(10)

 あの日から俺の人生は、愛梨を中心として回り始めた。

 といっても別に、今まで自分中心に回ってるなんて思っていたわけではないし、そもそも何かを中心にして回っていたつもりもない。むしろ、世間が何かしらを中心にして回っている(いい様に踊らされてる)のを、皆馬鹿じゃね?と冷ややかに眺めていただけだ。

 ガキのくせに。

 それがどうだろう。

 一夜にして別人かッ!と自分で自分を突っ込みたくなるくらい変わってしまった。

 もちろん愛梨限定で。

 寝ても覚めても、考えることは愛梨のことだけ。

 例えるならキャンキャン尻尾を振りまくって、構って構って、撫でて撫でてと、ぐるぐる回って纏わりつく飼い主を溺愛する馬鹿犬状態。

 いや、実際はそこまで酷くもないし、自分を捨てているわけでもいないが、気持ちは正しくソレ。

 事実、物理的にも愛梨の傍にいたいと、可能ならいつ何時でもその瞳に映っていたいと、保育園と小学校以外では常について回るようになった。

 愛梨からしてみれば、一向に心を開こうとしなかった野生動物の餌付けに成功し、ようやく懐いてくれた――――――といった感じだろう。

 さすがにはじめは面食らっていたようだが、こんな時でもお人好しの性格が発揮され、俺が望むままに一緒にいてくれた。

 しかしだ。

 半年の歳の差が、どうしても二人を引き離す。

 ようやく俺が愛梨と一緒の小学校に通えるようになっても、愛梨は俺より一年間早く卒業し、俺の知らない交友関係を広げていく。

 中学校にしても、高校にしてもまた然りだ。

 約一年違いの四月一日生まれと、翌年の三月三十一日生まれが同じ学年だというのに、三月生まれの愛梨と九月生まれの俺とでは、たった半年でも一学年違い。

 これを理不尽と言わずして何と言う――――ってなもんだろう。

 しかも愛梨は、見てるこっちが頭を抱え込みたくなるくらいに無自覚で、俺の胃がイライラとハラハラで穴が開きそうなくらいに無防備だ。

 本人の自己評価によると、ぱっとしない平凡顔で、存在感も薄く、異性にはまったくモテない陰キャラとなるらしいが、俺から言わせれば、纏う空気がほんわかと柔らかくて、とにかく愛らしい。

 はにかむように笑えば、それはもはや殺人級で、ある意味入れ喰い気味に男どもが愛梨に頬を染め、心を奪われる。

 言っておくが、これは決して惚れた女に対する贔屓目でもなんでもない。

 ほわっとした愛梨の存在自体が癒やしそのものなのだ。

 野郎どもにとっては。

 そんな男どもを長年培ってきた絶対零度の視線で、千切っては投げ、投げては千切ってきた実体験からの発言である。

 時にはちょっとした実力行使もありきで。

 そのため、愛梨が一足早く中学に進学すれば、『来年は中学でサッカー部に入るつもりだから、その走り込みのついでに迎えにきた』などと適当なことを抜かし(もちろん中学入学後も、愛梨の下校時間に柔軟に対応するため、帰宅部だった)、愛梨が高校に進学すれば『俺も来年は受験だから、この先にある図書館に行ってたんだ。その帰りに寄っただけ』などと、嘘の言い訳を並べて、番犬よろしく迎えに行った。

 我ながら涙ぐましいほどの必死さだ。

 なのにいつだって鈍感な愛梨は、『蓮はちゃんと先のことを考えていて偉いね。でも、無理したら駄目よ。体を壊してしまったら元も子もないんだからね』と、姉貴風を吹かせてから、嬉しそうに笑うのだ。

『ふふふ。でも、蓮と一緒に帰れて嬉しい』

 ――――――――と。

 いやいや体以前に、俺の理性は既にズタボロなのだが?

 一体全体どう責任取ってくれるつもりだ?

 何度思ったかわかりゃしない。

 だが、『姉さん』と呼ぶことで、自分自身に自制をかけた。

 それが誰よりも愛梨の傍にいるための免罪符だったから。

 愛梨の朝が弱いことにかこつけて、毎朝起こしに行く特権だって、義弟だからこそ得ることができたものだ。

 もちろんそこには大いなる下心がある。というか、それしかない。

 愛梨のいくつになっても幼気で愛らしい寝顔を、存分に眺められるというご褒美と、目覚めた瞬間、誰よりも何よりも先に、俺を一番にその瞳に映して欲しいという独占欲という名の、爽やかな朝には相応しくないドロドロとした変態さながらの男の欲が。

 言うまでもなく、愛梨にそれを気づかれないように最大限の注意を払っていはいた。まぁ、それ以前に鈍感だから気づく気配すらなかったが、それでも今はまだ…………と、世話のかかる姉を説教する義弟を演じることで、ひたすら隠し続けた。

 時にそれがもどかしくて、苦しくて、いつ爆発してもおかしくない時限爆弾となってはいたけれど…………


 そんな危ういモノを抱えながらも、世間からは“救いようのないシスコン”という願ってもない認定をされ、順風満帆に愛梨を中心に生きてきたというのに、いつの頃から愛梨が俺から距離を取るようになった。

 それは物理的距離もあったが、それ以上に問題だったのは心の距離ってやつだった。

 愛梨は『私たちも高校生になったし、ずっと子供のままではいられないからね。蓮だって、いつまでもお姉ちゃん子ではいられないでしょ?だから私もね、蓮に頼るのはもうやめようと思ってね……』などと今にも泣きそうな困り顔で告げ、あからさまに俺から距離を取ろうとした。

 だがそんなことを俺が許すはずがない。

 学年は違えど、同じ高校に通っていることをいいことに、登下校に始まり、休憩時間に至るまで物理的距離をガンガンに詰めに詰めた。

 何度も言うが、そもそも愛梨はお人好しだ。

 一度懐に入れたモノを突き放すことはできない。それを知っているからこその、押しかけと居直りだった。

 それでも、僅かな歳の差が俺たちをまた引き離す。


 そしてあの日――――――――



『蓮、ごめんね。今日は大学の先輩がね、児童養護施設のボランティアに連れて行ってくれるって………』

 ずっと愛梨が観たがっていた映画が公開になったと誘えば、将来、幼稚園の先生になりたいと児童教育学科がある大学へと進学した愛梨から、申し訳なさ半分、恥ずかしさ半分といった感じで告げられた。

 忽ち俺の機嫌が底をつく。

 そして、俺の声も地を這った。 

『ねぇ、その先輩って男?』

 俺がそう聞いたには理由がある。大学に入学してすぐに、愛梨の周りをうろちょろし始めた男が数人いたからだ。

 その中でも、同じ部の先輩っていう男が愛梨にご執心だってことは確認済となっている。

 どうやって確認したかって?そりゃもちろん、こっそり大学に忍び込んでに決まってる。当然だろ。

 で、ある程度の確信を持ってヤマをかけてやれば案の定……………… 

『……えっと…………うん、そう……だけど…………』

『ってことは、ボランティアって言いながらも、実はデートとか?』

『ち、違う違う違うッ!そんなんじゃないし、デ、デートとか先輩に失礼だよ!』

 茹でダコだってそこまで急激には赤くはならないだろうという勢いで、顔を真っ赤に染め上げると、愛梨は手と首を全力で横に振りながら否定した。

 その様子がまた面白くなくて、俺は愛梨から目を逸らしながら、『どーだか…………』と、冷ややかに言い捨てて口を噤んだ。

 そこからは目も合わせなかった。

 自分でも子供じみた嫉妬だということはわかっていた。

 だが、どうにも感情が制御できなかった。

 本当は『行くな』と言いたい。そして愛梨の身体を抱きしめ、この両腕に閉じ込めてしまいたかった。

 けれど、“義弟”という誰よりも傍にいられる免罪符を手に入れた代わりに、これ以上の関係は望めなくなってしまった。

 もちろんそれでも愛梨から離れるつもりはなかった。

 愛梨は俺の唯一なのだから当然だ。

 しかし、それを愛梨自身に求めるつもりはなかった。いや、そう自分自身を言い聞かせてきた。

 だからこそ口を噤み、目も逸らした。

 俺の中で溜まりに溜まった心の澱を、毒として吐き出し、愛梨を苦しめたくなかったから。

 そんな俺に、愛梨もまた何も言わなかった。

 愛梨は無自覚で鈍感だが、人を思いやれる人間だ。せっかくの映画の誘い断ってしまったという罪悪感と、完全にへそを曲げてしまったシスコン義弟の嫉妬心に困惑し、今は謝罪を重ねるよりもそっとしておいた方が賢明だと判断したのだろう。

 それゆえに、『ごめんね……行ってきます』という今にも消え入りそうな言葉をその場に残し、愛梨は家を出ていった。

 その時も俺は一切愛梨を見なかった。

 遠ざかる足音と、玄関の扉が閉まる音。

 耳に残った愛梨のか細い声と、何処か物寂しげに聞こえてきた愛梨の離れていく音に、たとえ見なくとも愛梨が泣きそうな顔をしていることだけはわかった。

 泣きたいのはこっちの方だ…………と、一人部屋で悪態をつく。

 俺を置いて、他の男のところへ行こうとする愛梨が、どうしようもなく憎くて仕方がない。

 それでも、それ以上に愛し求めてしまうのだから、我ながら救いようがない。

 そう、俺はもう限界だった。

 あれほど愛梨には求めないと決めていたのに、抱え込んだ時限爆弾は既にタイムリミットとなっていた。

 義弟という名の免罪符を返上してもいい。

 血の繋がりはないのだから、たとえ強引に一線を超えたとしても…………

 その結果、愛梨に永遠に恨まれることになったとしても…………

 

 アイリヲオレノモノニデキルノナラソレデイイ


 ――――――と、この時の俺はそう思った。


 気がつけば俺は、愛梨を追って家を飛び出していた。

 背徳に歪んだ想いを愛梨にぶつけるために。

 

 しかし――――――――――


 幼き日、公園へ行くために二人で渡った道路。

 愛梨を公園に置き去りにして一人渡った道路。

 仔猫らしきモノを庇い、その道路に飛び出した愛梨を追い、俺も迷うことなく身を躍らせた。

 咄嗟に抱きしめた愛梨の身体。

 その身体を腕に収めた瞬間、死ぬ間際だというのに安堵したことは覚えている。

 

 これで永遠に愛梨は俺のモノだと――――


 ここからは語るまでもないだろう。

 奇想天外摩訶不思議のオンパレードだ。

 愛梨と俺はトラックに跳ねられ、“時”の神の使い魔、シエルのお節介で異世界転生した。

 それもよりにもよって愛梨がどハマリしていた乙女ゲーム、“甘くも危険な恋と魔法のレッスン”とやらの世界に。


 正直言って、状況はハチャメチャだし(俺がヒロインとかほんとふざけんな!って話だし)、俺自身はこの乙女ゲームをしたことがないので、愛梨から聞き齧っただけの手探り状態でもある。

 大体この先、悪役令嬢であるアイリスに待ち受けているものが、乙女ゲームの定番である断罪による処刑なのか、修道院送りなのかすら知る由もない。

 だが俺が、アイリスと敵対関係となるはずのヒロインであるならば、どうとでもなるだろうというある意味楽観的ともいえる目算もあるし、それなりの手もわからないなりに打ってきた。

 まぁ、それを覆さんとするゲームの強制力とやらには、ずっと辟易してはいるが。

 それでも………………と、ようやく悪役令嬢アイリスとして覚醒した愛梨を腕に閉じ込めながら、仄暗い笑みを浮かべて密かに思う。


 愛梨ことアイリスは俺のモノ。

 王太子にだって、他の攻略対象者にだって渡しはしない。


 俺の唯一を手に入れるためならば、どんなに醜悪で理不尽なゲームであろうとも、この手ですべてひっくり返してやる―――――


 

 キミノココロモカラダモエイエンにオレノモノ。

 


 

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