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 転生前の…………とどのつまり前世の私がドハマりしていた乙女ゲーム――――――

 “甘くも危険な恋と魔法のレッスン”は、ヒロインがある怪事件に巻き込まれつつも、攻略対象者と恋をしながら一緒に事件解決へと挑み、ハッピーエンドを目指すという非常にありがち(?)な内容のものだった。

 しかし、私の目の前の状況は、決してありがちなものなんかではない。

 乙女ゲームのヒロインが実はがっつり男性だったなんて、もはや乙女ゲームの定義を根底からひっくり返してしまっている。というか、これは乙女ゲームなどと呼んではいけない代物だ。

 

 あぁ…………色々と物申したいことや確認したいことはあるけれど、もう何から口にしたらいいのかもさっぱりわからないわ………………

 

 私はぽかーんと口を開け、暫し呆然と麗しき男性へと変じた蓮を見つめていたけれど、何一つ言葉を発することができないまま、ベッドの上でリアルに頭を抱え込んだ。

 自分の身に降りかかったファンタジーな出来事さえ、未だしっかり呑み込めていないというのに、このカミングアウトはさらに理解の難易度をぐっと引き上げている。

 そもそも、男性の蓮がヒロインに転生している時点からして話に無理があるのだ。

 しかも、先程までしっかりというか、ちゃっかりというか、ヒロインであるカレンそのものの姿になっていたことだって謎でしかない。

 やはり乙女ゲームの強制力のせいなのか、はたまた蓮の趣味なのか、後者であれば義姉としてここはじっくり話し合う必要がある。

 いや、どちらにしても話し合う必要はあるのだけど。

 にしたって、この状況はおふざけが過ぎる。 

 もし仮に、この乙女ゲームの世界をこんなにもひっちゃかめっちゃかにした責任者がいるなら、是非ともここへ連れてきてほしいくらいだ。

 まるで二日酔いで目覚めた朝のように(もちろん未成年だった前世でも二日酔いになったことはないけれど)、うんうんと唸りながら頭を抱え込んでいると、コツコツと足音が近づき、頭上からクスクスと軽やかな笑い声が降ってきた。

 確認するまでもなく蓮である。

 先程までの可憐な制服姿ではなく、華美さはなくとも、尊いほどの麗しき装いとなった蓮は、再びベッドの端に足を組んで腰かけ、笑みを含ませた声で話しかけてきた。

「すっかり混乱しているみたいだね。まぁ……こればっかりは仕方ないけどさ。とにかく、この件の首謀者を呼ぶから、まずは話を聞いてみてよ」

「えっ!」

 突然、耳に飛び込んできた首謀者という言葉に、勢いよくがばりと頭を跳ね上げた。そして、うっかり間近で今の蓮の顔を見てしまい、その完璧すぎる容貌に、今度は私の心臓が面白いように跳ね上がる。けれど、己の責務に忠実な口は、告げるべき言葉を若干噛みながらも音にしていた。

「そ、そ、そそそんな人がいるの?だったら、今すぐ会わせてッ!」

 確かに、乙女ゲームをひっちゃかめっちゃかにした責任者がいるなら是非ともここへ連れてきてほしいとは思ったけれど、本当にいるとは夢にも思いはしなかった。ここはしっかりと話を聞いて、尚且つ乙女ゲームがいかなるものかを、とくと教えて込んでやらなければならない。

 たとえそれがこの世界における神と呼ばれる存在であったとしても、それはもうきっちりと膝詰めで。

 そんな決意の下、妙な正義感と意気込みに任せてぐっと両手に拳を作り、未だ見慣れぬ蓮の琥珀色の瞳を見据える。

 やや上目遣いとなり、若干迫力に欠けてしまうのは、如何ともし難い身長差ゆえだ。

 誠に遺憾なことに。

 しかしこの身長差は今世に限ったことではない。前世でも早い段階で背は抜かされていたので、それこそ今更である。

 なので、ここは足りない迫力を、なけなしの目力でカバーする。というか、今の私の容姿って…………と、ふとそんなことが脳裏を過ったけれど、今は首謀者が先だと、あっさりと脳裏から見送った。

 そんなこんなで食い入るように蓮を見つめて約五秒。

 蓮は私の圧に屈するどころか、むしろ嬉しそうににっこりと笑って、何もない空間に向かって叫んだ。

「出て来い!シエル!」

『レイン、呼ぶの遅いわッ!』

 蓮の声に反応し、返ってきた声は、明らかに前世でいうところの上方方面のイントネーション。

 そのことに首を捻る間もなく、空間を切り裂くような一本線が、稲妻のようにビリッと縦に入った。

「なっ…………」

 まさか本当に神の降臨なの?と、困惑と驚愕で目を見開けば、その割れ目の中からこちらが拍子抜けしてしまうくらいの悠長さで、ぽてぽてと空中を歩く何かが現れた。

 私はそれをまじまじと見つめて今度こそ首を捻る。

「タヌキ…………さん?」

『ちゃうわッ!』

 明らかに上方方面の返しをしてきた二足歩行のタヌキらしき動物に、私は目と口を限界まで開きつつ、内心では身を捩るほどに悶えていた。

 

 な、な、な、なに、この動物。

 ちょっ、ちょっと待って…………

 可愛すぎるんだけど…………

 うわぁぁぁ、今すぐ抱っこしてモフモフしたいぃぃぃぃ…………

 

 膝詰めでの説教はどこへいったという話だけど、モフ欲はこんな時でさえも、すべてにおいて凌駕するものらしい。

 当然、私のモフモフ好きを知っている蓮は、的確に私の内心を読み、残念な子を見るような視線を寄越してくる。

 いや、これはだって……仕方ないでしょう…………と、蓮からの刺さる視線を感じながらも、私の視線はその未知なる動物に釘付けのままだ。

 そんな私を正気に戻すように、蓮はやれやれとため息を吐いてから、これまた酷く残念そうに告げてきた。

 但し、何故か耳打ちで。

「姉さん、一応伝えておくけれど、本人はあれでもレッサーパンダのつもりなんだよ。だから色々察してあげて」

「レ、レッサーパンダ?」

 本当にタヌキじゃなく?

 まぁ、本人も違うって言っていたし、確かにそう言われてみれば…………と、宙に二足立ちで浮いている動物を見返すけれど、そう言われてみても私が知っているレッサーパンダとは確実に何かが違う。

 目の周りの縁がやたら黒く垂れているし、マズルも妙に尖がりすぎているように思う。唯一それらしきポイントを無理やり探し出すとするならば、大きなしっぽのしましまくらいだろうか。

 つまり――――――――

 存在自体は滅茶苦茶可愛いけれど、どこからどう見てもタヌキだから!――――――という突っ込みしか出てこない。

 しかし、蓮の言葉に従い色々察した結果、喉元まで競り上がってくるその台詞を賢明にも呑み込むことにした。その代わりに、切り裂いた空間から突如現れ、さらにはその空間を二足歩行でぽてぽてと歩く自称レッサーパンダさんに、私は早速説明を求めることにする。

「あの……蓮が……いえその…………レイン?……さんが、あなたがこの件の首謀者だって言うんだけれど、それは本当のことなのかしら?できれば、私にこの状況となった経緯とか色々教えてもらいたいのだけれど」

 そういえば、蓮のことを“レイン”と呼んでいたな…………なんてことを思い出しつつ、自己紹介もそっちのけで問いかけた。というか私自身、自分のことをどう名乗るべきか、正直なところ迷っている状態だ。

 前世の前田愛梨か、それとも未だまったくもって自覚なしである悪役令嬢としてのアイリスか。

 しかし目の前のレッサーパンダ擬きさんは、私の胸中の迷いなど一切気にすることなく、あっさりとその問いかけに応じてくれた。

『ええで。はじめからそのつもりやったしな。ボクの名はシエル。“時”の神の使い魔や。だからこの姿も仮初めのもんで、実際の姿はそりゃあもう荘厳で美しすぎて目に毒やから、周りに気をつこうてこんなふうに適当に変じてるってわけや。しかし、レイン………あぁ、こいつ、レンのことな。そのレインは三歳で覚醒したっていうのに、アイリはえらいのんびりさんやったなぁ。グズグズ覚醒せんままに、気がついたら十六歳やもんなぁ。でも、これでやっと礼が言えるってもんや』

「一人称が“ボク”なのに、関西弁………いや、今はそこじゃなくて、使い魔?十六歳?いや、あの、礼……って?」

 そのまま頭に残った違和感やら、単語を口にして聞き返せば、シエルと名乗る“時”の神の使い魔で、私たちの目に優しいようにと適当に変じたらしいレッサーパンダ擬きさんは、空中から私がいるベッドの上へふわりと降り立った。

 位置的には私の真ん前。そして、きちんとお腹で手を重ね合わせて、ペコリと頭を下げる。

『あん時はありがとうな。まだ覚醒したばかりで、意識も記憶も定着する前やし、自分の歳もさっぱりなのはわかるけど、先ずは礼を言わせてぇや。ホンマにボクを助けてくれてありがとうな。まぁ、それが原因でアイリとレインは死んだんやけど、感謝してるで』

 さらりと放たれた爆弾発言。

 なんなら、それが原因でタンコブをこさえたくらいの軽さだ。

 しかし、内容は死亡案件。

 軽いわけがない。

 なのですぐさま、いやいやいやちょっと待って!と、目を剥きながら、念押しのように確認する。

「あなたを助けて、私たちが死んだの?」

『そうや。簡単に説明するとな………………』

 

 シエルの話はこうだった。



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