(2)

「まず、いい?この乙女ゲームを語る上で、この基本設定だけは、たとえどのルートを選んだとしても絶対に変わらないってことだけは覚えておいてほしんだけど、悪役令嬢アイリスは決して愛されキャラではありません!むしろ、殺しても飽き足らない程の憎まれキャラです!」

 どこぞの塾講師よろしく、『ここ入試に出ま〜す』的に、本題に入る前にしっかりと前置いておく。

 そのアイリスに転生している身としては、言っててかなり虚しくはあるけれど。

 しかし、ホントここ重要だから!と、今世では乙女ゲームのヒロインであるカレンでありながら、何故か私の護衛騎士レインという二足のわらじを履いている前世の私の義弟――――――蓮がローテーブルに広げてくれた白い紙に、“アイリスは悪役令嬢であり、死亡確定キャラ”と綴り、ぐりぐりと何重もの楕円で囲った。

 もちろんこの異世界での定番筆記用具、羽根ペンで。

 ちなみに、使用文字は日本語だ。

 時間が経てば、アイリスとしての記憶が戻り馴染んでくる――――――などと蓮は言っていたけれど、今の私に公爵令嬢アイリスとしての記憶は依然としてない。なんなら戻る気配もない。というか、なんとなくだけどもう戻らない気さえしている。

 ちょっと気分転換にそこまで散歩に出かけているという可愛いレベルでなく、家財道具の一切合切を処分した上での失踪による行方不明状態。

 それくらいに私の中でのアイリスは皆無だ。 

 けれど、異世界転生チートのおかげか、はたまた単にアイリスとして生きてきたせめてもの名残なのか、どうやらこの世界の文字は読み書きできるらしい(一応試し済)。

 ありがちなご都合主義な展開だな……と思わないでもないけれど、ここは深く考えず有り難く享受しておく。

 元より貰えるモノは貰っておく主義なのである。

 ま、ただ単に、流れるプールよろしくドンブラコと流されやすいだけかもしれないけれど。

 しかし、ここでは敢えて日本語を使用しての対策会議となっている。

 その理由は至極明快。

 何かの間違いで私たち以外の人間に見られてしまってもいいようにだ。

 まぁ、見られてしまった場合、漏れなく怪しげなモノを書く危ない人認定を受けることは間違いないだろうけれど、内容を知られるよリかは遥かにマシだ――――――との判断である。

 ただその場合は、危険人物として告発され、断罪されるという、新たな死亡フラグがニョキッと立ち上がることも、これまた間違いなしだろうけれど、すでに諦めている。というか、死亡確定キャラとしては、その未来しか見えない。

 明日の天気を予想するよりも容易く、確信を持って。

 しかしその時はその時だ。

 正直なところ、現在絶賛乱立しまくっている死亡フラグに一本増えたところで、痛くも痒くもない。なんなら、そう来たか…………と、あっさり受け入れられる自信すらある。

 我ながらどうかと思うけれど…………

「それで……えっと……この乙女ゲームにおけるメイン攻略者であるエリック王太子殿下ルートを、ヒロインのカレンが選んだ場合の毒殺未遂事件の犯人は、キッチンメイドよ」

 そう言いながら私は紙の上に適当な枠線を引くと、枠の先頭に“王太子”と入れてから、その次の横の枠に“キッチンメイド”と書き入れた。もちろんその上の細めの枠に“毒殺未遂事件”と書くのも忘れない。

 早い話、この乙女ゲームにおける各ルート別犯人の早見表である。

 それをここまで黙って見ていた現在カレンに変じている“時の神”の使い魔であるシエルが、まじまじと書きかけの“表”を眺めながらコテンと首を傾げた。

「なぁ、アイリぃ〜。“王太子”の横の枠が随分余ってるんやけど、これって毒殺未遂事件の犯人がその“キッチンメイド”ってことで、実際にアイリスを殺した犯人はってことなん?」

 うん、さすが乙女ゲームのヒロイン様。

 視覚だけで言えば文句なしに愛らしい。小首を傾げるなんて反則技もいいところだ。

 それはもう視覚の暴力と言ってもいいレベルで、同性の私がうっかり鼻血を噴いてしまいそうになるほどに。

 しかし如何せん、この上方口調がいけない。可愛さを相殺するだけに飽き足らず、見事にぶち壊しにいっている。それこそ瞬殺する勢いで。

 もはやここまで視覚と聴覚のギャップがあり過ぎると、残るは違和感ばかりで、俗に言うギャップ萌えなるものは、まったく発動しなくなるらしい。

 誠に遺憾なことに。

 しかし今はそのおかげで(?)鼻血を防ぐことができたと前向きに捉え、そのまま話を進めることにする。

「シエル、その通りよ。さっきも言ったように、アイリスは超憎まれキャラなの。だからほとんどのルートで、真犯人とは別に協力者、もしくは実行犯が出てくるわ。そしてその人物は、大概アイリスに何かしらの恨みを持ってるのよ」

 などと告げて、ぐりぐりと楕円で囲った基本設定を、さらに大きな楕円で囲んだ。

 そう、大事なことだから何度も言いますが、アイリスは悪役令嬢であって、親衛隊ができてしまうような(←蓮の策略)愛されキャラではないのだ。

 それをここぞとばかりに力説すると、蓮ことレインから冷ややかな視線が寄せられた。

「それってさ、威張って言うこと?だいたいその基本設定とやらのアイリスはそいつらに一体何してそんなに恨まれてるんだよ。ってか、殺したい程の憎まれるって余程だよ?本来のゲームのアイリスって、性格破綻者なわけ?」

「ほんまやで」

「………………」


 いやはや、本当にねぇ…………

 一体何したんだろうねぇ…………

 ゲームの世界のアイリスは。

 

 完全に遠い目をしながら他人事のように思う。

 いや事実、アイリスとしての記憶が曖昧などころか皆無な上、まったくもって身に覚えがないわけで、とてもじゃないけれど到底我が身のこととは思えず他人事だ。

 というか、シエルの話によれば前世の前田愛梨の性格がそのまま今のアイリスに反映されているらしいので、もし今アイリス本人の記憶があったとしても、そこまで誰かに恨まれるようなことはしていないはずだ。多分。

 もちろん記憶がないため断言はできないけれど、あるとすれば逆恨み。もしくは言いがかりだろうと思う。多分。

 でもそれで毒を盛られたんじゃたまったもんじゃない。

 ゲームの強制力恐るべし――――である。

 しかし、事実ここは男性として生まれたレインでさえ、無理やりヒロインのカレンにしてしまうほどの半端ない強制力が働く世界。ならば、アイリスがただ息をするだけで誰かの恨みを買うようにするくらい他愛もないことだろう。多分。

 それがたとえ逆恨みだろうが、言いがかりたろうが。

 

 う〜ん、さもありなん…………


 ――――――などと諦念を抱きながら、未だ空欄だらけの表に視線を落とした。


 

 これはあくまでもゲーム上の話になるけれど、エリック王太子とアイリスは幼き頃からの婚約者同士でありながら、その仲は完全に冷え切っていた。

 といっても、一方的にエリック王太子がアイリスを嫌っているだけで、アイリスはエリック王太子に近づく令嬢に片っ端から嫌がらせをするほどに彼のことを恋い慕っていた。

 実際、アイリスの初恋の相手はエリック王太子であり、一目惚れだったとゲームのキャラ紹介にはチラッと書いてあったし、ある意味アイリスは一途な女性なのだろう。

 しかし、公爵令嬢として蝶よ花よと甘やかされて育てられたアイリスは、とても我儘な性格をしており、身分を鼻にかけるきらいがあった。

 そして、時に癇癪を起こして使用人に当たり散らし、クビにした者の数は両手でも足りないほど。

 さらに、気に入らないご令嬢は取り巻きや、人を雇うなどして陥れ、精神的、肉体的ダメージを与える非道っぷり。

 まさにゲーム製作者が、殺されてなんぼの悪役たれと、盛りに盛っただけのことはある傍若無人、極悪非道極まりない悪役令嬢だった(遠い目)。

 それこそ、わざわざ自ら率先して恨みを買いに行っているかのような…………

 そんなアイリスに対し、次代の王としての育てられたエリック王太子は責任感が強く、それでいて性格は穏やかで、周りの人間にも身分に関係なく公平に接し、気配りができる人格者として知られていた。

 しかも、その容貌は天使でさえも甘い吐息を漏らしてしまうと言われるほどに麗しく、さらには金髪碧眼という絵に描いたようなTHE王子様。

 いくらアイリスの容姿が絶世の美少女で、二人で並び立つ姿が思わず手を合わせて祈りたくなるレベルの尊さであったとしても、中身はまさに水と油、月とスッポン。そんな二人が仲睦まじく添い遂げられるはずがない。

 エリック王太子に恋心を持つアイリスはともかく、王太子の方は堪えられないだろう。

 もしアイリスが乙女ゲーム途中半ばで殺されなければ、確実に乙女ゲームあるあるの婚約破棄へと至ったに違いない。

 うん、断罪による婚約破棄よりも、婚約者死亡による婚約解消。

 外聞的にもずっといい。

 これこそ不幸中の幸いだ。

 アイリス的にはただただ不幸でしかないけれど。

 ――――――まぁ、なんてことはさておき、王太子ルートにおける真犯人の名前を、表の1段目の右端にサラサラと書き入れる。

 それを蓮が目で追いながら、一文字一文字確かめるように拾い読んだ。

「……シャーリー・ノウマン……侯爵令嬢…………彼女が?」

 最後に発せられた、俄に信じられないという疑問の音を含ませた蓮の呟き。 

 おそらく私よりも早くこの異世界で前世の記憶を取り戻している蓮にとって彼女は、知人もしくは、それ以上の間柄なのかもしれない。

 それが、女性のカレンとしてなのか、男性のレインとしてなのかはわからないけれど。

 しかし、前世での蓮の人付き合いの悪さ――――――というより、極度の人間嫌いっぷりを知っている身としては、この蓮の反応に何故かモヤッとしたものを覚えて、慌てて振り払うように霧散させた。

 知らなくて当然。

 覚醒したばかりの私にとって、前世は昨日のことのように思うけれど、蓮はレイン、もしくはカレンとしてここで何年もの間生きてきた。

 そのため私たちには十年以上のブランクがある。

 しかもここは異世界。

 だから、私の知らない“蓮”がいたとしても――――――


 ナニモサビシクオモウコトハナイ

  

 そうよ。ここは姉として人並みの人付き合いができるようになった蓮を目一杯褒めて、喜んであげるところだわ。

 ま、その相手がアイリスを殺そうと企んだ(王太子ルートでは)真犯人だというところが、なんとも複雑ではあるけれど、今回の犯人が、彼女であるとは限らないわけだし…………ね。


 ――――――などと、早々に思い直して(自分に言い聞かせて)、私は頷いた。

「えぇ、そうよ。王太子ルートにおける黒幕は彼女。動機はエリック王太子への執着ともいえる恋慕と、王太子の婚約者であるアイリスへの醜い嫉妬。あとは過去のお茶会で恥をかかされた恨みといったところね。そして毒殺未遂事件のキッチンメイドは彼女にお金で雇われた実行犯にすぎないわ。といっても、キッチンメイド自身も元々アイリスに対して私怨があったみたいで、そのせいでノウマン侯爵令嬢に利用されてしまったのよ」

 あくまでも淡々と、一切の感情のせず、補足とばかりに説明を重ねて蓮を見やれば、それはそれは渋いお茶を飲んだような渋面となっていた。

 もしかしたら、自分の知っているシャーリー・ノウマン侯爵令嬢とは、程遠いのかもしれない。

 そんな蓮の心情を勝手に推し量って苦笑を漏らすと、蓮は渋面にうんざり感をたっぷり滲ませて、それはそれは深いため息を吐いた。

 って、あれ?その背後にどんよりとしたドス黒い空気が漂って見える。

 あぁ、目も据わっているわよ。

 ちょっと……いや、かなり怖い。

 あ、あの蓮さん?

 その怒りの矛先はまかり間違っても私に対してじゃないよね。

 ゲーム製作者御一同様に対してだよね。

 も、ももももしかして、アイリスがノウマン侯爵令嬢にお茶会で恥をかかせたことを怒っているとか?

 だ、だ、だとしてもですね、それはゲーム内のアイリスであって私がしたわけではなくて………い、いえ、決して責任転嫁とかじゃなく、本当に………

 ひいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ〜

 さらにドス黒くなっているんですが!

 なんかごめんなさいッ!

 前世でこんなゲームをしてすみませんでしたッ!

 魔王降臨に、プルプルと生まれたての子羊のように震える私。

 そんな私を前に置いて、蓮の声は地を這う。

「なるほどね…………ゲームにおけるアイリスの基本設定(性格)は、方方で恨みを買い漁るほどの傲慢、非道、醜悪、殺しても殺しても飽き足らないほどの、人間の皮を被ったってことか…………」

 酷い言われようである。

 人間の皮を被ったは、既に人間ではない。

 その前に今の貴方が魔王です。とは、さすがに言えない。

 尤も否定しようにもできない。

 何故なら私もそう思うからだ。

 そしてそこにシエルが容赦なくトドメを刺してくる。

「こうゆーのもなんやけど、それって常に背後から刺されんように気をつけなあかんレベルやで」

「ハハハ………………だね……」

 もはや笑うしかない。

 しかし、呑気に笑っている場合でもない。いや、正直笑えない。

 何故なら、アイリスは――――――――


 シャーリー・ノウマン侯爵令嬢が雇った殺し屋の手によって殺される。


 しかも――――――――

  

 とあるイベントの最中に、背中から心臓をナイフ一突きで。



 うん、ホント笑えない。 


 

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