(13)

 死亡確定という絶望しかない未来に、微かに見えた一筋の光明。

 うん、それはよかったのだけど………


「なるほどね、“アイリスルート”か…………つまり俺は、姉さんを全力で攻略すればいいってことだね。付属の逆ハーレムはともかくとして、なるほどねぇ……」

 やたら嬉しそうにそんなことを口にしてくる蓮を前に置いて、私は内心で首を傾げた。

 

 何故だろう……

 間違ってはいないはずなのに、蓮が口にするとなんだか違う意味に聞こえてくる気がするのだけど?

 それになんでそんなにご機嫌なわけ?

 さっきまでシエルを抹殺せんばかりの不機嫌さだったのに…………


 しかしすぐに、その理由に思い至る。


 そうか、わかったわ。

 攻略する相手が誰よりも知っている姉の私だと知って、楽勝!なんて思っているのね。

 ふふふ…………でも甘いわね、蓮。

 あんこに生クリームを乗せて、さらに蜂蜜をかけるくらい甘過ぎるわよ!

 残念ながら、この乙女ゲームはそんなに甘くはないんだから!


 やれやれ、全然わかってないわね……と、内心で首を横に振った私は、その厳しさを蓮に伝えるために、やおら口を開いた。

「蓮、攻略対象者がこの私だと思って、甘くみてると痛い目に遭うわよ。このゲームはさっきも言ったように謎解きが基本なの。つまり一度でも謎解きに失敗すると、確実にバッドエンドになるのよ。それに私はこの隠しルートを一度もしたことがないから、どんな事件が起こるのか、真犯人が誰なのか、動機も何もわからないのよ。だから…………」

「大丈夫だよ。姉さんのことは絶対に俺が守るし、謎解きも二人で協力し合えばいいんだよ。俺と姉さんとでね」

 私の言葉に被せるように、蓮が放ってきた台詞に、私は大きく目を瞠った。

 いやいや、守るのは蓮ではなくて、姉である私の方だからね……という言葉が喉元につかえてしまうほど、完全に目から鱗状態。確かに蓮の言う通りだと思ったからだ。

 前世での私はずっとヒロインの立場でゲームをしてきた。確かにゲームの内容的には攻略対象者と協力して謎を解き、犯人を突き止めていくのだけれど、協力といっても所詮はゲームのキャラであり、すべての選択は私次第だった。

 そりゃそうだろう。並べられた選択肢から取捨選択できるのは、ゲームをしている私だけなのだから。

 けれど、今は違う。目の前に選択肢が並べられてるわけでもなく、一人で考えるわけでもないのだ。

 まぁ、選択肢がない分、難易度がグッと上がったことは確かだけれど、それでも一緒に考え、攻略してくれる蓮がいる。

 それもヒロインと、隠しルートの攻略対象者である悪役令嬢がタッグを組むのだ。

 

 もしかしなくても最強かもしれない……


 ―――――そんな気にすらなってくる。

 なんてことを考えているところへ、“時”の神の使い魔で、異世界転生の仕掛人である見た目タヌキの自称レッサーパンダのシエルが、ぎゅっと私にしがみついてきた。

「ボクもアイリに協力するでぇ」

「うふふ。ありがとうシエル」

「シエルッ!ドサクサに紛れて姉さんに抱きつくな!今すぐ離れろ!」

「レイン、心狭すぎや」

「うるさい!姉さんも、そんな奴撫でなくていいから!」

 あぁ…………間違いなく私はこの世界で一人じゃない。

 蓮ではないけれど、もしかしたら本当に楽勝かもしれない。

 悪役令嬢のアイリスにも幸せな未来があるのかもしれない。

 私も何故かそんな気持ちになって、仲良くじゃれ合ってるようにしか見えないけれど、おそらく本気の攻防戦を繰り返している(シエルにとっては生死をかけた)一人と一匹に破顔した。



 しかしやはり現状は、あんこの生クリームたっぷりの蜂蜜がけのような甘さは微塵もなく――――――――――

 

「蓮、これは念のための確認なんだけど、私は毒を盛られて今の状況があるわけよね?つまり、この乙女ゲームでいうところのプロローグのアレよね?っていうか、間違いなくあのシーンよね?ヒロインが覚醒しちゃうアレよね?私が毒のせいでうっかり実写版を見逃したアレよね?」

 完全前のめりとなって問い詰める私に、蓮の顔が引き攣る。

 うん、容姿そのものはまったく違うけれど、この引き加減は前世と同じだわ、と少し可笑しくなる。

 しかし、こちらは至って真剣。

 さぁ、教えてとばかりにベットからにじり寄れば、蓮は盛大なため息を吐いた。

「………実写版って何?っていうか、取り敢えず突っ込んでいい?」

「突っ込みじゃなくて、説明を頂戴!」

 というか、断りを入れる前に突っ込んでたわよね、既に………と思いつつ睨んでやれば、はいはいとばかりに蓮は肩を竦めて口を開いた。

「前世では話半分以下にしか聞いてなかったからさ、今回のことが乙女ゲームでいうところのプロローグのアレかどうかは俺にはさっぱりわからないんだけれど、確かにヒロインの癒やしのギフトってヤツは確かに覚醒したね。まぁ、自分がヒロインって自覚が不本意にもあったからさ、その点については然程驚きはなかったんだけど………」

「だけど?」

 コテンと首を傾げて先を促せば、今度は蓮がギロリと私を睨みつける。そして、突然何かのスイッチが入ったかのように噛みついてきた。

「ってか、アレ何⁉アレがゲームのプロローグとかって、完全にふざけてるだろ?だいたいのっけから毒盛られるって、一体姉さん犯人に何したんだよ⁉っていうかさ、俺の心臓の方が先に止まりかけたんだけど!!ホントさ、俺の……ヒロインのギフトが覚醒しなかったら、マジでやばかったんだからね‼」

 至極ご尤もなお怒りを受けて、あぁ確かにプロローグを知らなければ焦っただろうな……と、申し訳なく思う。

 特に蓮は悪役令嬢が私だと知っていたわけだし、前世でのシスコンをここでもしっかり患っているらしい蓮にとってはさぞかし心臓に悪い場面だったに違いない。

 ゲームの強制力が働いているとはいえ、癒やしのギフトを覚醒させてしまうくらいには。

 あの時の恐怖を思い出したように、僅かに身体を震わせて、今にも泣きそうな顔で睨んでくる蓮に、思わず「ごめんね」と私は眉を下げた。

 それから、ここまで混乱と動揺で言いそびれたままだった感謝の言葉が口を衝く。

「私のこと助けてくれて本当にありがとう。おかげでまたこうして蓮に会えて嬉しいわ」

 本当に嬉しかった。

 蓮を巻き込んだことにもちろん罪悪感はあるけれど、それでも蓮に会えて心から嬉しいと思った。

 この異世界で孤立無援なのではなく、私にとって誰よりも信頼ができる蓮が一緒だということに。

 

 蓮が変わらず傍にいてくれることに――――


 その気持ちを口にしたことにより、嬉しいという感情か一気に溢れ出て、自然と笑みに顔が綻ぶ。

 なんなら「ふふふ……」と小さな笑い声まで零れてしまう。

 ニコニコと状況に相応しくない笑顔だということはわかっている。けれど、嬉しいものは仕方がない。

 私は前世から感情が駄々漏れるタイプなのだ。

 良くも悪くも…………

 そのため満面の笑みとなった私に、蓮は琥珀色の瞳を大きく瞠った。

 しかしすぐに、小さく口を尖らせてふいっと顔を逸らす。耳が赤いような気がするのは、思い出した恐怖とぶつけ先不明の怒りの残滓のようなものだろう。

 そんな蓮の横顔を見つめながら思う。

 やはり私の義弟は、決して素直じゃないけれど優しくて可愛い。

 私のことをここまで心配して憤ってくれるなんて、姉冥利に尽きるわね……………と。

 そのためより一層ニコニコと笑みを深めていると、シエルが酷く残念そうな顔となった。

 その顔がもはやレッサーパンダなどではなく、どう見てもなっちゃってタヌキなのだけれど、もちろん口には出さない。でも、その表情の意味がわからず、ん?と笑みを残したままで首を傾げると、シエルがわなわなと口を開いた。

『天然さんや………本物の天然さんがおる。それも最高に鈍い天然さんや………ちゃっと……これはさすがにレインが不憫すぎるで………』

 えぇ……っと、私のどこが天然なのかはわからないけれど、鈍いとされる私にもこれだけはわかるわ。

 これって、褒められてないわよね?

 まぁ、こんなことに巻き込まれてしまった蓮が不憫なのは認めるけれど……

 でもここは、口は災いの元だとしっかり教えるためにも、一度蓮にシエルの生殺与奪権を返したほうがいいのかしら?

 口だけでなく、正真正銘本件における災いの元凶であることは事実なのだし?

 さて、どうしようかしら………

 なんてことを思っていると――――

「シエル、それ以上言うな。余計に悲しくなる。というか、惨めになる……」

『うんうん、ようわかるでぇ。前世から、ほんまよう耐えてきたなぁ。でも大丈夫や。レインにはボクがついとる。いつだってボクはレインの味方や』

「シエル!」

『レイン!』

 ひしと抱き合う一人と一匹。

 何、この茶番。

 私は一体何を見せつけられているのかしら。

 解せない。まったくもって解せない。

 けれど、私は空気の読める子なので、一度蓮に返却も考えていたシエルの生殺与奪権を手中で煮切り潰しておく。

 私の気持ちはさておき、どうやら仲直りしたようだし………

 シエルの首も繋がったようだし。


 うん、よきかな、よきかな………(遠い目)


 ―――――――じゃなくて!

 と、私は一人と一匹の仲を引き裂くように話を本題へと一気に引き戻した。

「とにかく、私がどうして犯人に憎まれてるのか、恨まれてるのかもわからないし、そもそもその犯人が誰なのかもわからないわ。でも、間違いなく私は毒入りチョコレートを食べて、蓮の癒やしのギフトで助けられたってわけね?」

「あぁ、そうだよ。今日は生徒会メンバーに俺たち新入生の代表組と二、三年の代表組での懇親会だった。ま、そのメンバーの細かい選定基準はわからないけどさ、基本高爵位持ちで固められていたよ。ヒロインである俺、カレン以外はね」

 私は蓮の話を聞きながら、これは間違いなくプロローグのアレだわ、と改めて確信していた。

 そう、この乙女ゲームはどの選択ルートを進むとしても、まずこのプロローグが必須となる。

 つまり、このプロローグで懇親会のシーンはこのゲームにおける攻略対象者たちと悪役令嬢のお披露目のようなもので、そこで心優しきヒロインは、毒を盛られた悪役令嬢であるアイリスを救うために癒しのギフトを覚醒させることになる。そして、どのルートへ進むか選択するなるのだ(二回目以降はここをスキップしてルート選択できるようにはなるけれど)。

 そのため、今回盛られた毒で悪役令嬢であるアイリスは死ぬことはない。そもそもこのプロローグでの毒殺未遂事件の位置づけは――――――――

「この毒殺未遂事件は、あくまでもこれから起こる怪事件のはじまりにすぎないわ。ヒロインはこの事件を発端として癒しのギフトが使えるようになり、国王陛下から“聖女”認定されるの。でもそのせいで怪事件に巻き込まれることなってしまうのよ。そして選択したルートによって、その犯人も変わってくるから、おそらく隠しルートでもまた別に犯人がいるはずよ。それもチョコへの毒の仕込み方とかも微妙にルートによって違ってくるから、それも見極めないと…………」

 私の言葉に蓮は酷く嫌な顔をした。

「嘘だろ。俺の癒しのギフトのことはともかく、同じプロローグを経由しながら犯人が違うって、何?その面倒くさい設定は……」

「ほんまやな。でもそれやったらアイリはほとんどのルートを攻略済なんやろ?だったらほとんどのルートの犯人を知ってるっちゅうわけや。だったら、それ以外の奴が隠しルートでは犯人ってことやろ?めちゃ絞られるやん」

「なるほどね。シエルにしてはいいところに気がついたな。よし、始末するのはちょっとだけ延期してやる」

「そこは延期やなくて、取り止めやろ!ってか、ちょっとだけって、命の期限が曖昧な上に全然延びた気せぇへんわ!」

 仲直りした一人と一匹を強引に引き裂いたのが悪かったのか、すっかり元に戻ってしまった二人のやり取りを聞きながら、私はそんなに単純な話ではないと首を振った。

「残念だけど、そう簡単に絞ることはできないわ。確かにルートによって犯人は変わる。でもこのプロローグではその犯人が直接毒を仕込んでいない場合もあるのよ。つまり、犯人の協力者が仕込んだ場合ね。しかも、それは脅されて仕方なくだったり、犯人の信奉者で自ら率先して協力したり、逆に悪役令嬢に恨みのある別の人物が毒を仕込んで、犯人がそれに便乗する形だったりと様々なの。だから同じ人物がまったく違う動機で犯行に及ぶ場合もあるから、一概に今まで犯人ではなかった人が犯人になるとは限らないのよ」

「そう甘くはないってことか…………ってことだからシエル、延期は取り止めだ。よかったな、命の期限が曖昧ではなくなったぞ」

「全然嬉しかないわッ!いや、だからレインさん、さっきからほんま目が笑ってないって!本気で泣いちゃうって!」

 再び私の後ろに隠れ、完全に私を盾にしたシエルに苦笑しつつ、私は自分自身の記憶を探っていた。

 そう、悪役令嬢アイリスとしての記憶を。

 そろそろいい加減、前田愛梨の意識の覚醒とともに、方々散り散りとなってしまったアイリスの記憶が、すごすごと戻りはじめてもいい頃合いではないだろうかと。そうすれば、実際自分が毒入りチョコレートをどのようにして選び、食べたのかわかるのに…………と。

 しかし、アイリスの記憶はまるでどこかに雲隠れしてしまったかように戻る気配もなく、前田愛梨としての私に、後はお好きなようにとでも言わんばかりに、身体たけを明け渡してしまっている。

 とはいえ、覚醒してからの記憶は、毒に痺れ混乱中だったとはいえあるわけで、消え去ったアイリスの記憶の所在を探るうちに、ふとあることに気づく。というか、思い出す。

 私の知る乙女ゲームとは明らかな相違点があることに。

「ねぇ………蓮。そう言えばさっき、王太子殿下に、自分はアイリスの大の親友で、隊長だとか言ってなかったかしら?」

 もちろん私の知る乙女ゲームで、そんな設定はなかった。

 第一に今から目指す隠れルートを選択してこそ、ヒロインと悪役令嬢は大の親友となるのだから、この時点でそんな関係になっていては隠れルートに進む意味がない。

 しかし蓮はさも当然のように言ってのけた。

「あぁ、言ったね。あの執着心たっぷりの目障りな王太子を追い出すために」

 うん、この国の王太子に向かって酷い言いようだ。でも、それって…………

「……っていうことは、さっきの台詞は、王太子殿下を追い出すための……」

「狂言とかじゃないよ。俺……いや、カレンとアイリスは事実親友同士だし、カレンはアイリス親衛隊の最高幹部、親衛隊長をしてる」

「……………………………………………………………………………………………………………………………はい?」


 ア……アイリス親衛隊?

 最高幹部に親衛隊長?

 って、何ぞや………ソレ?


 はてなマークの乱立に固まる私を他所に、蓮がちょっと拗ね気味に捲し立ててくる。

「だってさ、仕方がないだろ?男爵令嬢であるカレンが公爵令嬢であるアイリスに近づけるとしたら、ゴマ摺りとか、親衛隊作るとかしかないじゃない。俺としてはなんとしてでも姉さんの傍に行きたかったし、そこはなりふり構わずってやつ?だからさ、今ではこうして王太子も認める仲にまでのぼり詰めたってわけ」


 いやいやいやちょっと待って!

 ゴマ擦りとか、親衛隊作るとか乙女ゲームのヒロインとして絶対に有り得ない台詞がポンポンと飛び出てきたような気がするのは、私の耳がおかしいせいではないわよね?

 それも王太子が認める仲って何?

 で、でも……そういえば確か、蓮の……カレンの言葉に渋々とはいえ、やけにあっさりと退出していたわね。

 しかも、あれ?その王太子殿下からおでこにキスされていなかったかしら、私。

 そうよ……お、お、王太子殿下にキ、キ、キキキキキキスされたんだったわ!!

 

 ひゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!


 お、おおおおお思い出したら急にその感触が…………って、駄目よ!今はそんなことを思い出している場合ではないわ。うんうん、そうよ。あれは紛うことなき社交辞令の一環よ。そう、それ以上の意味は………………って、ちょっと待って。

 婚約者としてずっと傍にいたいとか、いい子にしているようにとか、聞いた私が砂糖を吐いてしまうような激甘な台詞を吐いていたわよね。

 あれれ?

 ほんと色々とおかしいわよ。

 だって、アイリスは絶世の美少女ではあるけれど、その性格の悪さから婚約者である王太子殿下からも疎まれているはずで、ゲームのプロローグだって、カレンの癒しのギフトでアイリスは一命を取り留めるけれど、王太子殿下はカレンの能力とその心根の優しさに惹かれるのだから。といっても、まだこの時点では恋心未満だけれど。

 なのに――――――――

 

 あれれれれぇ〜?王太子殿下、カレンよりもむしろアイリスに対して未練たらたらだったような……

 おかしいわ。うん、おかしい。

 悪役令嬢であるアイリスが溺愛されている時点で……………いや、ヒロインがアイリスの親衛隊長をしている時点で、この乙女ゲームは混迷を極めてるっていうか、最上級に難易度があがってないかしら?

 だって、もはや私の知っている乙女ゲームではなくなっているのだから。

 うん、ここは色々と確かめておく必要がありそうね。でないと、このまま迷宮入りして私の死亡があっさり確定してしまいそうだわ。

 

 そう、どんな難事件も初動が肝心。

 ということで――――――――

 

「蓮、改めて私の置かれている状況をできるだけ詳しく、そしてこの絶賛混乱中の私が丸っと理解できるように、はじめから懇切丁寧に教えてもらえるかしら?」


 私はそう告げて、この難事件のキーマンであるはずの蓮にニッコリと笑った。


 

 

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