第5話 慶子

 結局。大野パパが、凄く疲れて訪ねてきたのは、夏休みも終盤。

 もう、慶子の改造計画も終わり、随分普通の子になった。

 たまに、お嬢様キャラが降ってくるようだが、ご愛敬だろう。

 5年生どころか、参考書を買って、6年生まで予習をできた。


 玄関のチャイムが鳴り、実家のお土産だろう。漬物を携えやって来た。

 久しぶりに見た大野パパは、すっかり窶れ、かなりイメージが変わっていた。


「すっかり御無沙汰して、また慶子の面倒まで、お任せしてしまって。申し訳ありません」

 そう言って、静かに頭を下げる。


 父さんが、名刺をすっと出しながら、話を始める。

「7月の終わりに、おたくの方へ人たちが来られ、連絡をしてくれと言い残し名刺を預けていきました」

 ちらっと、名刺を見て、手が伸びてくる。


「ご迷惑をおかけしました」

 そう言って、大野パパは。無造作に名刺をつかむと、自身のポケットに押し込む。

「それで、慶子のことですが。妻は失踪中なので、私が引き取ります。家はもう人手に渡りましたので、裕樹君とも会えなくなるから。寂しいだろうが……。お父さんと一緒に行こう」

「あっじゃあ。荷物を持ってこないと」


 僕はそう言って立ち上がり。自身の部屋へと向かう。だが、僕はその時、かなり驚き。手足が震えドキドキしているのが分かった。

 この一月以上、一緒に暮らし。まるで兄妹。いやもう。一緒に居るのが当然と思っていた。そんな、自身の半身のような存在が居なくなる。


 部屋に入ると、慶子の荷物や勉強道具を、紙の手提げ袋へ詰め込む。

 ふとおままごとセットと思ったが、これはもう部屋の一部となっている。

「良いか」

 そう言って、振り返ると。下では気丈にしていた慶子が立ち。

 僕に向かって、倒れ込んでくる。


 抱きしめ合い、キスをする。

「ひろちゃん。好き。離れたくないよぉ」

「ああでも、お父さんを一人にすると、きっと死んじゃうよ」

 そんな思いが、つい口に出た。


「うん。私もそう思う。あんなお父さん。初めて見た」

「これが荷物。新しく買った物も入っている。あのおままごと道具はどうする?」

「うーん。今度は本物でしよう。あれは持ってて」

 そう言って、笑うと。


「約束ね。大人になったらおままごと遊びをしましょ。二人のお家で」

「それならきちんと、勉強をして。ママさんのように、ならないようにしないとな。パパさんみたいになるのは、僕はいやだ」

 つい言ってしまったが、それを聞いて少し悩んだようだ。だが。

「あーうん。そうだね」

 そう言って、少し落ち込む。


 お母さん大好きだったから、言い過ぎたか。

 僕は、頭をなで。もう一度ぎゅっと抱きしめる。

「ひろちゃん好き。忘れないでね」

 そう言って離れる。

「ああ。またね」


 紙袋を持って、降りていく。

 もう、パパさんは、玄関の方に出ていた。


 パパさんに、紙袋を渡す。

 そしてもう一度、慶子へ。

「またね」

 という。


 そして、慶子からも。

「またね」

 そう言って、パパさんの前なのにぎゅっとしてきた。

 抱きしめ。また頭をなでる。


 そうして、家の玄関は開かれ、昼間の明るい光が差し込む。

 その光の中に、二人は出ていった。


 その夜からの、何かを失ったさみしさに慣れ。

 中学、そして高校と。

 知識が増え、慶子とあんな事をすれば良かったと、小学校時代の自身の無知を後悔する。そして、日々だらだらと、学校に通う。

 ああ。お受験はしなかった。

 普通に公立。でも慶子に言った手前。成績は良かった。


 青春時代。心に空いた穴が塞がることもなく。怠惰なスクールライフを送っていた。密かに、孤独の愛好者だとか、闇の住人だとか、訳の分からない二つ名を貰った。

 これは、友達も少なく、女の子から告白されても。かたくなに断ったから。

 一説によると、男が好きと噂もあったらしい。

 妙な視線や、ささやきが聞こえていた時期だろう。


 でまあ。大学は、古い大学の理科二類へ進んだ。

 なんとなく。医学じゃなく、生物内での化学反応に興味が出たから。

 感情すら、化学反応と、脳内で走る電気シグナルに影響される。

 実に面白い。とか、実に興味深い。となったのだ。

 そして、いよいよ孤独の人へと突き進む。


「おーい。木村ぁ~。ひーろーきくん。生きてるか? 新種のカビ。自身が培地になっていないか?」

 呼びに来たのは、同じ研究室の……。あいつだあいつ。


 まあ良い。些細なことだ。

「生きてるし、フォルスマンや、コレラ菌を飲んだペッテンコーファーのような自身で実験をする。マッドな癖はない」


「なあ腐る前に、ちょっと行こうぜ。文二に、かわいい子が居るんだってよ」

「そうか。良かったな?」

「ホントだぜ」

「おまえのシナプス。今開けば、活動が活発なんだろうなあ」

「ばっ。やめろ。ほらいくぞ」

 彼は、人の意見を聞かず、僕は引っ張っていかれた。


「教室が分かるなら、適当に行けば良いじゃないか」

「馬鹿。おまえと違って、恥ずかしい羞恥という感情があるんだよ」

「いや、多少はあるさ」

「いやおまえみたいに、女子更衣室の扉を開けて、『失敬』ですんだ奴も見たことないし。先生方も彼なら、単純に間違えただけだろう。ですんだだろ。あれ7不思議になっているぞ。今の世の中で、あり得ないだろう」


「そんなことあったか?」


 そして連れて行かれた、階段教室。

 中央上部に、逆ハーレムがあった。

 女王様にかしずく男達。


 ずんずんと、教室に入り。見上げる。名も知らぬ隣の奴に聞く。

「おまえが見たかったのって、あの娘か?」

「おい馬鹿。なんで中まで入ってくるんだ。まずいって」

 不思議なことに、ここに来て尻込みを始める。


「おかしな奴だな」

 そう言ってみるが、顔面は蒼白で、非常に焦っているようだ。


 だがその焦っている理由が、近付いてきていることを知らなかった。

 声を、掛けられる。

「ひろちゃん」

 声に反応して振り向くと、飛びつかれ。抱きつかれる。そしてキスをされる。

 俺も反射的に、抱きしめる。


 ああ。半身が帰ってきた。

 心の中で、ずっと失っていた。急速に充足感が満ちてくる。

「慶子。久しぶりだな。この大学で、会えるとは思えなかったよ」

「うん。一年失敗しちゃった」


 その光景を見て、周囲にざわめきが広がっていく。

 どうやら慶子も。ずっと誰とも付き合わず、孤高の人となっていたようだ。

 周りに居たのは、いただけの他人。


 そばに居る、名も知らぬ知り合いは、もう正気を失っているようだ。なんだか、マリオネットの人形のように、かくかくしている。

「うん? 授業これからじゃないのか?」

「良いの一般教養だから。ちょっと荷物持ってくる。沢山話したいことがあるの」

 そう言って、教室を駆け上る。

 モーゼのように。目を丸くし、口を開けた男達が割れていく。



 場所を移動し。何処へ?

 後ろから、幾人かついてくる。

「あー面倒。研究室へ行こう。あそこなら、パスがないとは入れない」

 部外者立ち入り禁止だが、俺の半身だ。


 建物の入り口で、俺たち以外は脱落をした。

「すごーい。ひろちゃん学部は何」

「理学部。まあそんなことはいい。あれからどうなった。パパさん元気か?」


「うん。今は元気。でも最初のほう数年は、鬱かな。色々なことができなくなって、おばあちゃんの家に行っていたの。でまあ2年。ううん3年かな。状態が良くなったら、私がおばあちゃんに、いじめられているのに気がついて、引っ越しして」

「ああ。あれだろ、お母さんの連れ子だから」

「うん。そのおかげで、随分。田んぼとか山とか手放したみたい」

「そうか」


「まあそれから、お父さんと2人暮らし。また仕事もできるようになったし。私が中学生のときから、家のことをして。料理とかも今は完璧」

「そうか」

 そう言いながら、コーヒーを入れる。

 俺のカップは、慶子に渡し。おれは、計量カップで良いか。

 適当に、棚からPS(ポリスチレン)の300ml。取っ手付きを出してくる。


「随分、顔色も良いし安心したよ。あの状態だったからな。下手すると見送ったあと、あのまま死んでいたらどうしようと。半年くらいは毎日新聞を見たよ」

「ごめんね」

「慶子のせいじゃない」


「ねえ。誰か良い子できた?」

「いいや」

「そう」

 そう言うと、慶子の顔に影ができる。


「んー。あのね。約束破ったの。ごめんなさい」

「そうか。やっぱりな」

「へっ。分かっていたの?」

「うん。自分の報告ばかり。うち。木村家のことには、あまり興味がむいてきていない。何かを言いたいのは分かった。それも優先的に。ああついでに。うちの両親もずっと心配していた。それに元気だ。それで、相手はパパさんか?」

「あっうん。結婚はできないけどね」

「ああ。一度直系になると。離婚して放棄しても。確か駄目だよな」


「どうして、そんなことまで」

「うーん。あらゆるパターンを。あの日から、シミュレートした。考え得るものすべて。するとだ、あの夏休み。生まれ変わった優しいおまえが、パパさんとそうなる確率は高い。あの夏がなかった場合は、無理心中が比較的高かった。そうでない場合、パパさんと喧嘩をして、行方不明か、家。木村の家にたどり着く。まあそんな感じで色々と」


「そう。ごめんなさい」

「いいよ。おまえの性格改善は、成功だったという事だ。社会的には厳しいが、家族には違いない。幸せになれ」

「んー。一度エッチする? ずっと前戯で止まっていたし」

 もじもじしながら、そんなことを言ってきた。


「馬鹿そんなことをしたら、俺がパパさんを殺すか、俺が殺される。ママさんみたいには、ならないんだろ」

「うん」

「じゃあ。このまま。お別れが正解だ。俺もやっと何かを。失っていたものを取り戻したようだ」


 そうして、俺たちは、連絡先も交わさず別れた。


 慶子に、言わなかったシミュレーション。

 あの日パパさんの手に渡さず。木村家で慶子を引き取れば、俺にとってのハッピーエンドが。多分あった。だがパパさんは、この世にいないだろう。


 それから俺は、普通の人間になったせいか、彼女ができた。

 ちょっと短髪の、活発な女の子。

 慶子の逆を選んだわけじゃなく。告白されたからOKした。


 そして。


「いや。普通に結婚した。幸せだよ。たぶん」



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 えーえー。帰ってからのこと、色々シミュレーションしました。

 小説書いていると、日々の事ですけれど。


 こっちの分岐なら、こうなる。

 ああ。後が続かない。

 じゃあこっち、ああ主人公がぁ。

 とまあ。こんな感じです。

 それでは、また。

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