(6)

 どう尋ねるべきかと、ぐるぐると思考を回しながら、とりあえずはとベッドの上で身を正す。

 

「えっと…………あの、シエルさん?」

『シエルでええで』

「で、では……シエル、つかぬことをお尋ねしますが…………」

『なんや?好きなだけ聞いてぇな』

 どう見てもタヌキにしか見えない自称レッサーパンダのシエルが、ニコニコとした笑顔を向けてきた。

 動物なのに、器用なくらい表情豊かだな、と思いつつ私はお言葉に甘えておずおずと尋ねる。

「あのね……その蓮は、本人も正真正銘の男だと主張しているように、私も男の子なんだってことはわかってるつもり…………というか、ちゃんと理解しているつもりよ。でもね、王太子殿下?が……その……蓮のことを男爵令嬢のカレンだと認めてるってことは、実際この世界で蓮は、男の子認定されているの?それともやっぱり女の子認定なの?」

『「あぁぁぁぁぁぁ~~~~そこね」』

 非常に仲がいいことに、蓮とシエルの声が綺麗にハモった。

 私はそんな一人と一匹をベッドの上から交互に見やる。

 すると、まずシエルが口を開いた。

『レインは、アイリの理解している通り正真正銘の男やで。前世での性別が、こっちの世界でもそのまま反映するから間違いない。つまり、まだ母親のお腹ん中にいた時に、ボクが蓮の意識を赤ん坊の中に定着させたもんやから、赤ん坊は男の子として生まれてきたんや。ま、本来は、もしかしたら女の子として生まれてくるはずやったかもしれんけどな』

 なんでもないことのように、いやむしろ得意げに話すシエルの横で、蓮は頭痛がするとばかりに額へと手をやりながら、盛大すぎるため息を吐いている。

 うん、蓮に激しく同意だ。

 しかし、シエルの答えには肝心な部分が一切含まれておらず、その男の子として生まれた蓮が、どうして今現在ヒロインのカレンとして女の子認定されているかがまったくもって謎のままだ。

 思わず眉を寄せて、唸るようにして首を傾げれば、苦笑に同情を滲ませて蓮自身が答えてくれた。

「そう、俺は正真正銘の男で、本名は…………生まれた時の名前はレイン・ホワードだった。だけど、今は女性としてダイアー男爵家の養女になったから、世間ではみんな俺のことをカレン・ダイアー男爵令嬢として扱っている。そう、不本意ながら俺は、世間様では立派な女の子認定されてるってわけ」

「なッ…………いやいやいや男の子の蓮………いや、えっと……レインが、なんで男爵家の養女になって、女の子認定されることになるのよ!」

 養子ならわかるけど、養女なんておかしい!もしかして義理の父親となった男爵は変態じゃないの⁉と、正義感やら常識やらを振りかざして問い質せば、蓮は眉を下げて困り顔となってから、今自分たちがいる世界が非常識そのものであることを説くように告げた。

「これがまさにゲームの強制力ってやつなんだろうね」

「ゲ、ゲームの…………?」

 言われてみれば…………と、自分が今、有り得ない現実にいることを思い出し、振り上げたはずの拳が行場なくすごすごと降ろされるように、そのまま勢いを削がれてしまう。

 すると蓮は、再び私のベッドに腰かけ、「少し長くなるけど、いい?」と聞いてきた。

 うんうんと頷けば、蓮は淡く笑って、鷹揚な口調で紡ぎ始める。

 この世界にレインとして生まれてから、今日に至るまでのことを――――――

 

「俺さ、この世界での父親が誰かなんて知らないんだよ。母さんも…………この世界で俺を生んだ母親も、最期の最後まで教えてくれなかったからさ。だけど、それなりの高爵位持ちの貴族だったってことだけはわかってる。その証拠に、俺が三歳の時にその父親の正妻?に殺されそうになってさ、それがきっかけで俺は“蓮”の意識を覚醒させたんだよ」

 どこを見るでもなく、ぼんやりと視線を流したまま、淡々とした口調で語られる予想外にも重すぎる過去。

 シエルもまた神妙な顔つきでその蓮の声を聞いている。 

「はじめは全然意味がわからなかった。とにかく腹が痛いって思って目が覚めたらベッドの上で、しかも包帯でぐるぐる巻きにされててさ、なんとなくだけど、自分の身体がやたら小さくなっている気がする……とだけは思ったんだ。どっかで観たアニメみたくさ。まぁ、今の姉さんと同じ状況ってこと?覚醒した記憶と意識が、今の身体に定着してなかったんだよ。だからさ、その時は自分がレインであることも、腹を刺されたってことも、さっぱりわからなかったんだ」

「ちょっと待って!さ、三歳の子供のお腹を刺したっていうの⁉その正妻とかいう人は!」

 一気に沸点に達した怒りにぎゅっとシーツを握り込めば、蓮はわなわなと震える私の手にそっと手を重ねた。そして何故か嬉しそうに笑み綻ぶ。

「もちろん、刺したのはその正妻に雇われた奴らだけどさ…………それにしても、ほんと変わらないね、姉さんは。自分のことでは滅多に怒らないくせに、俺のことになると、本人の俺よりも怒ってくれるんだから」

 そう言って目を細めてくる蓮に、「だって……誰であろうと、蓮を傷つけるなんて許せないもの……」と、口を尖らせながらも、不意に気恥ずかしさに襲われて、慌てて目を逸らす。

 蓮はそんな私にさらに笑みを深めてから、重ねた手を掬い上げるようにして大きな手で包み込んだ。

 そして――――――

「ありがとう、姉さん。あの時の俺のために怒ってくれて………嬉しいよ」

 なんてことを、極上の甘く蕩けるような声にのせて告げてくる。

 それも、耳元で。

「ッ………………」

 耳朶に触れた吐息に、跳ねた心臓。

 甘く痺れた脳は熱を呼び、無様に顔が茹で上がる。

 これは義姉としていかがなものかと思うけれど、なんせ私は覚醒したばかりで、レイン仕様の蓮にまるで免疫がない。

 蓮相手に意識するほうがおかしいのに、どうにもこうにも感情がままならない。

 これもまた乙女ゲームの弊害か…………

 はたまた私のメンタルがただただイケメンに弱すぎるだけなのか…………

「姉さん、真っ赤」  

「〜〜〜〜〜うるさいッ!」 

 蓮は手を離しながら、してやったりとばかりに声を上げて笑う。

 うん、間違いない。

 これは確信犯だ。

 

 前世でも今世でも、この義弟は本当に質が悪い…………

 


 そんなこんなで、相変わらず私をからかってばかりいる蓮の話によると、その後すぐに現れたシエルから(その時はアライグマ擬きだったらしい)、ここが私のハマっていた乙女ゲーム“甘くも危険な恋と魔法のレッスン”の世界であることを教えられたらしい。

 しかもどうやら自分は、ヒロインのカレン・ダイアーであることも。

 けれど、当時まだレイン・ホワードだった蓮に、理解などできるはずもなく………………

「とにかくさ、シエルの話が奇想天外すぎて、あぁ……これは悪い夢を見てるんだなって漠然と考えていたんだ。なのにさ、姉さんもまた転生してるとか言われて、思わず腹の痛みも忘れて飛び起きたね。しかも姉さんは、アイリス・フローレスに転生したって言うしさ、冗談抜きで腹じゃなく頭を抱えたよ。ほら、頼んでもないのに、姉さんからこの乙女ゲームの話は聞かされていたし、アイリスが悪役令嬢だってことはなんとなく覚えてたからね。なのにこいつときたら………よりにもよってその悪役令嬢に姉さんを転生させるなんて…………そこからみっちり三時間、そこになおれと正座させてコンコンと説教したよ。腹の痛みも忘れてさ」

『ほんま堪忍やで。お礼に憧れの世界に転生させたろって思っただけやってんけどな、まさか悪役令嬢とか、ヒロインとか、この乙女ゲーム?とかいう世界にそんな役柄ってゆーか、役割分担があるって知らんかってん……』

「………………」

 三歳児…………といっても、中身はれっきとした十七歳であるレインに、コンコンと説教されるアライグマ擬き。

 しかも、アライグマなのに正座。

 ある意味、なんて器用なッ!というか、是非とも見たかった!それッ!

 などと、モフ欲を全開にその光景を想像しつつ、目の前のしょんぼりと項垂れるシエルを目におさめてしまえば、怒りなど湧いてくる余地もなく、庇護欲だけで心が忽ち満たされる。

 それに、知らんかってん…………という言葉通り、シエルは本当に知らなかったのだろう。

 そもそも“時”の神の使い魔が、乙女ゲームの内容に詳しいはずがない。悪役令嬢たる存在も、その末路だって。

 そのため、もう一度改めてシエルに「気にないで…………」と声をかければ、蓮からはすかさず「姉さんは、甘すぎ!」と、睨まれた。

 まぁ、蓮の気持ちもわからなくはないけれど、さすがにそれは酷というものだ。

 だいたい今更どれだけシエルを責め立てたところでどうにもならない以上、やはりここは受け入れるしかないのもまた事実なわけで………

 今はそれよりも――――と、話の先を促せば、「姉さんがこんなだから、色々と心配になるんだよ……」というぼやきを頂戴することになった。

 誠に遺憾である。

 


「で、話を戻すけど…………シエルから話を聞いた俺は、できるだけ早い段階で姉さんに近づこうと思ったんだ。けれど、レイン・ホワードの中には確かに貴族の血が流れているかもしれないけれど、平民同然で、尚且つ命を狙われている身。しかも、中身は十七でも、見た目はガッツリ三歳のガキだ。公爵令嬢である姉さんに、おいそれと近づけるわけもない。そしてあの日――――――追手からもう逃げきれないってなった時、母さんが言ったんだ」


 “レイン、しばらく女の子として生きなさい。でなければ、いつか必ず殺されてしまうわ”


「そうくるか――――って思ったよ。これがゲームの強制力なのか――――ってね。男の俺が女として生きなければならない状況が、こんな形で作り上げられてしまったんだから」


 その結果――――――

 追手から逃れるために“レイン”としての蓮は死んだことにして、蓮は女の子“カレン”として生きることになった。そこら辺の偽装工作とか諸々は、シエルが手伝ってくれたらしい。

 でも…………だけど……………


「母さんはその時、俺を逃がすための囮となってに殺されたんだ」


 完全に言葉を失った私に、蓮は泣き笑いのような表情となる。

「もちろんその時は悲しかったけど……俺には姉さんという心の拠り所があったから…………姉さんともう一度会うためなら、何でも堪えられる……そんな気がしたんだよ。だから姉さん……そんなふうに泣くなよ」


 言葉は何一つとして出てこないのに、涙だけがどうしようもなく零れてくる。

 何も知らなかった。

 というか、記憶は、前田愛梨としての意識は、今取り戻したばかりなのだから、知っているはずもない。

 なのに、もっと早く覚醒できていればと詮なきことを考え、自分勝手な罪悪感に苛まれる。

 

 そう思うことで、誰かの赦しを求めるかのように――――――

 

 あぁ…………

 さっきも思ったけどほんとズルい…………

 泣けば何でも許されると思っているみたいで、自分が浅ましく思えるほどにズルい。

 だから、泣きたくないのに。 

 でも、どうしても、どんなに呑み込もうとしても、涙は堰を切ったように零れ続ける。

 

 泣いて…………

 泣いて………………

 ただただ泣いて………………


 気がつけばまた、私は蓮の腕の中にいた。

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