ? お店で使う本を、子供の頃から読んでいたから。気が付けば増えちゃった。時間が空いたら何か持ってくるから。あそこのタンスは空けちゃ駄目よ」

 ベッド脇にある、三段ほどのチェストを指さすと、そう言い残して、部屋を出て行った。


「この部屋、元は温室みたいだな」

 実際は違うだろうが、三方に窓がある。

 東西は、いま厚手のカーテンで塞ぎ、南側のみ使っているようだ。


 ベッドに座るのもためらわれるので、ちょこんと小さなテーブル脇に座る。

 気になっていた本を、いくつか一巻だけ引っ張り出す。


 話には聞いていたけれど、どんな話かは知らない。

 読み出すと面白くて、別の一巻は戻す。

 きっちり、同じ所へ戻すのは基本だ。


 その頃、後野家で起こっている騒動は知らず。

 漫画のおかげで、見かけた嫌な出来事も、忘れられていた。


 だがまあ、不意にフラッシュバックをするけどね。

 話の中に、そういうシーンがあるんだよ。


「あんな奴なんかと」

 そんな事を思っていると、サンドイッチを持った彼女が立っていた。


「何があんな奴?」

「ああ。色事の奴だ」

 そう答えると、彼女は、ああという感じで納得をする。


「色事君て結構短気だし、怖いよね。たまに他田野さん、顔腫らしていたり痣があったりするもの」

「そうなのか?」

 それを聞いて、なおさらなんであんな奴と。そんな思いがわき上がる。


「なんで……」

 思いがあふれたのか、涙と共に、そんな言葉を口にしてしまう。


「何かあったの?」

 俯いているので、彼女の顔は見えない。だけど、心配をしているのは分かる。


「いや別に……」

 彼女は横にいて、本を持つ左手。手首あたりを、そっと握ってくる。


「そんな状態で、何もないわけ無いじゃない」

 その時ふと顔を上げ、彼女と目が合う。


「顔が、涙でぐしゃぐしゃ」

 そう言って、小さなタオル生地のハンカチが出てくる。


 なんだろう。言葉があるわけでもない、ただ、横にいて涙が拭かれている。

 それだけで、どこか安心が出来る。

 つい誰かに自分の痛みを知ってもらいたい。そう思ったのか、口が勝手にしゃべり出す。


「茉莉が…… 公園前の横断歩道の所で…… 色事と、キ、キスしてた……」

 そう聞くと、彼女の動きがピタッと止まる。


「それって、無理矢理とか」

「わかんない。手にアイス持ってた」

「むうぅ。それって話聞いた方が良いよ。大体、あいつに誘われても行くかな?」

「わかんない」

 そう言って彼女を見ると、眉間に皺を寄せ悩んでいた。


「電話、電話をしてみて」

 嫌だったが、彼女があまりにも真剣な顔で言うので、かけてみる。

「出ない」

「むうぅ。まあ食いねえ」

 進められたサンドイッチをかじる。


 いつも美味しかったが、今日は味がしない。


「ちょっと食べていて。下がまだ混んでいるのよ」

 そう言って、彼女が立ち上がる。


 サンドイッチを食べ、コーヒーを飲む。

 いつも苦かったコーヒーが、今日はなぜか美味しい。

 なんだろう。ほっとする。


 その時、紬にはガンガンに嫌な予感がしていた。

 他田野の連絡先は知らない。

 知っている子達に一斉に通知をする。

『色事が何か企んでいる。後野と一緒にいるはず。見かけたら助けてあげて』


 だがその時には遅かったが、以外とクラスの連中は良い奴が多かったようだ。

 後日、噂が流れたとき後悔をした。


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 第5話に続く。

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