第6話 ジエンター
あの方が嬉しそうにしている以外の表情をしているところを見たことがない。自分は加入して日が浅いからかと思い、サツキに話してみると、
「すべてを受け入れて、すべてをあきらめているから」
静かに微笑んでそう返した。
少女の捕獲に失敗したと報告した際も、あの方に変化はなかった。いつも深く被っているフードのせいで口元と声色、言葉からしか感情を察することができないが、怒っている様子は一切なかった。
「やっぱり彼女も面白い。ぜひ助けてあげたいね」
「申し訳ありません。必ずここへ連れて来ます」
「嬉しいよ」
にっこりと、微笑んだ。
「ねえシダ」
「はい?」
「ちょうど、彼女は同じくらいの歳だよね? ……妹さんと」
心臓をざらっと撫でられたような胸騒ぎが湧く。「それが何か?」至って冷静さを保ったつもりだったが、相手にはどう響いたのか。
「大切な仲間を守る彼女を見て、どう感じた?」
「……自分は仕事をしただけですから、特に何も感じませんでした」
自分の答えに少し沈黙した後、歯を見せて笑みを深くした。
「そう。ありがとう」
底知れぬ恐怖。今まであまり実感したことはないが、あの方は時折それを感じさせる。すべてを見透かされている気がする。自分の過去はもちろん、今何を考えているかも、この先自分がどうなるかも……すべてあの手の中に包まれていて、いったいどうするつもりなのか。
それでもこの道を引き返すつもりはない。頭を下げて、足早にその場を去る。もう自分のような生き物が存在しなくていいように。見渡す世界が赤ではなく、青くやさしく在るように。
***
目を覚ますと、なぜか部屋にジエンターがいた。すぐわかったのは見覚えのある……いや、見覚えなんて軽いものではない。真っ黒な髪をボブカットに切りそろえ、ノースリーブの薄手のタートルにネクタイを締めたその女ジエンターは以前ソルトと二人で撒いた人だ。ソルトが季節にそぐわない厚着をしていたため不審者扱いされ、簡単な質疑応答という建前の取り調べ、いやほぼ脅迫じゃないかと鬼気迫る顔はしばらく夢に見た。だから、ああまた夢に出てきた、やっぱりすげー怖かったなあとしみじしみ思うだけで再び目を閉じた。
「また会ったな小僧」
今回は喋るんだ。こんな声だったっけとうとうとしていると、ベッドに衝撃が走った。目を開けて彼女を見ると、再びベッドの足を蹴とばされて尻に振動。
「起きろ。塔まで連行する」
「へ? と、塔?」
「起こして悪いが、来てもらおう」
掴んだ手の力で頭がやっと覚醒する。夢じゃない。でもわけがわからない。起きてから昨日に引き続き強烈なめまいと脇腹の激痛に襲われて、寝間着のまま彼女に引きずられて廊下に出ると「おい!」聞きなれた声にはっとする。
「何考えてる! 怪我人だぞ!」
「ソルト!」
ジエンターの手を引き剥がし、ディオンの背中に手を回す。
「大丈夫か」
「う、うん。ねえどういうこと」
「ソルト?」
女ジエンターが眉をひそめた。
「……お前ギルデラか? あのソルト・レイグルか?」
「だったらなんだ」
「なぜお前のような戦士がローティフルに協力する?」
「……はあッ?」
痛みも吹っ飛ぶくらいびっくりしてディオンは声を上げた。
「だから誤解だと言ってるだろ」
「まあいい。話は塔で聞く。立て」
「ふざけるな!」
激昂するソルトの肩越しに、シャラの姿を発見した。少し離れた廊下の先で不安そうに立っていた。近くには、あの時も一緒だった男ジエンターと、宿主の姿がある。
「本当だ。彼らはローティフルの関係者に違いない」
「はあああああッ?」
耳を疑った。
「じいちゃん何言ってんだよ! どこで何がそうなった!」
「私にはわかる。子供にしては身分を隠したがるし、怪我の負い方も普通じゃなかった。絶対奴らの関係者だ!」
「ふざけんなよ! あいつらと一緒にすんな! っていうか手当てしてくれただろ! この傷は、」
「喋るな」
物騒な金属音が聞こえて振り返ると銃口が額にぴたりとつけられた。
白いボディの、銃身の長い銃だ。伝わる鉄の冷たさに硬直していると、きんっと音を立ててそれが弾かれ、女ジエンターが後ろによろける。
ソルトがディオンの前に立ちはだかり、ナイフを手にしていた。
「仲間に銃を向けるな」
「あの厚着」
リゴが払われた銃の傷を見て、戻したその視線には殺気が帯びていた。
「ギルデラだったか」
彼女が銃を向けたのと、ソルトがナイフを構え一歩踏み込んだのとほぼ同時だった。
「ストップストップ!」
声とともに素早く割り込む人影が、二人の交戦を止めた。男ジエンターだ。ぼさぼさの茶髪でよれよれのTシャツ姿はどことなく気の抜けた印象だが、両手で銃身とソルトの手首をがっちり掴んでいる。はめているレザーの手袋は変わっていて、殴られたら骨が折れそうな硬度のクリスタルが甲の部分に装飾されていた。その手は両者に振り払われようとしてもびくともしない。
「リゴ、ちょっとやりすぎだよ」
「邪魔するなジャック」
「とりあえずさ、まず話を聞いてから、」
「断ると言ったはずだ!」
「あ、すみません。……手、放しますよ?」
女ジエンターとは正反対、穏やかな物腰だった。ゆっくりと、ソルトと彼女───リゴと呼ばれていた。それぞれの武器から手を放す。ジャックと呼ばれたジエンターは、ナイフを構えたままのソルトと距離を取り(同時に背中でリゴを押しやっていた)、まっすぐ対面する。
「申し訳ありません、乱暴なやり方をして。僕はジャック・デイゼル。彼女はリゴ・モニール。この街に駐在するジエンターで、ローティフル対策班に所属しています。今朝あちらの方から、ローティフルの関係者が宿泊していると通報が入り、参りました」
「誤解だ。証拠もない。ジエンターだろうと、老いぼれの戯言ひとつでここまでする権利はない」ソルトが悪態をついた。これは相当怒ってる。
「はい、申し訳ありません。恥ずかしながら我々は、ローティフルについては長年何の成果も得られていません。少しでも情報が欲しいのです。……しかし、先ほどの非礼をお詫びいたします」
すっと頭を深く下げるジャック。背後のリゴの眼光は未だ鋭いまま。あの眼力だけでたやすく生き物を殺せそうだ。
「ただ、通報があった以上ご協力をお願いしたいのです。もし何らかの情報をお持ちであれば、こちらとしても非常に助かります」
「……」
「……そうですよね。こんな扱いされたら、ですよね」
ソルトの憮然とした態度にジャックは苦笑し、肩を落とす。
「ではこの部屋で、というのはどうでしょう?」
「さっさと連れて行ってくれ。奴らと関わるなんぞ御免だ!」
「じいちゃん……」
昨日までのやさしい眼差しは、すっかり疑惑と恐怖でつり上がっていた。ディオンは怪我をかばいながらゆっくり立ち上がると、
「いいよソルト。行こう」
「ディオン」
「ここにいて、じいちゃんや他のお客さんを怖がらせるほうが俺嫌だ。別に嘘ついてないんだからさ」
ディオンの視線の先を追うと、宿主、宿泊客の野次馬たちの恐怖で強張った目に気づく。ローティフルは、名前だけで人をここまで一変させてしまうのだ。
「わかった。お前が言うなら」
「ありがとうございます。では表へどうぞ」
ジャックはディオンたちを丁寧に促したが、リゴは銃を納めなかった。震えるシャラの肩を抱いて出る際、ディオンは宿主と目が合った。
「俺たちさ、ローティフルを倒すために旅してるんだ。でも怖がらせちゃってごめんなさい。……いろいろ良くしてくれて、ありがとう」
宿主の表情に変化はなかったが、ディオンはぺこりと一礼して出て行った。
宿の玄関先で待ち構えていたものを目にすると「うおおおおおおおっ」しんみりした気持ちはすっ飛んでそれに目が釘付けになる。
真っ白なふわふわの毛に覆われた、三メートルはあろう巨大な生き物が列を成して立っていた。ディオンの顔より大きい耳も毛むくじゃらで、ぺこんと三角に折れている。足はなんと八本もあり、それぞれがたくましく隆々としていて爪も鋭く、同様鋭利な牙が覗く口はオオカミのように鼻とともに伸びていて、その上のまん丸い目は海のような深い青色に輝いていた。
「すっげえ! でかい! すげー!」
「シャーリーっていう生き物だよ」
興奮するディオンにジャックが言う。
「このへんじゃ結構メジャーな移動手段として飼われてるんだ。おとなしくて懐っこいから触っても大丈夫」
ジャックが顎に触ると、きゅうん、と鳴いて鼻をジャックに擦り付ける。太い縄のようなしっぽがぶんぶん振って風が起こった。
「かわいい! これに乗っていくの?」
「そう。体が大きいから上に五人くらいは乗っても大丈夫だし、死音との戦闘にも対応できるんだよ。この子はキーアで、あっちがホム」
「うわあ、すげえもこもこ! シャラも触ってみなよ!」
「残念な点は塔へ移送する際、緊迫感が薄れるということだ」
げんなりとリゴが呟いた。ホムと呼ばれたシャーリーに頬を容赦なく舐められていた。
ローティフル関連の通報のせいか、ジエンターが大勢来ていた。シャーリーは五体、それぞれに三、四人は乗っている。ホムにリゴとディオン、ソルトが乗り、キーアにジャックとシャラが乗る(毛を鷲掴んでそれを支えに上った)。二体を挟むようにして他のシャーリーが隊列を作った。すっかり観光気分ではしゃぐディオンと、警戒は解かずともシャーリーのもこもこ加減にまんざらでもなさそうなソルト、シャラはおっかなびっくりといった様子で乗る。
全員乗ると、皆宿の脇道の方へ頭を向ける。
「いいぞ先頭! 行こう!」
リゴの号令で一斉にシャーリーが走り出し、ディオンの体をソルトが後ろから手を回して固定する。が、思っていた以上に揺さぶられなくて変な感じがした。というのも、足が多いためか安定感があるようで振動が少ないようだ。反比例して、スピードは燃料バイクに乗ってるかのように景色がどんどんどんどん過ぎ去っていき、気づけば街道に出ていた。
晴れ渡った港町の景色が目の前に広がり、目がちかちかした。白いレンガ作りの建物たちは皆オレンジ色の屋根を被り統一されているようで、青い空に、先日見た時は濁っていた海も同じく真っ青に波打っていて吹きつける風が新鮮に香った。シャーリーのほかに初めて見る大きな四輪車が走っていて、エンジン音や生き物の笑い声が耳元で流れていく。途中大きな噴水のある広場では生き物がたくさんいて皆カメラを持っていたり、誰かの演奏する音楽に乗って踊ったりしていた。観光地でもあるようだ、ここでは毎日が収穫祭並みのにぎやかさなのだろうとディオンは興奮が止まらなかった。
潮風は元気にディオンの頬に当たる。やっぱりソルトに捕まえてもらってて良かったと思う。リゴはシャーリーの首あたりの毛をむんずと掴んでいて、痛がらないのかと気になった。
「ねえソルト、さっきのことだけど」
風に声をさらわれないように声を大きくして振り返る。
「なんでジエンターがソルトのこと知ってるの?」
「過去に何度か、ともに戦ったことがある。ジエンターは時折他種族を雇い、連携して事件を解決したりするからな」
「なんか有名みたいな口ぶりだったけど」
「さあ、俺は覚えていないが向こうの記憶には残ってたっていうだけだろう。……前向いてろ。首痛めるぞ」
頭をむんずと掴まれて、前に戻された。ジエンターの記憶に残るほど活躍していたということだろうか。それって余程すごいことなんじゃないか、自分だったらもっと胸を張るだろう。ソルトの至って冷静な態度にディオンは少しつまらない気持ちになった。
先頭に続いてシャーリーが止まったのは、海の目前だった。ソルトに続いて地面に降りたときバランスを崩して変な恰好で着地する。目の前の、圧倒的なそれに目を奪われていたからだ。
到着した街の駐在所は海沿いにあり、白い外壁に包まれたまるで雪でできた美しい城のような塔だった。ほんのりきらきらした塗装で白く覆われ、赤、緑、青など彩り豊かなと窓が陽に透かされて綺麗だった。そこから何人もの、おそらくジエンターが忙しなく行き交うのが見えて、ゼイラや今までの街の駐在のどれよりも緊迫感と威厳を感じた。何階まであるんだろうか、最上階を見上げたが雲に隠れて認識できず首が痛くなった。一昨日空中で見えたのはこれだったのか。
「城下街、じゃなかったのか」
「そうですね、はたから見れば城に見えなくもないですし、ここは都会ですから」
呟くソルトにジャックは丁寧に答えた。リゴと違って本当に物腰がやわらかいジエンターだ。少しだけ緊張がほぐれていると、シャラがこっちに駆け寄ってきた。
「ここではジエンター塔と呼ばれています。街の中心部にこの塔を構えて、支部が地区ごと設置されています。大きな街なので」
「すっげえ……綺麗」
「ありがとう。これをデザインしたのは塔長なんだ。喜ぶよ」
「? とうちょう?」
「話は後だ。歩け」
弾を装填する物騒な音に中断され、ディオンは再び背筋が引きつった。ジャックが苦笑気味に肩をすくめる。
「じゃあ俺の後について、」
「……ジャックッ!」
突然、リゴが叫んで視線が引っ張られるが驚く暇もなく、ジャックがディオンとシャラを覆いかぶさるように押し倒した。ジャックが頭を抱えてくれたので痛みはなかったがさっきまで自分たちがいた頭の位置で銃声と光がいくつも瞬いて「動かないで」耳打ちするとジャックは背を向けこちらを守るように両手を添える。わけがわからないなかでもあの光には見覚えがあった。ディオンは起き上がって剣に手をかける。
「久しぶりだな」
聞き覚えのある声。やっぱり……「シダだ」いつの間にかソルトが傍らにしゃがんでいた。
硝煙が晴れると、リゴを筆頭に武器を構えるジエンターたちと大勢の改造死音たち(翼を持ったものや首が三つのもの、小さく素早いものなど)、その中心に立ちはだかるシダの姿があった。
「リゴ、ジャック」
シダは構えをそのままに、静かに笑顔をつくる。
「変わりないな」
「……シダ」
口を開いたのはジャックだ。リゴは黙っている。
「元気そうで何よりだ」
「何しに来た」
「目的を果たしに。その娘を渡せ」
ディオンは剣を抜き、ソルトとともに立ち上がる。
「ガキ。なんだ、動けるのか」
「なんでシャラを狙う」
「先日話した通りだ」
すぐさまシダの手から閃光弾が放たれる。ディオンとソルトは身構えたが、別の方面から飛んできた破裂音に弾は一瞬で消えた。
リゴが腰に装備していた、白い銃を二丁手にしていた。火薬の匂い。魔法を相殺したのか、銃で。間髪入れずにリゴが撃ちこむとシダもそれに応戦する。二人の間で何度も魔法が炸裂して消えた。
「対魔法の弾だな」
「どうしてそんな平然としてられるんだよ」
静かに笑うシダに、我慢ならないという様子でジャックが言った。
「お前が作戦の情報を横流ししたせいで、いったい何百人が死んだ」
「俺からすればお前らのがおかしいけどな」
横流し? 作戦に参加してたってことか? ……もしかして、シダは。
「いつまでそんな戯れた組織にいる」
「……シダ。何を吹き込まれたか知らないけど、アイが待ってる。あの子は今でも君を、」
「ジャック、お前は優し過ぎる。敵を理解しようと図るなよ」
手をかざすと、今度は皮膚をそのままに形だけを銃に変化させた。
「キーア! ゲストを守れッ!」
リゴの命令とシダの銃口がディオンに向いたのは同時だった。咆哮が上がり、銃声と閃光、死音の悲鳴、状況がつかめないままシャラを抱き寄せるとやわらかい巨大なものに押しつぶされた。「ぅえッ」濁声でソルトも一緒だとわかった。
ディオンたちはシャーリーの腹の下に避難させられたようだ。あばらの痛みを噛み殺しもこもこから力づくで顔だけ這い出すが、様子を伺おうにも光がいくつもいくつも瞬いて目を開けられない。どうなってる。戦闘のなか聞こえるのはジエンターたちの声と死音の悲鳴だけだった。
やがて光が止み硝煙が晴れると、さっきまで一緒だったジエンターが負傷していて、その中心にシダと、背後にリゴが立っていた。改造死音たちは全滅したようで青い炎が点在していた。
「この三人は今重要参考人として塔に連行中だ。よって我々には守る義務がある」
「その義務引き継いでやるよ」
ニヤリと笑うとシダが手のひらを下に向けた。その場の全員が高く跳んだ直後ばりばりっと音を立てて雷が地面に迸った。「キーア!」今度はジャックが叫ぶともこもこが重さを増しあっという間に地面が見えなくなった。全身を包まれくぐもった聴覚が、シャラの歌声をとらえたのはその時だ。
空気が破裂する音。あの時、意識を失う寸前、閃光弾が見えない壁に食い止められた時の……。しかしはっきり聞こえたのはそこまでで、シャーリーの毛をかき分けようともがいてもさっきよりも強く守られていて、息が出来てるのが不思議なくらいだった。
急にあたりが静かになる。「シャラ?ソルト?」呼びかけるとふわっとシャーリーの毛が軽くなり、背中が地面につく。ほふく前進で這い出ると、シダの姿はなく負傷したジエンターがさっきより増えていて、リゴは厳しい顔つきで指示を出している。ジャックがこちらに駆け寄ってきた。
「大丈夫? みんな無事?」
「なんとか……」
圧迫されたあばらが痛んだ。ソルトとシャラも同様解放されて息が若干荒かった。
「シャーリーが守ってくれたの?」
「この子たちの毛はある程度の衝撃なら吸収することができるんだ。……とはいえ、シダの魔法を食らったにしては軽傷で済んでるな……」
ジャックはキーアの体を調べた後、シャラの前で膝を下り、尋ねた。
「シャラ、キーアに防御壁を張ってくれたの?」
「…………」
「自分でもわからない?」
「……ごめんなさい……」
「防御壁って何?」
さりげなくシャラのそばに寄り添いながら聞くと、ジャックはやさしい笑みを浮かべた。
「やっぱり君たちには詳しく話を聞かせてもらいたいんだ。さ、中に入って」
机と椅子のみが置かれた無機質な狭い部屋に、ディオンとソルトはリゴに連れてこられた。シャラはなぜかジャックに別室に連れて行かれたようだった。
以前遭遇した際の何十倍も恐ろしいリゴの気迫に、ディオンは歯が鳴らないよう必死に顎に力を入れて訴える。
「だからさっきから言ってるじゃんか! 奴らを倒すんだよ。その為にゴーファンに向かってるんだ」
「こっちもさっきから言ってるが、自分を鍛えたいなら相手を選べ。チンピラ、犯罪者、その気があるなら賞金稼ぎになればいい。我々も助かる」
「倒すって決めたんだよ!」
「だから奴らから狙われるんだ。死にたいのか」
「もう誰も死なせたくないんだよっ。あいつらは俺の村とっ……姉ちゃんを殺した」
今でも言葉にしたくもないから、こうして口に出すと胸がねじれるかのように痛んだ。
「ローティフルに立ち向かう民衆は過去にもいたはずだ」
ディオンの代わりに、といったふうにソルトが言った。腕を組み、リゴの眼光にも臆さずに淡々と、
「情報は提供しただろう。もう拘束される理由はないはずだ」
「民間人が命の危機にさらされているのなら止める。それが我々の仕事だ」
「討つべき敵を自分で選ぶことが罪なのか」
「もう戦時中じゃない」
「同じだ。奴らがいなくならない限りジエルに平和はない」
「さすが最年少で分隊長に任命されただけのことはあるな、ソルト・レイグル。だがお前の考えで子供を巻き込むな」
リゴの言葉にソルトを振り返ったが、目を合わせてくれなかった。「以前は我々に多く貢献してくれた。そのことは忘れない」「昔の話だ、関係ない」ソルトはそれ以上続けさせない断固とした口調で言うと、
「言っとくが俺の考えじゃない。ディオンの決意に俺とシャラが同意し旅してきたんだ。子供子供と先入観で物を言うとは、ジエンターは思慮が浅いんだな」
「子供を安全な道に導くのが大人の仕事だろう。それが出来ないからギルデラは、特に未成年者が気性が荒く頑固で、他種族とのトラブルが絶えないんだな」
両者一歩も引かず。ディオンの顔は引きつる。ひたすら怖い。今にも殺し合いそうな二人に身を縮ませていると、ノックの音がした。
顔を出したのはジャックだった。リゴが最後にソルトを一瞥してから、ドアに歩いて行く。こちらを見ながら、ジャックはひそひそとリゴに耳打ちする。シャラはどこだろう。ジャックはやさしそうなジエンターだけど、何もされてないといいが……。
「……───って、あの子は話してるけど」
「ああ、証言が一致している。しかしあの年齢であれだけの防御魔法を使いこなせてるとはな。シダが狙う理由はそれか?」
「あの子自身、自分の力についてよくわかってないみたいなんだ。……どのみち三人は俺たちで保護すべきだよ。ローティフルに何度も遭遇して、交戦したのが本当だとしたら貴重な情報提供者でもあるし」
「誇張してる可能性もある。……まだ十四だぞ」
「そうだね」
「まだ、子供だ」
「……そうだね。つらいことだよ」
「本当に会う気なのか」
「部屋に連れてこいって」
「部屋? ここじゃなくて? ……何考えてる」
「俺たちにあの人の考えがわかると思う?」
なんだか二人とも会話するうちに、げんなりしていってるみたいだ。ジャックが頷いてドアを閉めると、リゴがこちらに向きなおった。
「塔長がお会いになるそうだ」
「? とうちょう、て?」
「この街の全ジエンター責任者。我々の中で一番偉いんだ」
はてなマークでいっぱいのディオンにリゴが言う。ソルトは依然態度を崩さない。
「立て」
「シャラは? ねえあのジャックってやつ、シャラに何もしてないよなっ」
「一緒だ。大丈夫。さあ立て」
立ち上がるとすぐソルトが隣に来て「俺の隣から離れるなよ」リゴを見て、囁いた。大きなため息をついて、リゴはドアを開けた。
塔内は全階が吹き抜けになっており、犯罪者の怒鳴り声や受付の事務的な受け答え、ジエンターたちの談笑や足音などが混ざり合いわんわん響き渡っていた。入口であるエントランスには先ほど外から見えたカラフルな窓から陽の光が差し込み、そのままの色の影を落としている。取り調べ室はその上の階だった。ぴかぴかの大理石でできた廊下に沿うように無愛想な灰色のドアが一定の間隔で並んでいて時折物騒な物音がする。言われた通りソルトの隣にぴったりとくっついていた。
ここに連れて来られたときも使ったエレベーターの前でリゴが止まり、ボタンを押した。待っている間、ちょいちょいとソルトの袖を引いて、
「最年少で隊長って何? すごいなっ」
若干目を輝かせて囁くと「ああ」とソルトは頷くだけだった。
「だからあんなに強いんだ。ジエンターに感謝されるなんてすご、」
「今は関係ない」
早口でぴしゃりと言い放たれた。初めて目の傷のことを聞いたときと同じような空気を感じ取って「ごめん」謝るとしょんぼりしたようになってしまい、ソルトが気まずそうに黙りこくった。
エレベーターに乗り込むと、数字の書いてある丸いボタンがずらっと並びリゴは最上階、三十のボタンを押した。各階で止まるたび何人かジエンターたちが乗り込んできては「班長、お疲れ様です」「よおリゴ」とそれぞれ敬礼する。
「お疲れ。一番街の窃盗犯か?」
「そう。さっきやっとGHから連絡が入った。幸い取られた商品は無事で、店舗に返却できる状態だ。全く肝冷やしたぜ、弁償とかシャレにならねえから」
「GH……ああグロウとヒーカーか。ヒーカーはどうだったんだ?」
「被疑者を捕えたのはヒーカーらしいぞ」
「そうか。期待が持てる新人だな。……KFの殺人未遂のほうは?」
「あ、はいっ。今JBが捜査を引き継いでいますが……」
ジエンターは皆二人一組のバディを組んで動いてるらしく、それぞれイニシャルで名前がついているのだそうだ。班長と呼ばれていたが、リゴは地位が上のジエンターなのだろうか。先ほどから絶え間なく飛び交う事件内容やチーム名、誰がどんな事件を担当しているとか全部把握しているようだった。大人になってもディオンには到底できないことのように思えた。
ジエンターは一見人間と変わらない姿だったが、皆銃や剣をはじめ、見たこともないような武器を所持していて、隙のない空気を放っていた。そしてジエンターの特徴とも言われる、エメラルドグリーン色の瞳を光らせていた。そんな彼らの中でいちばん偉いジエンター、塔長。リゴより怖い人だったらと考えると胃がきゅっと縮こまった。
他のジエンターたちは各階に降り、最上階まで来たのはディオンたちだけになった。ドアが開くと大理石ではなく、緑色のカーペットが敷かれた静謐な廊下に出る。ここだけ吹き抜けにはなっておらず、塔の雑踏が聞こえない。左右茶色に塗装された壁には、繊細な花のデザインが施されたランプが等間隔で並んでいて、長い、長い長い廊下の先に一つだけ、両開きの扉が佇んでいた。
その途中でジャックとシャラが立っていた。思わず駆け寄って、
「大丈夫? 何もされてない?」
「うん。大丈夫……」
頷いてはいたが握った手は震えていた。ジャックが困ったように頬をぽりぽり掻いた。
「ここが塔長のお部屋だ」
リゴはそう言って、ノックをしてから、金でできた取っ手を引いた。
「失礼しま、」
「よおおおおッ! チッスチッス! よく来たよく来たッ!」
ドアを開けた途端劈く大声に、心臓が口から出るかと思ったのはディオンだけではないはずだ。
取り調べ室から出た後だからだろうか、だだっ広い部屋にくらくらした。真正面の壁一面に大窓とデスクを構え、緑色の天井にはディオンが見たこともない見事なシャンデリアが下がっていた。デスクの脇には金でできたシャーリーの飾りがついた肘掛のある大きなソファがあり、ローテーブルにはこれまたぴかぴかの高級感漂うグラスが四人分置いてある。ぽかんとするディオンたちに部屋の主がさらに畳みかけながら、強引に部屋へ引っ張り込む。
「やあやあ愛するジエルの民たちよ! 悪いね、時間取らせちゃって。何か飲むか? リゴの取り調べ怖かったろーほんと容赦ないからねこの子。凶悪犯だろうと女だろうと、子供だろうともう雑巾かってくらい絞るからさあ! アハハハハハハ!」
ハイテンションで心を土足でずかずか踏み荒らしてくるので、言葉が全く入ってこない。リゴとジャックは慣れているのかドアの脇に立ち、敬礼してはいるものの心持疲れた顔をしていた。さあ座って座って! 左手にあったソファを中央へ引っ張ってくるが(無頓着に引きずりカーペットに跡がついた)、ディオンとシャラは圧倒されてソルトの背後から出れずにいた。
この街のジエンターを統べるいちばん偉い人物は、想像よりずっとずっと若かった。白に近い金色の髪に緑のメッシュを入れ、両耳には軟骨や拡張された耳たぶにピアスをつけている。これまた上等そうな黒いスーツにワインレッドのネクタイを締めているが、その若さにはそぐわない格好に思えた。そして何より、さわがしい。
「えっとぉ、ギルデラちゃんと人間ちゃん二人だよね? あれなに? びびっちゃってんの? ハハハハ大丈夫大丈夫! 俺はリゴみたいに脅したり沈めたり埋めたりしないから!」
「塔長。本題に」
若干苛立ちを交えたリゴの声がようやく彼のハイテンショントークを止めた。小さい声で「沈めたり埋めたりなんかしません」と付け加える。脅してる自覚はあるんだ……。
ジャックが促してくれたので、三人でソファに座る。ふっかふかでお尻が変な感じがした。
「改めて紹介する。この方はバロウ・リスト塔長。この街の全ジエンター最高責任者だ」
「おう! よろしくよろしくー!」
三人順に握手……手を握って容赦なく揺さぶるもんだからソルトでさえ腰が少し浮いた。リゴが言うなら本当にそうなんだろうけれど、肩書と印象のギャップに未だ処理が追いつかない。三人の困惑と疑惑は気に留めず、バロウ塔長は満面の笑みでジュースをコップに注いでいく。
「さてさて本題! 何、君たち、ローティフルの根城に向かってるって?」
バーで世間話を振るように塔長が言った。ディオンが口を開いたが「そうです」ソルトが答えた。
「おお! ソルトさんだな噂の! 名前は聞いてきたがこうして会うのは初めてだな! ソルちゃんって呼んでいい?」
「……我々はローティフルを討つべく旅をしてきました。その旨を伝えたらあなたの部下に拘束され取り調べを受けましたが」
「ただ仕事をしただけです。民間人を危険から守るのが我々の務めです」
間髪入れずリゴがぴしゃりと言い放った。一瞬二人が睨み合う。
「ほうほうそっかそっか。手荒な真似して悪かった。最近塔全体、特にリゴはやけにピリピリしててなー、熱意はわかるけどちょっと暴走気味だぜ? 本当相方が穏やか~なジャックで良かったよ」
申し訳なかった、と深々と頭を下げられる。
「んで、二人の話じゃ君たちは今までローティフルのメンバーとやりあってきたそうだな。紅血のハートと、闇の罪人シダ」
「そうです」
「さっきあいつ、ここに来てたんだろ? んで、この純朴な少女ちゃんをよこせとか物騒なこと言ってきたんだって? 今までも狙われてきたのか?」
「はい。あの、わたしだけじゃなくて……ディオンとソルトもそうです」
「塔長。ギルデラはともかく、二人はまだ子供です。物事を誇張していてもおかしくはありません」
再びリゴが話を中断させる。
「嘘なんかつかねえよ。そもそもギルデラちゃんと十四歳の人間ちゃんだぜ? なあ?」
「……おっしゃってることが理解できないのですが」
「もうお前とジャックが散々取り調べたんだろ? お前らのやりかたで吐かないやつなんかいねえだろ」
確かにそうかも、とディオンは内心身震いしたと同時に「なんかされた?」「あ、ううん。ゆっくり、丁寧に話聞いてくれたよ」シャラの答えに安堵した。
塔長は注いだばかりのジュースを早速飲み干すと、
「さ、話してくれ。まずどうしてローティフルを討つって決めたんだ?」
笑顔は変わらないが、塔長はまっすぐディオンの目を見てくれた。ディオンが今までで知っている一番の権力者といえば武術学校の先生だが、彼らは怒鳴るか否定するだけでこんなふうにディオンの目を見て耳を傾けてくれたりしなかった。そんな先生よりも偉い(そうは見えないが)権力者が、不機嫌でも怒ってるわけでもなく、話を聞こうとしてくれてる。それだけで、心から嬉しかった。
ディオンはこれまでの旅の過程をすべて話した(ソルトのドラッグについてはさすがに伏せたが)。出会った生き物、できごと、光景……こうして話してみると色んな道を通ってきたし、その度仲間や街の人に助けてもらったなと実感した。
「奴らと対峙して、何を感じた?」
「一番は、恐怖ですけど……痛みです」
「怪我か?」
「いやそうじゃなくて……」慎重に言葉を心に当てはめていく。「姉ちゃんが俺を村から逃がしてくれたとき、こうほっぺを挟んで、生きてって、なんかすごく、つらそうな声で言ったんです。そのときの、手の温度が……奴らを目の前にすると、痛むんです。火傷みたいに、痛くて痛くて。奴らを倒さない限り、消えないんだってことはなんとなくわかってて……」
うまく言えない、しどろもどろになってきた。なんとなくちらっと隣に目線を送ると、ソルトは落ち着かせるように深く頷いてくれた。
「だから、恐怖より、奴らを倒すことで頭がいっぱいになります」
塔長は黙ってディオンを見つめる。先程までのハイテンションの影は微塵もなく、目に見えない、ディオン自身の今までのつらかった経験を見透かしているようだった。
その目をこちらも見ていると、鼻がつんとしてきてじわじわ涙が湧き出てきた。
「ディオン?」
「あ、ごめん、だいじょぶちょっと……」
手で拭うと、塔長は柔和な笑みを浮かべてジュースを差し出してくれた。一口飲むと、後味がさっぱりしていてすっかり乾いた口を潤した。
「で? シャラちゃんは、今まで奴らと関わったことは?」
「ありません」
「何か理由を言ってたか? あの方って、まあ死んだ目のことだろうな。欲しがってる理由は?」
「わたしが魔法使いであることは知っていました。それと……お前は俺たちと同じなんだって……」
今度はシャラがじっと見つめられて、震えて視線を落とす彼女の手をディオンが握った。
「たった三人でそこまで奴らと接触して、生き延びてきたとはな。それでいて、同じ……奴らと同じ……」
うーんそーだなーそーねー、と声に出してあからさまに考え込む塔長。
「ディオンくんと、シャラちゃんと、ソルちゃん!」
「は、はいっ」
「もしあなた達さえよければ、我々ジエンターに協力してくれないか?」
「協力?」
「実はな、今準備を進めてる作戦がある。それに参加してもらいたい」
「塔長!」
今度はリゴだけでなくジャックも声を上げた。
「いやいやもちろん実力は見るよ。今は少しでも情報や戦力がほしい」
「だからって、」
「前例がないわけじゃない。それに今はなりふり構ってられない。だから普段冷静なお前がイラついてるんだろ、リゴ」
図星をつかれたように黙り込むリゴに対し、ジャックが小さくため息。
「今までもな、過去に何度も討伐作戦が練られ、ジエンターだけでなくソルちゃんみたいなギルデラやシャイン、人間で腕っぷしの強い奴を雇って戦ったこともある。元は奴ら九人いたの知ってるか?」
「はい。学校で習いました」
「そういう有志たちのおかげで、三人に削ることができたんだ。……なのに俺の部下が加入して四人に増えたけどな」
「シダって、ジエンターなんですか?」
「そうだ」
塔長に変わりはなかったが、室内が一瞬静まり返った。
「優秀なジエンターだった。だが追ってる事件の容疑者に家族を殺されてから、心が壊れてしまったんだ。二年前になる。おそらくそこにつけ込まれたんだろな。当時の作戦の情報を奴らに流して、何百人てジエンターと民間人が死んだ」
さっきのリゴたちとのやりとりに合点がいった。
「それから今に至るまで、何の成果もあげられてない。……だが奴らは違う」
ここで初めて塔長の声音に黒いものが滲んだ。
「死音を改造して奴隷にしてることは知ってるな? だがここ半年、命ある生き物と死音を合体させて造り出す『半死』の姿が報告されてる」
「何だと?」
ソルトが強い口調で声をあげた。
「見るか? ちょいとキツイぞ」
リゴが塔長のデスクの上から一枚大きな写真をローテーブルに置いた。声をあげそうになったのをかろじて飲み込む。しかし胸のあたりが酷くざわつき、気分の悪さは消えなかった。
写っていたのは全裸の、人間の女性だった。死音のように牙だらけの唇ではないし、這うような姿勢でもないが全体に燃える青いどろどろとした光が死音と同じもの。しかし問題は人間だと認識できる……できてしまう姿であることだ。女性特有のふくよかな体の半分の肉が、誰かに食いちぎられたみたいに目玉や筋組織、骨がところどころ剥き出しになっていて、まるで青い炎に燃やされているかのようだった。その部分一帯は赤い飛沫と肉と混ざり合い青い光が紫色に……ディオンはジュースを急いで喉へ注ぎ込んだ。
「いつ頃のものなんだ?」
ソルトは冷静さを保ち、尋ねた。
「今から三か月前だな。これは『リーン・アス』東南にあるマカヴィという街に現れた一体だ。『リーン・アス』で数十体、『アマール・セゾン』でも、今じゃジエル中の各地で出現している」
同じ人間とは思えない、苦痛悲憤慟哭それらすべてでぐちゃぐちゃにされた表情。それを浮かべる顔は顎の部分が体と同様傷ついているだけで、あとは女性の顔だった。一体とは言い難い、一人の女性。
「この女性の夫によれば、彼女は死音に堕ちた後退治はされずに街を飛び出して行ったそうだ。そして奇妙なことに数か月後帰ってきたと。言葉を発したそうでな、生前の声と同じだと証言してくれた。会話は成立しないが夫が名前を呼ぶと反応を示し、助けてと叫びながら襲い掛かってきた。スピード、狂暴性、力は改造死音と同等のものらしいが……その人自身の意識は微かだがしっかりと残ってるということだ。……最悪な話だよな。家族が死音に堕ちたってだけでもつらいのに、奴らに改造なんてされて支配され、挙句こんなかたちでさらされて……生き地獄だ」
塔長の手が、きつくきつく握りしめられていた。爪のあとから血が滲んでいて、その手で写真を裏返しにする。
「これはあくまでも推測だが、奴らの計画は『王都青大火』の再現だ」
「三十年前の、王都が死音に襲われた事件か」
「そうだ。しかし狙いは王都ではなく、ジエル全域だ」
『王都青大火』は歴史の授業で習ったが、その時は試験に出るのか覚えなきゃとただの単語でしかなかった。今ならそれがどれだけ恐ろしく絶望的なことか、想像できる。死音たちのおどろおどろしさに、網膜に焼き付いて消えない半死の姿。全世界がそれらに包まれる……。
「死音は全世界にいるんだ、不可能なことじゃない。それに改造死音、そして半死がここ数年、物凄い速さで増加している。そうしてジエルを滅ぼすことが目的だろうと我々は踏んでる。
シダの加入と半死の存在。以上の点から早急に討伐作戦が準備されることになった。全ジエルのジエンターの半数で班を編成し、ゴーファンへ乗り込み、街を消す。あなたがたを保護対象と見なし、身の安全は保障する。……悪い話じゃないはずだ」
「保護なんかいらないです」
ディオンの言葉にいっせいに視線が集まった。ディオンは膝に爪を立て震えていた。全身の血管が沸騰してるのかというくらい、体が熱かった。
「俺には保護なんかいりません。作戦に参加させてください。……こんなこと……絶対に、絶対に許せない。奴らを止められるなら俺、何でもやります。だから、一緒に戦わせてください」
「何でも?」
「何でも」
即答したディオンの目は、憤りに満ちていた。それは十四歳の少年が浮かべるものとはかけ離れていて、確かな、憎しみをたたえていた。
「無論、俺もだ。協力は惜しまない」
ソルトが姿勢を直し、塔長に言った。シャラに視線を移すと、未だ震えてはいたが二人と同様の目をしていた。
「ディオン」
金髪の隙間から、エメラルドが光った。
「良い覚悟だ。……そして、良い仲間だな」
「何をお考えですか。気まぐれも大概にしてくださいよ」
「リゴ、お前はいつも俺をそんなふうに見てたのか……」
「塔長、俺も反対です。ソルトならまだしも、あの子たちを戦争に巻き込むなんて」
「俺が引きずり込んだんじゃない。あいつらはもうすでに戦場にいるんだ。話聞いただろ? これまでの情報とすべて一致する。嘘は言ってない。それに、あれだけ多く接触しながら生き延びてるなんてお前の言う通り、ありえない。奴らは三人を、意図的に生かしてる可能性が高い」
「子供ですよ。人間の」
「何度も言わなくたってわかってるって」
「ならなぜ」
「だからこそ、俺たち大人が後ろで守ってやらなきゃならないんだ。標的にされているのがわかった以上保護は無論だが……ローティフルに親や故郷を奪われた子供が大勢いるなかで今までいたか? 剣を取って、鍛錬して、ゴーファンに乗り込もうなんて考えるだけじゃなくて、行動する子供が。しかもゼイラからここまで来たんだぞ。たった三人で」
「……」
「さっき見たろ? ディオンの意思や憎しみは、年齢なんて垣根を越えて固い。ああいうタイプは無理に押さえつければ暴走する。それこそ死なせるようなもんだ、だったらいっそ俺たちの管理下に置いて動いてもらったほうがいい。我々には彼らを保護する義務があるしな。その上あのソルトが協力してくれるんだ、メリットもある。……んな顔すんなよ。責任はちゃんと俺が取る」
「……いえ。私とジャックで見ます。任せて頂けますか」
「……さんきゅう。頼んだぜ。言っただろ? 実力はちゃんと見るって」
チキンズ・ストーリー 黒澤すい @krsw-si02
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