私立探偵・三日月未夜と混沌のエクス・マキナ

姫城玖蘭

Ⅰ.ボトルメールは突然に

 年齢二十五歳。身長平均より少し高め、砂時計型の美しいプロポーションを持つ女性の三日月みかづき未夜みやは、現代日本では珍しい、全国的に知名度の高い私立探偵である。


 彼女は“町内警邏ちょうないけいら”と称した日中徘徊で時間を浪費するような暇などない、東西南北至るところから依頼が舞い込んで来る人気のある存在だ。その為、生来の知的好奇心が常に何らかの形で刺激され続けており、それによって放出されるドーパミンは常に彼女のやる気を引き出す素晴らしい循環が行われていた。


 三日月未夜に新たな依頼が舞い込んで来たのは九月。厳しい残暑の中に時折秋の冷え込みが顔を出す季節。ただしそれは『依頼』というにはあまりにも珍しい形での登場であった。


 それは浮気調査や失せ物探しの合間に取れた貴重な纏まった休暇を満喫しようと、海水浴の客がいなくなって快適な海を散歩する為に訪れた観光旅行の最中のこと。遥々海を渡って来たのであろう一つの硝子瓶を、日本海に接する砂浜を散歩している時に見つけたのである。拾い上げると、陽光をきらびやかに反射する瓶の中に見えるのは、陽に長く当たった為か色褪せてしまっている二枚の用紙だった。


 未夜は瓶のコルク栓ーー上等なウィスキーの銘柄が記されているーーを抜き取り中身を取り出す。密封されていた瓶の内側から独特なすえた匂いが逆流してくるのを厭わず紙面を開くと、二枚の用紙にはそれぞれ全く異なった情報が記されていた。


 一枚目は手紙である。手書きの文字ではなく、コンピュータで入力したと一目で判別が出来る均等に記された文字列だ。三つの言語で記されており、未夜にとっての母国語である日本語と仕事に役立てようと学んでいた英語で書かれた文章は読み解ける。二つの言語の内容は意訳するとほぼ同一の意味になる為、残りの一つの言語も同様の内容だろうと、未夜は即座に判断した。しかし、文章を訳すことは出来ないが言語に用いられている文字は非常に特徴的で、どこの国の言語かは判別がついた。キリル文字、即ちロシア語だ。


 未夜は二度、三度と文章を読み返す。その内容が、あまりに荒唐無稽であった為である。




「この手紙を読んでいる貴方へ。


 この手紙は特定の誰かへ向けたものではありません。私はいくつも同じ手紙を海へと放っております。強いていえば、今この文章を目にしている貴方へ当てた手紙と言えるでしょう。


 貴方にお願いがあります。今、私のとても大切な人が命の危険に晒されています。その人の名は『七々扇ななおうぎ舞夜まいや』。彼女を救う為には誰かの力が必要です。私自身には彼女を助け出す術がありません。貴方の協力が必要なのです。


 私と彼女は同封した地図に記した孤島にいます。民間の何者にも知らされていない、『日本政府』と『ロシア政府』が合同で作り上げた人工島メガフロートーー『イリア島』。地図には存在しないこの島に、私達は閉じ込められています。


 日時は日本時間にして十月十日の十一時丁度。この時間にのみ島の出入りが可能となります。


 猶予はありません。この荒唐無稽な話を信じることは難しいでしょう。それでも私は一縷の希望にかけて手紙を出します。


 与えられるだけの見返りがあるかはわかりません。けれど、差し伸べられた救いの手に対する御礼はこの身に変えてでも成し遂げましょう。


 私は『ラススヴィエート』。島へ辿り着いたら私を探して下さい。お願いします。


 彼女を、助けて」




 未夜は同封されていたもう一枚の用紙をじっくりと観察する。手紙に書かれた通りそれは地図、しかも世界地図だ。しかし地図には未夜の知る地理とは異なった点が一つだけある。それは日本海に付けられたーー手書きとは思えない綺麗な円を描いたーー赤い印だ。注意深く観察するが印の中心には何も見えず、海を示す青色が広がっているだけだった。


「『地図から消えた島』ならぬ『存在しない筈の島』か」


 日本とロシアの国家を跨いで製造された人工島の計画など未夜は聞いたこともなく、内容を加味すると世間で騒がれていない筈のないプロジェクトであることを含めると、それは民間人である未夜の手に余る国家機密情報ではないかという結論に辿り着いた。思わず身震いをする。自らに無用な災いが降りかかるかもしれない、と思ったからではない。あまりにも興味深い手紙だった為に猫すら命を落としかねない好奇心の塊が疼いた事による震えだった。


 手紙を広げて水平線の向こうを眺める未夜。シーズンを過ぎた静かな浜辺にはさざなみの音と海岸線を走り抜ける車の音だけが響き渡り、平和の象徴たる音楽を奏でている。


 今、彼女はこの平和を捨て去ろうとしている。この海の向こうにある『謎』を求めて手を伸ばそうとしている。三日月未夜を突き動かす原動力は好奇心。『ボトルメール』という前時代の手紙が意味する孤島の真実を突き止めるというのは未だかつてない試みだった。


「なにより、これは『依頼』だ。私立探偵として、依頼された『仕事』は選り好みせず受けないとね」


 未夜は誰もいない海岸ではっきりとした口調で言い放つ。それは手紙の送り主『ラススヴィエート』に向けたものだ。なにかに縋る為に伸ばされた手を見捨てるのは、未夜の性分ではなかった。“世の為、人の為”とまでは言わなくとも、真実を見出し導く者が探偵ならば、人助けは彼女にとって本懐だった。


 手紙をボトルへ戻し宿へと持ち帰った未夜は、予定していた日程を変更し惜しげもなく旅行を切り上げ、都内にある自らの探偵事務所へと戻った。ポストには僅か二日程空けていただけにも関わらず何通もの手紙が収められており、内数件は仕事の依頼だったがそれらに対しては遅延の連絡を入れることにし、早々にボトルメールの依頼主『ラススヴィエート』を求めて、存在しない孤島ーー『イリア島』へとひと月後に向かう算段を組み始めるのだった。

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