第2話 志

「嫌ねハートったら。遊びが過ぎたのよ」

「俺一人のせいかよ? 鏡見てみろその口」

 帯の隙間にしまってあった手鏡を取り出す。口どころか、目元に至るまで血と脂で染まっていた。人差し指で掬い取って、舐める。

 ローティフルの重鎮とも言われる血狂いのサツキ、紅血のハートが『リーン・アス』に位置するゼイラ村を襲撃してから三時間ほど経った。歌や談笑、アルコールやご馳走などで祭事を楽しんでいた余韻はどこにもない。色とりどりに飾り付けられた村中の家屋や祭壇はがれきと化し、村中に死体が転がっている。しかしその大半が改造死音に食われ、死音に堕ちた大勢の命が金切声を上げながら血の海をさまよっていた。

「本当に皆殺しにしてしまったわね。特に子供を生かしてほしいって、あの人仰っていたのに」

「どいつもこいつも脳がねえ。ジエンターですら逃げるばっかでよ、」

 途中でハートの悪態が止まったので、振り返る。

「なあに?」

「サツキ。ニット帽被ったガキは食ったか?」

「帽子? ……何人か見かけた記憶はあるわ。脱がすのが面倒だから何も着けていない子供から手をつけたの」

「あの方を落胆させずに済むぜ」

 肩口を掴んで、口元を歪めた。不覚にも、女に背中を蹴飛ばされた。立ち上がった時に消えていった、後姿。

「逃げたガキを一匹覚えてる」



 ***



 ソルトを先頭に緑の中を歩いていくと、森を抜けた。初めて出る、ゼイラ以外の土地だった。

 早朝の冷えた空気漂う周囲には人っ子一人おらず、森から続いてる草むらに一本道があるのに気づいた。

「この先何があるの?」

「だいぶ歩くが、小さな街がある。これから長旅だ。必要なものを買い揃えないと」

「そっか! あ……でも俺お金ないよ?」

「心配ない」

 懐からディオンの拳より大き目の布袋を取り出した。

「ざっと十万ギーロはある」

「ええ! すげえ!」

「備えあれば憂いなしだ」

 ソルトはどことなく自慢げに鼻を鳴らしてみせた。あの森にいてどうやって貯めたのだろう。それかもともと持ってたとか? あの森に住む前彼はどこにいたのだろうか。

 しかし聞く前に、さて、とソルトがひとつ頷いた。森の中を歩いていた時から抱えてた布の塊みたいなものを下ろす。広げると、一枚の大判のものと、二枚の小さい布が出てきた。どれもずいぶん年季が入っているようで、元は何色だったのかわからないほど汚れてボロボロだった。

「何それ?」

「寝床にしてたんだ。街に行くならこの肌を隠さないと」

 そう言って布を羽織る。その際生ごみのような肥溜めのような……とにかく不快な匂いが鼻腔をかすめて顔をしかめる。

「浮浪者みたいだよ」

 ディオンの正直な意見に若干ソルトは鼻白んだ。「臭いし……」と付け加えると布を渋々脱ぎだしあきらかに落ち込んでしまったので、

「あ、ごめんごめん! そ、そうだ、服! 服も買おうよ! 俺も汚れちゃってるし、シャラもボロボロだしさ! な?」

 慌てて助け船を求めると、シャラもなんだか暗い顔をしていたので「シャラ?どしたの?」「……街に、入るんですか」震える小さい声で尋ねた。

「うん。色々買い出ししないと、だろ」 

「……」

「なんで? 嫌なの?」

「……」

 唇を噛んで黙り込んでしまい、ディオンの頭にははてなマークが広がる。

「その格好じゃ確かに気が引けるよな。……こっちはまだそんなに臭くないぞ」

 ソルトがもう一枚の、小さい布きれを差し出した。改めて彼女の格好を見ると、純白の生地で作られた衣装は黒く薄汚れ所々破けてしまっていた。ステージで被っていたベールはどこかにいってしまい、長い黒髪がボサボサに乱れている。もし街中ですれ違ったら一体何があったんだと声をかけてしまうかもしれない。しかも裸足だし。

 ソルトの布きれを被ると、小柄な彼女の体は膝下まで隠れた。

「俺たち結構怪しまれそうだな……」

「真っ先に服を買って着替えよう。にぎやかな街だし商人も大勢いるはずだ。それと、武器を手に入れないとな」

「武器っ?」

 ディオンの目が輝いた。

「これから必要だからな」

「俺、剣! 剣がいい!」

「そんな焦るな。ちゃんと品を見てから自分に合うのを選んだほうがいい」

「剣がいいの! 武器といえば剣じゃんか!」

「よしよし、わかった。着替えたら見ような」

「うん! ありがと、ソルト!」

 表情をどんどん明るくするディオンに対し、シャラはますます沈鬱さを深めていく。

「シャラほら、ちょっと我慢してこうやって被れば大丈夫だよ。な。元気出せって」

「……ごめんなさい」

「え? 何が?」

「ごめんなさい」

 うつむいたままそう繰り返すと、シャラは口元を押さえ、少し離れた垣根の影に走り去ってしまった。気分でも悪くなったのか。……それにしても、出会ってからほとんど謝られてばかりだ。

「変なやつ」

「そう言うな」

 ひとりごとのつもりだったのだが、ソルトがたしなめるように言った。

「何にだって理由はあるし、誰にだって傷はある。知らないことは、語れない」

「……どういう意味?」

「俺たちは知り合ったばかりだろ。お互いのことをまだ何も知らないんだ。それなのに彼女を変だと決めつけるのはよくない」

「……そっか。そだね。ごめん」

 素直に謝ると、ソルトは微笑んだ。その際に彼の左目を潰している傷が目に止まる。何度見ても酷い傷だ、今でも痛むんだろう……そもそも何があったのだろう? 早速それが知りたくなって質問が口から出ていた。

「じゃあソルトのその傷も、何か理由があるの?」

 刹那、ほんの一瞬だけだったがソルトの顔つきが殺気を帯びた気がして息が止まった。つい一昨日まで殺気なんてものには無縁だったが、ローティフル、そしてソルトと遭遇してからはっきり感じ取れるようになっていた。今漂っている空気がぴしりと凍りついて、少しでも動いたらそれが弾けて欠片に喉元を掻っ切られる……そんな気にさせるのが殺気だ。

 森でのことがよぎる。月明かりに照らされたブリキの肌、その手に握られた槍で貫かれた、死音の最期……

「! 悪かった」

 ソルトがはっと目線を外すと、殺気が解けて空気が元通りになる。しかし体が言うことを聞かず身じろぎひとつ出来ずにいると彼が慌て出した。

「すまない。本当に悪かった、違うんだ脅かすつもりはなかった……その」

 自分がどういう顔をしているのかわからないが、ソルトは近寄ろうとはしてこなかった。その、えっと、だから、などとはっきりしない言葉でその場を繋いでいたが、やがて口を閉じて背を向けてしまった。

「……説明できないんだ。ただ言えるのは……俺にとって決して誇れるものじゃないってことだけで……俺でもまだ、片をつけられてないもので……この傷のことを考えるだけで、無性に自分が許せないんだ。すまない、お前は悪くない」

「……ごめん……嫌なこと聞いて」

「いや、説教した矢先にこのざまだ。すまなかった。俺が悪い」

 その時の彼の背中は、ただただ悲しげに見えた。何がソルトをそうさせるのか、ディオンは理由を知らない。彼にもわからない。だから何も言葉をかけることができなかった。

 なんとなく気まずい沈黙が流れていると、良いタイミングでシャラが戻ってきたので、大丈夫か確認してから一行は街へと進んだ。



   ***



 いらっしゃい!いらっしゃい!新鮮取れたてイカ、タコ、その他種類豊富の魚!寄ってって!

 女性のみなさんご注目!奇跡と言っても過言じゃない不老の薬!格安でご用意しております!ご覧ください!

 あ、そこの坊や、スナックはどうだい?ママに買ってもらいな!


『ようこそ お土産市 ラタンへ』という看板を抜けるとすぐ威勢の良い声が飛び込んできて面食らった。商人はもちろん、飲み屋やごはん処などテント以外の店も多く建ち並び、人も多い街だった。子供連れや長く旅をしてきたであろう男性、ジエンターもいた。ソルトによれば、ここは旅行者が多く立ち寄る店の多い街なのだそうだ。看板にあったお土産市、というのはそういう意味か。

「すっげー! こんなに広い市場初めて見た!」

「村のに比べたらそうだろうな。でもまだこれでも小さい街だ」

「そうなの? ここよりもっと大きい街もあるのっ?」

「もちろん。ジエルは広いぞ」

「すっげー! すっげー! うおーすげー!」

 大興奮のあまりその場でぴょんぴょん跳ねるディオン。とは正反対に、シャラはどんどん顔を暗くする。ソルトの布を深く被って、かすかに震えていた。

「大丈夫だ、これだけ人が多い。誰もお前のことを気に留めない」

 ソルトがそっと耳打ちする。「隣にいろ。俺の方が背が高いし、目を引くのは俺だ」「ご、ごめんなさ、」「あ、シャラ!服屋見つけた!行こう!」二人のやりとりお構いなしにディオンはシャラの手を引くと一直線に走り出した。どこまでも心に忠実なディオンであった。

 ジエルでは主に飲食店などのように、席を用意して品物を提供する商売以外は基本的に商人がテントで構えているものだが、この街には服屋が小さい店を出していた。そのうちの一軒、ガーリーな雰囲気の可愛らしい店に入った。いらっしゃいませと店員たちに微笑まれたのもつかの間、泥だらけのディオンと布きれを被ったシャラの服装を見るや否やぎょっとして頬を引きつらせていた。

「ここ女の子のお店だよな? ほら何か選びなよ」

 浮足立つディオンとは一転、シャラは完全に怯えきった様子で固まってしまっていた。そこでディオンはやっと店員やほかの客たちの視線に気づき焦り出す。自分はともかく、早くシャラに何か服を見つけてやらないと。とはいえ小柄でやせ細った彼女の体型に合う服を探すのは大変そうだし、ディオンは服など自分の物以外選んだことがない。第一女の子ってどんなものを着るのだろうかと記憶をフル回転させて、学校のクラスの女子たちや姉を思い浮かべる。

 すると、ハンガーラックに下がっていた一枚の服に目が止まる。早速一枚手に取り、シャラにあてがった。

「これどうかな?」

 肩にシンプルな花の刺繍が入った、すみれ色のワンピースだった。厚手の生地でできていてAライン、シャラの身長だと膝が隠れる長さだった。

「袖がちょっと余るかな? まくれば大丈夫か」

「……あの……どうしてこの色を……?」

「え? 似合いそうって思って……嫌い?」

「いえあのっ」

 勢いよく否定したものの、その後また黙り込んでしまった。だめかと思って他のを目で探してると、シャラがおそるおそるそのワンピースを受け取った。

「試着、してきます」

「へっ? 嫌じゃない?」

 うつむいてしまったけれど、確かにこくっと頷いてくれたのがわかった。背後のカーテンを開けると姿見が奥に立っていて「ディオン!」閉まったところでソルトが息を切らして店に入ってきた。

「一人で突っ走るな! はぐれたらどうする!」

「ご、ごめんなさい、早く着替えさせてやりたくて」

「シャラは?」 

「今試着室」

「ならいい。ったく、焦らせるな」

「ごめん」

 もう一度謝ると、ようやくソルトは眉間の皺を緩めた。

「ここは女物の店だな。シャラの服を買ったら俺たちの服を探そう」

「うん」

「お前はここにいてやってくれるか? 俺はどうも目立つしな……」

 周囲の視線を気にしながらそう言うと、ソルトはディオンに三千ギーロ手渡した。ちょっぴり心が躍る(後先考えずすぐ使うから、という理由で姉からお小遣いはほとんどもらえなかった)。

「これで足りるだろ、なくすなよ。食料や水を買ってくる。三十分ほどで戻るからな、シャラとここにいろよ」

「わかった」

 念を押されて頷くと、ソルトは店を出て行った。手持無沙汰になったディオンはなんとはなしに店内の商品を眺める。女物といえど自分の背丈に合うものはないだろうか。自分の服を選ぶのもよく考えてみれば初めてだ。いつも姉にまかせっきりで、商人から買ってきてくれたものを素直に着てきた。今着ているものだって、と視線を落とすと、泥や葉っぱなどで薄汚れたパーカとワークパンツ。自分の生活は、姉によって守られてきたのだなと思ったら悲壮感が湧いてきて、潤んだ目をぬぐい顔を上げる。

 その先、店の小窓に見えた看板がディオンの興味を引いた。

「ぶーき、や……? 武器?」

 誰にとでもなく呟くと、ディオンはまるで吸い寄せられるように店を出て行った。




 収穫祭の人混みなんて比じゃないくらいの人の波に流され流され、あぶね転ぶところだったぁとほっと息をついたら本当に転んだ。迷惑そうな人の声を浴びながらすみませんすみませんと連呼してなんとか人をかき分け抜け出せた。一人くらい助けてくれたっていいじゃんか……心の中で毒づきながらお目当ての建物に目をやる。

 やはりテントではなく建物で店を構えていた。、そういえば武器商人のテントは見かけたことがないな……だがそれ以前に、ディオンは目を見張る。

 空家なんじゃないかと思うくらい老朽化し、黒ずんでいた建物はお化け屋敷そのものだった。風が吹くと黒い砂ぼこりが舞い隙間だらけの壁はいかにも心細くなるようなか細い音を立てる。よく見ると、武器屋と書かれた看板は錆ついてペンキが乾き切っている。こんなに人がいるのに客は一人もいないどころか、目を向ける人も誰もいないようだった。まさか見えてるのは自分だけだったり……オカルトなことがよぎりだんだん薄気味悪くなってきた。廃屋だ。

 戻ろう。やっぱり一人で出歩くもんじゃない、ソルトにちゃんとついてよう。振り返り、今度は転ばないように内心身構えて、ディオンは一歩……踏み出せなかった。

 突然何かに思いっきり首根っこを鷲掴みにされ「ぅぐえッ」濁声とともにすごい力で引っ張られ、目の前の街の喧騒があっという間に遠ざかる。一転真っ暗になったかと思うとがんっとどこかに叩きつけられた。

 背中の痛みにしばらく唸った後「何だよもう!」苛ついて顔を上げて……凍りついた。

 天井にぶら下げられたランプがゆらゆら揺れて、橙色が薄暗い室内に浸透している。その明かりが振り子のリズムでディオンの目に前に立ちはだかる人物を照らす。シャラほどではないけれど、ほっそりとした体つきの三十代くらいの男。黄ばんだ白のタンクトップにダメージが過ぎるジーンズ、頬骨が若干浮き出た顔には真っ黒な大きい色付き眼鏡をかけていて、シルバーのピアスが両耳軟骨から耳たぶまでびっしり眉上に二つ、唇に三つ光っていた。ディオンにとってこれだけでも十分怯える要素になるのだが極め付け、スキンヘッドにした頭には、今にも動き出してディオンに噛みつきそうなほど目つきの悪いドラゴンのタトゥーがあった。

 ゼイラでは遭遇したことのないタイプの人間だったが長年培ったビビりアンテナが警報を鳴らす。怖い。これがいわゆるチンピラってやつだろうか? 男は無言のままゆっくりしゃがみ、ディオンを睨み続けている。ドラゴンと目が合い、ああもうだめだソルト助けて! 小鳥の雛ぐらいにぶるぶる震えていると、男が口を開いた。

「いらっしゃいませ」

「……へ?」

 男は、汚い床に両手と膝をつき、丁寧な仕草でゆっくり頭を深く下げた。

「えーっと、このたびは、当店『ジエル一の武器職人ゲインズソードスーパーエクスカリバーハイパースペシャル』にお越しくだ、いや頂きまして、ありがとうござ、ござい、ます。えーウチ、じゃない当店では、剣、槍、ナイフなど接近戦や、弓矢、銃など飛び道具も揃っ……お揃いになっておりますゆえ、またお、お客様の希望……お希望があれば、オーダーメイドも任せっ……うけ、うけたまわ、っております。なにとぞご贔屓にと、存じ上げます」

 十四歳のディオンでもわかる、壊滅的な言葉遣いだった。おかげで何言ってるかさっぱりだし、店の、名前?もとりあえず最上級の言葉を取ってつけたようなひどいセンスだし、恐怖はどんどん増すばかり。完全に萎縮していると、男の背後に目がいく。

 壁に所狭しと立てかけられている、槍や剣、斧など武器の数々。おそらくまだ未完成の丸みを帯びた剣、糸を張る前の弓、研ぎ石や鉄製の大きな鍋。そしてソルトより図体の大きい、金色の装飾を輝かせた立派な鎧が立っていた。

「ここ……武器屋なの? ほ、本当に? だってすごい、なんか、空家みたいな」

「……あ、き、や、だあ?」

 男は下げた頭をぬらあっと上げ、今にも掴みかかってきそうな勢いで身を乗り出し、

「てめえ人の話はちゃんと聞けって親父に教わらなかったのか、ああッ? こっちが懇切丁寧に説明したってのに空家だとッ! 失礼なガキだなてめえコラ!」

「す、すいませんっすいません!」

「まず人の話を聞くときは目ぇ見て聞くのがマナーだろうがッ! ……あ、そか俺が頭下げてたから無理だったのか……いやいやとにかく! 相手が俺だったから良かったものを! 次よそでンな失礼ぶっこいてみろ! ただじゃおかねえからな! わかったか!」

「はい! 二度としません!」

「よし! いい返事だ!」

 迫力に殺されそうになりながら首を振ると、満足げに男はふんっと鼻を鳴らす。……説教された……初対面のチンピラに。

「うし。さて!」

 一方的に話に一区切り打ち、男はにんまりと虫歯だらけの歯で笑顔を作った。

「何が欲しい? 剣か? 弓矢か? 最近は斧も流行り出してるけどよ……そいやお前いくつだ? そんだけガキだとナイフとか小せぇもんのが扱いやすいんじゃねえか」

「ちょ、ちょっと待って待って! 確かに武器が欲しくてここに来たけどさ。……おじさん本当に武器職人なの?」

「誰がおじさんだ、俺はまだ二十五だぞ!」嘘ッ!「さっきも言っただろうが、てめえ表の看板見えなかったのかよ。武器屋ってわかりやすく書いてあったろうが! それに見た目でわかんだろ。こう見えて長ぇんだぞこの業界」わかるかッ。

「どこの店で客をこんな強引に引きずり込む職人がいるんだよっ?」

 あまりに理不尽な男の物言いにディオンも言い返すと「ぬっ」男が意外にも黙りこくった。そこから急に言葉が濁り出し、

「……そりゃ……そりゃだってよお……ここ三か月くらい客が全っ然来ねえから……生活が苦しくて、だな、つ、ついだつい……」

「こんなことされたら余計逃げるよ! 怖ぇよ!」

「……すいませんでした……」

 男は案外素直に肩を落としてみせた。「よく言われんだ、チンピラって……だから言葉遣い直してみたんだけどよ、余計に不気味がられて逃げられてばっかりで……だから必死で……すまねえ」すっかりしょげる男にディオンはどこから突っ込んでいいやら困り果てる。けれど、そういえばフウ姉がよく言ってたっけな。人を見かけで判断しちゃダメだ。

「あのさ、俺、剣が欲しいんだけど……いいの、ないかな?」

「……え?」

「俺、目的があって……そのために強くなりたくて。剣が必要なんだけど」

「本当かッ!」

 一瞬で表情を戻すと両手でディオンの肩を掴んだ。

「お前、俺の店で買ってくれんのか! あんなに失礼ぶっこいた俺から買ってくれるのか!」

「う、うんっ。俺でも扱えるの、あるかな?」

「ありがとよぉぉぉぉぉおおおおお!」

 そのまま抱きしめられて背中をばしばし叩かれながら、

「お前やさしいなああああ! 悪かった! ありがとうありがとう!」

「い、痛いッ痛い痛い買うから放してくれってば!」

「お! 悪ぃ悪ぃ、ついな!」

 がさつな笑い声をたてる男に対しどっと疲れるディオン。なんて乱暴な、ついなんだ……。

「お前、名前は?」

「ディオン」

「うし、ディオン。俺はガルカ・ゲインズ。ガルカって呼べ。お前のやさしさのお礼として、俺が造ってやる! お前だけの剣を」

 もう彼の笑顔にさっきまでのガラの悪さはなく、おそらく本来の性格が現れた率直なものだった。

「さてと、それじゃあついてこい」

 差し伸べられた手で立ち上がると、ガルカはディオンの横をすり抜けて暗い店の奥に歩いていく。慌てて追いかけながら、

「ここで造ってくれるんじゃないの? 鍋とか研ぐやつとか……」

「ああ? ありゃ全部飾りだ」

「飾りっ?」

「武器職人だって信じねえ客ばっかでよ」

 騙された……肩をがっくり落とし更に不信感が深まった。

 店の奥には長い廊下が続いているようだった。ランプが取りつけられておらず真っ暗で、ガルカがポケットから取り出した蝋燭(なぜそこに入っているのか謎だ)に火をつけた。それでも照らされたのはごく狭い範囲で、ディオンはとにかくガルカにぴったりくっついて歩くしかなかった。

 しばらくすると赤錆がびっしりと張り付いた一枚のドアが闇の中に浮かび上がった。まるで誰かが殺されてそれが何十年も経った後のような……ビビり思考が働き頬を引きつらせていると、ガルカの足が無造作にドアを押し開ける。重い音とともに錆が剥がれ落ちていき、血の匂いがむわっと……いや、これは金属の匂いだ。しかし通路同様真っ暗で「明かり明かり、と」蝋燭で照らしてガルカが、レバーのようなものを下げる動作をした。

 瞬間一気に明るくなって目をつむる。目の痛みがなくなって、ゆっくり開けると、ディオンははっと息を呑んだ。

 何もない。

 正方形に造られた目の前の部屋は四方真っ白。ただそれだけだった。

「……お前ぇまだ俺の事疑ってんだろ」

「うっ、そんなっ、わけないじゃんか」

「顔に書いてあんだよ。素直か」

「……だって、何もないよ?」

 うろんげに問うと、ガルカは蝋燭をそのまま自分の目の前に持っていく。

「志、て言葉があるだろ」

 燃える炎を見つめたまま、ガルカは部屋の中央に歩いていく。

「それがあるから、生き物は手を伸ばす。ある者は金に。ある者は大事な誰かに。ある者は武器に。……俺は思う。そんな時心は、こんな風にめらめら燃えてるんじゃねえかって。燃えて、爆ぜて光った時、生き物は動く」

 蝋燭を足元に置くと、ガルカは続けて問うた。

「ディオン。お前は何の為に武器を手にする?」

「えっ? ……強くなるため」

「何の為に、強くなる?」

「ろ、ローティフルを……倒すため」

「それを思い続けろ」

 もうそこにチンピラの彼はいない。ガルカが視線を落とすと頭のドラゴンがディオンを見た。

「でねえと、心が折れるぞ」

 炎が揺らいで急に大きく燃え上がったかと思うと、爆ぜて発生したかすかな光が四方八方に閃光を走らせた。刹那、真っ白だった壁が発光しあらゆる色に変化して立体感が薄れていく。

 とっさに後ずさってぶつかった背後には、ドアが消えていた。流れる水のように色とりどりの光が壁や床を撫でていく。

「声を上げてお前は生まれた。歓喜じゃない、嘆きだ」

 ガルカが一言一言発するたびに、四方八方の光が一際強くなる。

「最初に覚えた感覚は痛み」

 光の色彩が寒色系に変化した。青、紫、灰色、黒「愛」部屋中がそのまま真っ黒一色になり身が締めつけられるような不安を感じた。「血。叫び。毒。涙」脈打つような音がする。「ふたり。ひとり。手を伸ばし続ける。……だが、希望がそばにいた」ざあっとノイズ化した黒がどんどん変貌していく……桃色と、はちみつ色の二色と化した。

「赤よ。感情に力を」

 刹那部屋中が真っ赤に発光し、まがまがしさに動悸がした。すると天井四方壁床すべてに亀裂が走ると、次々にめくれ上がり鏡となった。ガルカの落ち着き払った顔と、動揺し頬を引きつらせている自分の顔が映し出される。鏡は破片のまま浮かび上がり、部屋中を電光石火のごとく飛び回った。鋭利な痛みが何度も走りに目をやると赤い傷が無数に腕に刻まれていく。

 完全に狼狽していると、

「叫べディオン!」

 ガルカが叫んだ。

「お前がいちばん強く想うことを! 言葉にしろ!」

「こっ、ことばっ?」

「早く叫べ! でねえと心ごと切り刻まれちまうぞ!」

 わけがわからない光景に次々と走る鋭利な痛み、ひたすら混乱でいっぱいいっぱいのはずなのに、言葉は口を動かした。

「死なせたくない! もう誰も死なせたくない!」

 頬が熱くなる。姉の体温とともに、笑顔がフラッシュバックした。痛みも忘れ拳を作り叫んだ。

「死なせない! 絶対に! ローティフルを倒す!」

 血が腕を伝って床に落ちた。

 次の瞬間破片たちが更に砕け散り、真っ赤で猛烈な光を放った。目を強くつぶっても焼かれるように眩しくて腕で覆う。何かが砕けるような音と甲高い金属音、そして言葉にならないガルカの鬨の声が聴覚を震わせた。

 防ぎ切れなかった鋭利な光が全身を貫いて、力が抜ける。倒れる前に一瞬見えたのは、光の粒子をまとい自身も切り傷でいっぱいにしたガルカ。足元に未だ残る赤い光がまるで池のようにひずみ、傷だらけの腕を突っ込み引き上げる。大振りな、刃……。

 ディオンはそこで意識を手放した。




 痛い。誰かが叩いてくる。声もするが、一枚膜がかかったようにくぐもっていて聞き取れない。怒鳴っているようだ。いや、泣いているのかもしれない。視界も真っ暗だ。

 痛みは増す。手足を動かそうにも思うようにいかない。どこを殴られているのかもわからずただ全身が痛い。痛い。痛い。……いや、だから……

「痛いってば!」

「おう! なんだ起きてんじゃねえか」

 飛び起きてすぐガルカの姿が目に入る。満面の笑顔を浮かべながら「おはよーさん」まあまあな力で頬に平手打ちされる。触ると顔がほんのり熱を持っていて、

「起こされたんだよ! ガルカに! 今!」

「よしよし元気だな。廃人になってねえな」

 満足げに言った台詞に肝を冷やすような単語が混じっていたが、悪びれない様子にディオンはため息をついた。

「ここって?」

「俺の部屋。お前すっかり意識飛ばしてたからよ」

 ガルカは言いながらかったるそうに肩を回す。ぞんざいに絆創膏が腕中に貼ってあり疲労感が漂っていた。気づくとディオンの両腕にも手当てが施してあった(包帯が緩んでたりきつかったりピンが歪んでいたり雑だったが)。

 広さは先ほどの部屋と変わらないものの狭く感じるのは、物凄く散らかっているからだろうか。床を埋め尽くすほどのチラシ、何かのスケッチ、よくわからない紙ごみ。その上に設置されている机の上にはなぜ捨てないのか心底不思議な満杯の灰皿がある。壁や天井には大きく引き伸ばされた、バンドが映っているポスターが貼られていた。それぞれの主張が強すぎてなんだか窮屈だった。

 少しの間ぽかんとしていると頭をど突かれ、

「うるせえな、あえてこうしてんだよ」

「ば、ばれた?」

「お前はクソがつくほど素直だな」

「ねえそれより、どうなったの? 剣は?」

 ディオンが尋ねると部屋の話から一転、不機嫌な顔はすっかり消え失せニヤリと口元を歪ませた。

 ガルカがディオンに差し出す。紐状になっている茶色い皮が柄に巻き付けられた、鞘に収まった剣。ディオンは吸い寄せられるように、それを引き抜いた。

 一瞬、光が差した気がした。鋼は、透き通る光と混じりあい銀色に輝いている。ディオンでも片手でじゅうぶん振り回せるほど軽く、凍てつくように鋭い刃はすらっとまっすぐ伸び、迷いがない。意識を失う前にガルカが引き上げていたのはこれだったのか。

 ほとんど無意識に、呟いていた。

「俺の剣」

「お前の志から生まれた、唯一無二の剣だ」

 ディオンの反応に満足そうに笑うと、ガルカは煙草を引き抜き火をつけた。ソルトの物とは違う、灰のくすぶった匂い。

「俺は客の志を材料に武器を錬成するんだ。外面じゃねえ。そいつの中身、過去や現在強み弱み、愛するもの憎むもの。それら全部隈なく見通して、引き出して、それらがぶつかり合って弾ける。それが志だ。客にとっちゃあつらい作業になるが、それでも進むと決めた奴の武器はとんでもねえ代物になる」

 ガルカは刃を指で軽く弾いた。剣は神秘的とも言える音を立てた。

「魔法なの?」

「文句あるか」

「あるわけないよ! なんか……すげえ、体験だった」

「俺はそこいらの職人とは格が違えからな! この俺が造った剣だ! 二、三人……いやせめて十人くらいには自慢しろ! アハハハハハ!」

 背中をさんざん叩きながら豪快にガルカは笑った。なんとかやめさせると、ディオンは剣を鞘に納めて、眺める。

「そいやお前の連れが来てたぞ。やけに厚着した長身と、死ぬんじゃねえかってくらいガリガリのガキ。今上で待たせて、」

「なあガルカ。笑わないの?」

「十分笑っただろ」

「そうじゃなくて。……ローティフルを倒すって、お前じゃ無理だって笑わないの?」

 ディオンの言葉に、ガルカから笑顔が消える。

「俺はさ、ガルカ見ただけで腰抜かすようなビビりなんだよ。いっつもびくびくしてて、逃げることしか考えてなくてさ……学校でだって、みんなにボコボコにされて、バカにされて」

「ディオン……何言っ、」

「そんな弱虫が、ローティフルを倒すなんて言って、笑わないの? こんな、立派な剣……持つ資格ないって……思わないの?」

 何を言ってるんだ。つい昨日決意したばかりなのに……自分でも恥ずかしくなったが本音が止まらない。

「現に俺、一回逃げてるんだ。村が奴らに襲われた時、みんなや……姉ちゃんが襲われてるのに、ひとりで逃げて……だから生き延びちゃって。そんな俺が……強くなるなんて無、」

「この、クソガキがッ!」

 手のひらとは違うごつい感触が背中の筋を直撃し変な声が出た。反射で弓なりになったところをもう二、三発、おそらく、グーで殴られた。

 悶絶していると「てめえ俺をコケにしやがったな、ああッ?」胸倉を掴まれ凄まれる。

「俺が人の目標聞いて指差して笑うクソに見えたってか! てめえそういうことだよな、ええッ?」

「そっそういうわけじゃっ」

「そういうわけだよバカ野郎!」

 荒々しくベッドから埃だらけの床に投げ捨てられた。やっぱり怖い。不安と痛みと恐怖で半泣きになっていると、ガルカの声は続いた。静かで、やさしいトーンで。

「確かに、ローティフルはバケモンだ。今までどれだけの生き物が殺されたか知れねえ。ジエル一の脅威だ。で、お前はそのバケモンに故郷をぶっ壊されて、生き延びて、仇を討つって目標を立てた。そのために剣を持つことにした。……どこを笑えってんだ? そんな勇気ある、志に」

「……勇気?」

「何が生き延びちゃった、だ。奴らに襲われたら誰だって逃げるだろうが。お前は奴らの殺しをその目で見たそれなのに、それにただ怯えて生きるんじゃなく、立ち向かうことを選んだ。なかなかできることじゃねえ」

 怒鳴ったときに落ちたのか、吸いかけの煙草を拾い上げ口に加える。

「お前はもう誰も死なせたくないんだろ。さっきそう叫んでたじゃねえか。その気持ちが生半可なもんだったら、そんな立派な剣はできねえよ。そんなお前の志をな、無理だのバカだの笑う野郎は叩き斬ってやれ! お前らこそ弱虫だっつってな! もっと誇れ、自分を!」 

 勇気。誇り。自分には今まで縁のなかった、口にすることすら許されなかった憧れのものたち。それを自分の中に見出して、形にしてくれたのだ。

 これが、自分の志。視線を落とすと、ぴかぴかの鞘が汚い床で輝いている。それが二重にぶれて、瞬きするとさらに白濁として見えなくなった。

「うお! な、何泣いてんだ」

「ご、ごめっ……俺、俺……ごめんっ」

 不安だった。自分のやろうとしていることが現実味を帯びて、やっぱり自分は弱いんだからできっこないんだと思った。

 そんな自分からこの剣は生まれたのだ。部屋の照明に鋭くきらめく、まっすぐなそれに涙が落ちる。

「……ったく、しょーがねえな……」

 持て余したようなため息が聞こえた。ガルカの手がディオンの頭をぐしゃぐしゃにする。それはガルカの笑い方みたいに、がさつで一方的で、やさしいものだった。

 ディオンが泣いてるあいだ、ガルカはずっとそうしてくれていた。




 ガルカの部屋は地下にあったようで「明かりないの、ここ」「明かりつける金がねえんだ……」真っ暗な階段をろうそく一本の光で上っていくと作業場に出た。先ほどまでの光景は気配もなく、真っ白に静まり返っていた。

 所狭しと並べられた未完成の武器たちに、深めの大きい鍋(飾りだけど)。店の入口のロビーに着くと、開けっ放しのドアから聞こえてくる街の喧騒に懐かしさを感じる。それほど作業場は異空間だった。

「ソルト! シャラ!」

 長身痩躯と小さな体。二人は店の入り口付近の椅子に座っていた。最初に駆け寄ってきたのはソルトだったが、服装の異変にびっくりした。緑色のロングコートの襟を立て、黒いハットを深くかぶっていて右目しか見えない。両手には薄手のレザーグローブをはめて、綿のズボンにショートブーツと肌は完全に隠されていた。

「すっげえ。完璧だね」

「ディオン。俺たちにどれだけ心配かけたかわかってるのか」

「へ?」

 ぽかんとしてみせると、冷たいレザーの右手で頬をねじり上げられて、

「一人で動くなって俺言ったよなあ? はぐれたらどうする気だったんだ?」

「いっででででいだいっ、つっつい武器屋って看板に吸い寄せられて気づけばここに……」手の力が強くなる。「ぁだだだだだぃ! ご、ごめんなさいもうしない絶対しません!」

「絶対だぞ? 約束はちゃんと守れ。返事は?」

「でででで! は、はいっ」

「よし」

 一つ頷いてソルトは手を放した。ズキズキ熱を持って痛む頬を押さえてしゃがむ……なんか説教されてばっかだ、今日。絶対腫れてる。

「シャラにもちゃんと謝れ。店に一人残して。お前がいないって気づいたら俺より不安そうにしてたんだ」

「うう、そっか。そうだった……」

 見ると、びくっと体をすくめてうつむかれてしまった。彼女も無事着替えられたようで、キャメル色のロングブーツに、すみれ色の長袖ワンピース……ディオンが最初にあてがったものを着ていた。少し身なりも整えてもらったのか、ボサボサだった長い髪がまっすぐになっている。

「ごめんな、シャラ。置いてって」

「……いえ。また、会えたから良かったです」

「それにしたんだ。やっぱり似合うよ、その色」

「……好きな色だったから……」

「お? そっか! 俺当たりだね。いーなー、俺も服欲しい」

「ぶうたれるな、勝手にいなくなっといて。……それで、それが目当てのものか?」

「あ、コレ?」

 よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、ディオンは背中から勢いよく鞘から剣を引き抜いた。二人の前で掲げて見せる。

「すっげえだろ! ガルカが造ってくれたんだ!」

「ガルカ?」

「そうだ、もっと自慢しろ」

 意気揚々とするディオンの背後で、腕を組んでニヤリとするガルカ。

「最初はチンピラに絡まれたと思ってもうビビっちゃってたけどさ、俺の志をこうやって形に、」

「だぁれがチンピラだコラ。どっからどう見ても職人だろうが」

「見えないよー。すげー怖かったもん」

「俺にビビってるようじゃダメじゃなかったのか?」

「誘拐まがいの客引きもうやめるんじゃなかったの?」

 うるせっと軽く小突かれ、ディオンが楽しそうに笑った。

「ディオンが世話になった。支払いを」

「あ? ああ、そうだな」

 衣服の奥から喋るソルトにガルカが若干身を引きながら頷いた。ガルカは種族で偏見なんか持たない人だとは思ったが、殺気ギンギンのソルトを見たら絶対怖がるだろうな。

 ソルトに支払いを済ませてもらい(やさしさへのお礼だとか言っていたわりに高値だった)、ディオンは剣を鞘に納め背中に背負った。

「ガルカ、本当にありがとう。大事にする」

「バカ。剣ってのは大事に使うもんじゃねえよ。バシバシ豪快に使ってやれ」

「……おう」

 二人に目くばせをして、踵を返す。店を出て、混み合う街道を横切ろうとした時「おい、ディオン!」ガルカが吠えた。振り返ると、拳を振り上げて叫んだ。

「俺が造った剣だ! 死んだら殺す!」

 恐喝ともとれる台詞に通行人が何人かガルカに怪訝な視線をよこした。けれど、ディオンは同じように拳を作って振り上げ「おう!」負けないくらい大声で応えた。満足げにガルカは歯を見せて笑顔を作った。



   ***



「───も買ったし、食料も水も買った。シャラ、何か用はないか?」

「いいえ、ありません」

「そうか。ディオンはどう……ディオン? おい!」

 なんとなく会話は耳に入っていたものの、ソルトに体を揺さぶられてようやくはっとした。

「ご、ごめん、何?」

「そんなに見つめてると剣が腐るぞ」

「え、そんなことあんのっ?」

「あるわけないだろ」

「……」

「冗談だよ、そんな顔するなって。よっぽど気に入ったんだな」

「うん! もちろん!」

 ふくれた顔も一変笑顔になる。ソルトも呆れる反面、嬉しそうに微笑んだ。

「さて、じゃあ行こう」

「おう」

「……はい」

 シャラはここへ来た時よりかは心持安堵しているように見えたが、やはり震えていた。何が怖いのだろう。これから先の旅が不安なのだろうか。剣は手にしたものの、大丈夫だよ、と言えるほど自分は強くなったわけではない。視線を落とすと、自分の手も震えていた。心臓が早く大きく脈打ち、緊張感に満ちている。けれど、拳を作った自分の指一本一本が、普段より力がみなぎっている気がした。背中に感じる重み……ディオンの、志の重みだった。

「あ、そういえばお前の服だが、適当に見繕って買っておいたぞ。シャラと選んだ」

「え! ほんと? ありがと! やさしいなあ二人とも」

「ごめんなさい、勝手に」

 そんなやりとりをしながら三人で歩く。これから先、ディオンの知らない道が伸びていて、知らない街や村、そして討つべき敵に繋がっているのだ。

 誇りを持て。ガルカの乱暴だけれどやさしい声が今にも聞こえてきそうで、背中を叩かれるようにディオンは一歩踏み出した。

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