(8)
子供は残酷な生き物だ。
無邪気な顔で裏切る。
無邪気なふりで傷つける。
俺はそういうガキだった。
そう、あの時俺は――――――――
愛梨は当惑半分、嬉しさ半分といった面持ちで、俺の手を引きながら児童公園を目指していた。
公園で何をして遊ぶという具体的案があったわけではない。
ただただ俺の気が変わらないうちに児童公園に行けば、あとはなんとかなるだろうという、ある意味行き当たりばったり感満載で家を出ただけだ。
そりゃそうもなるだろう。
愛梨としてはダメ元…………というか、断られることを前提で声をかけたら、予想外にも色よい返事がかえってきてしまった。それも、無愛想で懐きもしない人間恐怖症の義理の弟から。
それはずっと一定の距離を保っていた野生動物から、突然ペロリと指先を舐められたくらいの衝撃があったに違いない。
にもかかわらず、いざ『何して遊ぼっか』と聞いてみても、『なんでもいい……』と素気なく答えられ、そこからは牙は剥かないものの、一向に目も合わせようとしない、口も開かない、なんなら野生動物以上の頑なさで本を読み続ける義理の弟。
愛梨が困り果てた末に、苦肉の策で公園ヘ連れ出すことにしたのも無理はない。
ま、正直なところ俺自身も小さな動揺と混乱を抱えていたから、愛梨の心情とそう大差はなかったのだが。
ちなみに児童公園は、俺たちの家から僅か三分ほどの距離にある、この地域ではそれなりの大きさを誇る公園だ。ようは、俺たちのようなガキのたまり場である。
そこそこ車が通る二車線の道路を一本渡らなければならなかったが、ちゃんと横断歩道もあるし、見渡しのいい道路でもあるため、子供だけでも然程問題はない。
後に、この道路で二人一緒にトラックに跳ねられて死ぬことになるのだが、またそれは別の話だ。
季節は初冬。
空を覆うのは、どんよりとした灰色の雲。
首にはこれでもかってほどにマフラーをグルグル巻きにされ、繋いだ手には、愛梨の母親が色違いで買ってきたお揃いの手袋。
それを複雑な心境で視界の角に捉えながら、時折俺の方を振り返っては、ニコニコと愛らしい笑みを見せてくる愛梨に、さらに困惑と面映ゆさを深くしていた。
けれどそれも、児童公園に着くまでの話。
近所のガキどもで賑わう公園に足を踏み入れた瞬間、俺は数分前の自分を罵りたくなっていた。
なんで愛梨に『いいよ』などと答えてしまったのかと。
いや、たとえそう答えたとしても、何故家の中限定にしなかったのかと。
極度の人間恐怖症で、女嫌いの俺にとってこの児童公園の賑わいは、ウザい保育園となんら変わらない苦痛な場所でしかなかった。
だからこの時、『やっぱり帰ろう』と、ただ一言そう言えばよかったのだ。
そうすれば愛梨も困った顔をしながらも、首を縦に振ってくれたに違いない。
愛梨はこの頃からそういう奴だったから。
他人の気持ちを最優先にする馬鹿がつくほどのお人好しで、この頃にはもう俺も、それを知っていたのに………………
『れん、大丈夫?』
気遣わしそうに聞いてきた愛梨。
半年しか違わないのに自分の方が姉だという自覚があるのだろう。きゅっと俺の手を握り直しながら、不安そうに俺の顔を覗き込んできた。そんな愛梨を見つめながら、俺は心の中がざわつくのを感じていた。
けれど今、愛梨の目に映るのは自分だけだと思うと、不思議とざわついていたが気持ちが急に凪いだような気がして、俺はコクンと頷いた。
『よかったぁ……じゃあ何して遊ぼっか?』
朝の光に綻び始める花のようにふわりと笑顔となった愛梨に、直感的にこれは見てはいけないやつだと幼心に感じた俺は、咄嗟にそっぽを向いた。
せっかく凪いだはずの心が、またざわざわと落ち着かなくなりそうだから…………と。
そして懐き始めた野生動物並みの可愛げもなく、馬鹿の一つ覚えのように無表情で告げた。
『……なんでもいい』
そんな俺の内心のあれやこれやなど知る由もなく愛梨は公園を見回しながら、ふむ……と、仕草だけは一丁前に顎に手を当てて考えた。
もちろん考えていることは、俺と何をして遊ぼうかという至極単純な内容だ。
しかし、老朽化と安全基準を満たさないと理由でいくつか撤去され、より一層数少なくなってしまった公園の遊具は、すでに先に来ていた奴らによって占領されており、物によっては順番待ちの列までできている。
おいおい、順番が回ってくるまでに、先に日の方が暮れるんじゃないか?とも思わないでもなかったが、もちろん口に出したりはしない。というか、それこそ俺にとってはどうでもいい話だ。
しかし俺と愛梨は、児童公園にやって来たはいいが、結局何をして遊んだらいいかもわからず、日が暮れる前に途方に暮れていた。
なんせ義理の、今までろくな会話もしたことがない、俄姉弟だ。計画性もなく、手ぶらでやってきた俺たちに、さぁ好きに遊べと言われても、無理難題でしかない。
児童公園のど真ん中で、何をするでもなく、繋いだ手はそのままに立ち尽くす俺と愛梨。
さながら遊園地で親と逸れた子供のような状態だ。
しかし、それもほんの束の間のことだった。
本来元気よく遊ぶべき場所で、何もせずぼぉーっと突っ立っているだけのほうがかえって目立つらしく――――――――
『あいりちゃん!』
甲高い声が公園に響いた。
反射的に声がした方へ振り向けば、シーソーで遊んでいる女子が愛梨に向かって手を振っている。
『あっ……えっちゃん!』
後に愛梨に聞いた話によると、当時設置されたばかりというまっ赤なシーソーは、この児童公園において空前絶後の人気を誇る遊具だったらしい。ま、俺には興味もなかったが。
しかしそう言われれば確かに、公園内で一番の長蛇の列ができていた………ような気もする。といっても、有名ラーメン屋ほどではないが。
そのため、暗黙のうちに二十回で交代なんていう仕組みができ上がっていたそうで、そのえっちゃんとやらも愛梨に話しかけながら、必死に数を数えていた。
「十四………愛梨ちゃん、十五……もうすぐッ…十六……終わるからさ、十七……一緒に遊ばない?十八……」
律儀というか、器用というか、忙しないというか、とにかくウザい。
一気に帰りたくなった。
しかし、あっという間に二十を数え切ると、そのえっちゃんとやらはシーソーから降り、数人の女子を引き連れて駆けてきてしまった。
それも、『あいりちゃん、その子誰〜?』などと、興味津々とばかりに目を輝かせながら。
そんなえっちゃんたちを前に置いて、お人好しの愛梨は『おとうとだよ』と答えつつ、ただただ困った顔をした。
『うわぁ、あいりちゃんとは全然似てないし、なんだかすっごくかっこいいねぇ』
『ねぇ、お名前なんて言うの?』
『わたしたちと一緒にあそぼ』
保育園の女子同様やたらぐいぐい寄ってくるえっちゃんたちに、俺は愛梨の手を振り解いて、ほとんど背の変わらない愛梨の後ろに隠れた。いや、俺の方が愛梨より若干高かったが、そこは気にしてなどいられない。
そんな俺を見て、大丈夫だとでもいうように愛梨はニコッと微笑んだ。そしてえっちゃんたちに向かって眉を下げ、申し訳なさそうに告げる。
「さそってくれてありがとう。でも今日は、れんと二人で遊ぶね」
愛梨は、俺と同じく子供だったけれど、人の心の機微を敏感に読むような奴だった。但し、自分に向けられる好意以外という、本人にとっても相手にとっても、非常に有り難くない機能もついていたりするのだが。
しかし、えっちゃんたちは不服だったらしい。せっかく誘ってあげたのに、という気持ちが強いらしく、今度は愛梨を皆で責め始めた。
『あいりちゃん、つめた〜い』
『おとうとも一緒でいいって言ってあげてるのに』
『わたしたちとあそぶの、そんなに嫌なの?』
ほんと恩着せがましいというか、押し売りもいいところだ。だから女は大嫌いなんだとつくづく思う。
おかげで今すぐ帰りたいではなく、とっとと家に帰ろうと決めた。
が、何故か愛梨が俺の手を握り直してしまう。
どうやら姉として俺を守る気でいるらしい。
自分だってガキのくせに…………
愛梨の背に隠れておいて何を抜かすかという話だが、この時の俺は愛梨の気持ちを嬉しく思うよりも、むしろそれを面白くないと思った。
本当の姉でもないくせに、勝手に姉みたいなことをするな…………とも。
それに、俺さえいなければ、愛梨もそいつらと遊べる。
どうせ愛梨だって本当はそうしたいと思っているはずだ…………と、ガキ丸出しの不貞腐れた感情が心に暗く醜い影を落とした。
愛梨のことは嫌いではない。
いや、嫌いではないからこそ、独り占めできないのならと、俺の心は愛梨を突き放そうとした。
もう傷つかなくて済むように。
この先も、一人でいることが当然だと思えるように。
そして、どこまでも捻くれたクソガキだった俺が、無邪気なふりで口にしたのは――――――
『かくれんぼがしたいな。ボクが公園のどこかに隠れるから―――――
―――――――ちゃんと探してね』
見つかる気など更々ない、最初から破綻したかくれんぼへの誘い。
ただ単に、手を離すきっかけが欲しかっただけの言い訳。
この時、空を覆っていた灰色の雲は、静かに暗雲へとその姿を変えていた。
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