私が大西郷を怪しむ理由、戦中と、戦後の歴史教育の違い。

 私が西郷隆盛という人物を知ったのは、学校にあった「漫画で読む歴史」のなかでの「西郷隆盛の伝記」というものでした。

 そして、その当時その本の監修をしていた人も当時「日本史の権威」っとよばれていたじんぶつであり、漫画家の作風や途中で登場する自画像から、戦中の歴史教育を受けた人物であろうことがわかるほどの、かなりのベテランの方でした。


 そこで最初に歴史関係に触れ、手塚治虫てづかおさむ氏の遺作となったアニメ「聖書物語せいしょものがたり」や宮崎駿みやざきはやお氏のアニメ三銃士、アーサー伝説のアニメなどの歴史作品や宗教作品を観て育ちました。


 そこ代わりと言っては何ですが、小中と先生は社会科の歴史は暗記させるだけの教育しかさせなかったので、平安時代など400年もあったはずなのに、全く内容の薄い時代など、明らかに不自然な歴史教育を受けたと、今になっては思っています。


 話を西郷隆盛に戻しますが、今の彼の人物史と違い、その時に読んだ本にはという記述がありました。

 作者自身が作品内で「本当のことです」と言っていたので、彼はそういう教育を受けたのだというのがわかります。

 しかし1年間通しで人物の歴史を語るドラマでは遠島は2回となっています。これはどういうことなのかということになります。

 歴史の教科書では個々の人物をそこまで掘り下げないので、あとは自分で様々な人物の小説や、歴史ものの作品を観ることで知識を得ましたが、どうやらある頃から大体30~40年前の頃から様々な歴史の内容の変化が見られます。


 これはどういうことなのかと考えると、推論にすぎませんが戦中の歴史教育の内容と、戦後の歴史教育の内容の違い、それとその世代間の考え方が、家長制度かちょうせいどから、核家族かくかぞくと呼ばれた少数の人で構成される家族の、世代間の断裂がみられています。


 その為に、自分の習ったことを正しいと思い込む世代が情報のすり合わせをしなかったために、様々な人物の描写が戦前と、戦後によって違うのでしょう。


 有名なのは楠木正成くすのきまさしげ大楠公だいなんこう)の戦前の神格化と、戦後の南北朝時代の取り上げなささのように、全く違っているのでしょう。


 そうなると西郷隆盛も維新いしんの英雄とされ神格化されていたのだとしたら、どこまでが本当で、どこからが嘘なのかが全く分からないことになります。


 上野の西郷隆盛像であっても、あの顔は隆盛の弟の従道つぐみちと、従兄弟いとこにあたる大山巌おおやまいわおの顔の合成であるとされていますので、彼の本当の顔を知る人物は150年以上前に見ていないといけないので、その姿が不明なのは仕方がないことなのでしょうが、私には「意図的に」彼の顔が解る資料が残っていないように思われています。

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