(5)
「えぇ〜〜〜っと……つまり私は、仔猫に変身していたあなたをトラックから守るために飛び出し、さらにはその飛び出した私を助けるために一緒になって飛び出した蓮までもが、トラックにはねられて死んでしまった――――ってこと?そしてそれに責任を感じた“時”の神の使い魔であるあなたが、私と蓮をこの世界に転生させたと?」
『そうや。ちょうど時空間を抜ける寸前で、まだ肉体があった状態やったから、ほんま助かったわ。もちろんボクは使い魔やから死ぬことはないんやけど、肉体的ダメージを受ければさすがに回復の時間はかかるからな。でもアイリが助けてくれたおかげで、たいしたダメージもなく時空間に飛ぶことができたんや。その際にアイリたちの意識……つーか、魂に紐づいた記憶も一緒に持って飛んで、アイリの記憶からお気に入りの世界もわかったことやし、そのお気に入りのゲームの世界ってやつをやな、まんま異次元に繋げて転生させたってわけやねん。助けてくれた感謝の気持ちとしてな』
それって…………絵に描いたようなトラック転生で、しかも猫の恩返しならぬ、レッサーパンダ擬きの恩返し………?
いやいやいやいやいや、確かにあの乙女ゲームに蓮が引くほどどっぷりハマってはいたけれども、だからって……いや、本当にだからって………
これはないッ!
愕然となった私に、シエルは照れたようにもじもじとすると、『よせやい!そんなに見つめてくんなよ。恥ずかしいだろ。お礼なんていらねぇからな。これは感謝の気持ちとして、有り難く受け取ってぇな』などと、丸い肉球付きの手を、ヒラヒラと振ってみせる。
私はその光景を、暫くの間瞬きすら忘れて見つめていたけれど、やがて硬直を解くように二度三度と瞬かせると、今度は事の真偽を確かめるべく、錆び付いたロボットよろしく、ギギギッと蓮に視線を向けた。
目が合った蓮は苦虫を噛み潰したような顔で間違いないと頷き、すかさずこう付け加えてくる。
「姉さん、殴りたかったらシエルを好きなだけ殴ってもいいよ。十発でも百発でも、なんならナイフで滅多刺しにしてもいい」
『なんでやねんッ!』
シエルがお仕えする“時”の神は上方の人なのか、それともただただシエルが上方の出身なのか、まるで合いの手の如く入れられる見事すぎる突っ込み。けれど、蓮はスゥッと半眼になると、レッサーパンダにしてはやはり少々尖り気味の耳をぎゅっと掴み上げた。
「どの口がそんなことを言うのかな?よりにもよって男の俺をヒロインに、こんな世間知らずのぽけ~っとした姉さんを悪役令嬢なんかに転生させた分際でさ。ここは土下座の謝罪一択だろ」
『痛い痛い痛いッ!つねり方がアイリん時と違いすぎやろ!そ、それにやで、レインがそう思ってるだけで、世間知らずのぽけ~っとしたアイリは内心喜んでいるかもしれんやろ?なんせ、憧れのゲームの世界に転生やで。その可能性も…………』
「ゼロだ!」
きっぱりはっきり言い切った蓮に、シエルの耳がしゅんと垂れ、黒縁の垂れ目もより一層垂れて見える。
もちろん私も、いくらドハマりしていたゲームの世界とはいえ、蓮同様感謝の気持ちなど芽生えるはずもない。しかもよりにもよって悪役令嬢への転生だ。喜ぶどころか、頭痛しか覚えない。けれど、シエルが悪意ではなく、感謝の気持ちでこの世界に私と蓮を転生させたことだけはわかり、なんだか責める気持ちも、説教する意気込みも霧散してしまった。
とはいえ、蓮に対する罪悪感が消えることはないけれど…………
しかし、“私が勝手に飛び出したせいで、死なせてごめん”と告げるのは何だか違う気がする。おそらく蓮は、謝罪の言葉を受け取ることはないだろう。
だとしたら、伝える言葉は感謝の言葉となるのだけど、これも蓮のことだから、『いや、当たり前のことをしただけだから、っていうか、結局二人して死んでるし、助けられてないよね。なのに感謝って、姉さんボケてるの?』などと呆れ顔で返され、受け取ってはもらえないはずだ。
ほんと頑固者で偏屈で素直じゃなんだから…………
けれど、シエルがどういう形であれチャンスをくれた。
ならば今度は、私が蓮を幸せにするために頑張る番だ。
ううん、違うわね。
今度こそこの世界で二人一緒に幸せとなるために努力するべきだと思う。
そのためにはまず、現状把握から始めなればならない。
どんな難事件も、現状把握は初歩中の初歩だと相場が決まっている。だいたい“前田愛梨”の意識に“アイリス”の記憶がまだ定着していないからといって、自分の年齢すら思い出せないなんて、お話にもならない。
しかも、ここが間違いなく“甘くも危険な恋と魔法のレッスン”の乙女ゲームの世界ならば、悪役令嬢である私、アイリス・フローレス公爵令嬢は――――――――
全ルート死亡確定キャラ。
つまり、ヒロインであるカレン・ダイアー男爵令嬢がどのルートを選ぼうとも、私は必ず死ぬ運命にあるため、その回避こそがこの世界で幸せになるための必須条件となる。
そうしなければまた、私を追うようにして蓮も死んでしまいそうで――――――――
今の私には、それが一番怖い。
そうね、それだけは絶対に回避だわ。
こうなったら、何が何でも生き延びてやる。
蓮を必ず幸せにするためにも。
私はそう決意すると、今も尚、突っ込み一辺倒の応酬を繰り返している一人と一匹の間へ、咳払い一つで強引に割って入る。
そして、同時に振り向いた蓮とシエルに、これだけは譲れないばかりにきっぱりと言い放った。
「あぁ〜お言葉ですが、私は世間知らずでぽけ~っとなんかしていませんから!そこは即時訂正を求めます!」
「『気になるところ、そこ⁉』」
いや、そこ重要でしょ!
で、ここからが本題。
「ねぇ、先ずは確認なんだけれど、蓮……っていうか、ヒロインであるカレンは……どのルートをを選択しようとしてるわけ?」
私は、難事件解決のための第一歩目として、乙女ゲームにおけるお約束、ルート選択―――――つまりどの攻略対象者を選ぶかについて蓮に問いかけてみた。
しかし、物凄ぉ〜〜〜く嫌そうな顔をした蓮から返ってきたものは――――――
「姉さん、それ、本気で聞いている?もし本気で聞いているなら、俺暴れるよ」
「なんで聞いただけで暴れ出すのよ!だってこの世界は、乙女ゲームの世界なんでしょ?そして私は悪役令嬢で蓮はヒロインのカレンなんでしょ?つまり、この世界の主人公は蓮なのよ!その蓮がどのルートを選択したかによって、これからの私の行動とか、周りの行動とかが大きく変わってくるんだから、当然の質問でしょ!」
そう強く言い切ると、蓮は心底うんざりした顔をして、ガリガリと頭を掻いた。にもかかわらず、それでも麗しく見えるのだから、どんだけだ!と思う。
しかし、私の問いかけに不本意ながらも納得した蓮は、今度は何故か悪戯な笑みを湛えて告げてきた。
「じゃあ、悪役令嬢ルート一択で」
「じゃ、じゃあって……そんなものあるわけないでしょ!」
「いや、他のルートとか考えただけでも虫酸が走るし。だから俺は悪役令嬢を落とす。これに命をかける!」
「命をかけるって……あのねぇ…………」
本当に何を言っているのだ、この義弟は…………
こめかみをぐりぐりと指で揉み解しながら、真剣に思う。
いや、同性を攻略対象にするくらいなら、一応異性である悪役令嬢のほうがマシだという気持ちはわからないでもないけれど、それが義姉の私だと言うことを、お忘れではなかろうか。
それはそれで大いに問題があるだろう。
それこそお互いのメンタル面で色々と、だ。
攻略対象が男でも悪寒。
義姉相手でも悪寒。
同じく悪寒を覚えるならば、ここはありもしないルートを開拓するより、正規ルートで無難に死亡フラグをへし折っていったほうが、死亡回避しやすい………ような気がする。
蓮には酷かもしれないけれど………
いやいや、暴れるだの何だのとか言いながらも、先程までバッチリ愛らしいヒロインカレンの姿でいたのだから、むしろ正規ルートを攻略する気満々ではないか………とまで考えて、ここでまたある事に気がついた。というか、ようやく根本的なところに目が向いた。
蓮は実際どちらが本当の姿なのだろうかと。
いや、口調からして男性の姿が蓮の本来の姿であることはなんとなくだけどわかる。シエルが蓮の事を、“カレン”ではなく“レイン”と呼んでいることからも、この世界での蓮の本名が“レイン”だということも絶対的確信はなくとも、ある程度推察はできる。さすがにそこまで愚鈍ではない。うん、たぶん。
けれど、王太子はカレンを男爵令嬢として認識していたし、そもそも男性であるはずの蓮が、何故この世界のヒロインになってしまっているのかが、さっぱりわからない。
そう、問題はまずそこだ!
私が前世でしていた乙女ゲームの世界では、ヒロインは紛うことなき正真正銘の乙女だった。決してなんちゃって乙女などではない。
声を大にしていうけれども、断じて違う。そう、断じてだ!
だとしたら―――――――
うん、ここはやはり諸悪の根源――――――この件の首謀者であるなんちゃってレッサーパンダに聞くべきだろうと、私は再びこめかみを揉み解した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます